ご無沙汰しております、ストロング宮迫です。
まず「英語のエキス」の佐香武彦さんの無事の確認が取れましたことをご報告いたします。
確認はまだ直接連絡が取れておりませんが、昨日3月22日の夕方、佐香さんからお手紙が届くという形での確認です。
いろいろとご心配いただき、また、たくさんの情報をメールでいただきました。
この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
今回の大震災で「英語のエキス」の佐香さんと連絡が取れないとここに書いて10日。
「英語のエキス」の佐香さん
https://www.oyawaza.com/eigo/cat17/
たくさんの方が佐香さんの情報をネット等で探してくださってメールを下さいました。
特に3月20日の午後以降からはメールが集中しまして、
一番最初、3月20日15時37分にかな子さんから
3/13付のメルマガに佐香さんの安否をご心配されている様子が書いてありましたが、ご無事のようですね。
先程、安否確認の検索をして、お名前を見つけました。
岩手県の避難者名簿では見つけられないのは、ご自宅にいらっしゃる方の分は掲載されてないからですね(私の従妹家族もそうでした)。
安否確認の情報が確かなのであれば、ご自宅で過ごされていてご家族も無事とのこと、ほっとしました。まだまだ寒い日が続いていて、必要なものも足りてない状況なので、これからもしばらくは大変な日々が続くと思いますが。(省略)
といただいて、すぐに
16時4分には、ちあきさんからは
NHKの安否情報の検索サービスで佐香武彦さんのお名前がありました。
ストロングさん、佐香さんとご連絡取れましたでしょうか。
情報通りご無事であることをお祈りいたします。
連絡がとれましたらぜひ情報のアップお願いいたします。
といただきました。
「佐香武彦」Person Finder (消息情報): 2011 日本地震
http://tinyurl.com/4vhn8ho
ひたすら各避難所の名簿を確認していたストロングでしたが、「ご自宅にいらっしゃる方の分は掲載されてない」と教えられました。
しかし、ストロングはアホなんでしょうね、
「本当に間違いないのか?」
という思いは募りました。
3月21日以降は、佐香さんが自宅にいらっしゃるという前提で、カセットコンロや衛生用品、食糧、味噌に醤油に塩などを思い付くまま準備し、直接持って行こうと思いました。
新聞報道などによれば、盛岡から佐香さんのいらっしゃる宮古市まで臨時のバスが1日に数便出ているとありましたので、伊丹から飛行機で盛岡に飛び、そこから宮古までバスなら、たどり着けるのではなかろうかと。
そこへ佐香さんから3月22日の夕方、お手紙が届いたのでした。
手紙は3月18日付となっておりました。少し長いですが、紹介させていただきます。
ご承知のように、今回突然の大地震と大津波に襲われました。
誰か、大事な人に伝えておこうと、忘れられないこの日の模様を書き留めておきましたので、どうしようかと思い悩みましたが、勝手ながらご報告申し上げます。
NTTの人に聞いたところ、電話線が回復するのもインターネットが使えるようになるのも、いつのことになるか分からないということでした。
宮古郵便局の人に聞いたのですが、電気がこないので日常の業務が何も出来なく、元に戻るのはいつになるか分かりませんと言われました。
東北新幹線は橋脚がダメージを受けて鉄筋もむき出しになっているようですし鉄道はいつ元通りなるか分かりません。クロネコヤマトも受付はしておりません。
今回の大地震と大津波(東日本大震災)のこと
所用を終えて自宅に帰って間もなくのこと、テレビの”緊急地震警報”を聞きました。
数秒後に立っていられないほどの激震に見舞われ、家内の悲鳴を聞き、外に出る間もなく、机の下にもぐりこみました。
揺れが収まったのを見て家の外に飛び出して間もなくのこと、今度は「津波が来たあ!逃げろ!早く逃げろ!」というただならぬ叫び声を聞いて、そのまま近くの宮古高校へ走りました。
歩いて2~3分のところの建物なのに何と遠く感じたことか・・・
4階建ての建物の屋上から「早く!急げ!後ろから波が来た!早く来い!」と大声で叫ぶ声・・・
やっと辿りついて階段を上りながら、押し寄せてくる真っ黒い波を見ました。
そしてその後も津波の襲来が繰り返されました。数時間、大きな余震に怯えながら避難所で皆が肩を寄せ合いました。(あとで知りましたが、最初の巨大地震の発生から8分後には1回目の”津波”が押し寄せたと言うことでした)
警報は夜になっても解除されることは無く、着の身着のままで逃げましたから、寒さに苦しむ夜を過ごすことになりました。避難所では食料も無く、空腹と寒さに耐えました。
宮古市役所も災害にあったらしいと聞いて、「そんな悲惨な状況では何も期待できない」と避難者も覚悟を決めたと思います。
その夜遅く、町内会の人がパンを配ったものの、全員に行き渡った様子はありませんでした。別の避難所では配られたおにぎり1個を2~3人で分け合ったそうです。
翌朝、宮古市南町一帯は無事だったことを知り、避難所に避難していた人は帰宅しました。
我が家に向かう途中長男にバッタリ会い無事を知りました。息子は中学校の教師をしておりますので、地震直後は生徒たちを守ることで必死だったようです。
その翌日には二男の友人が訪ねて来てくれて、私たちは無事であることを確認してくれました。有り難かったです。
不幸中の幸いですが、南北の堤防に守られていて我が家は信じられないほど無傷でした。
運が良かったとしか言いようのない「コト」に驚きながらも、いざ何かをしようとしたら、ライフラインがズタズタになってしまって、何処とも(市内でさえも)連絡が取れないことを知り、益々深刻さを知りました。
消防署内に設置された非常災害公衆電話を使っても、市内には連絡が取れないことを知らされたのです。
電話が通じなくなったことは考えられても、まさか「ケイタイ」までも、しかも宮古市内でも使えなくなるとは・・・
21世紀の世に、完全な音信不通の状態の下に置かれるとは、誰も考えなかったことでしょう。
私の肉親は助かったものの、家内の兄と娘は波にさらわれてしまったようです。でも、そんな悲しい事実を知っても、「私たちはまだ良いほうだ」と思いました。
全てを失ってしまった知人もいましたし、最愛の肉親を失ってしまった人も多かったです。どの話も、可哀そうで仕方が無いことばかりでした。
万里の長城を思わせるような防波堤や防潮堤も”強大な津波”の前にあえなく砕け散り、宮古市の田老地区は全滅、山田地区は火災も手伝って全滅・・・近隣の市町村も壊滅状態であることを知りました。
翌朝早く、破壊された町の状態を見て歩いて、ただ絶句しました。海岸沿いは全滅であるとは聞いていましたが、繁華街でも自動車が重なり合っていましたし、信じられないことに、町中に大きな漁船や多数の漁具が打ち上げられていました。
鉄橋・・・いえ鉄道そのものがズタズタにされ、津波の怖さ・恐ろしさを知りました。
役所・役場や自治体の長さえも奪って、全ての機能をすっかり麻痺させてしまった津波・・・
死体が転がっているという子供には見せられない悲惨な光景があったようですが、津波の恐ろしさだけは言って聞かせなければならないと思っています。
或る消防団員は、急いで水門を閉めに行って、閉めた直後に消防車もろとも津波にさらわれたと言うことでした。何ともいたたまれない悲しい話です。
テレビなどで放送されるのは、取材が可能であるが故のことであると知りました。
リポーターも足を踏み入れられない場所が多数あるのでしょうし、報道されないところは何事も無かったのではなく、そここそが救援物資も届かない陸の孤島なのでしょう。今後、徐々に色々なところの様子が明らかになっていくものと思われます。
私は、物資面では何も不足していません。コメや野菜は農家から分けて貰っていますし、使い捨てカイロ他の品物も入手しています。
長い列を作って並ぶことは通常なら少しは苦痛なのですが、今回は、そここそが情報源ですので、見ず知らずの人同士で近隣町村のことや郡部の被害状況を教え合い、知らせ合い、支え合っています。
何も無い人たちのことを思うと、並べるだけ良いほうだと思わされます。残された者が「今後の歩むべき道」を教えられているような「買出しの列」です。
年月が経てば笑い話になるようなことなのですが、このところ「湯たんぽ」を愛用しています。ソックスも3枚重ねて履いています。以前2枚までは重ねたことがありますが、流石に3枚は初めてでした。マフラーを巻き、ジャンパーを重ね着して丸まる太った姿でいます。電力を節約し、灯油を節約し、エネルギーを少しずつしか使いませんから、省エネ精神が染み付くことになるでしょう。
昨夜は6時過ぎには床に入りましたが、帰る家が無い人の事を思うと、私のように自宅で、しかも布団で寝られるだけ良いほうだと思います。
不足しているものと言えば「灯油」が挙げられますが、それとて、全く不自由しているわけではありませんので、オンの字だと思っています。
以前「オール電化」を強く勧められていたのですが、臍曲がりの私は「電気が来なくなったら何も出来ないではないか」と逆らっていました。それが現実になろうとは・・・。
相変わらずガスボンベも併用していますので、それを利用して煮炊きしています。宮古市内でも未だに電気や水道が回復していないところがあります。
風光明媚なリアス式海岸が、それ故に”津波”の餌食になろうとは・・・。
悔しくても、「リアス式海岸であるが故に、いつかは計り知れない自然の猛威に襲われる」と覚悟をしておいたほうが良さそうです。
今回は、明治の大津波や昭和の大津波を上回る1000年に1度の大津波に遭遇したのですから・・・。
どんなに立派で頑丈な防波堤を作っても、それは自然の威力には通用しないようです。
或る人が「復興・復旧には10年は掛かるかもしれない」と言っていましたが、それくらいで済むのかどうか・・・「美しい三陸海岸」を取り戻せるのはいつのことなのか。
昨日は、(私が行っている)看護学校の生徒たちが介護施設を回って、寂しさと不安とにさいなまれているお年寄りたちの話し相手になってケアしていたようで、その様子が放送されていました。
嬉しくて仕方がありませんでした。今後は、彼ら若者たちのために(次の時代を背負って立つ人たちですので)尚一層、私のできることをして行こうと思います。
今朝は、テレビ岩手で嬉しいニュースが放映されていました。
やっとのことで田老町まで国道が開通したのですが、自動車は国道から横へは行けません。
ところが大勢の中学生たちが救援物資を背負い籠に入れて運んだり、両方の腕で抱えて配って回っているとか・・・
避難所で待ちわびている被災者たちはどんなに嬉しかったことでしょう。
皆が一丸となって、力強く復興に歩み始めているようです。
今は、世界中が驚くような復興が遂げられそうな気がしています。
勝手ながら、このところの様子を書かせていただきました。
佐香武彦
佐香さん夫妻の無事はなによりでした。ご心配いただいた読者の皆さん、情報提供をいただいた皆さんに重ねて御礼を申し上げます。
まだまだ大変な状況ですが、佐香さんのお手紙にありましたように「子供たちや若者たち」がこの困難な状況の中、真っ先に率先して地域の復興に手を上げている様子は心強くもあります。
東日本大震災発生以来、約2週間、このメルマガを発行しませんでした。
2003年10月にこのメルマガを創刊して以来、初めてのことです。
皆さんもそうだと思いますが、ストロングもいろいろと考えました。
相変わらずストロングにはたいした考えは浮かびませんでしたが、このメルマガが発行されなくて困った人は特にいなかったという点は残念ながらかなり明確になったのではないか感じています。
また、このメルマガ1つをとっても、「社会の平和と安定」があってこそ、成り立っていることも改めて感じました。
別に発行されなくても世の中の人たちが困らないメルマガを延々と7年近くも出し続けるってなんなんだ?と自分に問わずにはいられません。
ただメルマガを発行するしかできない自分もいます。なにかの与えられた役割もあるだろうと。
そんなことを考え続けた2週間。
こんな大変な状態の中ですが、このメルマガの役割でもあると思っているので、あえて1つだけ厳しいことを言わせてください。
今回の東日本大震災によって大きな被害がもたらされたわけですが、その影響で出てきた、たとえば計画停電などは、交通網の混乱や塾の休校など日常生活のリズムを大いに狂わせております。
また、関東地方のお住まいの方のメールに多く出てくるのですが、余震が続いて「なんだか船に酔っている感じ」で常に揺れている感覚があるそうです。
こうしたことが大きく子供たちの勉強のリズムに影響を与えているのは間違いない状況です。
しかし、こうした状況下、普段とは違う状況、リズムの中で塾の休校をこれ幸いと親子できっちり勉強されている方がいらっしゃるのも事実です。
普段よりは勉強も進まないかもしれません。
いつもよりは効率が上がらないかもしれません。
ただ、混乱した外部の状況は今しばらく続いていくことでしょう。
直接的な被害が出てどうしようもない場合は除いて、少しずつ、混乱した中での勉強のペースを確立していきましょう。
いや、そろそろ「混乱時のペース」が確立されていなければならないともいえると思います。
「今は勉強どころじゃないだろ!」というお叱りの声があるかもしれません。
「その場になったらなかなかできるもんじゃない」という意見もあるでしょう。
もちろん、それは各家庭の状況によってかわるでしょうが、「船に酔った感じ」の中で勉強をいつものペースではないけれど、着実に進めている方もいらっしゃるということは知っておいてほしいと思います。
確かにそういう人はいて、日々やり取りをストロングはしていますので。
特に来春に受験を迎える方は今の状況を「いたしかたない」と済ませずに「できることを着実にやる」方向に早く向けてほしいと思います。
実はこの混乱時の「1ヶ月間」とかが大きな差を生みつつある。
そう肌で感じるのです。
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『10の鉄則』の感想、続々と・・・
中2 野ブタさん
子供の勉強へのとらえ方がわかり、本当にその通りだと思いました。
いままで、子供ひとりで勉強させなければと思い、口だけで「もっとがんばれ。」「復習しなさい。」など命令ばかり。反省です。
「鉄則」を読んだ次の日から7.8.9を自分なりに実施。
思春期の息子は意外にも嫌がらず、実行しています。母親の私も息子とともに「親技」を勉強し、来年の春には親子で喜び合えるよう頑張ります。
子供は、口では頼もしいことをいうのですが、実行・努力が伴っていませんでした。
これからは、親がうまく先導・応援・チェックしていけばいいんだと思いました。
これからぶつかあるであろう問題にも立ち向かっていく覚悟を決めました。
「勉強をしない」「勉強をさせられない」理由というのは、本当にたくさんあります。
外部の環境にはそれこそ言い訳の材料はたくさんありますから。
いや、あくまでも自分だ、親だ、家庭だと考えた時、人は落ちこむものです。
でも、そこから這い上がっていく。
それはお子さんに親が求めていることでもあるでしょう。
ともに歩め!ともに悩め!しかし、今日も1歩前へ!