こんにちは、ストロング宮迫です。
オリンピックが始まりましたね。残念ながら、子供たちは勉強に、親も忙しくて、なかなかオリンピックを見ることは叶わないんじゃないでしょうかね。
※この毎日親技は2012年7月29日に配信したものです
ただオリンピックは、4年間環頑張ってきて、ついに晴れの舞台に立って勝負・・・というところなんかは受験とよく似ています。
苦労もあり、衝突もあり、スランプもあり、なんといってもオリンピックに出るまでの厳しい選考ありで、ようやく迎えた本番。
厳しい選考は受験生にとっては毎週のように行われるテストに置き換えられます。
最終的に本番の舞台にあったときの顔つきや態度、振る舞いにインタビューに対するコメントなど、参考になる点も多いのがオリンピック。
また、選手、コーチ、親(家族)などとの関係や距離感なども参考になることが多いですから、ニュースでもいいのでぜひ見てほしいと思います。
ボクが注目していたのは、サッカーの宮間選手、柔道の福見選手、重量挙げの三宅選手などでしたが、ニュースを見たら、あらら・・・もう登場して結果が出ていました。
みんな女性ばっかりですなあ・・・
これら3選手は見ていますと、メダルを取ってほしいというより「なんとか取らせてあげたい」見ていて思う選手です。
みんな努力しているわけですが、どうぞ神様、この方々にだけは・・・ご褒美をあげて下さいと願わずにいられないような顔つきや振る舞いを感じます。
福見友子についての記事を紹介します。
女性セブン 2012年8月9日号
柔道・福見友子谷亮子に勝って「うぬぼれていた」と母親談・・・数々の種目の中でも、女子柔道にはとりわけ金メダル獲得の期待がかかる。先陣を切るのは48kg級の福見友子選手。
長く谷亮子に次ぐ”二番手”として、「悲運の柔道家」とも称されてきた。
福見は土浦日大高校に進学し、2年生となった2002年4月、初めて48kg級の女王・谷と対戦する。
全日本選抜体重別選手権の1回戦で対戦したふたりは、福見が大内刈りで”効果”を奪って勝利。
当時、無敵を誇った谷が高校生に敗れたことは大々的に報じられ16才で一躍ヒロインとなった福見には無数のフラッシュが浴びせられた。
しかしこの勝利後、福見は同年代選手にすら勝てなくなり、タイトルから遠ざかる。母・早苗さんは「心に問題があった」と手厳しい。
「要は『私は強い』とうぬぼれたんです。どんな大会でも優勝しなきゃいけないんだと自分にストレスをかけてしまっていた」
立ち直るきっかけは、筑波大進学と、母が患った大病だったと兄・俊彦さんは回想する。
「友子は、柔道家としてだけでなく、学生としても優等生でした。筑波大にも一般入試で合格しているんです。ただし世間体はよくても、自宅では母に甘え、柔道がしんどい時には母にそれをぶつけていた。独り立ちしたのは、2004年に大学に入学して寮生活を送るようになってからですね。
そして2006年に母は脳の病気を患った。大きな大会を控えていた友子には内緒にしていたんですけど、優勝後に病気を知って、ふたりの立場は逆転した。母に甘えることはなくなり、むしろ母を安心させようと友子も自立したんだと思います」
リオデジャネイロ世界選手権の代表選考会だった2007年選抜体重別選手権でも、福見は産休明けの谷に勝利。谷に2度土をつけた唯ひとりの柔道家となった。
しかし、世界選手権日本代表には、過去の実績を重視された谷が選ばれた。福見の関係者はこの選考を不服としてスポーツ裁判所に提訴する考えもあったが、福見自身は選考への不満を口にすることなく、黙して悔しさを押し殺した。
当時の感情を福見はこう語っている。
「私は谷さんに勝つことだけを目標にしていて、世界に目が向いていなかった。ロンドン代表に決まったいまは、国際大会に勝てなかった私が選ばれなかったのも当然だったと思います。あの時の経験によって、初めて私はオリンピックが現実的な目標になったんだと思います」
読むだけで泣きそうになりますが、それはさておき、ものの捉え方、考え方、そして親と子の関係性など読者の方にヒント満載ではないでしょうか?
お母さんも「厳しい」ですよね。
厳しくできるのは、
2012/07/29 時事通信
「きっと天国で見ている」=事故死の夫への愛、娘に注ぐ-福見選手母福見選手の熱心な練習には、とことん付き合った。
はしごする道場3カ所の送り迎えだけでなく、夜は近所の公園でタイヤを引く娘のため、照明代わりに車のヘッドライトを当てた。
それだけ子供に付き合い、よく見ているからこそできる。
そして、とことん子供と付き合っている中での自立の芽生え。
ずっと右肩上がりで芽生えたものではありませんよね。
奇跡の2勝があり、うぬぼれがあり、不透明な選考があり、病気があり、その上で親子の関係性の逆転があった。
はじまりはいつだって「とことん子供と付き合う」。その延長線上に親を「安心させよう」という意識が育つ。
こういう話を書くと、「そうだな、付き合うぞ!」と張り切る親の方もいる。
それはいいんですが、親技でも、親が張り切って親が一人でやるもんではないですよね?
相手がいる。そう、子供です。
「こんなに付き合っているのにわかってくれない」
と嘆いたりする方もいるんですが、相手、つまり子供の目線に立って接しようとしているのか?
それはものすごく意識する必要があるわけです。
子のために「やっている」という意識は子供からすれば、ウザイ以外のなにものでもないですからね。
「親が教えるな!」と言っているのも、そのためです。
うれしげに子供に解説して悦にいっている親は自身では満足でしょうが、しったげに、えらっそうに解説している親を見て、子供がため息をついている。そのため息に気づいていない。
親が教えるのはかまわない。
でも、教えるなら、考えに考え抜いて、相手となる子供の目線を感じられる人でなければならない。
それなしで「教えるのには自信があるから」なんていう人は、少なくとも勉強に関しては教えれば教えるだけ、子供は離れていく。
挙句の果てに
「子供がイヤだるんです。どうしたらいいでしょうか?」
なんて・・・
普通イヤがるでしょ!そんな接し方されればね。
必然です。だって、そんな人が「とことん付き合う」気持ちなんか持ってると子供には迷惑だもの。
親の気持ちや思いや誠意が100%だから、子供であるあなたは、受け入れて当然だなんていう考えは子供には一切通用しないですからね。
ただ現状は、相手がイヤという部分を感じることができない人が今日も日本のあちこちで「講義」をしまくっているんですな・・・
親だけの気持ち「だけ」では成り立ちませんぞ!
以下の記事には、そのことにはそれほど深く触れていませんが、いかに自らに実績があろうと、相手(子)の感情や気持ちを感じられなければ、これほど長い親子の二人三脚は続かなかったと思いますので紹介します。
時事通信 2012/7/29
3大会連続となった五輪で、銀メダルを獲得した重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実選手。
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重量挙げ選手だった三宅義行さんは1968年のメキシコ五輪銅メダリスト。同じ試合で金メダルを首に下げる兄義信さん(72)と表彰台に並んで注目を浴びた。将来が期待されたが、病気を理由に一線を退いた。「メスが入っていないのは頭だけ」。引退後の生活に一抹の不安を覚える中、40歳の時に恵まれた女の子が宏実選手だった。
女性らしさを育もうと音大出の妻育代さんはピアノを教えたが、意外な形で裏切られる。
「重量挙げをやってみたい」。高校進学を控えた宏実さんの告白に、家族全員は猛反対し、家の中のバーベルは隠したという。
押し問答の末、試しにバーベルを触らせると、42.5キロを持ち上げた。義行さんが高校1年の時に初めて挙げた重量と偶然同じ。
「これはチャンスかも」。三宅家の「小柄で力持ち」という遺伝子が、娘に受け継がれているのを感じた。
自衛隊を定年間近だった義行さんは、第二の人生を娘にささげることを決心。宏実選手の高校と大学に通い、1日も欠かさず練習に付き添った。
時には衝突し、宏実さんは周囲にコーチ変更も進言されたが、「親子でこれだけ行けることを証明したかった」と拒んだ。
義行さんも「体が痛くても黙々と練習を続け、逆に励まされる」とし、2人の絆はより深まったという。
スポニチアネックス 2012/7/29
シドニー五輪をテレビで見て感動し、中3から競技を始めた。
以来、父・義行さんがコーチとなり二人三脚で頑張ったが、初出場の04年アテネ五輪は腰痛で9位。表彰台を狙った北京五輪も減量ミスで6位に終わった。
股関節痛に苦しみ、精神的にも行き詰まって、義行さんと衝突。
09年3月には”家出”をした。向かったのは、シドニー五輪に出場した平良真理さんのいる沖縄だった。以前、三宅から「父の期待と気力がかみ合わなくて…」というメールを思い出した平良さんは「1人で来たな」と察知した。
平良さんが部活を指導する県立高校で翌日から一緒に練習したが、三宅は1週間もすると新座市の自宅に帰宅した。
「やっぱり私は三宅家の娘だから」。
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偉大な血筋の重圧に負けていたが、最後は三宅の遺伝子が戦場へ引き戻した。頼りっぱなしだった父との距離感も変わった。「人任せでは勝てない。ステージに上がれば、自分一人で戦うもの」。
自ら練習メニューも考えて自立した。成果は記録となって表れた。53キロ級で毎年のように日本記録を更新し、昨年の全日本選手権ではトータル207キロの日本新記録を樹立する。
今年は3月に右脚付け根を痛めて、4月の全日本選手権は欠場したが、3度目の五輪へ自信が揺らぐことはなかった。
子供に「やる」を決めさせる過程、決めた後の「鉄の意志」、そして衝突はするものの決定的な関係の悪化を招かない親の距離感。
結果的にはしても、すべては理にかなっていると思います。そこに芽生える子の自立心。
親技の実践者にはこれまたヒントが満載ではないでしょうか。
これらの記事からは、人(子供)の気持ちがわからない者、感じられない者は、親技は駆使できないことを如実に示していると思います。
それゆえに親技では、子供の修行ではなく、「親の修行」と言っているわけですな。
親が変わる。それが始まりです。
すぐ諦めるのは子供よりも親
すぐ投げ出すのは子供よりも親
すぐ泣き言をいうのは子供よりも親
自分はすぐ怒るくせに怒られるとシュンとなったり、カッとなるのも親
4年に1回のオリンピックで私たち親はわが身を問う刃をテレビを見て突きつけられているのではないでしょうか。
あなたの今の子供に対する接し方、あり方で本当にいいのか?
毎日じゃない。4年に1回ですから、考えてみるのもいいんじゃないでしょうか?
名づけて「親技オリンピック!」なんてね。
親は誰にも怒られません!自分で自分を戒めないとね!
夏休みに突入し、受験生は完全に入試モード!!
入試演習の宿題が出たりして、オイオイ入試問題全然できないじゃないか!ということもたびたび出てくるはずです。
ちゃんとステップを踏んで入試演習をする!これが基本です。
また、よく入試が終わった後に、こんな声が聞かれます。
あの子が受かったのに、大丈夫といわれていた子がどうして・・・
入試前の模試や実力テストでの判定と入試結果がつながらなかったりもするわけです。
なぜこんなことが起きるのか?
それは、持っている実力を受験会場で出し切れなかったから!
実力が足りなかったから・・・もしそうなら納得もできます。
でも、実力は足りていたのに・・・
そんなことがあってはなりません。
入試問題には、やり方があります。
これを知らないで受験に行くのは、素っ裸でジャングルに分け入るようなもの。
勝つべくして勝つ!
入試は、そういうものだとストロングは思っています。
後期親カツ講座では、「勝つべくして勝つ!」受験テクニックを紹介、受験までの半年を親カツ講座で乗り切っていきましょう!
後期親カツ講座第一弾8・9月合併号では、
「子供の学力はそのままで点数を上げる!」受験テクニック
と題してお届けします。
内容は、大きく
■ 入試演習の意味と活かし方
■ 過去問の意味と活かし方
■ やってはいけない入試演習とは
これからバンバン始まる入試演習を前にぜひ知っておいてほしい、身に付けておいてほしい内容です。
入試はまだ先だろうって!?
歯がゆいことに、緊張する入試においての受験テクニックは、入試前にチョロっとやってできるものではないんですな。
今から頭に叩き込んで、これからのテストでは、本当に使えるかを実践しながら試していく。この期間が必要です。
詳しくは、親カツ講座「入試実践コース」をご覧ください。
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