こんにちは、ストロング宮迫です。
日本人宇宙飛行士の山崎直子さんが大きな話題になっているようですね。
その話題の1つがご夫婦のことのようで、
東京新聞の見出しは、「夫婦は長い時間をかけて話し合い、家族は再び一つになった」
産経新聞は、「宇宙夫婦、夢がつないだ絆」などなど
新聞によると、山崎さんご夫妻は、2000年に結婚し、2年後に長女を授かったそうですが、2003年のコロンビア号空中分解事故を機に、日本人飛行士の訓練計画が大幅に変更。
このことで夫婦の危機を迎えたと新聞は伝えています。
2010年4月5日 東京新聞 「離別危機越え家族一つに」
妻がロシアで長期訓練をする間、大地さんは仕事と育児、両親の介護に奔走したが、父卓夫さんは04年2月に他界。
間をおかず、妻の二年間の米国出張が決定。
家族が離れ離れになるのを避けるため、大地さんは会社を退職した。
渡米後は配偶者ビザでは就労ができず、無力感にさいなまれた。
心療内科に通う一方、仕事一筋の妻と口論が絶えず、実際に離婚調停も行った。
その間の物語をご主人の大地さんが「宇宙主夫日記」という本で赤裸々に記しているとか。
「宇宙主夫日記」は読んだことはないのですが、
2010/4/6J-CASTニュース 「妻は宇宙へ・夫は家庭へ」には
http://www.j-cast.com/tv/2010/04/06063884.html夫は自らの著書に
「直子と私の間が微妙にギクシャクし始めた。彼女のまず仕事ありき。そのために家族が犠牲になってもしかたがないとい
う考え方には納得いかなかった」と綴っているという。
宇宙飛行士の家でなくても、この手の話は今は珍しくなくなっていますよね。
男女にかかわらず、仕事を持ち、その分、家事や子育ての役割分担も必要になってくる。
妻のほうが年収が高いという家庭だって、出てきています。
母子家庭、父子家庭も珍しくはなく、時代の移り変わりの中で新しい家族の「カタチ」を今、私たちは模索しているのかもしれませんね。
こうした夫婦の話を耳にすると、いつも思い出すエッセイがあります。
隆慶一郎さんの「時代小説の愉しみ」に出てくる「人生は間違いじゃなかったよ」の話で、以下に抜粋して紹介しますと、
・・・福井友栄さんの新聞記事を読んだ。
ノーベル賞を受賞された福井謙一氏の奥さんである。もともと夫君と同じ数学をやっていられたのに、結婚と共に断念。
夫君の裏方に徹して、つまり専業主婦としての生活に没頭してこられた女性である。
その記事の中に注目すべき言葉が二つあった。
一つは、
「同じ理系で夫を支える意味を納得できたからやったこと」という言葉であり、
もう1つは、「あの賞(ノーベル賞のこと)は、人生が間違いじゃなかったよと、仏様の光明のように、遠くからやって来た」という言葉である。
二番目の言葉を読んだ時、僕は不覚にも涙がこみ上げて来てどうにも仕方がなかった。
なんという素晴らしい生き方かと、腹の底から思った。同時に羨望の念に震えた。
自分の人生が間違いじゃなかったよ、と仏様に告げられたように思える人が、今の世に何人いるだろうか。特に専業主婦の中に、である。
現代はまさしく逆の反応を示している。自分の人生は間違っていた、と思いこみ、あるいは思ったふりをし、別の人生に走る、あるいは走ろうとするポーズを示す専業主婦に満ち満ちている。
この問いは、専業主婦だけではなく、仕事を持っている人にも等しく投げかけられた問いだとストロングは思いますが、いかがでしょう?
隆慶一郎さんはこのエッセイの最後で女性だけではなく、男性にも問いかけます。
・・・自分の人生は間違いじゃなかったよ、と思わせるものは何だろう、と考えこんでしまう。
それは形はさまざまであろうとも、結局は亭主の側も、俺の人生は間違いじゃなかったと、言えることしかないだろう。
そして、今、現在、声を大にしてそういえる亭主が何人いるだろうか。
と。
隆慶一郎「時代小説の愉しみ」
http://tinyurl.com/2682es4
えっ、配偶者がノーベル賞を取れるような人だったら、私も頑張って支える側にまわるって!?
ホントですか?
「本当に支えられるかどうか?」をその福井友栄さんが書かれた本「ひたすら」から少し長いですが、紹介しましょう。
「ノーベル賞受賞者の妻」を体感ください。
「ひたすら」福井 友栄
http://tinyurl.com/y6mpm3g
戦後、夫謙一さんとの新生活が始まってからは、
夫のほうは・・・・毎日毎晩、計算に熱中し始めていた。
毎朝、起きると、机上に数式で埋まったザラ半紙が3センチくらい積まれている。
とくに、結婚数年間の、計算につぐ計算の姿は脳裡に焼きつくように残っている。
この頃、路上ですれ違っても、ほとんど私に気づくことはなく、背後から声をかけると、夢から醒めたような表情をする。
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今思い返してみると、この頃の数年間の記憶は明瞭で、鮮やかに思い出すことができる。ある日の夜半か未明の頃、隣の小さい部屋で計算をしていた夫が私の寝ている布団の衿を小さく振り動かし、声をかける。
「起きなさい。起きなさい」
何事かと半睡のまま起きてゆくと、数十枚の計算用紙の最後のものらしい一枚の半紙を手に持ち、笑みを顔一杯に浮かべて私に見せる。
「これきれいだろう!きれいだろう?」
その最後の一枚は、紙幅一杯長い数式が、一段一段短くなってゆき、最後は3センチくらいの単純な数式で終わっている。
数式全体は、長めの直角三角形で、私にもその美しさはわかる。
「ほんときれいね」と言って寝てしまうが、この経験が同じパターンで数回繰り返され、時には眠いのでお愛想で「きれい、きれい」と言ったこともある。
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この夢うつつも未明の出来事が、三十年後にノーベル化学賞になるとは、神のみぞ知る。当時、私は起き出しては、「きれいね」と同意していてよかったと思う。
ところが夫は。「天は二物を与えず」の諺どおり、考える以外の日常性の不器用さには信じがたいところがあった。
戦後の東海道線は混雑し、上京のたびに夫は席を取ることができないのである。行列に並んでいても、必ずはじき飛ばされ、最後の最後になるので、徹夜で並んだ朝などは心配でならない。
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バスなどは私が乗れても、夫は乗れないで取り残される。・・・これは、新幹線が指定席になっても時々起こったのが信じられない。
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子供が小さかった頃、ふたりの子どもを連れて大阪に行った帰り、地下鉄の自動販売機で、切符がどうしても買えないで立ち往生したらしい。下の娘は、父親と外出した時、お家に無事帰れるかいつも心配していたという。
ストロングが、夜半か未明に「起きなさない!」なんて奥さんに数式出したりしたら、ビンタでは済みませんよ!!
この技は繰り出してくるでしょうねえ・・・
http://www.showapuroresu.com/waza/elbow.htm
でも、それじゃあ、ノーベル賞にはならないわけで。
福井友栄さんは、
家庭の本質は、きっと家庭における人間関係のあり方の土台が大事なのだと思う。
私はたぶん無意識下で、夫が常に安定した雰囲気の中で、いつでも、考えを集中持続できる土台がいちばん重要だと感じ、それを作ろうとしていた。
と。
どんな仕事でも、それが「専業主婦」という仕事でも、覚悟と決意をもった仕事ならば、大きな実を咲かせる「仕事」になりうるのではないでしょうか?
「人生、間違いじゃなかった!」そういえる人生を送りたいものです。
そのためには目の前の「仕事」を一生懸命こなすしかないかも?ですかね。
隆慶一郎「時代小説の愉しみ」
http://tinyurl.com/2682es4
福井 友栄「ひたすら」
http://tinyurl.com/y6mpm3g
小6 neonさん
鉄則の購入から数ヶ月、時々中だるみはありますが、冬休みから真剣に取り組んできた算数の成績の向上がより顕著になりました。
算数は一番苦手科目だったのですが、点数、偏差値の面で大得意の国語を抜かし、今は算数の成績が一番よくなっています。
本当にありがとうございます。
好調さのためか娘はこれまでの志望校よりはるかにレベルの高い学校を本当は目指したいのだといった旨のことを口にするようになりました。
成績が振るわなかったため、これまで言い出せなかったようです。
もちろん、成績が上がった今でも雲の上の学校です。ですが、がんばる気持ちが娘にある限り、親子で果敢に挑戦していきたい
と思っています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
成果が出て、それが意欲につながり、さらに上を目指す。
とても健全で成功の確率が高い進み方だと思います。
その意気やよし!
さらに上の学校を目指す場合、もしかしたら、今の勉強のやり方をさらに工夫し、少し変えていく必要も出てくるかもしれません。
そのためにも、「なぜ成果が出たのか?」そこをしっかり押さえた上で、頑張っていきましょう。
「なぜ?」がわかっているから、自信をもって変化できるのですから。