中3 みるさん

3日前に入試本番が終わりました。思えば、エラーランプつきまくりの受験生活で、ストロングさま、タイガーさまには、本当にお世話になりました。

入試が終わって、娘は、

「今日までの勉強も、今日の本番もやれるだけのことはやった。志望校を変えないで受けてよかったと思う」

と言いました。

娘の成績は、夏以降ずっと合格可能性60%の判定。判定がよくなることもなかったかわりに下がることもないこと、娘の一つ落とした高校は絶対にイヤ、初志貫徹するという気持ちだけを頼りの本当に”挑戦”という言葉がぴったりの受験でした。

解答例をもとに自己採点してみたところ、安全とは言えないけれどダメでもないかもという、まさに実力通りのできだったようです。

でも、パニックに陥らずに、力が出し切れたことに、満足したのでしょうか、娘は「これでダメだったら、胸を張って私立に行く」と言います。

ダメだったら浪人して1ランクアップの高校を目指せと言っていた主人も、私立なんて恥ずかしくて・・・と思っていた私も、なかなか良い結果が出なくても、決して投げ出さずに、12月以降、毎日睡眠時間5時間ほどで、食事とお風呂以外は勉強している

状態を続けて当日を迎えた娘のがんばりにそうだよな・・・と初めて思えました。

この1年間は、食卓テーブルが娘の勉強場所でした。

「こんなに親が勉強に付き合ってくれたうちって、きっとないよね。でもね、高校へ行ったら、今度は自分で勉強して希望の大学へ行く」

と言って、この週末は、寝るだけだった自分の部屋を模様替えし、受験勉強で使った、たくさんの塾のテキストや予想問題や何度も繰り返したコピーの束などを片づけていました。

そして、手つかずの問題集を発見して、これダヨこれ、私はココが弱いんだ・・・と毎日英語の勉強も続けています。

さすがに苦しんだ数学には手を出さないようですが、入試が終わった瞬間から勉強しない、大学なんて行かない!!と宣言していた娘とは思えません。

今は「やれるだけのことはやったよくがんばった」と親子共々思っています。

ストロングさま、タイガーさまのアドバイスもなかなかうまく実践できず、エラーの連続でしたが、「すっきりした気分で当日に臨む」これだけは、達成できたことを報告したいと思います。

ありがとうございました。

合格発表まであと1週間もあります。

ジェットコースター親子のことですので、発表が近づき、又、結果が出たところで、どう気持ちが揺れ動くかわかりませんが、また、報告させていただきます。

いかがだったでしょうか?

この合格発表という名の告知を受け止める際に、子供が見せる姿が親が子供にしてきたことの結果であるということです。

みるさんのメールを読んで、また他の多くの方の報告を読んでもそう思わざるを得ない。

みるさんは、来週入試の結果が出ますけれど、親としてのみるさんには、僭越ながらストロングから合格と花マルを心より進呈したいと思いました。

皆さんのお考えはいかがでしょうか?

この前、結婚を控える息子さんのお母さんと話す機会があったのですが話していてお嫁さんになる女性のことをストロングが聞きましたら、「あの子が結婚したいと連れてきた女の子、その子がどういう女性であるか、どういう女性と結婚したいと言ってくるかが私たちの子育ての1つの結果なんです。なので文句はありませんというか文句は言えません」とおっしゃっていました。たしかにね。

入試、就職、結婚….etc

親子の関係でいえば、伝えてきた価値観なり、考え方なり、取り組み方なりが人生の節目でそれぞれ結果として出てくる。その結果は親としても認めざるをえないということでしょうか。

たしかに入試が終って、そこがゴールならいいのですが、現実はそうではありません。合格しても、不合格になっても、それぞれ全員が再び新しい道を必ず歩みださなければなりません。

そのとき、「これでダメだったら、胸を張って私立に行く」と言います。

と言えるなら、それだけ頑張ったのならもう合格です。

その子供の姿を見て、大人である親のほうが食事とお風呂以外は勉強している状態を続けて当日を迎えた娘のがんばりにそうだよな・・・と初めて思えました。と学ばされる。

共有してきたからこそ、そう思えるのだろうし、そうであればいかなる「告知」を受けても次があると言えるんじゃないでしょうかね。

実際に「告知」を受けたらおっしゃるようにまた揺れ動くでしょう。

でも、ここまでやってきた努力がそれで消えるわけじゃない。地に足がついた生活っていうのは揺れ動く「告知」を受けたときにこそ価値が出てくる。

そういう意味で先にストロングから親としてのみるさんに「親としての合格と花マル」進呈したいと申し上げましたが、それはお子さんがもたらしてくれたものであるといえるでしょう。

「親が子に教える」のは半分で、もう半分は「子に親が教えられる」です。子供にかかわることで親は人として成長させてもらえる。

だから、「やれやれ、手間を掛けやがって」と受験が終わって思うのはなにかを見失っているのではないかとも思わせます。

「こんなに親が勉強に付き合ってくれたうちって、きっとないよね。でもね、高校へ行ったら、今度は自分で勉強して希望の大学へ行く」

この言葉の意味をどう解釈し意味づけていくか。それができて初めて今回の受験も本当の終わりを迎えるのでしょう。

お子さんにはこれからまだ考えられないようなこともいっぱい起こるでしょうが、逆境に陥ったとき、今回の受験の経験は間違いなくプラスになるはずです。

とてもうれしい、そして考えさせられるメールでした。

どうぞ来週の結果発表、胸を張って正面から「告知」を受け止めていただきたいと思います。

告知は残酷な結果の通知の儀式ではなく、新たな戦いの道しるべになるのだから。