坂田ジュニアゴルフ塾に学ぶ > その38「子供との約束には、信頼の絆が見え隠れしているものだ」

その38「子供との約束には、信頼の絆が見え隠れしているものだ」

坂田信弘著「山あり、谷あり、ゴルフあり」より 


人と人の間には、約束というものがある。

法律で決められたような約束じゃなく、家族の間で自然と交わされる約束事です。

約束である限り、守らなきゃいけない。でもね、往々にして親が破ってしまう。

休日に、遊園地へ連れて行ってあげる、遠くへ旅行に行こう。ところがその約束が、親の都合で反故となる。

子供は悲しいよ。怒るわけじゃない。ただ、楽しみにしていた親との約束が破られたことが悲しい。みんな、その悲しさを抱きかかえ、我慢していく。その悲しさを、親に面と向かっちゃ、言わぬものですよ。

ところがね、父親が約束を反故にすると、子供と一緒に母親も悲しむ。そしてその悲しさは怒りに変わり、父親に向かっていく。

その結果、どう決着するかは、その家庭しだいということでしょうか、怒る母親の隣で、子供は何も言わんよ。

ただ、また約束を破られるのが嫌だ、悲しい思いをするのが嫌だから、だんだんと父親と約束せんようになる。子供なりの、悲しい処世術でしょう。そしてその悲しみは、大人になるに従って、怒りに変わっていくのです。

私は塾生を我が子と思ってきた。

子供にだけは、悲しい思いをさせたくない。だから子供とは、安易な約束はしないと決めている。目先だけの綺麗事でなく、本心で結ばれる信頼があって、初めて約束事は成立するものでしょう。

坂田塾の場合、子供たちと私の間にはゴルフがある。

ゴルフを媒介とした信頼感があって、初めて約束事も成り立つ。だから塾生との約束、守ろうとする。何があっても守り通す。

その一番の約束が、

「坂田塾におったら、プロゴルファーになれるぞ」

ということだ。

だが、これには逆に、

「プロゴルファーを目指さん子は、坂田塾には来んでくれ」

ということでもあるのです。

そして「プロゴルファーを目指す限り、毎日球を打て」と約束させる。

50球でも100球でも300球でもいい。球数の問題ではなく、絶対に毎日打てるだけの球数を決めさせる。

だからその時に「背伸びせんでくれ」と言う。

「毎日700球打ちます」と言ったって、現実にできっこない数字だ。背伸びした球数では、一日はできても一週間と続きやしない。

まして体調の悪いときなど、打てたもんじゃない。

どんなに体調が悪くても、這ってでも練習場まで来て、打てるだけの球数に決めさせる。

これが、私が子供たちに求める約束です。

そして私から子供たちへの約束が、「必ずプロにする」だ。

多くの子が250球とか300球と言ってくる。その球数を毎日打つ。毎日とは、そう1年365日の毎日だ。盆も正月もない。

入塾したら、とにかく毎日打つ。毎日その球数を打ち続けた者、つまり約束を守り通した者が、トップアマとなり、そしてプロテストに合格していく。

ただこの「毎日の球打ち」の約束は、私が塾生に要求した約束だ。子供から申し出てきた約束じゃない。

でも、過去に一人だけ、自分から言ってきた者がいた。それがね、上田桃子だった。

上田は、「毎日400球打ちます」と言ってきたよ。

小学5年のときだった。

「お前、そんなに打てるか?」
「打ったら、プロになれるんでしょ?」
「ああ、なれる」
「だったら、打ちます」

自分から約束の球数を申告してきたのは、後にも先にも上田だけです。

いくら何でも小5の女の子だ。1期生の古閑美保たちだってまだ中学生だったのに、小5の子が申告してきたのです。見事なる覚悟でしたネ。

「自分で決めた球数を毎日打ち続けていれば、必ずプロになる」と教えたのは私です。

私はその約束を守るために、厳しくも当たった。スイングの悪いところ、ここだけは変えなきゃいかんというところについては、殴りもした。

言葉でいくら言っても、頑固な部分は直らない。だから殴り、その悪い部分に痛い思いをさせる必要があった。鬼にでも、何でもなると、私は思った。

その結果、子供たちは強くなった。そして成功していった。

子供との約束は、そこに信頼がなければ成立しない。

その人間の存在が、その子の心の中で大きなウェイトを占めていなければ成り立たないものだ。

私との約束は、塾長との約束だ。

でも子供同士の約束ともなっていっている。

絶対に、破り破られることのない約束となっていったのです。

そんな約束をするということは、少なくとも、一人の友を持つということです。

5人と約束したならば、5人の生涯の友を持つことになっていく。

私は、子供たちにそう教えてきた。

だからね、「約束」というもの、軽々しくはできない。

「だから約束は、慎重にせいよ。そして、したからには覚悟せよ」と話します。

我々大人はいつも約束する。いつでも破れる約束で、障子紙よりも溶けやすい約束だ。

でも、子供たちの約束は違う。特に塾に入った子供たちとの約束は、必死の約束だ。だから私は、いつも子供たちに言っております。

「お前たちをプロにする。そしていつの日にか、世界中、いろんなところを旅するプロゴルファーになってくれよ」と。

今年迄、塾出身者33名がプロテストに挑み、27名がプロテストに通りました。

男子9名、女子18名の合格であり、合格率は8割1分8厘です。落ちた6人もいずれは通ると思います。

何故ならば私との約束、友との約束を守ってきた者たちです。

そして来年、その6人に新たなる挑みの者たちが加わって、プロテストに挑んでいくでしょう。

約束を守った子供たちが......。

皆さんも勉強の約束をするでしょうが、その約束って、

子供が○○します!

という約束で、それに対する「親の約束」ってないんじゃないでしょうか?

子供ばっかりに約束させる!なんてことはないか?

いかがでしょう?

子供が○○します!
そして、それをやったら、絶対成績を上げます!

こういう親はあまりいないですなあ・・・

文中にあった


絶対に、破り破られることのない約束となっていったのです。

そんな約束をするということは、少なくとも、一人の友を持つということです。

これはイイ話ですねえ。

友ではないけれど、鉄の意志で「鉄の約束」を実行している家庭は厳しいけれど、親子の信頼関係がしっかりしているのは、このあたりの感覚に似ているのではないかと思いました。