小3 Sさん

こんばんは。私は仕事を持っていまして、なかなか娘の面倒は塾頼みです。

私が直接娘にしている事は、毎朝学校に登校する前の30分間のプリントをさせる事です。

親の私からみて、娘はきちんとやります。ただ「もったいないな~」と感じることは、わからない部分をわかり易く説明してあげられないことです。

唖然とするかもしれませんが、娘はピアノ・習字・能力開発教室・英語・塾に通っています。

楽しそうに行きますし、ピアノの先生がこっそり娘に「そんなにお勉強している中で何が一番嫌?」と尋ねたら「おかあさんの勉強」と答えたそうです。

私の説明下手となかなか理解しない娘に私が浴びせる罵声が嫌な様です。

私達の住んでいる所は田舎なので、都会ほどの受験戦争はありませんが、3年後は受験です。私の最終目標は薬剤師への就職で、その手前が薬科大、その手前が中学受験です。

折角、こんな私に娘は応えてくれているので上手に目標に向かって行きたいと思っています。何か良いアドバイスがありましたら、お願いします。

私は「継続は力なり」と思い、塾を続けていますが、それは変?

ボクも、Sさん同様に「継続は力なり」だと思っていますよ。

でも、塾を続けることが力になるかと問われれば、

???です。

というのも、ここで言う「継続」って、条件があると思うのです。

つまり、何でも続ければ良くなるということではないということ。

特に、勉強はそうです(^_^)

塾に通うことだけに意味はありません。もし、通うだけで成果があれば、親のみなさんは誰も苦労なんてありませんしね。

もうお分かりだと思いますが、塾に行って座っているだけでは、成績は上がらない。親は「聞いて、理解するまでが塾!」なんて思うぐらいが、ちょうどよいのです。

そして、解けるようになるのは、家庭学習の出番です。もちろん、更なる成績アップを狙うなら、もうワンランクアップの勉強をする必要だってあります。

ストロングが、「塾(学校)」と「家庭学習」を自動車の「前輪」と「後輪」、または両輪に例えるのはそのためです。

どちらか1つが欠けていれば、成績は上がらないということ(>_<)

まず、ここは押さえて下さいね。

ところで、Sさんからのメールを読んで、ストロングが思ったこと。それは「なかなかのツ・ワ・モ・ノですな!」なんですね。

Sさんは「娘の面倒は塾頼みです」とありますが、ストロングはそうだとは思いません。もし、読者の方で「うちと一緒よ~」なんて、ここまで読み続けていた方は、要チェックです(◎_◎)

というのも、

私が直接娘にしている事は、毎朝学校に登校する前の30分間のプリントをさせる事です。

という部分です。

みなさんは、学校に行く30分前に勉強させることできますか?

これを毎日できるのは、Sさんは相当な管理能力の持ち主だということです。だって、子供たちは、朝の勉強を絶対に嫌がります。これは「おかあさんとの勉強が一番イヤ」とお子さん自身が答えていることからもわかります。

でも、毎朝続けていらっしゃる。うーん、すばらしい。

ただ、この「イヤだけど」続けられている関係は学年が進むと難しくなっていく可能性はありますね。今はまだ低学年だから付き合ってくれていますが、そのうち知恵もついてきたら「頭が痛い」とか言ったりしてね。

なので、特に

私の説明下手となかなか理解しない娘に私が浴びせる罵声が嫌な様です。

これがこれからも続くようなら、小5の頃には親との一緒の勉強は一切してくれない。かつ勉強自体も「イヤなもの」だから金輪際しないって立場に子供を追いやらないようにしたいものです。

だいたい「説明が下手」と自覚しているのに「理解できない」と罵声を浴びせるのは相当ひどいというか罪なことでしょう。

違います?

普通は「説明はいいんだけど理解しない」だから怒るというのが普通の流れです。でも、下手な説明なのに理解できないと怒られるなんて、どっちにしろ罰ゲームみたいな拷問ですよね。

こういう子供の我慢強さや忍耐力に頼った構図はいずれ崩れ去りますから、気をつけたいものです。

だいたい説明が下手ならば説明しなきゃいいのに・・・

下手な説明を聞いた子供はアホになります。

解答解説を一緒に読んで「どの部分がわからない?」って優しく聞いてあげて下さい。

もし、それは我慢できず、下手な説明を続けるなら、この先の親子関係はチョビ厳しいと思いますよ。

理不尽なことに多くの子供は耐えますが、それも低学年まででしょう。高学年になればそうはいきませんからね。

せっかく頑張ってやっている朝の30分勉強が子供をどんどん悪い方に追いやり、劣等感を背負わせるなら、中学受験までは持たない。だって中学受験の勉強が始まると、もっと怒るようになるのは目に見えていますから。

もし、その「理解できない」怒りが「最終目標は薬剤師への就職で、その手前が薬科大、その手前が中学受験」という目標設定に起因しているなら、先を決めることで「今、何をどのぐらいまですべきか?」が要因なら、そんな目標はキッパリ忘れちゃったほうがいいでしょう。

目の前のことをしっかりやって、かつ成果を出すってことが子供には一番大事なことです。

特にあれこれと習い事をやって、それも習い事に「ただ行くだけ」になっているなら、先々で「あんなにいろいろやったのに何も身につかなかった」という結論になりえます。

いろいろなことにチャレンジするのはいいんです。

でも、勉強において「塾(学校)」と「家庭学習」を両輪とするように、習い事だって同じように両輪が必要になるでしょう。

ピアノだって家で練習しなかったら、まったく上達しないのは間違いないし、習字だって家で練習しなければ・・・
oyawaza489

で、それぞれそれらの習い事って結果が出るじゃないですか。

ピアノはどういう規模かは別にしても発表会があるだろうし、習字だって3級とか2段とかありますよね。

同じころに始めたあの子や自分の子供よりも後になって始めた子供が追い越して先を行っちゃうなんてことが起こったときにいかなる言葉をかけても子供には現実が突きつけられる

いや、中学受験になれば、ピアノも習字もやめるから、今は楽しくやってくれればいい。そういうことなのかもしれません。

でも、短い時間でも工夫して何とか今よりはうまくできないかって考えることはピアノでも習字でもすべては勉強につながっていくのではないでしょうかね。

ピアノでは全然だったけれど、勉強になったら俄然うまくできたという事例は実に少ない。

逆にピアノもできて習字もうまいけど、勉強もできる・・・そういう子供って結構いるじゃないですか。

なぜそういうことになるのかというと、習ってきて、そこでいかにお土産を持って帰られるか、そして持って帰ったお土産を土台に家庭で短い時間でも工夫して練習して上達させる。このサイクルは勉強でも習い事でも同じだからです。

いざ中学受験に突入したときに、ピアノでもああしたとか習字でもこうしたという上達の秘訣と成果の喜びは同じ過程を共有しています。

なんの習いごとにどれくらいの時間を費やすかは各家庭によって違うけれど、上達しない習い事に長いこと通っていると、それでうまくなっていなければ、子供にとってできる喜びも達成感も努力も知らずに過ごすということになります。

もったいないですなあ。

「上手に目標に向かって行きたい」のであれば、せっかくお金をかけて通っている習い事のうち優先順位の高いものからでいいので、努力、短時間、成果、練習、達成感、成果の出る喜びくらいは感じさせてやりましょう。

人間は私生活がいい加減だけど、仕事はきっちりしているというふうにはなりにくくなっています

私生活がきっちりしていると仕事もきっちりしている、逆に私生活が乱れていると仕事もイマイチなんていうふうに、なにかに対してやるときの態度っていうのは根本的にあまり変わらないものです。

だからピアノはいい加減だけど勉強はきっちりやるというふうにはなりにくい。ものごとに取り組むときの姿勢や考え方に起因するからです。

ぜひ勉強も習い事も同じカテゴリーのものとして、ピアノの経験が勉強でも活きるように、習字の経験が勉強でも活きるように、またその逆にもなるように考えていただきたいですね。

最後にすでに触れましたが、「イヤだけど」続けられているについて書いておきます。

「イヤだけど」続けられている関係は学年が進むと難しくなっていく可能性はありますとすでに書きました。今はまだ低学年だから付き合ってくれていますが、そのうち知恵もついてきたら付き合ってくれなくなるとも。

ただ、成績がイイ子が親と勉強するときに「イヤだなあ」という感覚は持っています。親との勉強を喜んでやろう!今日もやろう!と嬉々として勉強を一緒にするってことはあまりない。

でも、「イヤだけど」勉強はするんです。

「説明が下手」と自覚しているのに「理解できない」と罵声を浴びせられてイヤとなっている場合と親との勉強は負荷が高くてキツイ場合は分けて考えてください。

負荷が高くてキツいけど勉強するには成果が必要です。子供もイヤだけどこれをやると成果があるから付き合って頑張る。

今回のSさんのお子さんが考えている「イヤだなあ」が、「理不尽でイヤなのか」、それとも「負荷が高くてイヤなのか」は分けて考える必要があるわけです。

もし理不尽で成果もなければ子供は親との勉強はしなくなっていくでしょう。

しかし、キツいけれど、これは自分のためになっている、成果も出ているしとなるなら、この関係は続けられる。

同じ「イヤだなあ」でも意味が違います。

そして、成績がイイ子だって同じように「イヤだなあ」とは思っている。だから勉強しないように抵抗したり、駄々をこねたりはするんです。

それでも最終的に勉強で踏ん張れるのは、親子で勉強ができるのは成果があるから。成果があるということは受験でも合格に近づくということでしょう。

そこを考えないと同じ「イヤだなあ」でも2年後の親子関係の姿はまるで違ったものになってくるということです。

さて、あなたの家の子供の「イヤだなあ」はどっちですか?