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こんにちは、ストロング宮迫です。

年も押し迫って誰も読んでいなかろうメルマガを書くのは「どうなん?( ̄ii ̄)」って思うけれど、表彰されてなくても皆勤賞を目指す子供のようにボクも毎週月木発行の今年のメルマガ皆勤賞を目指す。

と思ってカレンダーを見ると「12/31が木曜日やないけ!」とただ今パソコンの前でうなだれております…(;_;)

ウチの子供の学校では皆勤賞の表彰が今年からなくなったと聞いたので、もうそういうことに対する評価っていうのは時代遅れになってきているのかもしれないですな。

それでも子供がたとえば学校の皆勤賞を目指す時にそこにはなんらかのモチベーションがきっとある。全校生徒の朝礼で表彰されるとか学級通信に名前が載るとか、外部からの評価がモチベーションってこともあるでしょう。

「お前すごいな」って親や友達に言われるとかのささやかな評価を糧に頑張れることもあれば、あと少しで皆勤賞とわかったので最後までやり遂げたいって途中から自分で強く思う場合もあるでしょう。

なんでも皆勤賞を続けていると、それがわかったら「途切れさせたくない」って気持ちが出てきます。ごく自然と出てくる感情です。この自然な感情が出てくるってことはすでに「習慣化された」といってもイイでしょう。

毎日、新聞を読む習慣の人が新聞休刊日に「あれ?」って思うように、なんだかスッキリしない感情が「しない」ことで湧き上がってくる。その行為自体が生活の一部になっているというわけです。

生活の一部になってしまえば、そこに他者からの評価がなくても、「自分が」続けられる限りは自然と続けるという流れが生まれます。

これってすごくないですか?

「頑張ったねえ」なんて誰からも言われなくても、自然と行く、自然とやるんですよ。「自然とやる」とき、人は病気をしない (^^)♪ 不思議とね。

成績がイイ子の勉強の習慣っていうのはそんな感じです。年末年始に勉強するのは受験生だけって思っているかもしれないけれど「なにも勉強しない」「勉強0時間」なんて気持ち悪い、と思う。

もっといえば、なにかがあって「昨日勉強できなかった」とすれば、「今日は絶対やらなければ」という感情が誰からも強制されることなく、ごく自然に湧き上がってくる。

「今日は午後から親戚が来るから午前中に勉強しておきなさいよ」なんていうのは勉強に対して意識がある家庭ではよくささやかれていると思うけれど、

真の成績がイイ子の親の家庭では

「今日は午後から親戚が来るから悪いけど昼からは勉強する時間は取れないと思うよ」

と今日の計画を言えば済む。

この違いはものすごい違いなんだけど、あんまり理解されない。

「習慣化」とそれが「なされないときの気持ち悪さ」がない家庭ではなされない会話だから。ある一定レベル以上の壁をクリアした家庭でおいてのみ、この感覚は共有される。今まで子供になーにも投げかけもぶつかり稽古もしていない家庭には出てこない。

だから、「皆勤賞」って仮に学校なんかで表彰されなくなったとしても意識して大事にすべきことなんじゃないかってボクは思います。

逆に
「あなたにとって皆勤すべきと思っているものは何ですか?」
「皆勤賞を達成しているものは何ですか?」

って聞きたいくらいです。

「いいじゃん、1日くらい休んでも (^^)♪」

皆勤じゃない人はいつもそう笑顔で優しく言ってくれる。ありがたい。

でもね、気持ち悪いのよ、皆勤の人にとってはね。皆勤になるってことはそこにささやかな成果もあってこその皆勤でしょ。

たとえば、いじめられていたら学校に行きたくない。当然です。皆勤する理由がない。皆勤しない理由なら山ほどある。

塾に行っても、いつも30点ですとなれば、塾に行きたくなくなる。当然です。皆勤する理由がない。皆勤しない理由なら山ほどある。

「皆勤」に喜びがなかったら「壊今」になる。「壊今」は当て字で「かいきん」だけど読んで字のごとく「今、壊れてます」だ!

続ければ続けるほど辛くなる。せっかくの「皆勤」が「今、壊れてます」なんかになってたら真逆だからね。あなたの子供は「かいきん」かもしれないけれど、こっちの「壊今」になっていないか?

えっ、あなたの子供はいつも30点だけど塾は楽しいから行きたがるって!?

それは真の意味での「皆勤」じゃないんですよ。そういう子供は、行かなかったら、やらなかったら「気持ち悪い」って感覚はないから。

「熱が少しあるから休みなさい」「いやだー、行く」「いやだー、やる」それがここで強調している皆勤の意味だから。

そんなふうにささやかでも成果があるか、感じられると、皆勤したいって思えるし、皆勤じゃなくなったら気持ち悪いって感覚も宿る。

「長い間、皆勤です!そうでなくちゃ気持ち悪いです!」ってことは、他人はともかく自分自身では「そこに行く理由ややる理由」を見いだせているってことだから。

勉強に関して言えば、そういう段階に子供がなったら、親の役割はだいたいもう終わりなんです。上がりね。まだ残っているとすれば、ところどころで出てくる「壁」のクリアだけです。

量も質もグンと上がって、「オッと」となったときに出てくる「壁」に対するその策を一緒に考えたり、アドバイスしたりする、それだけが親に残る。

多くの親は「皆勤したいって思え、皆勤じゃなくなったら気持ち悪い」って感覚を子供に宿らせる前に挫折します。

なぜなら、いきなり「小中9年間皆勤賞で行くよ」なんて、でかすぎる目標を立てるから。

そうではなくて結果的に皆勤賞になっただけだから。

親技の教材『10の鉄則』は「成績がイイには理由があって、その理由は10コだけです」と10コその理由を挙げているんだけれど、皆勤賞に相当する項目は一番最後の10番目に書いてある。

最後なんですよ、皆勤賞は!

なぜかって!?

それは【結果的に皆勤賞になる】だけだから。一番最初に皆勤賞を目指して走り始めたら、そもそも走れないもの。

最初から皆勤賞が目標で目的になったら辛いよ。休まないことが目的なんですよ。成果がなくても、褒められることがなくても、いじめられていても、30点でも「皆勤だ!」なんて聞くだけで辛い。これが「壊今」だ。

そうじゃなくて、ささやかな成果があるから、あるからこそ皆勤を「自分でしたい」って思えるわけでしょう。自然と「やってやれないことはない」って感情が湧きあがってくるんでしょう。

「どうしてウチの子はやればできるのに、その気になってもっとやらないのでしょうか?」

あなたの子供だからです \(^o^)/

習慣化は意地と強制だけではなかなか難しい。できたできた!意外と楽しいね!がなきゃ、まず続かない。やれて当然という雰囲気も家庭の中にいる。また成果が見えなきゃ、子供だけじゃなく、習慣化させたい親も続けられない。意味を見いだせないから。

今年もその習慣化計画が挫折した方は「自分の目標が壮大すぎていないか?」もう1回考えてみてほしい。

幼稚園児に「小中9年間皆勤賞で行くよ」なんてその意味もわからないし、道が遠すぎて目標も道もよく見えない。見える山に登るんです。標高なんて低くてイイ。まずは見える山に登って、また次を目指せばイイ。

もっと「視える化」して、目の前のことをクリアするの。その連続による結果としての皆勤がみんなが子供に夢見る「自分で勉強する子」にしていく。

「自分で勉強しない子」は親の数々の子供に対する失策の結果です。

自分が守っている位置でボールをトンネルしているのに、どうしてゴロを打たせたんだとか、ピッチャーを責めないの。人のせいに、子供のせいにしないの。

「皆勤賞」は喜びなの。誰がなにも言ってくれなくてもうれしいし、楽しいの。あと少しという区切りにきたら、頑張っちゃおうって自然に思えるの。

もし、なにかがあって仮に皆勤賞が途切れたとしても、もう1回チャレンジだって思えるの。すごいのよ、習慣化された皆勤賞の威力は。

「壊今賞」は地獄なの。誰かがなにかを言ってくれてもうれしくないし、ウソくせぇーなって思う。あと少しという区切りにきたら、逃げちゃおうとか暴れたり、自然にそうしちゃう。なるのよ。

その「壊今賞」ではない、「皆勤賞」の威力をより速く、より長く、より強く高めてくれるものは「今日の成果」。

成果の最終は合格、成績とかになるけれど、その手前の「点数は出なかったけれどやれそう」とかいう前兆も含まれる。予感といってもイイ。いけそうだぞっていう。

もっと初歩でいえば、「今日はよく頑張ったねえ。すごいねえ」というたった一言の褒め言葉でも成果と思える、子供には。

高校生になって「今日はよく頑張ったねえ。すごいねえ」なんて言ってたら遅いの。その頃にはもう成績とか点数とかが毎日ビシバシ出て、勉強の序列も出来不出来も明らかだから。褒め言葉だけじゃ、前兆だけじゃ、なかなか慰められないんですよ。

それでも高校生でも大学生でも、そういうのをしてもらったことがない子供はそこからスタートすることになる。みんな誰でも最初は一歩目からだから。

大学生でまだ一歩だけど、中学生で二十歩進んでいるなんて世の中には当たり前にある。早いも遅いもない。成果のある皆勤の習慣化を目指す。

それはこれから生きていくときの指針になりうるものだから。できる人は世の中に出る前に「成果のある皆勤の習慣化」されたものが3つありますとか5つありますとかで社会に出て行く。

3つも指針があって、柱にあるものがあったら、心強いもの。ボクは我が子には2つ、2つの柱をなんとか身につけて世の中に出してやりたいという目標を掲げてやってきました。

道はまだ半ば。なかなか1つの柱もできたと思ったら、できてなくて地団駄踏んでいますがね(>_<)

年末のウチの家族会議ではそのことが話し合われる。たいていは年越しそばも喉を通らなくなる。

ボクは「忘年会」はしない。その年にあったことを忘れるなんてできない!思い出して思い出しまくって教訓を得るんだよと吠えまくる。

ボク以外の家族は「一刻も早く年を忘れて、できればお父さんも忘れて、年越しそばが延びないうちに食べて、来年を迎えたい」と叫び返す。

その皆勤賞で行ってきた年末家族会議も子供たちが独立したら、もうすぐできなくなる。皆勤賞にも終わりがくるんですよね…(;_;)

その頃に子供たちにいくつ柱が立てられているのか。考えたらとても心配になってきたので、やっぱり「忘年会」をしようか・・・

今年あった出来事なんてみんな年の瀬にサッサと忘れてしまって棚にしまうか。

そうはイカのキ●タマですな。今年もわずかですが、子供たちは締め上げますぜ!

あなたの家でも「今年の皆勤賞」についてぜひ話し合ってみてください。

穏やかにね (^^)♪

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【あとになればなるほどしんどくなる】

勉強が問題になる場合、レベルが上がり、量が増える中学生になった時、高校生になった時などのスタート時に問題は起こりやすいものです。一言でいえば、これまでの勉強のやり方ややってきたことが通用しなくなるんですね。

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うれしい報告

中1 とっとさん

AレベルからBレベルまで数学、Cレベルまで英語をやりました。

おきて破りの2科目同時進行?いえいえ、英語だけ私とやり、数学は、このやりかたがいいと思ったのでしょうか、子供が勝手に学校の問題集をコピーして「まちがった問題ができるようになるまでやり直した」と言っておりました。

時間を意識してスピードを出すとケアレスミスをするので、時間短縮でやるのは難しいと思い、あえて数学は一緒にやらなかったのですが。今回のテスト勉強はいつになく集中した感じで追い込んでました。

きっと成果はでるはずと思っていたのですが・・・

■成果の報告:
国語72点(-13点)
数学88点(+14点)
英語94点(-1点)
理科86点(+12点)
社会86点(+13点)
5計426点(+25点)

ストロングありがとう!30点アップは駄目でしたが、いままでの最高点を叩き出しました。

順位も21位で、なんとかぎりぎり、トップ校合格圏と言われている(らしい)上位1割に食い込めました。やったぁ!

英語、数学以外の伸びが大きいのもびっくりしました。ついでに言うと、実技4教科もほとんどが9割近く取れたのです。

なぜでしょうね。国語はいつも勉強しなくても結構取れてたのであんまり力を入れずに、他をがんばろうという作戦でした。それは失敗でした。

ストロングが言うように、2回連続成績を上げる、のハードルに挑戦します。テストが終わっても気は抜かずにがんばります。本人もとっても気を良くしています。自信もついたようです。

これからもわたしと勉強すると言っています。おごらず怠けず、さらに上を目指します。また良い報告ができればいいです。

ほんとにありがとう!

今までの最高点なんて、とってもうれしい報告です。

教科によって、お子さんの性格などでマニュアル通りにはいかない部分も大いにあったでしょうが、全体の教科に良い影響を及ぼしているのは親の手腕ですなあ。

冬休み、しっかり復習して休み明けのテストではがっつりいきましょう!

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