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こんにちは、ストロング宮迫です。

引き続き本日も受験生が出撃中です。イイ顔になって、ようやく受験生の顔になって本日も飛び出していってます。

ギリギリの勝負を1日すると、子供は大きく変身する。急に大人びたような感じになる。結果がすぐ出るギリギリの勝負をするとすごく疲れる。脳の【果汁】を全部絞られた感じになる。

それが成長ってことですよね。緊張してはならない!なんて考えちゃいけない。緊張するのが普通なんだから。そこに確実にあるものを抑え込もうとすると、抑え込んだところとは別のところからもぐら叩きみたく、ポンと出てくるからね。

青い顔になった数の分だけ受験生は成長していきます。シビれた経験の数だけ「自分」というものを的確に把握する材料を得る。これを喜ばずになにを喜びますか。

闘うときにこの「自分」というものがどう思い、どう行動し、どう感じるかを知っておくと、自分の闘いができる。闘い方はみんな違うからね。【相手】は一緒でもどう組み合うかは「自分がどういうものか」によって変わってくるから。

「手が震えた」そう正直に言え、認められることが大事。
「逃げ出したくなった」そう正直に言え、認められることが大事。
認めて受け入れたときに「そうなったときにどうする?」について初めて考え始めるから。

まあ、たいていは「練習と準備をしっかりする」という実にありきたりの結論に行き着いてしまうんですけどね。

受験の時に初めてその「自分」と向き合う子供もいます。始めて本気で臨み、初めてシビれたのが受験であれば、本番の受験で初めて「どうする?」について考え始めるからその日は間に合わなくなる。

大人でも初めてシビれたときにはなかなかその場でチャッチャっと処理はできないからね。来年受験生になる子供たちは、よぉーーく見ておくことです。

「リービッヒの最小律」というのを聞いたことがありますよね?

Wikipedia「リービッヒの最小律」によれば、

リービッヒの最小律は、植物の生長速度や収量は、必要とされる栄養素のうち、与えられた量のもっとも少ないものにのみ影響されるとする説。ドイツの化学者・ユーストゥス・フォン・リービッヒが提唱した。

リービッヒは、植物は窒素・リン酸・カリウムの3要素が必須であるとし、生長の度合いは3要素の中でもっともあたえられる量の少ない養分によってのみ影響され、その他2要素がいくら多くても生長への影響はないと主張した。後に養分以外の水・日光・大気などの条件が追加された。

現在では、それぞれの要素・要因が互いに補い合う場合があり、最小律は必ずしも定まるものではない、とされている。

ボクはこれは受験生になる前に1回はよくよく考えてみるべきことなんじゃないかと思っています。

考えるべきところは「生長の度合いは3要素の中でもっともあたえられる量の少ない養分によってのみ影響され」るってところです。

Wikipediaでは、この「リービッヒの最小律」を分かりやすく説明するものとして「ドベネックの桶」が知られていると記されています。

「ドベネックの桶」についてはこんな図を見たことがあるでしょう。
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植物の成長を桶の中に張られる水に見立て、桶を作っている板を養分・要因と見立てる。これならば、たとえ一枚の板のみがどれだけ長くとも、一番短い部分から水は溢れ出し、結局水嵩は一番短い板の高さまでとなる。

なにが言いたいかって!?

「手が震え」、「逃げ出したく」なり、頭が真っ白になるような受験生がシビれた条件に置かれたとき、この「ドベネックの桶」現象が出るのではないかと。

つまりシビれた状況下では「たとえ一枚の板のみがどれだけ長くとも、一番短い部分から水は溢れ出し、結局水嵩は一番短い板の高さまでとなる」現象です。

受験にそれを置き換えれば、入試で問われる「水かさ」という名の総合点は、「一番短い板の高さ」すなわち「もっとも不得意な科目」の高さにとどまるのではないかということなんです。

入試に臨むにあたっては、得意科目のプラス得点で不得意科目の不足分をカバーをしようと考えますよね。もちろんそれはみんなが考える、なんとか得意科目で・・・と。

算数・数学が苦手なので社会でとか英語が苦手なので理科でとか。

実際に受験生には得意と不得意があるわけだから、そう考えることは特に問題ではないんですが、問題になるのは得意で不得意を「大きくカバーしよう」と考えたときに起こります。

それをボクは「過剰さ」と表現しているのですが、過剰な期待、過剰な希望、過剰な思い、つまりなにか過剰なプラスを考え始めたとき、その考え方はいざというときに水かさを「一番短い板の高さ」にとどめてしまう可能性があるのではなかろうかと。

そんなふうにボクは考えています。特にシビれまくる入試という極限の状態の中、得意科目が思っていたように獲れないってことも起こりうる。それは逆に不得意科目が思った以上に獲れる可能性も示唆するのだけれど、人は「過剰な期待」をしていたときにそれが満たされないとガクッときやすい。

シビれる状況下で持っている力を最も発揮できるのはいつだってフラットな心持ちなんじゃないでしょうかね。いざ本番でガクッと来ないように準備と訓練をする。その可能性を高める準備をこの1年していく。

過剰は不足を招く。過剰さは、過度な期待…etc 「過度」は「適度」に負ける。

得意不得意はみんなある。あってイイ。過度な得意科目もあってイイ。全然問題ない。

しかし、そこから進んで、過度に得意な科目で不足する不得意科目を「補おう」と考えるのはリスクがある。

得意で不得意を「補っていけばイイじゃん」という考え方が繰り返しますが極限の入試状況では水かさを「一番短い板の高さ」にとどめてしまう可能性を膨らませる。それは油断といってもイイでしょう。スキがあると考えてもかまわない。なんとかなるさという小さな穴が受験生をのちに苦しめる。

だからね、得意も不得意もあっていいんだけど、不得意科目も頑張るんですよ。得意科目で補うから大丈夫なんて考えないで不得意科目もやっていくんですよ。

親技では不得意科目っていうのは最小時間で一番成果が出やすい科目と考えています。不得意であるがゆえにそれが可能になると。不得意科目であるという認識は子供をその科目の勉強から遠ざける。

でも遠ざけているだけで、やったら一番上がりやすい科目なんだから。水かさは「一番短い板の高さ」にとどると考えて不得意科目を頑張るんですよ。できそうなことからやったらいいんだから。

なお、入試の結果として、得意科目で不得意科目をカバーしたという現象は多くみられることも付け加えておきます。

結果として過剰が不足を補うことはあるけれど、それは結果なのであって、得意科目で不得意科目をカバーしようとする「意図した結果」ではないんです。

スタート地点から過剰さ、過度な期待を求めているとたいていは不足を招く。そうしたことなども今の受験生をよぉーーく見ておくことです。いずれ順番は回ってきて舞台には立つんだから、みんなね。

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できていた問題をテストでは間違ってしまう。「なんでよ~」と。でも、これってアリアリです。

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うれしい報告

「ノリ勉・英語」を終わっての感想

中1 三姫ママさん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

単語の暗記が短時間で効率よく行えるということを本人と親が体験できたこと。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

非常識だなんてとんでもない!わが子の惨状(わが家の場合ですが)を知っておくこと、そしてそれに対処?することは、とても大事です。大事と言いつつ、ひたすら問題集を解け的な効率の悪い方法を強いてきたので反省してます。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

楽しかったです。話しかけながら乗せ、それに乗ってくる娘をみているのが楽しかったです。何せ末っ子。私の相手をしてくれる時間は残り少ないでしょうから。

相手にされなくなるまでのカウントダウンがじきに聞こえてくるのは上の二人の姉で体験済みです。

1週間を終えた時、娘はほっとした顔に。終わってから気が付いたのですが、何も考えていなそうで、実は色々なあったようです。

逆らいたかったり、やりたくなかったり。でも、学校の授業がわかり、理解できる状態で授業を受けることができたとも言っていました。

よ~し!この調子で明日からまた頑張るぞ~!と叫んだら、あっさり「休ませて」とかわされてしまいました。もっともらしい理由をつけてきました。学習した範囲が、学校ではまだ終わっていないから、と。1日お休みをあげるのは甘いかな。

また再開します!

「本人もまんざらでもない様子。そんな表情を見ることができて、母は嬉しいです。」と。

そうですよね。もう小学校の低学年ではないですから、照れもあるし、親へのある種の思いもある。低学年のような反応がないからといって、それがうれしくないということではないはずです。

子供の顔色はちゃんと見なければいけませんが、迎合する必要はなし。子供に「勉強してもらっている」と、あとでエライ目にあいますからね。

これからも少しずつでいいのでぜひ続けてくださいね。

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