こんにちは、ストロング宮迫です。
しばらく前にいただいていた今春高校入試を終えたけいさんからのメールを紹介します。これまでけいさんからいただいたメールをピックアップして紹介しながら最後に受験報告を読んでいただくとしましょう。
けいさんはご夫婦はじめ親族、親戚などの多くが国公立医学部ご出身だそうで、お子さんもその方面に進むつもりでいるとのことです。
ただご夫婦がお医者さんで
共働きですので、小4のとき、
学童保育に預けられなくなるかわりに
徒歩5分の大手塾を見つけ、行かせた
だけで、塾に行かせ始めてから、そこが「中学受験塾」であることに気づくような状態からのスタート。
本人に、受験への強い意思を持たせていく家庭の雰囲気では決してありませんでした。
とにかくお仕事も忙しかったのでしょう。
小さいころは、屋外の自然にできるだけ触れ、いろいろ体験することがまず大事だと思っていました。
・・・とにかく勉強の癖がついておりませんでしたので、塾の勉強を一緒に始めたときは、鉛筆の持ち方、姿勢すべて出直しという感じでした。
本人も、勉強を嫌がり、机につくまでに、家の中を、何周も追っかけまわしたりなんてこともしょっちゅうでした。
でも、その一方で、一緒に春の七草を取りに行って、ベランダに植えたり、池の水を取って、顕微鏡でプランクトンを探したり、社会のテキストを持っていって、地名を確認しながら、電車の旅をしたり、角度バトルとなづけて、図形問題を解く競争をしたり、私も新鮮な気持ちで、勉強していたつもりでした。
しかし、けいさんは、
超トップ層ではないものの、まあまあだったと今では思いますが、
昔、どこでもほぼいつもトップだった私には、
どうして100番以内の成績優秀者欄に、
コンスタントに名前が載らないのかと、ずっと不満でした。
自分にとって当たり前のことが、子供に当たり前でない時、親は腹を立てる。
ただ腹を立てても、子供もない袖は振れない。
まあ、そこからが「親の修行」たるゆえんなんですが、ついこうなってしまうもんです。
塾での予想外の苦戦にいらいらして、
頭が悪いとか、馬鹿とかいって、
たたいたりして宿題をやらせていました。
それでもけいさんも、お子さんも頑張ったんでしょうね。
幸いにも
小6の夏休み明けに偏差値66をとりました。
約束を破るのも良くないと思って、偏差値64を超えたら買う約束だったゲーム機を買ってしまいました。
その後、親子ともに徐々に気が緩み、それでも、秋には、模試で合格圏内でしたのに、正月過ぎから一気にやる気をなくし、毎週の塾のテストのたびに、クラスが落ち、そのまま・・
まさか行くとは思っていなかった地元の私立の中高一貫校に進学することになったんですね。
そもそも自分たちと同じように「公立中学でイイ」と思っていたのが、学童保育の代わりに入れた塾で方向が変わった。
なかなか思い通り、考えた道筋はたどらないものです。
※この毎日親技は2011年6月19日に配信したものです
そして、中学に入学。
中1 5/15
生活全般に覇気が無い状態です(のではなく、やる気を引き出せていないのですよね)。
このままでは学業うんぬんの前に、人間として成長できないのではと危惧しています。いわゆる高学歴、共働き夫婦で、中学受験失敗の例です。
親から変わらなければと思い、ほったらかしの家の中の整頓から始め、子供もほめてほめてと思っているものの、いつの間にか、小言に変わり、子供も元通りの毎日です。
何とかしたい、母親自身も変わりたいの気持ちでいっぱいです。
中学入試の最後の失速のまま、中学入学後も無気力な状態で、勉強どころか、「人間として・・・」という状態であったと。
こういう状況の中で『10の鉄則』を読んでいただき、ノリ勉を実施してくださった。
『10の鉄則』の感想 6/19
自分の子だから、やればできると思っていました。
しかし考えていた方向とずれ始め、この子は頭が悪いんだ、将来どうなってしまうんだろうと、絶望的な(大げさですよね)気持ちになっていました。
10の鉄則を読んで、私が変わろうと努力すればいいんだと思うことができて、未来が開けた気がしました。
鉄則の実行は、結構難しいです。
でもだからこそ、いままでのこじれがあったのだろうし、トライアンドエラーでやっていくしかないですよね。
中1で鉄則に出会えてよかったです。
もっと早くに出会えていたらもっとよかったのだろうけれど、たぶん昔では、受け入れることができなかったと思うので、今のこの出会いを大切に、成長していきたいです。
ノリ勉英語の感想 6/19
ノリ勉英語に参加しました。親子で勉強する感覚が戻ってきたようです。
再度出直しできそうでうれしいです。
中間テストには間に合わなかったけれど、次の期末に照準を定めて、一歩一歩行きたいと思っています。
中2 6/4
中1の前期中間が、1学年75人中35番、期末が48番、後期中間が22番、そして締めの後期期末は2番でした。
この喜びと、感謝の意を、ストロング先生に報告する間も無く、本人が一気にやる気をなくしたため、対応に苦慮していました。
今は、中2前期中間テストを控え、先日のメルマガにあったように、「迷うより、目の前の一点をあげることに全力を」、と日々心の中で念仏のように唱えながら
「トライ、かなりエラー、時々ヒット」
の毎日です。
と、こういう軌跡を描きつつ、中3、そして高校入試を迎えることになった。
中学受験の失敗、仕事で忙しい親、やる気の喪失、私立中高一貫校に進みながら高校受験を選択したため、公立中学に受験間近で転校しなければなからかったなど、決して平坦ではなかった高校入試への道。
最終的には最難関の高校に入学を決めたけいさんの入試回顧を読んでいただきましょう。
高1 5月
ずいぶん報告が遅くなって申し訳ありません。A高校に進学いたしました。本当にありがとうございました。
振り返ってみて、まだ3年しかたっていないことに、そして、ようやくぼちぼちと家の片付けをしているのですが、彼と一緒に過ごした3年間に作った、いけドンシートの山に、ただ感無量の日々です。
『10の鉄則』で何が一番良かったか。
それは、先生方へのアプローチの仕方が、180度変わったことだと思います。
悩みのどん底の中学入学当時、中学受験では、面談もほとんどいかなかった親でしたが、まずは学校の先生にお願いに上がることにしました。
何回か、お願いに上がったのですが、まだお若く、ご自分の情熱に酔っている先生のようでしたので、諦めて、つぎは塾の先生にお願いに上がることにしました。
しかし、これも、私が先生の言葉に癒されているだけということに途中で気づき、塾をやめました。
最後に、中学受験のときにお世話になった塾の室長先生にお願いに上がりました。
この先生はこわもての先生だったので、最初にお電話したときは声と手が震えたのを今でも覚えています。
この先生でだめだったら、もうあとがないと思っていたので、最初は、本人との面談、テスト勉強の計画の提出くらいを指導いただくだけだったのですが、何回もお願いして、とうとう先生からの直接のご指導をいただけることになりました。
中学受験失敗の、苦い思い出の古巣で、先生から、本当に心のこもったプリント指導を頂き、中一の最後のテストでは見事学年2番をとりました。
同時に、個別指導塾では、体系数学を全部コピーして作った、いけドンプリント(もどき)を持たせ、管理し、指導学生さんにやる気のなさそうな人が当たると、即塾長先生にお願いして変えていただきながら通わせました。
とにかく先生という先生にアプローチして、トライアンドエラーをこころがけました。
次に良かったのは、ストロング先生の明るさです。
自宅では、ノリ勉からはじめました。
最初は、このまま不登校になるんじゃないかと心配した、無気力のどん底だった子が、ノリノリの英単語で見せたほんの少しの眼の輝きには、本当にびっくりしました。
これでいけると思いました。
しかし、30点上げよう会、親カツ講座と、レベルが上がり、親カツのすきま勉強法のあたりで、まず挫折しました。
一時期、やっぱり親の私が一番だめなんだと落ち込み、パソコンも見ない時期もありましたが、メルマガの良いところですよね、押し付けは一切ありません。
しばらく放置。
そしてひさしぶりに開けたメルマガに、なんとタイムリーにも完璧を目指すな、テキトーでよいとの先生の明るい言葉があり、本当に救われた思いがしました。
それでも、それから必ずしも順調ではありませんでした。
親に黙っての中古ゲーム機購入、遅い帰宅時間、中3夏休み終了までの、連日のゲーセン通い、学校の成績の低迷、もろもろ。
そして、中3の夏休みが終わりました。
秋口、突然、首都圏最難関高校を受けたいという子供には、あいた口がふさがりませんでした。
とにかく都会のレベルの高い大学にいきたい、それにはB高校しかないというのです。
相手にしない私たちに、B高校に受かるくらいのつもりで勉強すれば、ほかのところは受かるから、と言い方を変えてきました。
やる気のまるでなかった子が少し進歩したのだからと、それで勉強する気が出るのならと、表向きは協力することにしました。
急遽学校説明会に応募し、そこで知った、塾の無料模試も受けにいきたいというので行かせました。
塾のホームページに一人だけ載せられていた体験談の子が、同じ県だったということだけで、ホームページをじっと見つめていました。
そして当然のように突きつけられる散々な結果。
どんなに結果が悪くても、へこたれず、この分野は良かった、判定と本番は違うと言い切る我が子は、馬鹿じゃないかと内心悲しく思ったこともありました。
通っていた私立中高一貫校から、公立中学に変わらなければ受験できないといわれた12月。
これで受験は諦めるだろうと思った子供の言葉は、転校する、受験はやめないでした。
いつの間にこんなに精神的に強くなったんだろうと思ったものの、親はあちこち頭を下げ、手続きに走り、あっという間の年の暮れでした。
しかし、年末年始は、東京の塾までB高校コースを受けに行き、とてもうれしそうに勉強する子供の表情を見て少し救われました。
年明けに返ってきた、年末に受けた駿台模試の結果は、なんと全国3科100番以内でした。
それでも、どこにも受からなかったらどうしようという不安が消えない親を横目に、偏差値の低いところは、受かってもいかないから受けないと言い切る子供。
これまた問題児の下の子も中学受験だったので、嵐の冬でした。
A高校は、楽勝だったらしいです。
中学受験で落ちた地元のC高校も難なく受かり、東京のB高校は落ちました。
手ごたえはあったらしく、自信のある英語で時間配分を間違え、これまた得意科目のはずの数学で消さなくてもいい、解答できた問題を最後に消してしまったことを、すごく悔やみ、B高校入試終了後は腑抜け状態でした。
しかし、まもなく、中高一貫生は、とっくの昔に先に進んでいるからと、勉強を再開し始めたとき、3年間苦しんで得たものはこれだったのだと、思いました。
入試の簡単さとは、裏腹に、進学したA高校では結構苦しんでいるようです。
しかし、2つの中学校では得られなかった、希望を同じくする学友に支えられて、明るくがんばっている我が子に、中学受験のとき、だめな親で本当に申し訳なかったけれど、おかげで本当に親子で成長できたね、これからもがんばろうと、エールを送っています。
ストロング先生、本当にありがとうございました。
3年後の、本当の勝負の大学受験で、もう一回よい報告ができるよう、トライアンドエラーでいきます。今度帰省する夏休みが勝負だと思っています。
また、下のでも相談をお願いすることがあると思います。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
まだまだ続く旅ですが、けいさん、ひとまずお疲れさまでした。
「今度帰省する夏休みが勝負だと思っています」これがすべてを語っているようにストロングは感じます。
読者の皆さんが今回のけいさんの体験記を読んで、ヒントが1つでもあり、感じるところがあれば、幸いです。
けいさんがおっしゃった
「トライ、かなりエラー、時々ヒット」
は、これからボクも使わせていただこうと思っています。
しかし、どこの家庭でも、それぞれみな「波乱万丈」なんですなあ。きっとそれぞれの体験が「大きな財産」となって子供たちが成長した暁にはなにものにも代えがたい「宝物」になっていくと確信しています。
さあ、宝物探し、諦めずにやりましょう!
その際のモットーは、
「トライ、かなりエラー、時々ヒット」ですぞ!
テスト結果報告、続々と・・・
小6 りょうかなさん
こんにちは。成果ありました!小6になるまで全国模試というものを受けたことがなく、3月に3科47.9だったのが5月51.5(算数52.3→54.7国語48.4→52理科43.8→47.5)です。
理科は本人の好きな科目なのでほったらかしていましたが、ここが上がればさらに上がるので夏休みまでに最優先で今後も進めてアップ狙っていきます。
今まで同じところをグルグルめぐっているような気がしていましたが、今回成果を実感でき子どももやる気になってきています。
今まで塾では大きな模試、復習テストというものがなくなんとなく上がってるような気がするといった感覚できてましたが実際数字で表れると本当に嬉しいものですね。
なんといっても子どもの反応が違いました。
第1志望にはまだまだ(目標偏差値60)、よそさまとくらべたら笑われそうな偏差値ですが、これがまぐれにならないようにもう一度親カツ講座見直して着実に(夏休み前に偏差値54狙っています)あげていきます。
「よそさまとくらべたら笑われそうな偏差値ですが」なんてとんでもない。
他人と比べる必要はありません。苦しい受験生です。
「成果を実感できた」ことが大事で、それがやる気の原動力。
「成果を実感」できない受験生はこれから苦しくなるどころか、苦しさで脱落するのが常。
成果を感じ、成績上がっていることが受験生には特効薬。
次は連続での成績アップと偏差値55の壁の突破。
今頑張れる「量」が夏休みも、夏休み以降も頑張れる「量」です。夏休みまで全力疾走で!