こんにちは、ストロング宮迫です。
今年の夏休みもホント、あっという間に終わってしまいますねぇ…
先日、あるホテルに仕事の都合で連泊したんですが、朝の6時に外に出ると、中学生くらいかな、トレーニングウエアを身にまとった子がいましてね。
ボクは日光を浴びながら、仕事前の朝のラジオ体操ですわ。基本でしょ?
見てたら、野球部でしょうかね、駐車場の車のガラスを前に素振りをしてるんですな。朝の6時に、それも旅先のホテルで素振りなんてカンシンだ!って思ってみてたんですが、1分間に1回ほど「ヘナヘナ素振り」を1回ほどやったら、車のガラスに自分の姿を映して、いろんな格好をして見てるんです。スマホみたいなもので音楽も流してたな。
親に言われたのか、自分でしようと思ったのかはわからないけれど、あれはね、練習じゃないんです。1分間に1回程度チンタラ振るのはさ。
ボクも物好きだからね、出発する前に時間があったんだけど、30分くらいはラジオ体操するふりして見てたんです。まあ、30分で10回だった、素振りの回数が。
そのあともまだその中学生はいたと思うけれど、
オレは毎朝6時には素振りをしてる!
そんなふうに勘違いをさせると、この子にとっては不幸だってボクは思いました。
翌日の朝も同じ光景を目にしたから、毎朝の素振りは日課にしてるんだろうけれど、意味のない努力や勘違いの努力っていうのが世の中にはあります。正確に言えば、努力するフリってことになる。
監督や親が「今日のノルマの素振り、ちゃんとやったのか?」って聞けば、「やった!」と子供は言うだろう。でも、ボクが見る限り、あの中学生がやってたのは、
素振りじゃなく、ズブリかプスリみたいなもんだ。
100万年やっても一切の成果はないと断言できる。やっても、成果もないだろうし、力もつかないだろうし、「これは毎朝の素振りのお陰かな」と感じる瞬間もない、そんな努力のフリをしてても、子供は言うよ「オレ、やってんだけどなあ・・・」ってさ。
ゆえに親技では、そばについて観察しながらやらせる方法を採ってる。真剣に、全力でやる意味を学ぶために。真の努力を知るために。
親技のノリ勉でも「全力でやる30分」からスタートする。
全力でやったら疲れるからさ、だから1時間じゃなくてイイ、10分でもいいんだ。真剣にテーマをもってバットを振る。テストのつもりで解く!
短時間に集中するがゆえに、チンタラ素振りを親は見逃さない。できる問題を全力で、最速で解く。それによって全力でやるという意味を知り、真剣の意味を学ぶ。成果を感じ、真面目にやるって意味もわかるんだ。
「これがお前の全力だよ!その全力でどれだけやるか。それが努力ってことだよ」ってね。
多いのよ、努力のフリがさ~
それが真剣? それが努力? 舐めんなよって。
その上で、そのあとはその全力の努力をどれくらいの量、頑張れるか? そこが問われる。
それは子供一人で最初から考えてできるのか?
親技の答えは「ノー」だ。
だから親が一緒にやる。これが基本だ。それができるなら、わかったのなら、自分でやる道が拓ける。
でね、真面目にやるってタイヘンなんですよ。継続が・・・
少なくとも成果が感じられないと、続かない。鉄の意志だけでは継続できないことはこれまでの幾度となく書いてきた。だから、成果を求めなきゃいけないし、出さなきゃいけない。
成果は出さなきゃいけないんじゃなく、成果が出ないと継続ができないんだ。成果が出る前の前兆でもイイ。「これはきちゃうぞ!」って予感がないと継続は難しい。
多くの子供はまず「真面目に努力する」ってことの意味を知らなきゃいけない。
多くの親は「志望校があるなら真面目に努力するのが当たり前」って思ってるけど、多くの子供は「真面目に努力するってことの意味」を知らない。自分の全力ってどういうものかを知らない子供も多い。それを知らない子供に「真剣に」とか「全力で」って言っても通じない。
だから親技では「テストのつもりで」という。テストでやるときのようにやる、それがわかりやすい真剣や全力だからね。
ただ真面目にやる意味を知ってもそこはもちろんゴールじゃないよ。それは入り口のところだから。
入口に立って、真面目にやる意味を知り、真面目にやろうとする、そして、今度は自分のその真面目さを進化させなきゃいけない。それは成果を出すって部分と大いに関係があるけれど、真面目に「どうやるか?」ってところに必ずぶち当たる。
勉強中にスマホを見ない!
あったりまえだ!だってテストの最中に「おお、LINEがきたわ」なんて、ありえないでしょ?
真面目ってことは真剣にやる、全力でやるってことだけど、自分にうそをつかないってことでもある。鏡に映った自分の姿を見ながら1分間に1回するプスリをやって、「オレはやってる」なんて思えないってことでもある。
話が分かりにくいかもしれないので、ウチの高校生の娘を例に挙げて話を進めてみよう。
ウチの娘は「マジメ」だ。勉強に関していえば「自分にもウソはつかない」ほうだとボクは見ています。つまり、全力の意味や真剣にやる意味はすでに知ってるし、入口に立ったうえで、今もがいている。
もうボクがそばで勉強を見ることはない。自分で計画して勝手にやる。
そのウチの娘が先週「父さんさ、私、ストーカーに追われているの!」って言うんだな。
もちろんボクはなにーーー!?
って言ったのは言うまでもないが、そのストーカーというのが「人」ではなく、「数学」っていうんだな。
数学ストーカーに追い詰められているってわけです。
これは大げさではなく、「あ~あ、数学をやらねばならない、しかし、やりたくない」の道を行ったり来たりしているらしい。
「人」のストーカーはなかなかスッキリと解決することは難しいが、「数学」ならスッキリいけるでしょ!?
だいたいさ、数学や勉強が人を追い詰めることなんてないのよ。それは結局、数学や勉強をどう捉えて、どう処理するかって受け手側の問題だから。
自分の捉え方が間違っていて、加えてその処理の仕方を間違えてるから、自分で勝手にストーカーや怪物にしてるだけだから。
ウチの娘を追いかけまわしてる「数学ストーカー」は「数Ⅱ・B」らしい。高校生の子供たちで数学のチャートがこの夏休みに宿題だったりした子もいるでしょう。
文系のボクに数Ⅱを聞かれても困るけれど、ストーカーに付きまとわれてるならば、オレの出番だ。
チャートは1ページに「例題」と「Practice」という構成になっているらしい。
1学期の復習としての「数Ⅱ・B」の宿題が90ページほど出てたみたいです。つまり90問だ。「例題」と「Practice」を分けて考えるなら180問が宿題ってことになる。これが多いのか少ないのか知らないけれど、休み明けのテストは「Practice」から出るらしい。
8月の10日から3日間かけて、この90問をやると計画して、やったらしい。
チェック表を見ると、「Practice」90問のうち、1回目で49問間違ってる。
3日間かけて半分以上間違えつつ、90問やり通して、間違えたものは解説を見て「理解をした」そうです。
1学期の2回のテストで娘の「数Ⅱ・B」のテストは平均点よりやや下ってとこだ。そんな平均点娘が「宿題を全部やろう!」なんてすごいじゃないか。
でも、このやり方では「数学ストーカー」に追いかけられることになるのも必定だ。
親技でも、ここで何度もダメよと指摘してる点をウチの娘もやらかしてる。
テストに「Practice」がたとえ出るとしても、平均点娘がまず最初にやるべきところは「例題」だ。まずはここね。
まあ、「Practice」っていっても、「例題」の類題みたいなもんだから同じっちゃ同じだけど、アホはまずは例題から、これが基本だ。
さらにダメなのは平均点娘が「全部やろうとしてる」点です。できるわけないよ。
定期テストで平均点だった、時間が経てば忘れるものも出てくる。親技でいう「ABC勉強法」でやる「鮮度を腐らせない勉強」を日々の勉強で繰り入れていなければ、半分は忘れてしまうだろう。特に平均点近くの子はね。
実際に8月の10日から3日間かけて90問やって、「理解した」つもりで、10日経った8月23日から2周目をやったらしい。
もうわかりますよね?
そう、1回目で間違った問題をほとんど間違えた・・・
1回目で90問中49問を間違え、その49問を10日後にやってみた結果、49問中46問を間違えた・・・
そこで数学ストーカーが出てきたらしい。で、「数学をやらねばならない、しかし、やりたくない」の往復を一人でさまよってた。そこにボクが帰ってきたってわけです。
「お前さ、アホなん? アホは例題からよ。今まで何回も言ってるだろ?
Practiceがテストに出ても構わない。それでも例題からやる。テストで平均点でも、それを下回っても構わない。例題から、いや例題だけやれよ。
で、全部で90問だろ。2割の18問は捨て問にして一切やらなくてよろしい。
でさ、お前、自分がアホって自覚がないとダメだよ。アホが悪いんじゃない、アホだって自覚がないところがダメなんだよ。
よく1回目を間違えて、2回目を10日後とかにするよな?
お前、自称天才かよ。間違えた、解説を見た。わかった気がした、じゃあ、すぐに2回目をやれよ。それが基本だろ?」
とまあ、ここでいつも書いてるようなことを言いました。
「わかってるんだけど、今度はそれを実感したよ、父さん。怖いわ~数学ストーカー。もう付きまとわれたくないから、言われた通りやってみるわ」
苦手な気持ちがある科目は「鮮度がすぐダメになる」んですよ。定期テストで勉強したら、それまでになる。日が経てば冷蔵庫に入れない限り、腐るよ。冷蔵庫に入れてても腐ることだってあるのにさ。
これは中学受験でも高校受験でも一緒じゃない?
90問一通りやり通しましたってなんの我慢大会だよ~( ;∀;)
それくらいなら、まずは10問、「例題」でも「Practice」でもカモンカモンってなる状態を作らなくちゃいけない。
1回やりました。間違えました。理解しました。10日後にやりました。また間違えました。辛いです・・・これはアホって言わずなんという?
こういう「点の勉強」は先につながらない。面で押さえていかなきゃさ。
この前書いたけれど、90問の陣取り合戦なんですよ。いかに自分の陣地を面で増やしていけるか。90問中10問は絶対に獲れます、自分の味方です、そういう戦いをせずに、1番はいけると思うんですけど、2番はどうかな、ちょっと自信がないかも・・・なんて、勝てる闘い?
戦いにおいて、持てる資源はできるだけ短期で集中的に投下しなければなりません。
90問だろうが300問だろうが、まずは20%を、自分が獲れそうなものを選んで我が手中にする。それが王道でしょ?
親技では、3つのステップといってるけれど、「理解する→解ける→速く解ける」このステップは続けてやるほうが効率がイイ。
すなわち「やった、間違えた、解説読んだ、理解した」ここで終わるとすべての努力もかけた時間も無駄になる。
「やった、間違えた、解説読んだ、理解した、もう1回解いたら、できた」最低限ここまでやらないと、10日経ったら元の木阿弥になる。
本当は「やった、間違えた、解説読んだ、理解した、もう1回解いたら、できた、そのとき、どこを間違えたのかも言えた」ってなれば、鮮度が保てる期間が長くなる。
「理解する→解ける→速く解ける→上がり!」となれば、何年経っても忘れない。
「理解した」というところで終わる勉強を100万年やっても成果は出ません。
わかっちゃいるけど、できないなら、成果のないまま、受験を迎えるしかない。
「数学をやらねばならない、しかし、やりたくない」の往復は時間もかかるし、真面目な子供ほど長くとどまってる可能性がある。それは最初に書いた「プスリの中学生」と同じ、「オレ、やってんだけどなあ・・・」
それは、捉え方と処理の仕方の問題。
90問やって49問も間違えたら、誰だってやりたくなくなるよ。ボクだって、あなただってさ。イヤだもん。できないって最初から思うしさ。
例題ならできるんじゃない?
例題もできないって!?
答えを写しなさい。理解しながら、解答解説見て理解できたと思えるなら、まだ自力でいける。その代り、すぐに自分で解いてみなさい。どっかに引っかかるんじゃない? 引っかかるところができてないところ。それを見て、もう1回解けばいい。何回でもやればイイ。ああ、こういうことねってなるまで。
半分以上間違えてもやり通す力があるなら、それはカンタンだ。ウチの娘は1回目でできたものをもう1回やるところからスタートした。
これはね、比較的取り組みやすい。だって1回目はできたから。それが素早くできれば40%ゲットですよ。これで平均点に行くかも・・・
じゃあ、今度は20問捨て問設定してから間違えた問題の例題にチャレンジ。間違えたら解説見て理解して、すぐもう1回。
覚えたってイイんですよ。過程も途中の式も全部書けるなら。
それができたら・・・
「父さん、やっぱりPracticeも、もう1回やったほうがいいよね?」
「別にしなくてもイイよ。例題がキッチリできてたら、Practiceだって半分以上は必ずできるから。例題をもう1周するもよし、自信のある問題だけはPracticeをやるのもよし。平均点でも構わない、下回っても構わない。ただし、今回、石にしがみついてでもってやった例題だけはテストできちんとかければよろしい」
そんなんで大丈夫かって!?
次があるもの。ここがゴールじゃない。こうすればいいんだ、これでやればいいんだなって思えるものに出会えるほうをボクは優先する。成果を求める。前兆を重んじる。
継続するためにはどうしても必要なものだから。
道のりは長い。できることを真剣に、全力で頑張ればいいんだよ。それが努力するってことだから。