こんにちは、ストロング宮迫です。
個人的にとっても凹むことが最近あったんですが、年を重ねると、リカバーするのに時間がかかりますなあ…(;_;)
ボクはそもそもが「無責任な人間」のはずなんですが、そして、もう少し若かった頃は、一晩くらい寝れば、まあなんとかなったものですが、それが夢にうなされたりしてね。
勢いと度胸と勘だけで生きていた頃が懐かしいですなあ。
こういうときは「ケセラセラ」でも歌うしかないんですが・・・・
美しい歌声も気に障るっていうね(;`O´)o
まあ、受験と一緒で、すぐにこの場で完全解決はできないとしても、すぐにできることをやって、事態を半歩でも前進させて、どんよりした気分の問題は、時間とともに薄れていくのを待つしかないようです。
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future’s not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
この心境になるにはもうちょっと修行が必要なようです。
さて、日本経済新聞に定期的に連載記事が載っている元メジャーリーガーの田口壮さんの「コーチの話」がおもしろかったので紹介します。
親技では親は子供のトレーナーとかコーチと表現したり、ときには司令塔になったりするべきだと書いてきました。
そうした役割は子供の年齢と成長にリンクして徐々に変化していくものだと思います。
親は子供がなーにも知らない、できない状態から知ったげになって反抗したりしていき、そして手を離れていく全行程にかかわるので、親自身も子供の成長に応じて役割を変化させていかないといけない。
まあ、前置きはさておき、まずは読んでいただきましょうか。
・・・日本のコーチは選手が黙っていても教えてくれますが、メジャーのコーチはよほどひどい状態でないと、指導に乗り出してはきません。
こちらから教えを請わない限り、黙って、ずーっと見ているだけです。
メジャーの選手は技術的にはできあがっている、という前提があるので、ここをいじって、あそこをいじって、という指導はしません。
本人の個性に関わる根本的な技術やスタイルもありますので、そこには触らないわけです。
選手から「ちょっと調子が悪いんだけど」と相談されたときしか指導しないのですが、いざアドバイスを求めたときの彼らの対応には驚くべきものがありました。
もちろんコーチによって差はありますが、メジャーのコーチは選手一人ひとりの打撃を日ごろから穴が開くくらい見つめて、分析しています。
いいときはこうだが、疲れてくるとこういう傾向が出てくるといったことを、本人以上に詳しいかも、というくらい把握しているのです。
ここで紹介した田口壮さんの「コーチの話」は、親と子供とのかかわりの全行程の中では一般的には中学生、高校生くらいの部分の話と解釈したらいいんじゃないでしょうかね。
というのも、
メジャーの選手は技術的にはできあがっている、という前提がある
とあるから。
一応「できあがっている」状態の選手なので、もうあちこちはいじらない、いや、いじれない、これが前提の話です。
親が子供の勉強を見ている家庭でも、いつのまにかそばで親が勉強を見なくても、子供は子供のやり方やペースで勉強をやり始める時期が来る。
もちろんそうした時期が自然にやってくるのは、それまでに一定の勉強のやり方や目標設定や成果が出ている家庭です。
なーんにもできない、なーんにも知らないまま、ただ年齢だけが中学生になっても、自分で勉強をやったりはしないから。
そばで熱心に勉強を見ていた時から自分で自然にやり始めるというのは、そういう過程があってこそというのが親技の立場です。
田口さんの話でとても重要と思えるのは、
メジャーのコーチは選手一人ひとりの打撃を日ごろから穴が開くくらい見つめて、分析しています。
いいときはこうだが、疲れてくるとこういう傾向が出てくるといったことを、本人以上に詳しいかも、というくらい把握しているのです。
ここですね。
口は出さないけれど、それは「知らない」ってことではなく、いざアドバイスを求められたら「本人以上に詳しいかも、というくらい把握している」ということ。
「知らない」「把握していない」から口に出さないのでもなく、「知らない」「把握していない」はずなのに、口だけは出すのでもないってことです。
こういうと「メジャーのコーチはそれが仕事でしょ!」とたぶんなる。私には私の「仕事」があって、子供のことを「日ごろから穴が開くくらい見つめて、分析」する時間なんてないんですとかね。
だったら仕方がないですね。子供に気の利いたアドバイスはできない。そこはセットです。
問題は、「知らない」「把握していない」けれど、気の利いたアドバイスはできて、それを子供も素直にウンウンと聞いてくれるってことを想定していることなんです。
そんなことはありえない。
メジャーのコーチもマイナーリーグのコーチも普段は教えてくれません。では、普段彼らが何もしていないかというと、そんなことはありません。
彼らはじっくりと選手を観察し、アドバイスを求められたら、いつでもどんな内容でも答えられるよう、完璧に準備をしています。
そして他愛ない冗談を含めて、実によく選手とコミュニケーションを取ります。
考えてみれば当たり前なのですが、普段からしゃべって、気心の知れた関係になっていなければ、いざという時に大事な相談ができるわけがありません。
密なコミュニケーションによって築かれた人間関係、信頼関係があるからこそ、選手の心理状況まで踏まえたアドバイスができるのでしょうし、選手もそれを素直にのみ込めるのです。
日本でのコーチと選手の会話はどちらかというとコーチから選手へ、という一方通行だったような気がします。メジャーでの選手とコーチのコミュニケーションは「双方向」でした。
日本のコーチのやり方にも優れているところが多くあります。
ただ、同じレベルに立って話ができ、助けを求めたときには「おまえの探していたものはこれだろ」と解決策を出してくれるメジャーのコーチのあり方に学ぶべき点もあると思ったものです。
子供が自立して自分で勉強するってことは、それを望むなら、親と子が双方向でコミュニケーションができていないと成立しません。
子供が自分から「こうやりたい」とか「こうやってみたい」とか「こういう処理をしているんだ」というのが出てきて、はじめてそれがどうなのかを話し合う余地が出てくるんだから。
まだ勉強のやり方を確立できていない、大量のものをうまく処理できない小学生や中学生のある段階までは、「コーチから選手へ、という一方通行」のコミュニケーションが多くなるでしょう。
この時期の親はまさに司令塔です。
ただいつまでも司令塔であることを望まない親は、勉強における「一方通行」のコミュニケーションから少しずつ「双方向」のコミュニケーションに移行していかなきゃいけない。
その際は、ただ勉強の話をするんじゃなく、「他愛ない冗談を含めて、実によく選手とコミュニケーションを取り」つつ、
じっくりと選手を観察し、アドバイスを求められたら、いつでもどんな内容でも答えられるよう、完璧に準備をしています。
それがあるから、
密なコミュニケーションによって築かれた人間関係、信頼関係があるからこそ、選手の心理状況まで踏まえたアドバイスができるのでしょうし、選手もそれを素直にのみ込めるのです。
すごく大事な話だから聞けといっても、人はその人の話に耳を傾けやしない。
なーんにも「自分のこと」を知らない親に何か言われたって、それが100%正しくても聞きはしない。不信感のある上司のいうことは聞けないのは大人も一緒。
子供に勉強のことを聞かれて「教えられない」のは問題じゃない。そんなことを子供も求めていないしね。
「教えられない」のが問題ではなく、子供の勉強のなにが問題かをまるで把握していなくて、アドバイスを求められたら「あなたのやる気がないからよ」としか答えられない親のほうが問題なんだと言いたい。
子供だっていきなり「勉強が全く分かりません」なんていうわけじゃない。コミュニケーションがあれば、そこに「あれ、ちょびおかしいな」と思える点があり、そこに気づいて話すことでより今の状態が明らかにある。
「知っている」親がいる家庭では、問題は早い段階で、芽が出た段階で気づいて処理するから大問題にはならない。
しかし、「知らない」親がいる家庭では、問題の芽が小さいときは気づかず、幹が出ても知らんぷりで、葉をつけて実になる頃に「どうして芽が出たとき言わなかったの?」なんてなるから、解決不能な状態になってる。
勉強だって、スポーツだって、そのほかの習い事だって一緒。
問題を全部その場で解決しなくてもいいんだから。早い段階で問題が見つかれば、考えられる時間もたっぷりあるし。
でも、問題が太い幹になって実までついた状態から、解決するには対処に与えられる時間も少ないし、打たなきゃいけない手も多すぎてどうにもお手上げになりかねない。ゆえにさらに放置される傾向もある。
子供から相談されて、やる気や努力についてのみ指摘してくる親と「ははあ」と思えるアドバイスをしてくれる親がいるとして、2回目の相談があるのはどっちか?
答えはおのずと明らかでしょう。
あなたが言う「私の仕事」に子供を「じっくりと観察し、アドバイスを求められたら、いつでもどんな内容でも答えられるよう、完璧に準備」するが入っているかどうかはわからないけれど、「密なコミュニケーションによって築かれた人間関係、信頼関係」なしに、子供の「心理状況まで踏まえたアドバイス」はできないし、しても子供は「それを素直にのみ込め」ないでしょう。
知らなすぎる、子供のことを。
子供は熱せられたガラスと一緒。どうにでも形は変わっていく。その過程に誰がかかわるのか。
田口さんの話は、「一方通行と双方向」「教えると教えない」というような対立した考え方でどっちがいいとか悪いとかで読むのではなく、「一方通行から双方向へ」「教えるから教えないへ」などの直線上の流れで考えながら読むべきものじゃないか、
そんなふうに思いました。
そして、双方向のコミュニケーションを成立させるには、親と子が向き合っている状態ではなく、親と子が同じ方向を向いている状態を想像します。
その同じ方向が目標なのか志望校なのかなんなのかは各家庭で違うと思いますが、「そこ」に向かって共に歩むイメージです。
歩みには苦痛もあり、喜びもあり、苦しみもあるでしょうが、「他愛ない冗談を含めて」、「密なコミュニケーション」によって成り立つ。
それがなければ、素直にアドバイスに耳を傾ける信頼関係は決してできないのだから。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小2さくらさん
恥ずかしながら、10の鉄則に書かれている悪い例は、ほとんど私に当てはまるものでした。これでは、我が子も大変だっただだろうと、過去を振り返りました。子供が勉強する前に、私がもっと勉強しなくていけないと思いました。
まだ、実践に入っていませんが、鉄則を時々読み返しそのつど日々の勉強に役立てたいと思います。また、実践に入った際は、きっとそれぞれの鉄則の意味がより分かるのではないかと思います。
勉強だけでなく、生活習慣や習い事でもぜひ鉄則を適用してみてください。常に鉄則に当てはめて考えてみる習慣が勉強でも活きてきます。即実践です!!
中2にゃんこさん
「新勉強の常識」をネットで購入し、メルマガも毎回必ず読ませていただいておりました。
しかし、親が「わかったつもり」になるだけで、娘の成績の結果には結び付いていませんでした。
この現状を打破しなければ、と思い「10の鉄則」を購入した次第です。
「10の鉄則」には、具体的事例が書かれており、何からどのように手を付けたら良いかわからず、混乱して立ちすくんでいた私にとって、これから行く道の道しるべができた!と思いました。
計画を立てたら必ず実行です。せっかく作った計画表は、実行の有無を必ず「親子」でチェックする。
計画が実行されずにいるのを見て「ちゃんとやりなさい!」ではなく、計画をスル―する前に、親子で確認しながら進めることです。
計画は当然ながらできていないのを怒るために作るわけじゃない。
計画を立てたら、それを実行する責任は「子供」だけではなく、親にもある。
それによって立てた計画の妥当性がわかり、次の勉強の計画、それも無理のない、成果の出る計画につながる。
何かをキッカケに1つのことを始めたら、石にかじりついてもやってみる。それが次にやることを教えてくれることになります。