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佐香さんからの手紙 その2

佐香さんは震災後、目についた記事などを送ってくれます。そのうちいくつかの記事を紹介します。

1つは佐香さんが早くから注目されていたのが重茂漁協。

重茂地区では、震災前814隻あった漁協所属船が、津波で14隻まで減ったそうで、漁船の大量流失などを受け、これまでに北海道、秋田など県外から中古船を購入したほか、使えそうな船を回収して修理、新規発注もして約200隻を確保し、共同運営方式を今回行ったそうです。

佐香さんによれば、

同封のものは、先日岩手日報に載っていた記事を切り抜いておいたものですのでご覧ください。

当初から重茂地区の漁民と組合長には感心することしきりでしたし、これは良い写真だと思っていましたので、自信をもってお届けできます。

 
 
2011年05月22日 岩手日報

重茂ワカメ、喜びの収穫 船に相乗り、大漁55トン

宮古市の重茂地区で21日、震災後初の漁となる天然ワカメ漁が口開けされた。重茂漁協(伊藤隆一組合長)が漁船の大量流失などを受け打ち出した共同運営方式が初めて実施されたが、55トンの水揚げと大漁スタートとなった。ワカメの生育も良く、震災で大きく傷ついた浜に久しぶりに活気がみなぎった。海の状況が良ければ、22日も行われる。
 
 
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【写真=船を共同で使う新方式で天然ワカメを採る漁業者。ワカメを引き上げる腕にも力がみなぎる=21日午前5時38分、宮古市重茂】
 
 
 漁船数が不足しているため、今回はサッパ船と呼ばれる小型漁船1隻につき数世帯が相乗りし、68隻が出漁。午前5時から3時間制限の漁を一斉に開始した。漁業者は箱眼鏡で海中をのぞきながら長さ3メートルを超えるさおの先に取り付けたかまで根元を刈り取り、船上に力いっぱい引き上げた。

 ワカメが岸壁に水揚げされると、待ちかまえていた組合員の家族らが車座になり不要部分を切り落とす。湯通しすると、鮮やかな緑色に変わり、作業する漁業者の表情もほころんだ。

 相乗りで漁をした同市重茂の漁業伊藤虎男さん(49)は「初めてのやり方だったが、協力してうまく漁ができた」と話し「ワカメは長さ2・5メートルもある立派なもの。よく津波に耐えた。漁師だから、海の上はやはりいい」と充実感に満ちた表情を浮かべた。

 浜で作業を見守った伊藤組合長は「皆生き生きしている。この日を待っていた。共同で船を使ったが、うまくいっているようだ。狙い通り」と目を細めていた。

 重茂地区では、震災前814隻あった漁協所属船が、津波で14隻まで減った。これまでに北海道、秋田など県外から中古船を購入したほか、使えそうな船を回収して修理、新規発注もして約200隻を確保するめどが立った。

 漁船はいったん漁協に集約後、地域ごとに割り当てる。収穫作業などの仕事を分け合い、利益も分配する。

 
 

2011年05月27日 岩手日報

定置網漁再開
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【写真=宮古市魚市場に水揚げされたクロマグロ。定置網漁再開で浜は活気に包まれた=26日午前7時45分、宮古市臨港通】

県内で26日、東日本大震災で遅れていた定置網漁が再開した。岩泉町の小本浜漁協所属の漁船が宮古市臨港通の市魚市場に入港し、クロマグロ11匹(645キロ)を水揚げ。浜は久々の活気に包まれた。県内では多くの定置網や漁船が津波で被災。本格的な漁業再開に向けて県は、6月補正予算案に共同利用する漁船や定置網確保の補助として100億円超を盛り込む方針だ。漁場で障害となっている海中のがれき撤去についても全額公費負担とする方向で調整する。

同日水揚げされたクロマグロは1匹25~112キロ。入札で1キロ当たり1700~3340円と例年とほぼ同じ値段を付け、県内や関東方面に出荷された。

漁獲、水揚げしたのは小本浜漁協所属の定置網漁船2隻。震災後2カ月かけて修理した網を25日に同町沖の須久洞漁場に仕掛け、26日午前4時ごろから約1時間で漁獲した。

同漁協理事で定置網漁の総監督三浦文一さん(69)は、例年より約2カ月遅れとなった定置網漁に「網を仕掛けなければ仕事にならない。苦労した分、うれしい。例年に比べて大漁だ」と目を細めた。

宮古湾漁協連合会市場部の佐々木隆参事(56)は「震災後初の定置網漁船の水揚げで、わくわくした。秋漁に向けていいスタートが切れた」と喜んだ。

県定置漁業協会などによると、県内での定置網漁の再開は小本浜漁協が初めて。定置網漁を行っているのは22漁協あり、宮古、重茂(宮古市)、越喜来、吉浜、綾里(大船渡市)など各漁協でも再開の準備を進めている。

県内の定置網は震災前に135カ統あったが、津波で多くが被災。現在は漁場に堆積したがれきが障害となり、定置網の設置さえ困難な状況にある。

そのため県は、定置網や漁船の確保に向けて100億円超を6月補正予算案に盛り込む方針。がれき撤去についても全額公費負担とする方向で予算化を進め、本県漁業の再興を支援する。

県漁連の大井誠治会長は「定置網漁再開の動きは漁業者にとって朗報。漁場で障害となるがれきを早く取り除いてもらうよう行政に強く要請し、漁業再生を図りたい」と話す。


  
 
 

The Japan Times Online Sunday, May 22, 2011

<Miyako seaweed harvest resumes>

Kyodo

MIYAKO, Iwate Pref. -- Harvesting of seaweed resumed in Miyako, Iwate Prefecture, on Saturday morning for the first time since the coastal city was damaged by the March 11 earthquake and tsunami.

Some 20 boats left the port of Omoe at 4:30 a.m. to pick naturally growing seaweed.

"It was a good catch," 24-year-old fisherman Daisuke Tademura said, adding that it will be "a big step toward reconstruction" of the devastated area.

nn20110522a7a.jpgBack in business: Fishermen harvest seaweed Saturday in Miyako, Iwate Prefecture, for the first time since the March 11 quake and tsunami. KYODO PHOTO


Since most of the 800 fishing boats affiliated with the Omoe fishery cooperative were damaged by the tsunami, the association has secured some 60 vessels so members can jointly use them and share the earnings until the fishing fleet recovers, which is expected to take several years.

Meanwhile, in Ishinomaki, Miyagi Prefecture, another devastated coastal city, a sports festival was held at an elementary school where some 60 people have been sheltering since the disaster.

The Oginohama Elementary School urged the evacuees to join its 13 students for the athletic meeting as part of morale-boosting efforts.

N.Y. charity concert held
Kyodo
NEW YORK -- A charity concert for Japan's earthquake and tsunami victims was held Friday night at New York's Carnegie Hall, with a chorus group from quake-hit Sendai performing a show expressing hope for recovery.

The group, Hagi, performed at the Japan-U.S. Chorus Charity Concert for Sendai. The planning for the show was led by Masaki Shirota, 61, a Sendai native who is also a member of the Men's Glee Club of New York, and Hagi leader and Sendai resident Maki Suemitsu, 58, a professor at Tohoku University.

About two years ago, the pair came up with the idea of holding a joint Japan-U.S. chorus festival at Carnegie Hall to deepen bilateral ties. Both had been members of the university's men's choir when they were students.