その22「私と妹を会わせたいがために息子はプロゴルファーを目指した」
もう余計なコメントは挟みません。
「親ってなんなのか?」皆さんがそれについて考えるヒント
になれば、本を一生懸命入力した甲斐もあるというものです。
坂田信弘劇場、どうぞ!
坂田信弘著「山あり、谷あり、ゴルフあり」より
その二十二
私の長男は、ツアープロを目指しての修行の身であります。
プロゴルファーの息子だからプロを目指す。その考えと行きゆく流れ、当然と言えば当然でありましょうが、実情は違っていました。
私は、息子がプロゴルファーを目指した理由を知らなかった。
03年3月に放映された「ゾーン」と言う番組の放送時まで、知りませんでした。
番組で、息子はプロを目指した理由を語っていた。
雅樹が小学4年のときの出来事。長女寛子は小学1年だった。
当時私達は福岡県豊前市中村の雇用促進住宅で暮らしていた。
ある日の午後、雅樹が学校から帰ってきた。寛子が住宅の砂場でひとり遊んでいた。
「ひろこ!」と雅樹が叫んだ。
普段は「おにーちゃ-ん」と兄の元に駆け寄る寛子が、そのときはうつむいたままだったという。
寛子はうつむいたまま、泣いていた。
雅樹はその場にしゃがみこみ、「苛められたんか」と聞いた。
寛子は激しくかぶりを振って、呟いた。
「お父さんに会いたい」
この時、小学4年と1年の兄妹二人、どうしたらお父さんが家に帰ってきてくれるかを砂場の中で相談した。
その頃の私は、ツアーを追いかけるだけの生活だった。予選を通れば土、日曜日、家へは帰れない。
しかし私は予選を落ちても帰りはしなかった。
帰る為の交通費は勿体ないと考えていた。その時間を勿体ないと考えた。総てを練習と翌週のトーナメントに当てていた。
小学校も高学年になろうとする雅樹は、野球に夢中だった。父親がプロゴルファーとは言え、ゴルフなんぞに何の関心持っちゃいなかった。
しかし二人で相談したその結論が、
「僕がプロゴルファーになりたいと言えば、お父さんは僕にゴルフを教えるために、今よりは帰ってきてくれるかも知れん」だった。
あるとき、雅樹は私に「プロゴルファーになりたい」と言ってきた。
「そうか......」と答えた私は他には何も言わなかった。
雅樹は野球の友達と分かれ、独りぼっちのゴルフの道に入っていった。
私は雅樹に自分の使い古しのクラブを渡した。太いグリップのクラブです。
シャフトも硬いX。それを小学4年生に使えと言った。子供に対して無頓着すぎた。残酷だった。
少なくともシャフトだけでも柔らかく、グリップだけでも細く替えてあげれば良かったと、今になってそう思う。
雅樹は太くて硬くて長いクラブで球を打ち始めた。
そのため左ヒジを曲げて打ち始めた。本能的にそうでなけりゃ打てないクラブだった。
雅樹は今、28歳になるが、未だにそのクセが残る。そのクセをなくすために、雅樹はずいぶんと時聞を費やしていると思う。
私の無知、無頓着が子供に背負わせた結果だった。
私はその後も家に帰りはしませんでした。
旅から旅の生活を送っていました。
雅樹のことも結局、放ったらかしだった。
その雅樹に初陣の時がやってきた。
九州ジュニア選手権である。中学1年となった雅樹は、優勝を目指した。
優勝できずとも3位までなら全日本ジュニアに出場できる、そこを今回の目標とした。
初日のスタートホール、雅樹はティショットでOBを打った。トリプルボギー。そして2番、3番、ダボだった。スコア80。
雅樹の初陣は終わった。ラスト3ホールは、いかなる奇跡が起ころうとも、どうにもならんスコアだった。
己の夢、破れる。
そのことを一歩一歩の足取りで自分の体に叩き込んでいったラスト3ホールだったと思う。
今の、私であるなら雅樹を褒める。
出だしで崩れ、それでも80で上がったじゃないか。4香から18番まで1オーバーは立派だったと。
でもそのときは褒めることはできなかった。
私は結果だけを見る男だった。
80というスコアだけを見ていた。父に帰って来てと無言で訴え、大好きな野球までも辞めた我が子の気待ちがわかっていなかった。
時、過ぎて久しぶりの帰宅。
雇用促進住宅に戻っていた私は、夕方、雅樹が中学から帰るやいなや、玄関の板の間に正座させた。
雅樹は帽子を取った。あいつはずっと坊圭頭だった。
私に叱られるのを察知した雅樹は、両手を握ってヒザの上においていた。女房が、雅樹の右横に座った。寛子は左横に座った。
寛子は小学4年になっていた。
私は言った。
「日ごろの生活、日ごろの練習、日ごろの勉強、全てが中途半端だからこんなスコアになるんだ」
「世間は、中途半端なヤツを応援しない。万が一お前がプロになったとしても、それはまぐれであって世間の迷惑になる」
雅樹はじっと下を向いていた。女房も寛子もうつむいていた。
そして私は口にしてはいけないことを言ってしまった。
「父として、プロゴルファーとしてのお願いだ。ゴルフを辞めてくれ」
その瞬問、雅樹はボトボトと涙を流した。私は男が泣くのかと叫んで、丸刈りの雅樹の頭を拳骨で殴った。
3発、4発。雅樹は声を上げて泣いた。
寛子が私の右足にしがみつき、
「おにいちゃんを苛めるのはいやだ」と叫んだ。
私は寛子を突き飛ばした。寛子は泣き叫んだ。女房が顔を上げた。その目がとても澄んでいたことは覚えています。
「雅樹を育て間違えたのは私の責任です。謝ります」と言った。家に帰って来ない亭王に謝ってきた。私は子育てなんて一回もしていない。
それでも女房は謝ってきた。女房は静かな声で言った。
「でも雅樹の人格までも否定されると、これから3人、どうやって生きていっていいか分かりません。それだけを教え
てください」
何も言えなかった。
そして私は雇用保進住宅を飛び出していった。
旅から旅、ホテルのベッドで横になっていると、あの日を想い出す。
右の拳に、雅樹の頭の柔らかさと暖かさが残っていることに気づく。
消そうと思ったが消せない。謝って、それで消えてくれるのならとも思うが、あまりに時間が経ちすぎた。
ならば私が死ぬまで持って行こうと思ってます。
この項つづく・・・・