今回は新聞記事を題材に私のバズーカ砲を受け止めていただきましょうか。

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小学校が年度初めに実施する家庭訪問について考えさせる記事が出ていました。

家庭訪問 変わるスタイル 「玄関先訪問」も
毎日新聞 5月3日

最近は玄関先での立ち話だけで終えるケースも増え、中にはあえて「玄関先訪問」という名前で案内を出す学校もある。

働く親らに配慮して、家の片付けなどに時間を割かなくてもいいよう学校側が気を使っているようだ。

いまや家庭訪問の際に、先生が家に上がらないのは「常識」(^_^) すでに家庭訪問がなくなった地域もたくさんあるでしょう。

今回は「家庭訪問」を題材に少し考えてみたいと思います。

文部科学省は、家庭訪問について「法的な定めはなく、指針も出していない」、東京都教育庁は「最終的には学校長の判断。必ず行う必要はなく、教諭の『地域訪問』を行う学校もある」とのこと。

地域訪問とは、先生が児童の家を目視で確認するというもので、玄関先や地域訪問が定着したのはここ10数年のことで、大半は「保護者の希望」だそうです。

理由は・・・・

家の中を見られたくない
共働きで忙しく、応じられない….etc

先の毎日新聞でも、その点については、

共働きなどで忙しい保護者が増え、家庭ごとに日程調整するのが困難になってきたという。

そこで最低限、児童の自宅位置だけでも確認し、希望や必要があれば後日改めて訪問することにした。

・・・やはり働く親に配慮し「家の中にお邪魔すると部屋を片付けるために仕事を休む親もいる。玄関先なら靴を並べるだけで済む」と語る。

としています。

家の中を見ることは、学級運営や児童への指導にも役立つという考え方があったんでしょうが、これも時代の変化とかいうか流れ。

家庭訪問に「法的な定め」はなく、「親が玄関先でと要望」し「先生の仕事量が多くて」となれば、本来はもうやめようとなっても、ちっともおかしくはないのですが、そこは我が日本!

まあ、なんとなく当たり障りのない方向で、一応、とりあえずやっておかないと・・・それが「玄関先で10分程度の立ち話」になっているのかもしれませんね。

ただ個人的には「勉強をするために来る」塾と違って、学校は1日の3分の1を過ごす「生活の場」ですから、真のクラス運営を行うためには、たとえ10分でも実際に家の中に入って、家庭内の雰囲気や様子を知るというのは先生にとって有効だと個人的には思います。

逆にいえば、現代は「先生と家庭の関係」が薄くなり、本気でかかわりあう、そこまで濃密に関わり合う時代ではなくなったといえるのかもしれません。

それは先生のやる気がとかではなく、家庭も「見られたくない」「忙しい」などの理由で、「本気で見てもらう」材料を提供しなくなっているわけですから、お互いさまということでしょう。

個人情報も含めて、学校側が知ろうとすることについて壁ができてきているうえに、見てもらうほうの家庭も材料を提供しなくなった今、先生が「生活の場」である学校で、家庭環境や兄弟の有無、性格や親の事情などを勘案する義理もありません。

こうした家庭と先生における当世の「薄い交わり」にもかかわらず、昔の自分たちが通っていた感覚で「今の学校は・・・」と見ることが最近の学校へのクレームの裏側にはあるのではと推測します。

地域によっては、今も昔ながらの濃密な「先生と家庭」の連携があったり、中学生でも家庭訪問する地域だってある。

しかし、それは今望むべくもないとすれば、やはり「見てもらう側」の家庭がちゃんと見てもらいたいなら「家庭の事情」を材料としてきちんと提示しないといけないのではないでしょうか。

生活の場である学校の教師をしたことがないので、学校の事は言う資格がありませんが、例えば「勉強をしに来る」塾でも、家庭環境や兄弟の有無、性格や親の事情などを知れば、対応は違ってきます。

子供っていうのは、大人の何でもない一言に傷ついたり、深く悩んだりします。

例えば、現在では離婚して片親の家庭がたくさんあります。そうした場合の各家庭のスケジュールや子供の家での役割なんかを知っているだけで、かける言葉も変わってくるわけです。

言わなくてもイイことは言わなくても済む。

先生に話しておくべきことと話さなくてもいいことはあるでしょう。ただ、新学期が始まって、わずか数週間で行われる家庭訪問で話す内容なんて先生にはないのではないでしょうか?

それよりは家庭側がいろいろと「材料」を提供する。それが家庭訪問を意義あるべきものにするのではないかと思います。

学校の先生がわざわざ家までやってくる。その意味は大きい。本当は先生に家の中へ入ってもらって、子供の勉強机を見てもらう。

子供部屋があるなら、本棚を見てもらう。壁に貼っているポスターや絵を見る。そして、心配に思っていること、懸念している点があれば、それを伝える。

ストロングの個人的な見解では、家庭訪問は問題の「解決の場」ではなく、「材料の提供の場」なんですよね。

1年間のクラス運営を考えた場合、先生にとって「相手を知ること」が大切になる。「法的な定め」がないにもかかわらず、多くの地域で家庭訪問が行われている理由はそこにある、あったのではないでしょうか。

しかし、その家庭訪問も今は「儀式」となりつつある。それを嘆くのは自由ですが、与えられた環境でいろいろと工夫するのが親技を駆使するモノの務め。

であれば、形骸化した家庭訪問に時代がなっていくとしても、これから先生にはいろんな場面を通じて我が子の材料を提供していく必要があるでしょう。

「知ってもらう」ことでうまく伸ばしてもらう方向に進む。ただし、ただ我が子の材料を提供すれば、イイってもんではありません。

よく例で出しますが、たとえば、成績が振るわないといって生徒の親から相談を受けた。

でも、その生徒は宿題すらやってこない。親もやっていないことを知らないようだ・・・となれば、先生からすれば、自分との約束である宿題をやってこない生徒にどんなアドバイスができるでしょうか。

成績には興味があるが、子供の宿題には無関心な親にアドバイスすることがあるでしょうか?

そういう場合、先生からは「お子さんの本人のやる気次第ですね」なんて言われて終わりとなるでしょう。

とってもイヤな言葉ですが、先生はそう言わざるを得なかったともいえますから、言った先生の問題ばかりではなく、そう言わせた親の責任でもあると考えるべきなんじゃないでしょうかね。

「ウチの子にちゃんと対応してね」と思うなら、熱心に「材料を提供」するだけでなく、先生との約束や子供の家での様子は押さえておかなければなりません

当たり前といえば当たり前のこと。現在の「薄い交わり」の時代だからこそ、そこが大きなポイントになるんです。

濃密な関係が存在すれば、親が家でちゃんとやっていない部分を先生が率先して補ってもくれたでしょう。しかし、「薄い交わりや関係」でそれはもう期待できないのです。

そこにきて「先生の仕事量は増え」、親は「仕事で忙しい」と言い、子供が抱える固有の事情は詳らかにされず、要求だけは先生に突きつけられるとすれば、どうなるかわかりますよね?

そういう意味でストロングはこれからの時代は特に学校なんかでは「ひいきの時代」がやってくるというか、きたと思うんです。

「薄い交わり」の中から、一部のうまく連携して、情報交換して、先生は様子をよく観察し、親は家庭で約束を果たさせて、両者が一致協力して子供を伸ばす方向で動く。そういう家庭が一部でだけ機能する。

これがストロングの考える「ひいきの時代」なんですが、もうそうなりつつあるように思います。先生が生徒によって対応を変えること自体、不満に思うかもしれませんが、「ひいきしてもらえる」となれば、不満には思わないでしょう。

しっかりした親には、しっかりした対応をする

しっかりと子供に対応して欲しければ、親がしっかりする

学校と塾っていえば、お金をより多く出している塾に信頼を置き、対応もスマートな塾に思いを寄せる親の方も多いでしょうが、学校は子供にとって生活のほとんどを過ごす場所です。

学校の担任が変わったことで子供が全然変わったという経験をした親の方も多いと思います。学校が子供にとって、楽しくて、的確な叱咤激励をしてくれて、先生が好き!となることがどれほど良い影響を子供に与えることか改めて考えてみてほしいと思います。

そのために果たすべき役割は何かを。

こういう話をすると、「ウチの子の担任は・・・・」と悪口が口から溢れだす親の方がいます。確かにどうにも信用にならない先生はいます。

でも、評判は悪いし、イイ噂は聞かないが、ウチの子にはイイ先生って場合だってあるのです。親がしっかりすることで対応が変わる先生だっている。

悪口を言う前にあなたはきちんと先生に材料を提供し、家庭では子供の様子をきちんと見ていますか。

そこはきちんとしている。それでも先生がどうにも・・・というなら、先生を変えてもらったらイイ。結構変えてくれますよ、学校って。

この前も「今年は絶対にあの先生のクラスにはしないでください」と言って、実際にそうしてもらった親の方の話も聞きました。それくらい言うなら、子供もちゃんとしていなきゃあ、生活の場の学校で子供もエライ目にあいますからね。

忙しかろうが、大変だろうが、きちんと責任を果たす家庭にとっては断然うれしい「ひいきの時代」がやってきました。多くの親は不満でも、一部の親は大満足の「ひいきの時代」。汚い手を使って「ひいき」してもらうんじゃない。

通常の事を普通にきちんとこなすことで「ひいき」してもらえるのです。親技者にとってこれほどイイ時代もありゃしない。

参観日に「わが子に手を振ったり」、「授業中にペチャクチャと他のお母さんとおしゃべり」している親はたくさんいます。

あれって先生の授業妨害ですからねえ(ToT)

こうした振る舞いのおかしな親は、要求だけはする親同様、大いに嫌悪感を抱く先生が多いことでしょう。授業をしている先生は、生徒の様子だけでなく、保護者の様子だって見ています。

一度教壇に立ってみたらよくわかるんですが、教壇って、手悪さも内職も寝たふりも、消しゴム投げも、手紙渡しも、なんもかんも、見えるんですよ。もちろん、親のゴソゴソもね。

ゴソゴソしている親が「熱心な親」を演技してもダメですな。それじゃあ、ひいきは望めません。だって、通常の事を普通にきちんとこなしていないんですから。

学校は村社会です。ひいきされない親は小学校では6年間、中学校では3年間、ずうっと日の目が見られない可能性だってある。子供にとって生活そのものである学校とそれを見てもらう先生。

子供が受けている塾の授業や先生のことを真剣に考えるのと同じ比重で、いやもっと大きな比重で学校の先生のことは考えなくちゃならないことなんじゃないのか。そんなふうに思います。

でも、それは決して難しいことではなく、ヘンな親が多いから、常識的で「普通の親」がひいきしてもらえる時代なんです。

これがイイ時代でなくて、何がイイ時代といえましょう。そう思いません?

子供は出会う大人によってさまざまに変化します。良い影響も悪い影響もすぐ受ける。だから、家庭においては、忙しい親ほど、これらのことについて、より真剣に、より時間をかけて考えなくちゃならない。

でも実際は忙しい親ほど考えない、もしくは考える時間がないとなっている・・・

イイ時代にあなたのお子さんが乗り遅れないようにしてあげてほしいですな、ホント。

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うれしい報告

GW期間中、教材の発送はお休みとさせていただきます。あしからずご了承くださいませ。

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

中1・小4 ぴろ母さん

ようやく、遠方にいる主人にも読んでもらい話しをするところまでいきました。

勉強することが何のためになるのか、何のために何を頑張るのか、具体的にすることで子ども自身の意志で前へ進んでいくことができるようになるんだな、と感じました。

そして、親はとにかく「見る」ことが大事なんだと。

まるで、お座りからハイハイ、一人歩きまでの過程をさりげなく手助けしながら見守っていた頃のようだと思いました。

子供を「見る」は、親技では「子供を観る」ですよね。

「見る」は、ただ単に見る、しかし「観る」は【明確な意図や目的を持って見る】んですよね。観察も観光も観賞も【明確な意図や目的を持って見る】ものです。

だから、ぴろ母さんにも「見る」ではなく「観てほしい」と思います。子供は自分のことをちゃんと「観て」くれている人の言葉を聞きます。

「オレのことなんにもわかっちゃいいないじゃないか!」そう思える人の言うことは一切聞く耳を持たなくなる。

イイ勉強法も、勉強の進め方も、レベルの設定も、すべては子供を「観る」ことから始まります。もちろん前向きに進む一歩目も。

お世辞やおべんちゃらを言って子供をノリノリにするんじゃない!「観た」事実からノリノリにしていく。

子供の事実や実態に基づかない言葉に決して子供は踊りませんから。

真に子供を「観た」ら、そこに課題が見えるハズです!

[算・数] 7日間を終えての感想

ぴろ母さん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?

本筋と少しずれるかもしれませんが、娘の解答速度の遅さは「書くこと自体がかなり遅い!」ということがわかりました。

(省略)計算や読むスピードが遅いのだとばかり思っていました。こんな理由もあるのかと驚きました。これで対策がたてられます。

内容については、私自身が褒めることを抵抗無く出来るようになったことです。そして、塾テストの成績に対し、出来たところを褒め、出来なかったところについては注意をするのではなく、対策を立てている自分がいることです。

なるほど親技かぁ、と思いました。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?

非常識だとはもともと思っていませんでした。ただ、物理的になかなか難しいところもあります。毎日張り付くことはできなくても、定期的に1対1で見るようにしようと思いました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?

ノリノリの時は楽しかったです。演習中のささやきで、褒めると「うん、うん」とうなずきながらとても嬉しそうでした。

まだまだかわいい子供だったと思い出しました。途中トラブルが発生して切れそうになりましたが、相談メールを送る余裕の無いままとりあえず解決しました。

問題になっていることの原因がわかった→だから対策が立てられますという話は書くとカンタンですが、なかなかできないことです。

それをするためには、そばについている人の「観察眼」がいる。ただそばについているだけでは成績は上がらないということです。

お仕事などでお忙しいと思いますが、ぴろ母さん、時間が許す限りそばで見て、ぜひすばらしい「観察眼」をこれからも発揮してください! もっとよくなりますよ!

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