2010/06/17
成績がイイ子の親だけが知っている!
新「勉強の常識」 No.632
読者数 21,671人
できるだけ毎週水・土曜日発行
http://www.oyawaza.com/
今回の内容
★ストロングのひとりごと
天道、是か非か!?
★親技ファイトクラブ【音声セミナー】
親がそばにつく意味!?
★成績向上委員会からのお知らせ
10の鉄則の感想、続々と・・
★新「勉強の常識」
私の中では、もう答えは最初からでていた!?
★ 「ストロングのひとりごと」
こんにちは、ストロング宮迫です。
この本が今人気だそうですね。
これからの「正義」の話をしよう─いまを生き延びるための哲学
http://tinyurl.com/2fufcll
NHK教育テレビで2010年4月4日から6月20日まで、毎週日曜18:00から全12回で放送されている『ハーバード白熱教室』、そのハーバード大学史上最多の履修生数をほこる超人気哲学講義の待望の書籍化だそうです。
NHK教育『ハーバード白熱教室』
http://www.nhk.or.jp/harvard/
この番組は一度も見たことがないのでなんともいえず、この本も読み始めたばかりなので、感想はまだ書けないのですが、小論文でも書かせるときっとおもしろいでしょうね。
というのも、この本の内容紹介には次のようにあります。
1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?
金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか?
前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか?
つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。
社会に生きるうえで私たちが直面する、正解のない、にもかかわらず決断をせまられる問題である。
哲学は、机上の空論では断じてない。
金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。
この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。
なんだかおもしろそうでしょ?
カンタンにいえば、「究極の選択」を決断をするために考えておくべきことという感じでしょうか。
時代の空気が重苦しい昨今、今の子供たちが大人になった頃は、こうした問いをすぐ目の前で問われ、すぐに答えを出さねばならない時代になっているかもしれません。
ストロングは、この本を読んでいて、司馬遷の「天道、是か非か」を思い浮かべました。
ご存じ「史記」を著した司馬遷は、紀元前の人で、戦いで敗北し相手に投降した友人の李陵を宮廷の中で弁護したため、帝の逆鱗に触れ、宮刑(腐刑)、つまり性器を切り取られる、むごたらしい去勢の刑罰を受けました。天道是か非か
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-215.htm
正当なことを正当に主張して刑に処された司馬遷は、何物をもたのまず、みずからの手によって、人間の正当な歴史を書きのこそうと決意した。
一体、腐刑を受けた人士は、生きながらえるべきではないのに、この決意のため、司馬遷は、あらゆる恥辱にたえて生きのび、懸命に書きつづったのが「史記」である。
その司馬遷が「史記」列伝冒頭に掲げたのが以下の内容です。
原文はこちら 三省堂辞書サイト
http://tinyurl.com/2akazpv
http://www1.odn.ne.jp/kushida/hk_kwb-j/hk_0502j.html
「天は決してえこひいきしない、常に善人に味方する」と言う。それが本当なら、伯夷・叔斉はなぜこのような悲惨な最期を遂げなければならなかったのか。
それとも二人は善人ではなかったというのか。
仁徳を積み、行いを清くして、それでも餓死した。
また、孔子の弟子七十余人のうち、孔子は顔回を最も高く評価していた。
しかし、その顔回は食うに事欠き、ついには若死にしてしまった。
「天は善人に報いる」とは、そもそもどういうことなのか。
反対に、罪のない者を殺し、人肉を食らい、徒党を組んで天下に横行した盗跖は寿命を全うした。
盗跖がどんな良い行いをし、どんな徳があったのか。
これらは甚だしい例であって、近ごろはもっと酷いではないか。
人の道に外れて平気で法を破り、それでも終生逸楽し富み栄える者がいる。
その一方で、善良な人間が禍災に遭遇するのは数え切れない。
善人が悲惨な最期を遂げ、悪人が栄える・・・
現代でも、思い当たることがある人もいることでしょう。
ホントどういうことなんでしょうか?
こうした答えのない問いを身近な例や事件を挙げて、子供たちにときに問うてやるのは、答えが間違いなく存在する勉強を頑張っている子供たちには非常に有意義なことだと思います。
答えのある勉強を真面目に取り組んでいる子供たちこそが、こうした問題を真に考えられると思うからです。
中島敦の『李陵』には、去勢された司馬遷について、
常々、彼は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起こらないのだという一種の確信のようなものをもっていた。
これは長い間史実を扱っているうちに自然に養われた考えであった。
同じ逆境にしても、慷慨(こうがい)の士には激しい痛烈な苦しみが、軟弱の徒には緩慢なじめじめした醜い苦しみが、というふうにである。
たとえ始めは一見ふさわしくないように見えても、少なくともその後の対処のし方によってその運命はその人間にふさわしいことが判ってくるのだと。
司馬遷は自分を男だと信じていた。
文筆の吏(り)ではあっても当代のいかなる武人よりも男であることを確信していた。
自分でばかりではない。このことだけは、いかに彼に好意を寄せぬ者でも認めないわけにはいかないようであった。
それゆえ、彼は自らの持論に従って、車裂(くるまざき)の刑なら自分の行く手に思い画くことができたのである。
それが齢五十に近い身で、この辱(はずか)しめにあおうとは!
『李陵』 中島敦著
http://tinyurl.com/2b2ls8c
歴史を鑑みれば、その人間にふさわしい事件しか起こらない。
しかし、その「腐刑」が自他ともに「男」と信じるこの私にふさわしいというのかと。
中島敦は書きます。
痛憤と煩悶(はんもん)との数日のうちには、ときに、学者としての彼の習慣からくる思索が──反省が来た。
いったい、今度の出来事の中で、何が、誰が、誰のどういうところが、悪かったのだという考えである。・・・司馬遷は最後に忿懣(ふんまん)の持って行きどころを自分に求めようとする。
実際、何ものかに対して腹を立てなければならぬとすれば、結局それは自分自身に対してのほかはなかったのである。
だが、自分のどこが悪かったのか?
・・・・・・
ハッキリしているのは、2000年以上前に書かれた司馬遷の史記が今でも書店で買え、現代の私たちが読めるということ。
ストロングの座右は「天網恢恢疎にして漏らさず」。
朝日新聞社の「kotobank」には「天網恢恢疎にして漏らさず」とは
http://tinyurl.com/2e3m272
《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
とある。
これは果たして本当なのだろうか?
↓↓この本になんかヒントがあればイイですけどね。
一度手にとって見てみて下さい。
これからの「正義」の話をしよう─いまを生き延びるための哲学
http://tinyurl.com/2fufcll
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