こんにちは、ストロング宮迫です。
今回は中学受験に関する相談を取りあげたいと思います。
子供が自分で頑張れないとお嘆きの方はぜひ読んでいただきたい。
小5 ママさん
ストロング先生、こんにちは。10の鉄則を早速読破させていただきました。
息子は親が共稼ぎなため週末の習い事のスポーツへの参加は難しく、週1回だけですがスポーツチームに入り練習にいっております。おっとりした気質なため大学の付属校で「好きなスポーツができる環境がいいのでは?」と息子に話をしたところ「○○へいきたい」と希望したため、小学3年の2月、つまり小4のカリキュラムからスタートするため入塾しました。
共働きで、なかなかつきっきりで勉強をみてやれないので通っている大手塾よりももっと小規模の塾へと思いましたが、見学に行った中で現在通う塾がいいといい、スタートしました。
ですが、なかなか上のクラスにあがれず、特に算数がとても難しく、夏休みに個別に通い上のクラスにあがることができました。
5年生になってからは上のクラスの中でいったりきたりはしておりますが、週間テストは平均より少し上、公開テストは53-55程度できておりました。
5年生の夏休みまでは、です。1人で過ごす時間が長く、やる気もなく、1日のやらなければならない課題はやっていないことがほとんど、やっていても答え丸写し、という日々が続きました。
課題ごとに私に電話で報告する、答えを私が隠して帰宅してから○付けをし、直しをするなどしてなんとかやるようにしましたが、すべての課題を夜7時に帰宅してからやるということがまだ小さい下の子の世話もあり私がギブアップしました。
すると当然ですが、週間テストは下がり、夏休み終わりにはいままでみたことのない平均より40点も低い点数を算数で2週連続でたたきだしました。
平均とれるまでは習い事のスポーツは禁止する、といったあと2週間ほどはすぐに週間テストは回復しました、が、またその翌週にはマイナス20点、しかも今度は算数だけでなく、国語まで。2週連続続いております。
おまけに週1回通っているスポーツも、もうやめる、休んでへたになってるから行く意味ない、などど暴言を吐きはじめました。
塾の先生に相談したところ「成績が下がったら親がなんとかしてくれる。そう思っているので今自分でやらせないと6年になってもっと関係が悪くなる」といわれました。
『10の鉄則』を拝読し、ますますどのように子どもとかかわっていいのかわからなくなりました。
スケジュールもつくり、チェックもしてきました。でも「答えをうつしてやったという」ということが繰り替えされていて、答えを取り上げるしか方法がなくなっています。これでいいのでしょうか?
すべてを目の前でさせないと息子が自分でやる気になってやる方法は作り出すことはできないでしょうか?
どのように子どもにやる気をださせればいいのか、途方にくれています。だらだらと長くなり申し訳ございません。『10の鉄則』を拝読してもなお、どのようにしたらいいのかわからないのです。読めば読むほどわからなくなる、そんな状態です。
このような文章でご理解いただけるかどうかわかりませんが、もしも何かご助言いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
これは特に共働きで仕事の帰りも遅いお母さんから寄せられる相談の典型的なもののうちの1つ。
いろいろな要素が入っている相談ですが、
◆中学受験に向けての決意と覚悟の問題
◆年の離れた兄弟がいる子供の心境
◆勝ち癖、勝った経験の問題
◆管理とチェックの問題
についてボクの考えを長くなりそうですが述べてみましょう。ただしボクが述べることが正しいとは限らない。別の考えがあっていいし、こうした問題へのすごい必殺技を持っている方が世の中にいるのかもしれない。
しかし、ボクは子供に対して「明日にはすぐ効く」という「薬」を持ちあわせていません。それについてはご了解ください。
ある一定の年月を重ねた結果、こうなっているなら、それと同じか、それ以上の年月をかけて今までのことをひっくり返していくしかないと思います。
短い年月でひっくり返すならそこに注入する労力は倍にするとか増やさないと無理、そう考えています。
ただひっくり返すんじゃないですよ。すでについてしまった悪い癖や習慣を正して、元に戻してから直すから「0」からの出発じゃなく、「マイナス」からの出発であることもお忘れなく。労力が倍になるとはそこも含まれますから。
今回のご相談、相談者にはきついかもしれないけれど、一言でいえば、
軽い感じで受験も習い事も始めて、
なんの習慣もやり方も確立しないまま過ごし、
勝った経験はなく、
慌てて途中で、できもしない管理を強制し、
結局子供を親から追いやってしまったという感じ
にボクには見える。
仕事をしているならわかると思うけれど、このやり方では大人でも育たないと思います。それについては1つ1つ話していきましょう。
まず、この子には、この子だけではないですが、子供には勝ち癖をつけてやらねばなりません。
「どうせできやしない」「やっても意味プー」「絶対できない」そういう気持ちの子供になにかをやらせることなんてできない。ましてや一人でその壁を乗り越えろというのは無理がある。
だから、勉強でも親技ではまず「できる問題」から始める。子供が「これはできない」と思っている問題からは絶対にやらせない。子供自身が選んで「できる」というものから始めるんです。
なぜなら「できる」と思えるものであれば「やってみるか」ってひとまずはなるから。ただ子供は「できる」と思っていても実際にやらせたら「できない」ってことが起こる。そこに親が介在する親技の意味があると考えています。
子供一人だと「できる」と思っているものでもできなかったら、その時点でやめちゃうか、投げちゃうか、答えを写すことになるから。そこを調整してやるのが親の役目。
もう1つの親の役目はできると思うものをやらせてできたら、褒めてやること。
親は自分を基準に、他の子どもを基準に、または全体の正答率を基準に「これくらいのことができたのでは、できたうちに入らない」と冷ややかに見る。そういう方にはボクは「アホか!」って言う。
そこで冷ややかに見たら次がなくなるじゃないか!
次にもう1つ上のことをやらせるためのスタートで冷ややかだったら、「こんなのはできて当たり前」と言われたら、今目の前でやってこと、できたことも否定することになる。
親は今目の前で子供がやった「カンタンな問題」ができたことを冷ややかに見ているつもりでしょうが、子供は「自分のこと」を冷ややかに見ていると思う。それが10回重なったら子供は親の言うことに反抗し始める。言うことを聞かなくなる。
当然でしょう。毎回毎回自分のことを否定されるわけだから。親はそのつもりはなくても子供はそう思っているから。もうお前の言うことなんかしるかー!ってなる。ごく当たり前の現象です。
だから、ボクなんかがひょっこり現れて「できる」ことやらせて、できたらメッチャクチャ褒めてやると、ボクの言うことは聞く。この人の言うとおりやってみるかとなる。
チョロイもんですよ、ホント。ボクがすごいのか?
ノーです。
誰だってひょっこり現れてできることやらせて褒めてやったら、ひとまず言われた通りやってみるかとなる。ボクじゃなくても、誰が現れてもです。
もったいない。親技ではアカデミー賞並みの演技で褒めろって言ってますが、無料でできることですから。親にだってできる。
「褒めてみたんですが、どうも子供の反応はないようです」と子供が無反応なことが気になる人がたくさんいる。そういう人は出発点を勘違いしている。
あなたの出発点はこれまでさんざん子供を否定してきたので「0」からの出発じゃなく、「マイナス」からの出発であることをお忘れなくと書きました。「0」から出発した子供を褒めたらすぐに反応があるから。
「マイナス」から「0」に戻すのは積み重ね。褒めて無反応なのは「マイナス」から「0」に向かっている途中だから。相手の子供だって親が今までとちょび変わって警戒してるし。
そこは気にせず、できることをさせてきちんと褒めてやる。その蓄積が「マイナス」から「0」になったら子供の反応が出るようになる。
「マイナス」から「0」にするのは大変そうだって!?
ノリ勉なら6日間で「マイナス」を「0」にしたり「プラス」にまで持っていた人は山ほどいます。
子供が無反応であってもイイことは褒めてやる。それだけ。その「イイこと」っていうのは「子供ができること」です。カンタンだ!
ただこの方のように「できもしないこと」を課して「課題ごとに私に電話で報告する」なんてお役所の報告みたいなことをしても意味はないし、効果はなしどころか、逆効果でしょう。その上、やる気はない。
やる気だって出ないでしょ。できないことがほとんどだし、やろうとしても意味プーだし、習い事のスポーツは行けないし、勉強でもスポーツでも勝った経験も喜びもそれほどないとなればなおさらです。
少し話を戻して、親から見ればかなり「カンタンな問題」だとしても、今できることをまずやらせて褒めてやる。できたね!頑張ったね!すごいね!といってやる。
たとえそれが塾の膨大なテキストのうちの例題だけだとしても、今の子供にはそこがスタートならそこから。例題だけはちゃんと3回解いていつ聞かれてもカモーンという状態にする。
それじゃあ、今週の単元が終わらないんですよ、基本も応用も発展もやることがたくさんあるんですよ、それがテストに出るんですよと叫んでもダメです。
できることから。
1週間で例題だけしかできないなら、ちゃんとやってテストに出た例題とその類題が解ければ偏差値30でもOKとしてやる。
偏差値30じゃあ行きたい学校いけないよ!でも、そこがスタートならば、そこから出発するんです。
塾の先生は言いますよ「例題だけやっていたんじゃあ、ダメですよ」って。でも、例題だけで手一杯ならだれが何と言おうとそこが出発。例題と基本問題までならそこが出発。
出発と言っているのは、次があるから。
今週は例題だけだったけれど、それをきちんとやって褒めてやって、お前すごいぞ!テストは15点だったけど、やった問題は全部取れているからな、そう言って褒めてやれるのは親だけでしょう。
15点じゃあ、塾の先生は褒めようがないもの。
でも、勉強も人生も次がある、その次もある、そのまた次もあるんですよ。
わかってますよね?
今が基礎でも100日後には積み重ねれば応用にいけるでしょう。応用ができれば発展がある。発展で終わりじゃない。超発展があって、単元が合わさって出る複合問題もある。終わりはない。
いきなりエベレストに登頂はできないんですよ。1歩ずついくの。
なのにその第一歩から子供をつぶしている。冷ややかな視線とはそういうことです。これがのちに大問題に発展するわけです。
だから小さいことでもいいから、勝ったとか、できたとか、うまくなったら褒めてやる。すごいねえ、できたねえ。頑張ったねえって小さい頃は頭をナデナデしてやったはず。
もう小学生も高学年だから、もう中学生だから・・・アホか。
仕事をしている大人だって褒められたらうれしいじゃないか!!すごいねえ、やったねって言われたらまた明日から頑張ろうって思うじゃないか。
奥さんだって「今日の料理うまいねえ」って言ったら喜ぶよ。いや、今の時代はちゃんとそういうことを当たり前でなくて口に出して「おいしいよ」って言おうよってみんな言ってるじゃん。
つまり、奥さんは毎日「おいしいよ」って言われたいってことでしょう。そりゃあ、うまいのかまずいのかどう思っているのか、感謝しているのかわからない食い方をされたら相手はイヤですよ。
なんだよ、もう小学生も高学年だから、もう中学生だからって!?
却下!!
これは言葉で言えば自己肯定感を育むということもできますよね。
赤ん坊から未就学児、小学生、中学生、進んで成長するまでにいろいろな「できた」「やったね」「すごいじゃん」を積み重ねて、積み重なるから自己肯定感は高まるわけでしょう。
小さな達成の積み重ねです。「やればできる」は人に言われることじゃなく、自分が自分自身に思えることであって、子供には(大人でもそうだけど)自分で肯定できる経験が必要です。勉強でも習い事でも。
だから、塾なら小テストや週間テストがあるように、習い事なら3級とか2級とかの級がある。何か達成すればささやかでも賞状がもらえたり、褒めてもらえたり、成績優秀者一覧にに名前が出る。
世の中のシステムは全部そうなっていて、そろばん始めたらいきなり1級の試験受けさせて「なんでできないんだー!」って怒るようなシステムにはなっていないんです。だってそれじゃあ、うまくならないから。
あったりまえだ!
その上で、子供にはある時期まで絶対評価を親はします。今は多くの公立の小中学校でも成績は絶対評価になっている。大阪の一部くらいじゃないですか、まだ相対評価をしているのは。
基本は絶対評価なんですよ。絶対評価というのはすでに決めてある評価基準をクリアすれば5級とか4級とか評定「10」とか評価するやり方ですよね。
ただこの絶対評価は評価基準をクリアしたらもらえる評価なので、中学校で数学の評定「10」が30%もいる!なんてことも起こりうる。でもそれが絶対評価だから。
もう1つの相対評価とは、10段階評価の「10」は5%、「9」は10%、「8」は15%・・・・というように全体に対してあらかじめ決まった比率で評価することです。
競争が激しくなって、入る人数が制限されるレベルの戦いになれば、相対評価になります。入試は相対評価ですよね。基準をいかにクリアしようとも、他の子どもがそれよりできていれば、はじかれる。
世の中はこの絶対評価と相対評価を使い分けていっているわけです。
財務省とかの官僚なんかでは同期入省はたった一人しか最高職の事務次官になれない(らしい)。それ以外の同期入省は退官するとかいう話を聞いたことがあるけれど、これなんか究極の相対評価でしょう。たった一人しか生き残れないレースですからね。
一般的には塾で出される偏差値は相対評価で自分と他者との関係があらわされる。ただ塾によっては相対評価とは別にその単元の絶対評価で出してくれている塾もあって、その絶対評価ではこの単元、この基準はクリアしていますよっていうことですよね。
この意味がわかっていない人が多すぎる。絶対評価は同じで相対評価の偏差値は上がったとかその逆もあるわけで、さまざまな場面で絶対評価と相対評価が行われているわけです。
ただね、絶対評価だけでは生きられないんです。
どこかで他者との比較が行われる。勝負ですな。
官僚じゃないけれど勝ち負け白黒がつくわけです。線引きが行われる入試なんかはまさにそうでしょう。
ただ親技では明日も明後日も、次もその次もあるから、相対評価だけじゃない、絶対評価も子供にはしてやってほしいとお願いしてきました。
相対評価と絶対評価を組み合わせてする評価なんて面倒くさいものが我が子にできるのは親だけだから。
入試という相対評価では他者がダメですという評価を下す。残酷だけれどそれは下されるんです。
けれど、その相対評価だけで我が子は評価「0」です、ではないですよと。そばで見てきた親は絶対評価で「お前はこの基準をクリアしてきたからな。1年前はここだったんだから」と評価してやってくれ、そういっているわけです。
もちろん頑張っていない子供を褒めるわけにはいかないし、評価もできないけれど、頑張っている子供にはそうしてやってくれと。
そして、頑張っていない子供には頑張るように親がやらせなさいと親技では言っているわけです。褒めるためにね。子供が自己肯定感を高めていくためにもです。
高得点が確実に期待できる「親がする絶対評価」において、子供の評価「0」となるのは、頑張らせない親が悪いとも申し上げてきました。その評価は子供の評価ではなく、親自身の評価だとも。
絶対評価よりも相対評価のほうが厳しいですよね。頑張って基準をクリアしても他の者がもっと頑張ってさらに上でクリアしていたら負けってなるわけだから。
じゃあ、難しいものよりは、カンタンなものからさ。
世間や入試の相対評価の結果は他者との関係によって示されるなら、自分たちで何ともできる絶対評価からまずは上げていこうぜ!
それがここまで述べてきた「できる」ことから始めてステップをあげていくってことです。
長くなったねえ・・・まだ相談の答えの本題に入っていないんだけど(ToT)
まあ、いいでしょう。付き合える人だけ付き合ってください。確認テストはないからね(^^)
もう1つ、本題に入る前に書いておかなくちゃならないことがあって、これは相談者が書いている
塾の先生が言う
成績が下がったら親がなんとかしてくれる。
そう思っているので今自分でやらせないと6年になってもっと関係が悪くなる
これね、よく聞くねえ。塾の先生はみんな言っているんじゃないかって言うくらい聞く。正しいのか間違っているのかは各自が判断してください。
が、親技の主張は書いておきます。
成績が下がってきて、それは「成績が下がったら親がなんとかしてくれる」と思っているからで、親が何とかしてくれないと子供が思ったら自分でやるようになると。もしくは自分でやらせなさいと。実際、相談者さんはいろいろと手一杯で勉強を見るどころじゃないってなってる。
で、子供は危機感を覚えて自分でやるようになるか? 実際になったのか?
お答えします。
1000000%ならない。絶対にならない!断言します。
だって今の状況から子供自身が自分で自力で挽回できることはないから。
自力でできる子供なら、もうなってる。だいたいこんなに成績は下がらない。親が困ったりしないんです。
だからいつも言うようにこんなふうに塾の先生に言われたら「じゃあ、手を離してお任せしたら、塾で自分でやらせるようにしてくれますか?」って聞いてみるとイイ。
これまた1000000%の確率で「はい、おまかせください」とは言わない。
言えないよ、そんなこと。もし言ったとしても「塾に来たら声をかけるようにします」とか「チェックします」くらいのものでしょう。
それで子供が自分でやるようになるのか。
校舎に「住んでいた」ボクの経験でいえば、「0」とは言わないがほとんど可能性はない。
「やれよ」って言ってやれる子供なら、もうやってますから。チェックしても答えを写している状態の子供にはチェックしてもダメです。
チェックの仕方というよりやらせることが間違ってる。それはまたあとで触れます。
もし「親が手を離してお任せしたら、塾で自分でやらせるようにしてくれる」なら、もうお任せしちゃいなさい。ボクも我が子をそうしてくれるなら、その塾に入れたい。近くにないなら引越ししてでも入れたいよ。親はラクチンで助かるわけだし。少々月謝が高くても万々歳でしょう。サイコー!
でも、ないよ、そんな塾・・・
また、もし
成績が下がったら親がなんとかしてくれる。
そう思っているので今自分でやらせないと6年になってもっと関係が悪くなる
これを言った塾の先生自身に中学受験をした我が子がいない場合は、つまり塾で教えている経験だけ言っている場合はアウトだ!
悪気はないとしても知らないだけです、この先生が。
「親が手を離せば子供は自分でやります」と頭の中で考えているだけです。やらないよ、子供は、自分で・・・
もし、自力で自分からやる子供がいるとすれば、実際にはいるんですが、それはその塾の中で成績上位20%に入っている子供です。
塾でも学校でも成績上位20%にいる子供の中には親の手を煩わせないで自分でやる子供がいます。そういう子供は授業を聞いて理解して帰ってくるし、宿題しても短時間で終わるし、わからないという問題はあんまりない。
ゆえに自力でもできる。
しかし、成績上位20%以外の子供、特に真ん中、平均点やや上からその下は授業や単元のどこかで1回詰まり始めると、下り坂に入って、そのまま下るか、良くて現状維持。
ただわからないことが多くなっていくにつれて勉強については無気力になっていく。「どうせやっても無駄」感を漂わせるようになっていく。だって聞いてもわからないことのほうが多くなるから。
大人のあなただって小学2年生の教科書だとしてもヘブライ語で授業されたら、どんな気分?
ヨッシャー、全然なに言っているのかわからないけれど、頑張って宿題やるぞーってなる?
ならない、普通は。だっておもしろくないもん!
こうした考えから親技では今の相談者の状態で親が手を離せば、子供はこれから奈落の底に落ちていく。そして浮上せずで受験となるでしょう。小5の壁に子供はぶつかってるんだから。その壁は今までよりもちょび高いのよ、壁の高さが。
今までと同じ走力じゃ、ジャンプできないようになってる。このままの状態で小6の入試演習の壁にぶつかるともう原型をとどめないくらいペシャンコになる。小6の壁についてはここでは触れないでおきましょう。
ここで先日いただいた中学受験コースの方のメールから該当部分を紹介しておきます。
4年生の後半から、そろそろ本人が自力突破できるように自分で考えて自ら勉強出来るように、親は環境だけ整えて見守ってくださいと言われていたので、5年次から手を離してみたら、一時は57まで上がっていた算数が夏休み前には49まで下がりました。
そこからメルマガを知り、あわてて申し込んで夏期講習も申し込まずに自習で復習したのですが、やっと4年次終わりの成績に戻りました。
算数だけではなく、理社も57や62と、劇的に上がりました。やはり親がつかないといけないんですね。
親技では塾の先生とは逆にこういうコメントしか読んだことがないので、困っちゃう・・・
ホント、ダメですよ、「こうあるべきだ」でモノを言ったり考えたりしてちゃあね。何回も目の前で実験して再現されることを言わなくちゃあ。
このメルマガが「勉強の常識」ではなく、「新勉強の常識」となっているゆえんでもあります。
戻すのに半年近くかかる。もしこの方にこれが起こったのが1年あとの小5年の後半で手を離していたら、受験生のこの時期に元通りに戻せたか。たぶん無理だったでしょうね。だから時期もある。
さあ、ここまでの前段を踏まえて、相談者の悩みに答えるとして、最初に提示した
◆中学受験に向けての決意と覚悟の問題
◆年の離れた兄弟がいるときの子供の心境
◆勝ち癖、勝った経験の問題
◆管理とチェックの問題
これについて触れますか。
ええ、長すぎるって!?
ですよねえ・・・それではこれについては次回に書きます。その前に今回のところ、何度も同じようなことを書いていますが、よくよく読んで復習しておいてほしいです。