こんにちは、ストロング宮迫です。
先日、男子100メートル平泳ぎで北島康介選手が日本新記録で日本競泳で初めて4大会連続の五輪出場を決めたというニュースを見ました。
※この毎日親技は2011年3月4日に配信したものです
<競泳:リオデジャネイロ五輪代表選考会兼日本選手権>
2016年4月5日 日刊スポーツ
男子100メートル平泳ぎ決勝で北島康介(日本コカ・コーラ)は59秒93の2位に終わり、5大会連続の五輪代表は200メートル平泳ぎに持ち越した。59秒66で優勝した小関也朱篤(ミキハウス)も日本水連の派遣標準記録を切れなかった。
女子100メートルバタフライ決勝は、4日の準決勝で57秒55の日本新記録を出した15歳の池江璃花子(ルネサンス亀戸)が57秒71で制し、初の代表入り。池江は200メートル自由形でも6日の決勝に進んだ。
オリンピック選考レース後、どう振り返りますか?と質問されて「いやぁ…」と言葉を失う体の北島選手は一気に5歳くらいは老けて見える。逆にリオ出場を決めて涙涙の15歳・池江選手はコレこそが若さだな!と、たぶん観ている全員が納得した。スポーツってのは苛酷だなぁ。いろんな意味で。 #競泳
— sandy (@kiho_yuki) 2016年4月5日
オリンピックは4年に一度ですから16年以上に渡って第一線で活躍していることになります。すごいですねえ・・・
北島選手については、過去にここ「親は一歩前を、歩く」で取り上げたことがあります。
そのときにも書きましたが、コーチが付いて金メダル、そしてコーチから自立して今回またメダルを取るのか?大いに注目しています。
関連のメルマガとしては、高橋尚子選手を「それができることが果たして自立か」で取り上げたこともありました。読んだことがない方は、また「子供の自立」について、お考えの方はぜひ読んでみてください。
さて、先日友達が来てあれこれはなしたのですが、ボクの親も友達の親も70歳を少し過ぎたくらい。運よくまだ健在なんですが、70歳も過ぎれば、あちこちにガタもきて、やれ入院だとか検査だとか手術だとか介護だとかあります。
友達の親も入院しているらしいのですが「兄貴はあまり病院に来ない」とか「オレも仕事で忙しいんだ」とかいろいろと言っていました。
まあ、ボクらの世代は人生で一番忙しい年代で仕事も子育ても親の面倒も待ったなしの世代だから、言うことはよくわかるし、お兄ちゃんもたまには病院に来てやったらいいのになあとは思います。
ただ友達にも言ったんですが、人は必ず死ぬ、どこかでね(当たり前のことだけど)。
だから、兄弟や親族ではいろいろあるんだろうけど、その辺の芸能人が言うような「もう少しこうしてやっておけばよかった」とか「ありがとうが言えなかった」なんて陳腐な台詞を「死んだ」あとで言わないようにしようよって。
いろいろしてやりたいことにキリはないけど、できることだけは気づいたときにさっさとやっておけよって。別に難しいことじゃないですもの。
ボクのそういうスタンス↓↓↓はこの経験が決めました!
ボクが浪人していた頃、不摂生がたたって入院していたことがありました(≧◇≦)
勉強もせずにどんな不摂生の生活を送っていたかはさておき、入院した病室は6人部屋でした。
隣のベットにほとんど寝たきりのようなおじいさんがいたんです。記憶では、意識はハッキリしているんですが、耳が遠く、あまり言葉も発することもなく、うたた寝をしていることが多かった・・・と思います。
寝たきりですから、トイレもベットで済ませます。今でいう24時間介護の状態だったんでしょう。そばについて世話をしているおばさんは、仕事として介護の仕事をしている人でしたが、おじいさんになにかと声をかけたりして、今から考えると仕事とはいえ、随分て親切な感じの方でした。
あるとき、介護のおばさんが果物の梨をむいて、おじいさんの耳元で「おじいさん、大好きな梨ですよ!」って口元におばさんがもっていったら、おじいさんがその梨を手でつかんでブン投げたんです!
ええーーーー!ってなもんです。
ボクが入院してからしかわかりませんが、そんなことしたことなかったおじいさんでしたから。
「こんなのいらん!」と言ったような気もしますが、とにかく食べないという意思表示を梨をブン投げてするわけです。
介護のおばさんは、困惑したような、仕方ないなあという顔をしていましたが、怒るわけでもなく、ちょび悲しげな様子でブン投げられた梨を拾っていました。
そして、1時間ほどして、おじいさんの奥さんが病室にやってきましてね。話しぶりでは、久しぶりに奥さんがやってきたという感じでした。
介護のおばさんが奥さんにかくかくしかじかで困りましたよ!なんて耳が遠いおじいさんのそばでさっきのことを話しているわけです。
で、奥さんがさっきのブン投げられずに残った梨の入ったパックを手にとって「おじいさん、来ましたよ。大好きな梨ですよ!」って口元に持っていったら・・・・・
今でもそのときの音が耳に残っているんです。
「ムシャムシャムシャ」って梨をしゃぶってるような、噛んでいるような音を立ててむしゃぶりついているわけです。
ベットで寝ていたボクは起き上がりましてね。なんなんやーーー!と思うじゃないですか。
そしたら、じいさん、確かに笑っていました。なんともいえない笑みを浮かべて、梨をチューチュー吸ってる!!
でね、そのおじいさんは、その晩、介護の人に見送られて亡くなりました。
ああーー、じいさんは待ってたんだなあ。大好きな梨を大好きなばあさんに食べさせてもらうのを。
そうボクは解釈しました。
大好きな食べ物でも、豪華な品が並ぶ食卓でも、栄養満点の行き届いた弁当でも、味っていうものは、違うんだなあ・・・・と、強く思ったんです。
もし、あの日、奥さんが来なかったら、おじいさんはおばあさんが来る日まで頑張って死ななかったのではないか、と今でも思います。
もっとお金があればなにかをしてやれるとか、もっと仕事が暇だったらいろいろとできるとか子供がもう少し大きくて手がかからなければ・・・とかは、理由にならない。
「今できること」でいいんですから。
子供の勉強を見るのだって同じことですよね?
仕事していなかったらもっと見てやれるのにとか、離婚していなければもう少し面倒を見てやれるのにとかは言う意味がない。
「・・・・があれば」も「・・・がなければ」をやらない理由に挙げるのは、単なる言い訳で、そんなことを言っても、免罪符にはならない。
求められていることは「今できること」を「すぐやる」だけなんですから。
もちろん、「もっとこうしてやりたい」というのは親にも子供にも理想をいえばあるでしょう。でも、いくら理想を言っても、それはできないんだから、できもしないことを挙げて「こうしてやりたかった」なんていうのは厳しい言い方をすれば、無様なんだと思うんです。
これは友達が言っていたんですが「仕事帰りに病院に行ってやろうと思ったけど、面会時間の8時を過ぎてしまった。で、じゃあ明日にしようと行かなかった」と。
行けよ、そう思ったら。
いいだろ、面会時間を過ぎてても。病室の他の方の迷惑になっちゃいけないし、病院には病院の規則もあるだろうけど、行こうかなと思ったら行けよって。
だって、人は必ず死ぬんだからさ。
8時15分に急変して死んじゃうかもしれないじゃん。そのときは、やっぱり「あのとき行っていればと反省するの?」って。
思ったときにやれることをやって、言うべきことを言っておく。もうオレたち40歳も過ぎたんだから、どういうことを後悔するかっていう事例もたくさんみてきたじゃないか。
この前、我が家で緊急家族会議が開かれました。
事の発端は、朝、学校に行くときにバタバタしますよね?
あれがないこれがないとか、ご飯はどうだとか、弁当箱がかばんにしまいこまれていたとか、練習着がかわいていないとか、いろいろありますよね。
で、親子で、ウチの場合は、それが母親と子供たちという構図で喧嘩となり、「行ってきます」も言わずにプイと学校に行くと。
母親は「腹が立ったからいっさい口をきいてやらなかった」なんて言っている。子供たちは子供たちで当然対抗しているのでしょう。
で、緊急家族会議です。
みんなに問題です。
朝、親子喧嘩をしました。腹が立ちました。口もききませんでした。
うっかり捨て台詞で、「うるせぇー」とか、「しるかよ、タコ!」とか言って家を出ました。
家を出た直後、車にひかれて亡くなりました。
さて、この世に残った人とあの世に行った人はどんな気分になるか、想像して答えよ
これがボクが出した問題です。
言われれば確かにそうだけど、なかなかできないんだよというのがボクも含めての感覚でしょう。まず小中高生くらいでは「はい、わかりました」とは言うけれど、その意味するところはほとんど理解できていないでしょう。
でも、母親はわかるんじゃないか、ボクはそう言いました。40歳を越えていろいろと事例を見てきたお前なら、この問題の意味がわかるんじゃあないかと。
毎日のことですから、毎日うまくできなくてもいいから、できるときは、自分がそうしようと思ったときは、「仲直りして送り出せ」と言いました。
これはボクが無理なことを言っているのでしょうか?
無理なことを言ってるのかもしれないですね。
でも、先の震災のようなことも突然予期せず起こるじゃないですか。明日があると思うな!
最近ボクはそう考えることにしているんです。今日で終わり、いや今この瞬間で終わり。今この瞬間、あの世に行ってもいいようにしておきたい。
それには「やろうかな?」と思ったことはすぐにやる。今すぐ「やらなかった」ことで後悔しちゃいけない。それは「しない」と選んだことなんだから。
隣に住むおっさんと喧嘩したままでも全然かまわないし、今死んでも隣のおっさんのことは気にならないけれど、朝、子供と喧嘩したまま、「クソー」「この野郎ー」と言ったまま、それが本心ではなく、売り言葉に買い言葉で言ったとしても、そのあと死んだら、イヤな気が・・・のような気がするんです。
特に生き残ったほうにイヤな感じが残る・・のような気がする。
いかがでしょう?
親技では、勉強について、今の学年は関係ない、「思ったときがスタート」と言ったりしますが、「おはよう」も「いってきます」も明日もあるとは限らない。
特に大事に思っていない人なら全然いいけど、大事な人とはすぐに仲直りしませんか。
器が大きいほうが近づいていって謝ればいい。と思って、ボクが嫁に謝り「続けていたら」、なんだか最近図に乗ってボクに対する態度が・・・
気のせいか?
いや、間違いなく横暴だ!あーーーあ!?
新中3 ふろほんさん
緑色のイケドンシート3セット送ってください。
中学2年最後の定期はやったー!
これまでの最高点(500点満点中482点)、1位から全部1点違いで学年4位。テストの6日前にインフルエンザで高熱を出しながらもなんとか、がんばって乗り切りました。
あとは受験に向けてまっしぐらって、行きたいところですが、クラスの友達はまだまだ、受験モードにはなっていない。
テストも終わって、やったー!春休みジャン!集まってゲームでも…。
本人も、志望する高校が違うんだから、ライバルは別!って、わかっているけれど、誘惑の多い毎日です。
復習はできるだけ、イケドンシートを使って塾から帰ってきたらその日のうちにするようにしています。
たしかにその日やってきたことなので、できます!
でも、予習のときにできていなかった問題は何日か経つと、解けなくなっていることも多い。
これをいつ、再度解いていくか、いつ、できなくなっていないかをチェックして、拾っていくかを考えるのが、結構大変です。
昨年7月に緑のいけドンシート200枚、8月に200枚、11月に200枚、そして今回3セット300枚。
いけドン法でガンガンいっているふろほんさん、5教科でわずかマイナス18点ですか・・・すごーい!!
この総合点は、中1の最初のテストじゃないですからねえ。
中学校生活でもっとも点数が下がるとストロングが考えている中2の学年末テスト。お見事です。
これからは中3の1学期は学習内容に余裕が出てくるはずなので、ぜひこの1学期に中2の範囲でできる入試問題はどんどんやっておきたいですね。
特に理科、社会、国語は早めに中2の範囲でできる公立高校の入試問題レベルに手を出し、2学期以降、英語と数学に精が出せるようにしたらいいでしょう。
これまでストロングが直接見た中では5教科494点が最高点。
中3の1学期はこれが狙える大チャンスです。
超えちゃってください。