坂田ジュニアゴルフ塾に学ぶ > 坂田信弘とは?

坂田信弘とは?

週刊ゴルフダイジェストで紹介されている坂田信弘プロフィール

京大中退からゴルフを目指した異色プロゴルファー。主として週刊ゴルフダイジェストを根拠として漫画の原作、競技観戦記、レッスン書、レッスンビデオなど八面六臂の活躍をしているが、現在は次代のゴルファー育成のため開始したジュニア塾の塾長として脚光を浴びている。スウィング型を作るための「ショートスウィング」を提唱。

sakata1.gif

  
Wikipediaに出ている坂田信弘プロフィール


1947年10月11日生まれ。熊本県熊本市出身のプロゴルファー、漫画原作者。ジュニア・ゴルファー育成組織である「坂田ジュニアゴルフ塾」主宰。

京都大学在学中に親が亡くなり、残った家族に仕送りをするために中退して自衛隊に入隊した。任期満了退職後はプロゴルファーになるため、研修生生活を経験、28歳でプロテストに合格した。

プロ転向後、しばらくはツアープロゴルファーとして活動していたが、獲得賞金は276万1799円であった。

その後、作家・レッスンプロゴルファーに転向して才能が開花する。坂田自身が自衛隊員として活動していたこともあり、そこで培ったスパルタ教育を生かして厳しい指導をすることでも大変有名だが、多くのプロゴルファーを輩出しており、名指導者としても知られていることから、たびたびテレビ番組で取り上げられている。

1966年 - 兵庫県立尼崎北高等学校卒業。
1967年 - 京都大学文学部東洋史学科中退。
1969年 - 自衛隊体育学校に特別体育課程学生として入隊。
1971年 - 陸上自衛隊を任期満了退職し、栃木県の鹿沼カントリー倶楽部にて研修生生活に入る。

1975年 - 28歳でプロテスト合格。
1984年 - トーナメント生活の傍ら執筆活動開始。
1988年 - ナイジェリア・イバタン・オープンにて優勝。
1993年 - 坂田ジュニアゴルフ塾を開校。
1994年 - 『風の大地』で、小学館漫画大賞受賞。
1996年 - ゴルフ界特別功労賞受賞。


 
 
BS-TBSで紹介されている坂田信弘プロフィール

22歳、苦学生だった京都大学時代、坂田は自分が進むべき進路に悩んでいた。そして恩師、当時、京都大学助教授だった森毅に相談を持ちかけた。森は、坂田を見つめ、こう答えたという。

「お前、プロゴルファーにならんか?」

この年、ゴルフ界に"ジャンボ"の愛称で親しまれる尾崎将司がデビュー。新しいスターの登場に沸いていた。そして、青木功とともにゴルフブームを巻き起こしていたのである。

プロゴルファーを進路と定めた坂田は、しかし何故か、自衛隊に入隊するのである。それには、坂田流の"もっともな理論"があった。"給料をもらって飯を食いながら、自分の身体を鍛え上げるのにうってつけの場所は、自衛隊しかない!"という。

2年で満期除隊した坂田は、そこからはじめて、本格的なゴルフ修行をはじめる。プロテストを受けるために、鹿沼カントリークラブの研修生となり、そこではじめてゴルフクラブを握ったのである。

24歳からのスタート。プロを目指す常識から6年遅いと言われていた坂田は、そのハンデを努力で埋めるべく、懸命にゴルフに集中した。そしてこの時から、坂田流のゴルフ理論は構築されてゆくのである。

それから3年11ヶ月後、坂田はプロテストに見事合格。当時としては異例の早さだった。しかし、ツアーで頭角を現すという"夢"は、ついに叶わず、ツアープロとしては、わずか一勝しかあげられなかった。

文才があった坂田は、雑誌や新聞にコラムなどの連載をはじめる。独自に培ったゴルフ理論でレッスン書を著わし、その具体的で明快な指南が人気を集めた。また『風の大地』など、手がけたコミックの原作が大ヒット。執筆活動で、たちまち莫大な収入を得るようになる。

しかし、ゴルファーとしての坂田は、「今度予選落ちしたら引退パーティーを開いてやるよ」と同僚たちに言われてしまう始末だった。

そんな時、坂田の元に故郷・熊本に開校するジュニアゴルフ塾の塾長就任の依頼が舞い込む。
その明快なレッスン法で、未来のトッププレーヤーを育てて欲しい!

自分が成し遂げられなかった夢を次の世代に託す!坂田は快諾した。
そして坂田は、この夢に、年間7000万円もの私財を投じることになる。
そしてこれが、坂田のライフワークとなる。現在、坂田ジュニアゴルフ塾は、全国に6カ所。およそ350名の生徒が学んでいる。