子供自身が勝手に自分の持っている能力を発揮し、進んでいく家庭は別にして、「成績がイイ子の親」は「教育熱心」と言えます。一言でくくれば、本当に一言なんですが、勘の狂った「教育熱心」の人が結構たくさんいるなあとこの頃思います。
「熱い思い」は一緒でもその思考方法は全然違う。思考方法が全然違うから成果は断然違う。同じように「教育熱心」なんだけど、段違いの成果の差が出る。
「どうなんでしょうか?」「なんかいいのないですか?」「なんかいいアイデアないですか?」と「熱心な人」は聞きたがります。そこまでは一緒。
問題はそれを聞いた後から。その後から差が出るわけです。その差って何なのか? いいアイデアかどうかは別にして「あるアイデアやヒント」を耳にして、その後どう処理するか。
与えられる情報は同じでも、差が大きく出るのは、子供の能力の差ではなく、与えられた情報をどう処理するかにかかってくるように思うのですが、どうでしょうか。
この音声を聞くにはログインしてください。