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さて、前回の続き「子供は自分から勉強するようになるか?」その2です。

ボクは「子供に自分で勉強させる」前にまずは親がそばで勉強の様子を見てやってねと言っています。様子を見た後はより具体的に「できる問題からやらせてね」とも言っている。そこがスタートですと。

しかし、相談者はお仕事もされていて、おまけにまだ年の離れた小さいお子さんもいらっしゃる。子供の勉強を落ち着いてみてやる時間はほとんどないということでした。

なので、ズバリすべてを目の前でさせないと息子が自分でやる気になってやる方法は作り出すことはできないでしょうか?と聞かれているわけです。

何か工夫すれば、親がそばについていなくても、子供が自分でやる気になって勉強しないか、その方法はないかと。

この答え、ストロングの答えは前回述べたことが答えになるので、前回くどくどと述べたことをザックリまとめますと、

◆親はどうであれ、今の子供ができることから始めるべし!

◆どんな簡単なものであれ、できたら褒めてやるべし!

◆塾などの競争の激しい場所は相対評価が常だから、親は家庭で絶対評価もうまく組み入れて子供をノリノリにさせてやるべし!

こうして「できるできる」「できたぞ!」を積み上げて実際に5問の小テストからはじめて、10問の確認テストというふうに範囲の狭いものから成果を出させて本当にやったらできることを証明して見せてやるべしとも書いた。

小さい勝ち癖をつけて自己肯定感を高めたうえで、高い壁にチャレンジさせる。そうでないといきなり高い壁の課題を出すと、子供は「やりゃしないよ!」ってね。そいでもって、これは子供もそうだけど、大人もほぼ同じで、新入社員や人材育成の時の手法とも変わらないよとも書きました。

勝ち癖がついていて、自己肯定感が高く、根拠がなくても「やればできるっしょ!」って思っているなら、子供が自分からやる気になって勉強する可能性はある。

でも、勝ち癖がついていなくて、勝った経験がなく、勝った快感も知らず、自己肯定感も高くなく、「たぶんできないと思う」と思っている子供は、どんな言葉をかけようが、ご褒美で高価なプレゼントしようが、まず自分からはやらないでしょう。

これらのことから相談者のお子さんは100%に近い確率で自分からはやれない状況にあるとボクは思います。

繰り返しますが、勝ち癖をつける、自己肯定感が高く保つ、根拠がなくても「やればできるっしょ!」て思えるところまでは親が無理なら誰かが付いてやらなければ、自分ではやらないし、処理しきれない。残念ながらこれがボクの判断です。

相談の中にあった

なかなかつきっきりで勉強をみてやれないので通っている大手塾よりももっと小規模の塾へと思いましたが、見学に行った中で現在通う塾がいいといい、スタートしました。

もしこの小規模塾が今の塾よりも手厚く子供の面倒を見てくれるなら転塾を検討すべきでしょう。

今のお子さんには手助けが必要です。

少なくとも、中学入試の内容をこなす上では、新しい単元を習ってくるだけでなく、習った単元のうち、これはやろう、これはしなくていい、テストはここを頑張れと叱咤激励を含む介助者がいります。

全部をこなそうと頑張るのはその塾で全体の上位20%に入っているものだけにその資格がある。それ以外はやるべきものとやらないものを子供に合わせて取捨選択しなければいけません。それは子供にはできませんから。

転塾と書きましたが、転塾しないなら、すでに成果があったと書いていた

特に算数がとても難しく、夏休みに個別に通い上のクラスにあがることができました。

この方式で個別指導塾の常時併用を考えるべきでしょう。算数だけが詰まっているなら算数だけ、他の教科も詰まっているなら他の教科も個別でやってもらう。1週間のスケジュールが塾で埋まってしまうけれど、誰かをお子さんは必要としていますから。

それなしで今の現状を子供自身の力で乗り切れるとは思えない。お子さんにはこうしろ、ああしろと中学入試の内容を処理するための司令塔がいります。

親は「それはやっているんだが・・・・」と感じているのかもしれません。

たとえば、

1人で過ごす時間が長く、やる気もなく、1日のやらなければならない課題はやっていないことがほとんど、やっていても答え丸写し、という日々が続きました。

課題ごとに私に電話で報告する、答えを私が隠して帰宅してから○付けをし、直しをするなどしてなんとかやるようにしましたが、すべての課題を夜7時に帰宅してからやるということがまだ小さい下の子の世話もあり私がギブアップしました。

忙しい中、「課題ごとに電話で報告する」、親は結構な負担ですよね。それでもチェックはしてみた。答えだって隠して丸付けは親がした。

ボクの言う「司令塔」はそうじゃない。

できもしない課題を子供にやれといった。親はそばにいない。どうなるか?

もちろん答えを写すに決まっている。この子だけでなく、みんなそうです。みんなそうなる。

答えを書き写す子供のほぼ100%といってもいいですが、課題の出し方が間違ってる。どんなに怒ろうが、殴ろうが、同じ課題の出し方をしたら、やっぱり子供は答えを丸写しする。

つまり、課題の出し方を変えないと、子供の行動は変わらないんです。出し方を変えるとは「できる問題」を課題に出すっていうことです。

「昨日塾で出た宿題、今日、私が帰るまでにやるのがノルマだよ。頑張ってね。1ページごとにできたら電話で報告してね」

一度や二度は子供も自力で頑張ろうと思うかもしれない。でも、やっても、たとえば1ページ目の1番から意味プーだとしたら、やろうと強く思ってもできないんです。写しかなくなる。

だって帰ってやってなかったら怒られるからね。なので子供にとってはごく自然な振る舞いというか、行動なんです。

特に塾のテストなんかで今平均点前後を取っている子供には、塾の宿題を全部やるというのは大変なことです。そん大変なことを自力でやれというのは、ストロングから言わせれば、答えの丸写しを奨励しているようなもんです。

司令塔はチェックはもちろんするけれど、そのチェックをする前に「できる問題」「できること」を子供に課さなけれならない。やれることを課してチェックです。

もし、これからも

共働きでなかなかつきっきりで勉強をみてやれない

というのが現状なら、宿題も個別指導で見てもらう。そばについて一緒にやってもらう。そうでないと、できないでしょう。

実際に今の状態で仮にそばで勉強を見てみると、

「これ、授業でやったんでしょ? ノートはどこに書いたの?」
「これだけど」
「ああ、書いてるね。これ今すぐできる?」
「できると思うけど」
「じゃあやってみよう」

このたった10秒ほどの何回かの子供とのやり取りで子供にはエンジンがかかるわけです。子供にエンジンはあるけれど、すぐかからない。だから、そばにいるものが少し背中を押してやる。

成績が良くて、宿題が多分全部わかるって子供は「全部わかる」という気持ちがエンジンをふかしてくれる。だから自分でできる。でも、今はそれを自分で噴かすことができないわけだから。

たった一人では4ページの宿題をするのが苦しくて苦しくて逃れたいけど、誰か補助者がついて「これどう?」「わかる?」「やってみようか」というだけで、スイスイとはいかなくてもはかどるものです。

ホントですよ。

親技が言っている親がそばについて勉強を見るってそういうことです。

「ハイ、1番の問題、これはね・・・」なんて説明はしない。止まっている子供の背中をポンと押しだしてやるだけ。
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ああ、今日も朝6時に起きてランキングしなきゃいけない・・・イヤだなあ、雨降らないかなあ・・・そう思っていても、「はい、6時で~す!それでは本日もランニングいっちゃいますよー!あれれ、眠そうな顔して、どうした? 顔洗って!はい、すぐやる。いくよ!」補助するものにこう言われたら、しぶしぶでも始められる。そんなもんです。

もし、補助者が布団に入ったままで遠くから「お前、はやく行けよ!毎日走るって言っただろ!継続しなきゃ意味ないんだよ!」と怒鳴るだけだったらどうなるか?

子供が補助者を屁とも思っていない子供だったら無視して寝続けるでしょう。

しかし、補助者を怖がっている子供だったら、しぶしぶ起きてランニングに行く。でもって、走るべきコースは走らないで、その辺で時間つぶして家の前の50メートルくらいからダッシュする。

「ハーハー」まだ布団に入っている補助者に見つからないように水場に行って顔を洗う。たいていはこうなる。答えを丸写しと同じ現象が出る。

そばについていなくても勉強する子供、決めたランニングに子供はいないか?

います。

自分がイケていると思っている子供、他人からイケていると評価されている子供、実際に成果を出していて実績がある子供などです。ざっくりいえば、こういう子供は学校や塾でいえば全体のうち20%に入っている連中の中にいます。20%全部がそうじゃないですよ。そのなかにいるってことで。

「できる」と思えるから始められる、手が付けられるのであって、「ダメかも・・・」と思っている子供には後押しがいる。

ボクはガキの性根を試す時に解答を子供が勉強しているそばに広げるってことをやります。タイガー山中に教えてもらいました。

目の前に答えがあるわけですな。なにげなく置くわけですよ、一生懸命やっている子供のそばに。

成績がイイ子、正確には成績が良くてこの後も伸びる子供は絶対に見ない。普通は見ますよ。でも、見ても気にしないものと気にするものがいる。

なにが違うのか。

一言でいえば「プライド」ですな。プライドが許さない。

「答えを見て書いたのにまるで自分で考えて書いたかのように答えを写す」という行為を許さないプライドです。そんな恥ずかしいこと、できないんですな。

こういうプライドって生まれたときから持っているものか?

ノーです。

これまでに蓄積した成果、実績、それに自信。そうしたものがこの強烈なプライドを支えているわけです。そういうのがある子供はもうだいぶん上のレベルですよ。

大人だってすぐ誘惑に負けてしまうのに・・・子供なら、もっと誘惑には弱い。

親は子供にそういういい意味でのプライドを子供が身につけるようにしておいてやらないといけないとボクは思っています。親の役目だと。

その大前提となるのは、子供にとって適度なレベルの課題を与えること。こうなります。わかりやすくいえば、中学生に九九の問題をやらせるとする。思い切って1000問やらせるとしますか。面倒くさいし、できるからやらないという選択肢を除けば、中学生はやるでしょう。だって、できるもん!

1人で過ごす時間が長く、やる気もなく、1日のやらなければならない課題はやっていないことがほとんど。やっていても答え丸写し、という日々が続きました。

「やらなければならない課題」って、親がそばについてても、補助者がいても「う~ん」とか「あー」とか子供にとってはうなるような問題じゃないのか。

課題で「やらなければならない」のは塾が決めたことであって、子供ができることとは別物です。授業でやったはずなのに、例題や基本問題から詰まる子供に「やらなければならない課題」だからって、ぜ~んぶやらそうとすれば、子供の出口は「答えの丸写し」しかないです。親はそばにいないわけだし。

塾が全員に一律に課した「やらなければならない課題」を「あなたのお子さんもやらなければならないのか」ってことです。本当に「全部やるべきなのか」、ここを真剣に考えないといけない。

塾ではクラス分けもしているから同レベルの子供が集まっていることでしょう。しかし、それでもクラス内で習熟度の差はある。習熟度の差があれば宿題は違ってくる、やる問題だって違ってくる。

当然です。現在偏差値50の子供が志望校の偏差値が65だからといって、偏差値65の子供が解いている問題を中心に勉強したら成績は下がります。

だってやるべき問題が違ってるんだから。偏差値50の子供は偏差値50から55になるために固めなければならない問題がある。それらをそこそこに応用やったって成績に反映されるわけはない。

それでもお子さんは個別に通うなどして頑張ったと思うんです。

なかなか上のクラスにあがれず、特に算数がとても難しく、夏休みに個別に通い上のクラスにあがることができました。

クラスを上がったら、宿題も少し変わってくるでしょう。同じ単元でも応用の内容もやるような宿題になっていく。もしくは今までやっていたことに加えて応用もやるというようなプラスαでやる内容が増えるわけです。

前回書いた小さい勝ち癖をつけて自己肯定感を高め、さっき書いたプライドの醸成をしながら、クラスに上がったら、勉強量が増えても「よし、いっちょうやってやるか」にはなりうる。

けれど、そこが育ってないと、頑張って勉強したら宿題が今までより増えたとか難しいくなったとかやることが多くなったか、頑張ったことがマイナスに感じられるようになります。

頑張ったら遊ぶ時間が増えた!それならもっと頑張る!

この図式が

頑張ったら遊ぶ時間が減った!やることも増えたのでバックれたら他の習い事に行く回数を減らされた!

もう頑張った甲斐が全然感じられない・・・

親は上へ上へって自然に思うかもしれないけれど、子供はそうじゃないからね。自然に上へ上へって思えるのは、勉強を頑張ると同時に勝ち癖がつき、自己肯定感を高まって、プライドが育たないとそうはならない。

おまけにお子さんは

親が共稼ぎなため週末の習い事のスポーツへの参加は難しく、週1回だけですがスポーツチームに入り練習にいっております。

とありました。

週末に参加が難しければ、スポーツチームで勝ち癖をつけたり、自己肯定感を高まることもあまり期待できないでしょう。そうなればプライドだって育たたない。実際はどうかわからないけれど、勉強もそこそこで、スポーツもチョロチョロとなっているとすれば、「オレ、イケてるぜ」って子供はどこで思うのか?ってことです。

今どきの悪ガキだったらメインの週末に来ない子供には言うんじゃないでしょうかね。

「あいつ、週1回だけ来てなにしにきてるんや!なめとるな!」
「週末はお勉強らしいぞ」
「なーんだ、それ!?」とか・・・・

そういう光景を何度もボクは目撃しているから心配しているだけで、いや、「そういう口さがないことを言う子供は仲間には一人もいません」というのであれば、一安心です。

が、ボクが経験している限り、そんな上品なところはあまりなかったのでやっぱり少し心配です。

一人でできそうにない宿題を「やるべき課題」だからと言ってやらされ、結局答えを写して説教され、好きなスポーツはチョロチョロしかできなくて、この子はどこで輝くことができるのか。そこをもっと考えてやってほしい。

塾だって下位のクラスだから輝けないとは限らないですよ。

偏差値はほどほどだけど、やりたいスポーツが強くて中学受験をするって子供だってたくさんいます。塾では下位クラスだけど、学校に行けば、すっげぇイケてると思われていることだってある。

偏差値70は最初から目指さない、偏差値52でいいんですということであれば、塾漬け、勉強漬けってことにはならず、やるべき問題をさっさと片付け、余った時間は好きなスポーツをする。

あの子、スポーツもしているのに塾に行って成績もよく塾を休む割には結構いいらしいよ!

塾だって下位のクラスだから輝けないとは限らないというのは例えばそういうこと。

偏差値が高い学校に行ければそれだけでいいなんて、そう思っている人はそれでいいけれど、ボクにとっては大して意味がないことです。それよりは子供が「オレ、イケてますけど、それがなにか?」って苦しいことや怒られることもあるけれど、楽しくまたはノリノリで生きていっていることのほうを重視する。

なぜか?

それは前回書いたけれど、子供には「次があるから」です。

勉強漬けで全国でも有数の難関校に入りました。しかし、入った時点がゴールと思っていたので入ってからは勉強はせずに落ちこぼれました!こういうことにボクは価値を見出せない。

全国でも有数の難関校に入ったら、入る以上の勉強が少なくとも6年間は待ってる。自明なことです。中学入試で合格した時点で「ゴ~ル!」なんて思ってたら、地獄の6年間になるのは確実です。

「中学入ったら、次どうする?なにする?」が生まれないような入試ならしないほうがいい。

だから、輝いていなくちゃならない、子供は。

町で輝いていても、市に出れば上には上がいる。県に出ればさらに上がいて・・・年齢が上がれば上がるほど、輝ける場所が子供たちには少なくっていきます。それは仕方がない。その成れの果てが私たち親であり、大人ですから。

問題は一度も輝く経験がないまま、年齢だけが上へ上へ上がっていくことなんです。輝いていないからズルをする。

だからなんでもいいんです。習字でもそろばんでもかけっこでもスポーツでも、なんか「オレ、イケてる」と子供自身が自信を持ってやれるものがなにかいる。1つでもイイ。挨拶がすばらしいでもいいんです。「この町じゃあ、挨拶少年っていえばケロちゃんだろ!この前、朝礼で表彰されたからな」これだってイイ。要は輝けるものを親が作ってやったらいいだけだから。

親技では学生生活の3分の1が睡眠で、3分の1が学校だから、勉強は誰にとっても生きている時間の大きな要素を占めるから勉強やらしちゃえばいいじゃないですか。親が自分で輝けるもの作らなくてもいいし。

勉強ってスポーツなんかと比べて、センスはある程度努力でカバーできるし、やったらやっただけ直に結果に出やすいからいいよって。起きているほとんどを過ごす学校で輝けるのは子供にとってもイイでしょ!と言っているわけです。

前回、少しキツイ言い方かもしれないけれど、軽い感じで受験も習い事も始めて、なんの習慣もやり方も確立しないまま過ごし、勝った経験はなく、慌てて途中で、できもしない管理を強制し、結局子供を親から追いやってしまったという感じにストロングには見えると書いたのはここまで書いてきたような理由からです。

何かを始める理由、たとえば、

おっとりした気質なため大学の付属校で「好きなスポーツができる環境がいいのでは?」と息子に話をしたところ「○○へいきたい」と希望したため、小学3年の2月、つまり小4のカリキュラムからスタートするため入塾しました。

こうした単純な理由で始めるのはかまわない。もっと不純な動機やどうしようもない動機だってかまわない。親の意向だってかまわない。軽くたってかまわない。

でも、何かを始めたら、そこでたいていは相対評価を下されるんです。あいつはこいつよりエライとかあいつはこいつより下手とかね。

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塾での順位もスポーツでのレギュラーも相対評価で評価を下され、成績優秀者一覧やレギュラーが決まる。そこに乗っけて(載っけて)もらうように頑張る時、頑張らせる時、親かそれ以外の補助者が絶対評価で支えていかないといけない。

授業で聞いて習ってきた問題さえ解けない、サッカーしているのにリフティングが1回もできない、習字に行っているのに黙って座れないなど、軽い理由で始めてみたものの、子供がエライ状況になっていることがわかる場合だってある。それは責められないとボクは思っています。

しかし、いざスタートして子供がそうなった場合には荒波を漕ぎ出してでも誰かが行って、絶対評価の基準を設けて1つ1つできることからクリアさせて、相対評価の競争に参加できるようにしてやる。

子供が輝くためにです。

そういうエライ状況になっているときに親が荒波を漕ぎ出していくのはいいとして、できもしない課題をやらせたり、苦しんでいる相対評価に親も乗っかって子供を相対評価してたら、子供がいる場所がなくなっちゃう

助けに行くときは絶対評価の基準をもって駆けつけなければならないわけです。絶対評価の基準は必須です。

親がいないとき子供に勉強をさせて答えを丸写ししているという場合、そのやらせている問題は子供にとっては難しすぎる問題ではないのか、無理なものをやらせようとしていないかとまずは考えるべきです。

その上で、答え写しをしているということは勉強に対する姿勢や心構えが間違っているので、与える課題を再検討するとともに「30問宿題に出ているけどあなたはまず5問からでいいからね」と言ってやる。言ってやった上で「その代り、5問でいいからこれははやく解けるまでやろうね」と、できる問題をしっかりやらせてテストに臨む態勢を構築すべきです。

今、ノリ勉進行中の方が20名弱いますが、そのうちの一人の方からノリ勉3日目の報告でこういうのが届きました。少し長いですが、読んでほしい。

小4 とこさん

昨日は少し時間のかかる問題を選んでしまったので、今日は同じ面積の範囲ながら、少し難易度の低い問題集から選ばせるようにしました。結果、8分25秒で全問正解出来ました。

ただ、昨日も失敗した「表面積=見えている面×2倍」を、またもすっかり忘れていました。これは耳元で囁いて気付かせました。

ストロング先生がご指導くださった「ノート」にも早速メモをしました。この「間違いの記録」をノートに溜めていくことが、”実績”そして”自信”に繋がっていくのですね。

たまに囁くこと自体は数秒ですが、囁かれたその瞬間、本人の中では解いた日の記憶や、間違えた時の悔しさなどが思い出されのだろうな、と。

そして実際にテストで似た問題が出た時に、それらを連動して思い出し、同じ間違いをしなくなっていくのではないかと。これが繰り返しの効果なのでしょうね。

今まで私は子供にそういう繰り返しの勉強をしてあげていませんでした。

だから、子供も何となく勉強をやったつもりにはなっていたけれど、何をどれだけやったという実感も自信もないので、成果も出せていなかったのだと。

改めて息子に申し訳ないと思いました。

そして休憩後の2回目。1回目に満点を取ってしまったので、どうなることかと心配しながらでしたが、同じ満点で、タイムは半分以下の4分8秒で終了しました!

内心、8分の半分=4分は子供には無理だろうと思ってました。

でも、軽い感じで「半分くらい時間短縮が出来たらいいね」と呟いて「よーいドン」とタイマーをかけたら、普段見たことのないような前のめりの体勢で必死に鉛筆を動かし、式も初回より綺麗に書けていました。

思わず、心から「嘘~!!半分の4分で出来ちゃった!」と叫んでしまいました。その後、子供には抜き打ちの、前日の問題の三回目をやりました。

昨日の問題は少し難し目で時間もかかるものだったので素直にやるかな?と少々心配だったのですが、息子はあっさりと「いいよ。早く終わったしね」と快諾したのです。

先ほど時間半分だったのが、すごく得意だったのでしょうね。まさにノリノリでした。

短い休憩時間には珍しく積み木を出して来て短時間ながら組み立て、タイマーが鳴ったらすぐに机に戻ってきました。

結果、昨日の問題の三回目は10分52秒。昨日の二回目が12分9秒だったので1分近く短縮出来ました。

突然、集中力と切り替え力がついたかのように思います。

今日は日中出かけて、夕方に帰宅したのですが「夕食が出来上がるまでの間に、塾の宿題の作文をやっちゃったら?」と駄目もとで言ってみたら、「そうだね」とすぐに机に向かい、本当に書き上げてしまいました。

いつもは書き散らかすだけで満足して、声をかけても読み返しもほとんどせず、書く内容に詰まったら、鉛筆を噛んだり爪を噛んだりと態度が悪くなるだけでした。それを注意してばかりだったのに、本当に嘘のようです。

対象教科以外の取り組みも変わる……というのは、メルマガで見聞きしたことがありましたが、正直なところ「そんなこと、なかなかないんだよね。一部の人なんだろうな」と半信半疑でした。(申し訳ありません)

と言っても、まだ三日目。マニュアルに素直に従って、欲張らず着々と進めます。

こういうことが2日で起こるということなんです。たった2日でも起こる

ノリ勉がすごいって言いたいわけじゃないですよ。ストロングがすばらしいといいたいわけでもない。だってボクがそばで見たわけじゃないんだから。そうじゃなくて、支える親の側、補助者の側の意識が変わると、子供だってすぐに変化の兆しを見せるんだってことを知ってほしいだけです。

親技ではそういうことが始終起こっている。そういう報告が毎日くるもの。

なんでか?

親の意識が変わったから。そうボクは思っています。

そばにいるものがなにを求めるのか。そして何をやらせようとするのか。

それが少し変われば、

普段見たことのないような前のめりの体勢で必死に鉛筆を動かし、式も初回より綺麗に書けていました。

いつもは書き散らかすだけで満足して、声をかけても読み返しもほとんどせず、書く内容に詰まったら、鉛筆を噛んだり爪を噛んだりと態度が悪くなるだけでした。それを注意してばかりだったのに、本当に嘘のようです。

できもしないことをしろ!やれ!なんていえば、バトルにはなる。

でも、言わないもん。そんなことノリ勉では。

もう1回言いますよ。

大人だってできもしないことを今すぐやれ!なぜやらないんだ!って耳のそばで怒鳴られたら頭にくるでしょ?

同じなんです。できることをする。できることがわかったらそれをはやくできるようにする。仕事も基本同じでしょう。

30分で終わるから丁寧な字で書こうね。途中の式も書くんだよ。これならできそうだと思いません?

たった30分では中学受験には対応できません!っていう人がいる。

アホか!誰が30分で中学入試に対応できるっていったか。言うわけない。この3連休中、毎日10時間やっている連中を知っているのに。

ちゃんとした勉強を30分でやってみませんか。たった30分の勉強でも成果って出せますよ!って言っているだけです。たくさん勉強やりたいなら30分の成果のある勉強を6セットやったらイイ。それで3時間だ。最初に3時間の勉強があるんじゃない。成果の出る勉強30分を6セットすることに意味がある。

それはいいとして、この方の返信にも書いたんですが、

突然、集中力と切り替え力がついたかのように思います。

突然、ついたんじゃないということです。

本来子供はそれができる力を持っている。その持っている力を罵倒し劣等感を与え続けて壊してしまっている場合は別にして、そうでなければ、ボタンを押すとビヨョョョーンって出てくる。

あったんです、もとから。そのボタンは子供がみんな持ってる。親はそれを押すだけ。

ストロングはそのボタンがあることを知っているから、子供が持っているボタンを最初から探してすぐ押しちゃう。押したら出ちゃうビヨョョョーン。

このボタンを押せば人気者間違いなしです!だってうれしいもの、子供は。

子供は絶対評価をしてくれる人が好きなのです。できそうな基準を示してできたら褒めてやる。ビヨョョョーン。

それをしてくれると気分がイイ。気分がイイからその人から出てくる指示って「あれやれ、これやれ」のウザイ指示には聞こえなくなる。まあ、そういうことなんです。

で、それが親が忙しくてできないなら、誰かにやってもらったらイイですねって言っている。それが家庭教師なのか、個別指導なのかは各自で決めたらいい。

ボタンを押してくれる人が泥沼から抜け出るためにはいる。お金がかかっても仕方がない。ボタンを押さない限り、そこで成果を出して勝ち癖をつけ自己肯定感を高め、自信をつけてからでないと「自分でやる」というステップに進めないから。

もう1つ、この方で心配なのは

すべての課題を夜7時に帰宅してからやるということがまだ小さい下の子の世話もあり私がギブアップしました。

小さい兄弟がいる、ここです。別に年の離れた兄弟がいてもイイ。それは問題なし。

ただ、すでにここまで長々と述べてきたように今、上のお子さんには手助けがいる状態です。ボタンを押してくれる人が必要な時です。そこに全面的に世話をしなければならない下の子供がいる。上の子供には何とか自分で頑張ってほしいと思います。だって時間がないもの。

ただその時、上の子がひねくれることが多々ある。

子供がよく好きな子供に意地悪するのと同じようなもんです。好きなんだけど意地悪する。これは一般的になんであれ関わっていたいという意思表示と考えていいでしょう。

赤ちゃん返りとえいばわかりやすいか。説明が面倒なのでネットから解説を少し借りてくると・・・

Q.どうして上の子に赤ちゃん返りが起こるのですか?

A.赤ちゃん返りは、今まで一身に集めていた親の関心や愛情を赤ちゃんから取り戻したいという、上の子の「注目要求行動」が引き起こすもの。

これまでずっと王様・女王様でいたのだから、起こって当たり前のことなのです。反応がない場合は、かえって心配。環境に過剰適応してがまんしている場合が多く、急に激しい形で出てくることもあります。

上のお子さんは小5ですから11歳前後でしょうが、年の離れた兄弟ができたとき、小5でもまるで「赤ちゃん返り」に似た現象が起こる。加えて今がイケイケイでノリノリなら、それがあまり感じられないけれど、しょぼくれている状況だと出やすいんじゃないかなあ。最近よく目にし耳にする傾向です。

「カインとアベル」の話は皆さんよくご存じでしょう。

聖書では人類最初の殺人の加害者と被害者は「兄弟」と伝承されるあの「カインとアベル」です。

「カインとアベル」 Wikipedia

カインとアベルは、アダムとイヴ(エバ)がエデンの園を追われた(失楽園)後に生まれた兄弟である。

カインは長じて農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。ある日2人は各自の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。

嫉妬にかられたカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。



親の愛をめぐって生じた兄弟間の心の葛藤等を指すカインコンプレックスは、この神話から名付けられたものである。

一般的には、兄弟間の心の葛藤、兄弟・姉妹間で抱く競争心や嫉妬心のことを言うとされます。相談者は限られた時間を懸命に二人のお子さんに時間を分け隔てなく費やされているでしょう。そのことに疑いはない。

ただね、必要とされているときにさまざまな事情で手が差し伸べられない、もしくはその差し伸べた手が過酷なものであった場合、赤ちゃん返りであるとか「カインとアベル」にあるような葛藤が生まれてくる場合もあるってことです。

そんな時子供に出てくる現象が「親に手間をかけさせる」です。一番手が足りなくて時間がないときに勉強面でも手間をかけさせていますが、他でも

おまけに週1回通っているスポーツも、もうやめる、休んでへたになってるから行く意味ない、などど暴言を吐きはじめました

こうやって、子供が好きな子に意地悪するかのように無理難題を次々に起こす。

ストロングはその子供の気持ちを一言で「寂しい」とここでは表現しているわけです。寂しければ、一人でしょぼくれているればいいのに、子供はそうはいかない。

ただ「寂しい」とは子供は言わず、さまざまな現象や行動でその「寂しさ」を表現する。親を困らせる。これが相談者に当てはまるかどうかはわかりませんが、そういうことだってあるということなんです。「お母さん、ボクのほうを見てー!」って叫んでいるのかもしれないのです。

もしそうなら解決はカンタンです。「ボクに視線をむけてやればいい」だけですから。

その上で、相談者がまずしなければならないのは、

スケジュールもつくり、チェックもしてきました。

でも「答えをうつしてやったという」ということが繰り替えされていて、答えを取り上げるしか方法がなくなっています。これでいいのでしょうか?

実行されもしない机上のスケジュールを立てることでもなく、できない課題のチェックでもなく、「答えを見るから答えを隠す」という目の前に起こっていることの対処療法でもなく、

◆「なにが困っているの?」って聞いてやること

◆なにをやって、なにをやらないかを分類してやること(できるものを選んでやること)

◆「1人で過ごす時間が長く」て寂しいって気持ちに「わかるよ、ごめんね」って寄り添ってやること

◆1日30分でも、それが難しければ15分でもイイ。上の子のための時間を何とか確保して上記の点を優しく聞いてやること

それがあって初めて具体的な現在の課題の勉強面に目を向けることではないでしょうかね。勉強に向かう前段階のところからやっていく。それでなくても負荷も高い中学入試です。子供の気持ちの安定、これがあって初めて勉強面に集中ができる。

夫婦仲の悪い家の子供は数学・算数ができないっていうのはよく言われることですが、本当かどうかはわかりませんが、気持ちが安定していないと論理的な考えなんてできないから、それは勉強面に必ず出るのは間違いない。

もし、夫婦喧嘩かが絶えずメチャクチャな家庭環境なのに成績がイイなんてことがあれば、それは「赤ちゃん返り」のところであったように

環境に過剰適応してがまんしている場合が多く、急に激しい形で出てくることもあります

これが入試が終わったとなどに爆発的に出たりする。

夫婦仲をよくするために「ボクが頑張って勉強して合格して喜ばせてお父さんとお母さんに仲良くなってもらおう」などと考えて頑張る子供だっています。でもそれは歪みだから必ずどこかで噴き出てきます。だから、今反応が出ているのはとっても素直なことでイイことだとボクは思う。

それらを日に15分でも30分でもした上で、個別指導の併用や転塾を検討する。こっちは具体的な勉強のやるべきことの選別やわからない宿題を教えてもらうなどの面倒を見てもらうことになります。個別指導の併用や転塾をしても、できない課題をチェックしなければならないとかわからないものも自分でやってほしいとなるくらいなら、中学入試はやめたらいい。

妙な劣等感や悪い癖をつけて、ついでに親も少し恨んで仮に志望校に合格したって、その後の6年間は、この方の場合でいけば大学付属ですから10年間となるのかもしれないけれど、10年後にイイ形が残るとは思えない。

それなら高校入試、大学入試を受ければイイ。子供には「次がある」から。

目の前に解答があっても、「そんなもん、見てやって正解してもうれしくないですよ」っていういい意味でのプライドを持って進んでくれるなら、高校入試でも大学入試でも十分戦える。

入試っていうのは期限も求められる水準もあらかじめ決まっているから目標にするにはわかりやすいものですが、もし求められる水準が子供の許容量を越えてしまえば、今度は刃になって子供を傷つける。不用意な中学受験は子供を勉強嫌いにする。

何度も書いていますが中学受験をする連中の受験生は中学3年生が受ける公立高校入試の問題、英語を除けば7割は取ります。習っていないという分野もあるけれど、それでも理科社会、国語なんかは満点に近い点数を取る子供だってザラにいます。上位の連中っていうのはそうなんです。

この前も小6生に公立高校入試も社会の問題を解かしたら「これって本当に高校入試の問題なんですか?」って言ってました。

なんでこんなことを何度も書くのかというと、中学受験すごいでしょう!って言いたいわけじゃない。中学生が公立中学で週5回6時間授業で3年間勉強していた内容とほぼ同等、同量の内容を中学受験の子供は通う学校以外の時間、つまり放課後に習って復習までやらなければならない、その意味と重みを考えてほしいからです。

1日のうち学校で8時間過ごし、睡眠が8時間とすれば、残りの8時間でそれをやらないといけないんです。中学生が学校の授業でやっていることを小学生は放課後に復習と定着まで含めてその8時間でやらないといけないんです。

大変なんですよ。やる前からそんなことは100も承知でやるわけだから。承知じゃないとすれば、不用意な中学受験は子供を勉強嫌いにするに該当する可能性は高まります。それをやるには覚悟も決意も応援も励ましも叱咤も援助もいる。それらがあるよっていう前提の連中が全体の半分いる。

覚悟と決意があっても挫折するような内容なのに、なければ挫折する可能性は高い。

ただそれは志望中学によっても大きく変わってくることでもあります。

中学生が公立中学で週5回3年間勉強していた内容とほぼ同等、同量の内容を中学受験の子供は通う学校以外の時間、つまり放課後に習って復習までやるのは確かだけれど、100%やるのか70%やるのか。

いやいや、ウチは中堅校を目指すので50%でいいですよって場合もある。それはそれぞれの志望校によって負荷が変わるけれど、どんなに下位校だって中学生がやる内容を一通りはしなくちゃならない。

だから、ハードルは高い。ハードルが高いからこそ、気持ちの安定といつだって帰って暖かい場所と援助者がいる。

今の入試前の時期、受験生の心は怖くて張り裂けそうな気持ちで一杯なはずです。あと1ヶ月か2ヶ月もすれば、数年やってきたことの白黒が他人による相対評価でつくのですから。

そこに向かう勇気だけでもやる価値はあるけれど、相対評価の白黒は結構なダメージを子供に与えます。

だから、親技ではその相対評価の白黒がつく前に、頑張らせたうえで「もうお前は合格やー!」って絶対評価で判定して送り出す。相対評価がどう出ようが絶対評価では「合格」させて送り出すんです。

その絶対評価で出した「合格」が心から出たものか、今までやってきたものをちゃんと評価してだしたものか、それとも「とりあえず」出したものかは、子供自身がわかる。

子供は何でも知っている。その判断や直感はたいてい正しい。特に親に対して下す判断はほぼあってる。

だから、親も本気で取り組んで、時に泣きながら、時に落ち込んで、わめきながらも、子供を精一杯叱咤激励して頑張らせる。それは絶対評価で入試前に「合格」とするためにです。

そうやって乗り越えた中学入試が親子にとって、仮にそれが相対評価で「黒」と出たとしてクソ食らえ―ですな、とボクは思っています。だって子供には「次がある」もん!人生最後のテストじゃないからね。

なのでとにかくイイ取り組みをしたい、してもらいたいと考えています。子供が社会に出たときにとってもイイ経験になるしね。

というわけで、今回と前回の2回で、ひとまず最初に掲げた

◆中学受験に向けての決意と覚悟の問題
◆年の離れた兄弟がいる子供の心境
◆勝ち癖、勝った経験の問題
◆管理とチェックの問題
◆自分で勉強させないとダメですよ問題

についてボクの意見を述べてみました。

ここまで読んでくれた方が多くいるとは思わない。長かったからねえ。でも、この問題は親技の大きなテーマでもあるから、講演会をするときのような原稿をあらかじめ書いて、そこから削りに削ってようやくここまでになった。

たぶん講演会で話したら40分、長くて50分くらいで済むお話だったんですが、文字にするとたぶん相当くどかったと思います。

ただただあなたのお子さんが今いる場所で「輝く」ことを願っています。「輝いている」子供の顔は見たらすぐわかる。逆に言えば、「寂しい」って思っている子供の顔もすぐにわかるんですよ。それを放置したままで、なにかを一生懸命やらせようなんて思ってちゃうまくいきませんよ。