こんにちは、ストロング宮迫です。
ちょうど今の時期は中学入試も高校入試の受験生であっても、しばしテストがない空白の期間を過ごしていると思います。
ちょっと一息つける時期というか、のんびりしがちな心持ちになるというか。
でも、親技を駆使する親技者は今の時期こそ頑張ってる。
テストがあるのでいついつまでに、これをしなければならないという縛りがない時期こそ、自由にのびのびと色々な試みができるから。
夏休みの夏期講習でやることになっている単元の復習をする者もいれば、1学期のテストの見直しをする者もいる。
「どうしてあの時のテストでこの問題を間違ったんだろう?」なんてのんびりした心持ちの時にしか考えられないからさ。
たしかに気分は夏期講習前の静けさって感じかもしれないけれど、夏休みに入ってヨーイドンは周回遅れ!って繰り返し言ってきた。
勝負はやる前にあらかたケリがついてる。静かでのんびりした今の時期にどう過ごしているか。ライバルたちはもう走りだしています。
激動の夏休みの成否は今の過ごし方で方向性が決まります。心してかかられよ。
車と一緒でエンジンかけてもすぐ走らない。今の車は性能がいいから、エンジンかけりゃすぐ走りだすけれど、性能が悪い子供たちは、そうはイカの●ンタマです。
「ヨーイ!」の掛け声で慌てて靴を履くくらいが関の山だからね。
しばらく前のツイートでこんなのがあった。2つ紹介しておきます。
今日ではあまりにも多くの戦争が「終わることのない紛争」となってしまった。その理由は、外部からの介入のおかげで「決定的な勝利」と「戦いによる疲弊」という二つの終戦要因がブロックされてしまったからだ。(同下)
— Dr. Masashi Okuyama (@masatheman) 2016年4月24日
ここ半年、取組んできたプロジェクト2つの結論がでた。ひとつはひとまず成功。もうひとつは現時点では失敗。ただ両方ともアクセルベタ踏みでやってきたので、なぜ成功したのか、なぜ失敗だったのかが物凄いクリアにでた。これ以上ないと思える姿勢で臨むと結果はどうあれ手掛かりは見つかるもんだなと
— 燃え殻 (@Pirate_Radio_) 2016年7月13日
勉強もこれと同じ。
ガッと短期集中でやるんです。短期集中には科目もあれば、期間もある。力を分散せずに注力してやってみる。そうしたら、良い結果にしろ悪い結果にしろ、ガっとやればすぐに結果が出る。結果が出るから次への手がかりが得られる。
それを今日もあれば明日もあるさ、明後日も明々後日も弥明後日も五明後日もあるように、ウダウダと、ずーーーと過ごす。
一応、頭には「やらないとなあ」って念は残っているんだけど、やったような、やらないような日々を延々と続けていくのはカラダに悪いよ。
それでも生きてるし、なんとか日々暮らしているけれど、決着をつけないで過ごす半年はマイナスにしかならない。もう取り返すことはできない日々だからね。
チャッとやって、どうだったかを見る。
次に何をすべきかが見えないようなものは努力とはいえない。
努力と知恵が足りないのは、子供じゃなく、親のほうです。先延ばしにした分のツケは必ず払わねばならない。必ずだ。
戦力の逐次投入は避けよ。投入するなら期間を決めて短期集中でぶち込め!ちょうど今がそれが出来うる時期ってことです。
そういう意味で親技者がノリ勉やいけドン法に今の時期こぞって参戦し実践を重ねているのは喜ばしい限りであり、ボクの誇りでもある。
よくわかっていらっしゃる!
先日ここで紹介した4階級特進しちゃった小4のゆんゆんさんから再び今週の報告がきてます。
メルマガで取り上げていただきありがとうございました(^▽^)/ 大変励みになります!!
その後、週間テストの結果の素点は、28点→34点→42点→60点です。
A問題は1問落とし、87%まで回復しました。
「テキストを先にやり、演習問題集は後にする」(中学受験コース応用編第6講座)をやりました。
週間テストまではテキストだけ、週間テスト後に演習問題集をやりました。
今までは、必修1→類題1→基本問題1→演習問題集1の順で、いけドンシートを取り組んでいたので必修4まで到達できていませんでした…。(省略)
夏休みの算数は、いけドンシートで復習しながら手つかずだったBC問題シートをやり、週間テストの解きなおしで成果の確認、1日1単元だと飽きそうなので2単元を3日くらいずつやれたらいいな~とぼんやり考え中です。
BC問題は2割以下にするようにがんばります。この割合をちょっとでも超えると泣くのがわかってますので…笑(省略)
こうやって、できることをやると決めて、できることをしっかりやっていけば、夏休みにどうするのかも自然と決まってくる。
次の道は自分でわかるってわけです。
また、ゆんゆんさんがすばらしいのは、「テストまではテキストだけ」を集中してやって、「テスト後に演習問題集をやりました」とあること。
もちろんテストまでに演習問題集まで、できるなら、誰だってそうしたい。
でも、子供の様子を見て、「わからないと泣く」お子さんを見て、「テスト受けて終わり」とせずに、「テストを受けてから演習問題集をして終わり」とする。
みんなさ、テストが終わったら、テスト範囲の勉強はもうやらないんですよ。
だってもう終わったところだから・・・・ね。
でも、それらの単元は、この後の公開テストや組み分けテストや模試では出る。
そうでしょ?
学年が上がれば、またそこをベースに聞かれるわけだ。
テストで抜群のイイ点数が出ているならば、もうしなくても頭にはいっているのかもしれないけれど、80%の子供はそうじゃないからね。
だから、勉強をテストまでとせずに、テスト後までも含めて単元を頭に収めていくのはとっても理にかなった方法です。
無理して「テスト前までに」演習問題集まで詰め込んだ挙句、基本がボロボロになるくらいなら、よほどそちらのほうがイイ。
テストが終わってからのほうが演習問題集も気軽に取り組めて、追われるものがなくて気持よく取り組めるってこともあるかもしれない。テストを知ったあとでの応用問題というのは意外とできたりすることもあるしさ。
目先の点数や順位や偏差値も追いながら、学年が上がっても通用するような勉強のやり方を今のうちに模索して確立しておく、その過程にゆんゆんさんはいます。
もう1つ、すばらしくて、皆さんも真似したらイイのは、ここね。
必修1→類題1→基本問題1→演習問題集1の順で、いけドンシートを取り組んでいたので必修4まで到達できていませんでした
ちょうどこの前も中3生と夏休みの宿題の話をしてて、中3生にはどこでも入試対策用のちょっと厚めの問題集が各教科配られてる。
実力テストはその入試対策用の問題集のページが指定されたり、夏休みも宿題として「3ページから81ページまで」とか指定されてる。
もちろん夏休み明けの実力テストの範囲になるってことです。定期テスト対策と並行してお項な入試対策でもある。
今まで習った単元の復習とはいえ、1教科で80ページ近くあったら、少しはやるけれど、答えを写すものも出てくる。「とりあえず提出クン」だな。
入試対策用の問題集を見たら、最初の見開きで重要事項の解説が書いてある。次の見開きが問題だ。
見開きの問題が掲載してある左のページは「A」って書いてあって基本問題で基礎事項を確認するようになっていて、右側のページに「B]「C」と分かれていて、ちょっとした応用問題や入試問題が掲載されてる。
1単元4ページってことですよね。
ざっと見たら4ページ1単元で22単元がある教科の宿題ってことになってた。
多いですよね、22単元は・・・1教科ですから。
さあ、そこで真面目な子供はみんな最初の3ページ目から最初の見開きの重要事項はロクに読まずにいきなり「A」の基本問題を解きにかかる。基本だからできたとする。で、BC問題だ。できない・・・少ししかわからない。
なんとかそれでも3単元進んだとしても、4単元目くらいで、イヤになる。あ~あ面倒だとかなんとか。
このやり方こそがゆんゆんさんが書いてた
必修1→類題1→基本問題1→演習問題集1の順で、いけドンシートを取り組んでいたので必修4まで到達できていませんでした
このやり方だ。そう、終わらないやり方。最後まで行かないやり方ね。
1つの単元を復習する際に基本から入試問題の演習にまで踏み込めれば、最高だ。理想と言ってもイイ。でも骨が折れる。タイヘンなんです。
だってレベルは基本から入試まである、つまり最低レベルから最高レベルにまでやってしまおうっていうんだから。それもわずか見開き2ページでそれをやろうってんだから、2段飛ばしどころか4段飛ばしくらいで駆け上がることになる。
よく理解できている子供、サラサラ解ける単元なら、それでもイイ。駆け上がっちゃえ!
でも、ちょっと苦手、テストの時もよく出来なかった・・・という単元だとすれば、一気に入試問題まで駆け上がるのはチトきついよ。
だから、ゆんゆんさんを見習って、そういうときは、
重要事項2ページ熟読 → A問題 → 次の重要事項2ページ → A問題 →・・・
というようにまずは範囲の「A問題まで」をやり抜く。
わかんなかったら印つけて答えを見てもイイんだから。「これが基本なんだな」って確認しながら、自分の習熟度をA問題で測定していく。A問題やったらサクサク全部できちゃったっていうんなら、BCに行ってもいい。でも無理せずにB問題まで行けばいいじゃないか。
そうやって、まずは試験範囲で指定されている問題集のA問題だけを押さえていく。いける単元はB問題、またはC問題まで行き、そうでないものはA問題で終えて、次の単元へ。
そうしてできるだけ早く範囲までのA問題の1周目を終えること。
これが勉強の王道だ。
そうしないで、
重要事項2ページは読まない → いきなりA問題(あまりできない) → でもB問題へ進む → C問題は答えを丸写し → 次の単元へ
成績不振者の勉強の仕方はだいたいこんな感じだ。とりあえずやって提出すればいいや的な、まるで身につかない勉強ね。
ゆんゆんさでいえば、
必修1→ 類題1 → 必修2 → 類題2 → 必修3 → 類題3 → 必修4 → 類題4
ここまでまずやる。
必修4までが今回の単元ならば、そこまでの基本問題をやる。
できれば3回を目安に。速く解けるまで落としこむ。もちろん必修問題やって類題もやってみたら、これイケちゃうよってなれば、「必修1 → 類題1 → 基本問題1」まで足を伸ばしても良い。
ここで演習問題まで足を延ばしていると、必修4までいかない・・・
それぞれの教科の各単元には、どうしても押さえておいてほしい基本事項がかならずある。それなしに応用問題は考えられないんです。
だから、どこまで「足を延ばすか」は子供の理解度次第だけれど、まずは範囲の基本を一通りやる、それを速く解けるようにすることが勉強の事始め。
あと、どこまで掘り下げていくかは、子供の理解度と勉強時間にかかってくる。
でも、どんなに勉強がキライでも、したくなくても、ゆんゆんさでいえば
「必修1→ 類題1 → 必修2 → 類題2 → 必修3 → 類題3 → 必修4 → 類題4」まで、
先の中学生の話でいえば「重要事項2ページ熟読 → A問題」
ここまでが最低限の勉強ってことになる。
試験範囲すべてのA問題は、大体理解できていますし、解けますよ!これが勉強の最低限ラインになります。
それを1つの問題を「必修1→類題1→基本問題1→演習問題集1」と掘り下げていって、1つの単元を「重要事項2ページ → A問題 → B問題 → C問題」と掘り下げていって、結果として試験範囲のA問題、最低限知っておかねばならない基本問題がキッチリ押さえられていなければ、もちろんテストではイイ点数は取れないけれど、もっと影響が大きいのは、学年が進んでいく、または先に進んでいったときに負債が大きく膨らんでしまうことになる。
試験範囲のA問題、最低限知っておかねばならない基本問題とは「元本」なんです。それ以上掘り下げていくのは「利子」のほう。
借金で利子を返すのは当然として、元本も返さないと、借金は減らず、多重負債になっていくでしょ。あれと一緒。
みんなさ、1つの問題、1つの単元を掘り下げすぎて、時間をかけすぎて、範囲中の「元本」にあたるA問題、最低限知っておかねばならない基本問題をいい加減にしすぎです。
そりゃあ、テストにも入試にもBC問題が出るよ。でもA問題だって出る。
A問題ができていないのにBC問題ができないって悩んでいる人が多すぎる。
なんでも習ってきたらA問題をしっかり反復してできるようにするのが先決。その上で時間があったり、余裕があればB問題へ行く。さらに余裕があるならC問題へ行け。
BC問題をやっているということは、A問題は完璧に頭に入っているってことですから。時間も余裕もないならA問題だけやる。それは最低限。
塾に行って、A問題ができないってことは借金の上に借金を重ねるってことだから。
A問題ができるようになったらB問題に行けばいい。A問題ができたらB問題に取り組む突破口があるってこと。
必修問題とは読んで字のごとく「必ず修めねばならない問題」ってことですから必修問題をおさえて、その類題をやって、それらがスラスラできるようになった上で、その問題の基本問題や演習問題をやる。
先の中学生にもそう言いました。「夏休みに入る前までにA問題だけでいいから1周目を終わらせろ」って。それができるかどうかで夏休みに入る前に「キミの夏休みの成果の結果はわかるから」ってね。
あなたも、あなたのお子さんも、少なくとも試験範囲の基本だけは押さえていくのが入試を戦う上で、これから先の戦いをしていく上で、必要最低限度のやるべきことだということを知っていると思います。
それなしで戦うのは武器なしで戦場に行くようなものですから。
A問題や必修問題をバカにしないの。
ちゃんとサクサク解けますよってしてから難しいことをやりなさい。
A問題なんてさ、カンタンなんだから短期集中でバッと取り組めば意外と早く終わっちゃうんですよ。だから早く終わらせなさい。
ダラダラとパッとやればできる最低限度のことをやらないで「入試は・・・」とか「受験は・・・」とか「子供が・・・」とか余計なことは考えなくてイイ。
サッとやって、サッと成果を出す。そしたら次が見えてくるから。
その最低限のことをいつやるの?
今でしょ!
夏休みに入る前にやる!
少しでも手を付けて、終わらせて夏休みを迎える。それが親技者の鉄則だ。全部やれなかったとしても、いくつかは、やって夏休みを迎える!
親技者でない人は、のんびりと過ごせばイイ。
「夏休みは頑張るぞ!」って決意を肴にのんびりして、夏休みを迎えればイイ。結果は盆休み前に明らかになるから。
さて、こんなことを話している場合ではなかった。
今回は前回出した宿題に答えねばなかなかった。
一応誰かから「小3のえもさん」に、「こうしてあげたらイイんじゃない」っていう温かい提案があるかと思って午後3時まで待ってみたけど、ただの1通も「えもさんへ」のアドバイスは来なかった・・・
28,000人強の読者がいるはずなのに、ただの一人も、ただの一通もメールは来ませんでした・・・
すばらしい。きっと、そんなことに関わっている暇はなくて、「夏休み前の課題」が忙しいんだと思います。
これを子供たちは「ガン無視」と言います。子供たちは「ガン無視」されたら、たいていは怒り狂う。
しかし、ボクはすでに予告していたように誰からもメールが来なくても別に問題はないと先週書いておいた。だから怒り狂ったりはしない。
ただ読者数は毎回計算してそのたびに集計して正確なものを出しているけれど、本当に読者は28,000人もいるんだろうかってチョビ疑ってる。
「幽霊部員」が25,000人くらいいるんじゃないのかってさ。
ハイ、じゃあ答え合わせね。問題はこれでした。
小3 えもさん
おかげさまで、朝に計算を数分、夜に算数パズル・算数塾テキスト・論理テキストをやっています。
本当は漢字も進めていきたいのですが、、夏休みに学年の漢字を終わらせることを提案中です。気持ちの波も減り、親子で穏やかに継続できています。
少し難しい問題になると、いちいち私を見て「あってる?」と確認するのが気になります。自信がないのはわかりますが、とりあえず、自分で最後までやってみてもらいたいです。
どうしてもできないと、音読を促したり、少しヒントを出していますが。このヒントを出すタイミングが悩みます。
本人には、もう少し自分で考えてみてほしいし、甘えないでほしいと、言いつつ、こちらの勝手な都合では、下の子がかまってほしがる、とか家事が・・とか、あまりヒントを出し惜しみすると本人が泣き出すとかあるので、結局、早めに出してしまいます。
こんなんで考える力、困難を乗り越える力がつくのか?
これからボクの考えを書くけれど、これが正解であるとは限らないです。何通りもの答えがあるはずですから。なので、あくまでも参考程度にしておいていただければと思います。
さあ、いきます。
「こんなんで考える力、困難を乗り越える力がつくのか?」と問われれば、絶対につかないでしょう!というのがボクの答えです。
というか、考える力、困難を乗り越える力が付く前に、まずは勉強がキライになる、勉強をやりたがらなくなる傾向が出てくる可能性がある。わからない場合は泣き出す頻度が高くなるかもしれない。
そのうち学年が上がると反抗もしてきて「どうしてこれをやらなくちゃいけないの?」って言い始めるかも。これは明暗でいえば、お子さんが「明」の場合ね。
もし「暗」のほうに出る場合は、やる気もない、無気力な勉強キライになっていく傾向が出るのかもしれない。怒っても奮起もしないし、逆らいもしないけれど勉強はしない、まるで考えないというような感じ。
いただいたメールには「気持ちの波も減り、親子で穏やかに継続できています」とあるので、以前は穏やかでない日々も過ごしたのでしょう。「わかんない」とたくさん泣いたり、暴れたりもあったのかもしれない。
それが親のなにがしかの働きかけにより「穏やかに継続」できるようになったのなら、大きな一歩を踏み出したといえます。
でもね、
「少し難しい問題になると、いちいち私を見て「あってる?」と確認する」
こうした現象が出ると、親は「とりあえず、自分で最後までやってみてもらいたい」とみんな言うけれど、「あってる?と確認せざるを得ない状態」にしたのは、間違いなく親なんです。
この方がどうかはわからないけれど、過去に間違えたら怒鳴られたとか、
「どうしてそんなカンタンな問題がわからないの?」
「なんでそーなるのよ、よく考えなさい」
って何度も言われたことがあるから、またそれは言われたくないから子供は確認するんです。
だって、間違ったら怒られるんだもん!
幼少期に最初からこういう現象が出てくることはない。幾つかの経験を経ての自己防衛です。
子供にとっては怒られないための術なんです。
だけど、親は怒り狂ってるわけでしょ?「自分で最後までやってみてもらいたい」「甘えないでほしい」と。
だからといって、わかるまで考えなさいなんて放っておくと泣き出すのでヒントは「早めに出してしまう」と。
親は考えてほしいのにいろいろと都合もあって「早めに」ヒントを出す。一方で、子供は怒られないための術として「確認しながら」勉強を進めているのに「甘えないでほしい」と親の逆鱗に触れている。
もう1回冷静によく親側、子供側からお互いが思っていることを考えてみてほしいのですが、メチャクチャじゃないですか?
どこにも筋らしき筋がない・・・とボクは思うけれど。
特に子供側の立場からすれば、ボクの想像も含みますが、間違っても怒られる、間違わないように確認しても怒られる、「どうしたらええねん?」って感じじゃないのかなあ。
今は親が子供に「甘えないでほしい」「自分でしっかり考えてもらいたい」っていう言葉をまだ言っていない、心の中で思っている状態だと思うから、子供側から「じゃあ、どうせい、いうんや?」っていうのがまだ出ていないけれど、もしこれを親が口に出して言い出したら、間違いなく子供は混乱すると思いますね。
で、私はそうしたらイイの?ってさ。
親は筋が通っていることを言っていると思うかもしれないけれど、子供はどっちでも結局怒鳴られれて怒られるんじゃん、って思う。
思ったら、最初に書いたように子供の性格による「明暗」で出てくる現象は違うけれど、結果は同じ勉強キライになって、決して自分で考えようとはせずに、極度に間違いを恐れ、時にはカンニングをし、困難からは逃げようとするようになるんじゃないか。
実は今がこの境目なんじゃないかとボクには想像されます。
ここでも書いたことだけれど、「子供に間違えることを恐れないようにする」のは親が思っている以上に難しいことです。
多くの親は「間違ってもいいんだよ」って口では言ってるんだけど、間違えたら怒るのよ。
それで怒ったあとに、フト気づいて「間違えたから怒ったんじゃないからね。あんたの態度に怒ったんだから」とかなんとか言いくるめようとするんだけど、子供はさ、神の目を持ってるんだから、そんな言い訳は通用しないの。
他のことで腹が立っていて八つ当たりをしただけ、間違ったから怒った、なんていうのは朝飯前に小学校低学年になればもう分かる。
だから、「上の立場」にいる親は子供の態度を見て、自分が子供にかけている圧力、口でなんて言おうが実際に子供に対してしていることは、子供の態度に出るって思っておくことです。
ボクは親の言うことじゃなく、子供の態度を見て、それが親が子供に対してかけている圧力だったり、求めているものだったり、プレッシャーだと思うんだ。
短い相談メールに記されている
「少し難しい問題になると、いちいち私を見て「あってる?」と確認する」
これは親が子供に間違ったメッセージを長い間送り続けた結果、生み出された子供の心からの反応じゃないか、とボクは見る。
どうだろう?
「子供が間違えることを恐れる」でも書いているけれど、塾講師時代に小学校受験を教える経験したタイガー山中は「自分の意見をはっきりと声に出して言う」は、小学校の低学年までには、しっかりと身につけて欲しい、というのが痔論、字が違った、持論です。
なぜ意見をハッキリ言えるようになることをタイガー山中は推奨するのか?
それは成績を上げるため(^_^)
成績を上げるために必要な条件だからだ。
「自分の意見をはっきりと声に出して言う」を身につけるためには、子供が「間違えることを恐れないようにする」ためには、その子供の意見を聞いたり勉強を見る受け手側が明確に「間違えることは恥ずかしいことでもなんでもないんだよ」と意識して口と態度で示さないと身につかない。
幼児期の早い時期から勉強することにはメリットがたくさんあるけれど、大きなデメリットの1つは、この「間違いを恐れる」子供にしてしまうことです。
たとえば、テストを受ければ点数が出るし、順位が出て偏差値が出る。受けなきゃ気にもならないこの数値が親を縛って、結果として「どうしてそんなカンタンな問題がわからないの?」「なんでそーなるのよ、よく考えなさい」なんてなる。
なってもイイんだけれど、その結果として子供が間違いを恐れるようになるという、今後の人生に大きな影響を及ぼしかねない負の遺産を背負うとすれば、必死で勉強をやらせる甲斐がないというもの。
だから、親技では常々
結果で判断するのでなく、日々の勉強に対する姿勢や過程で判断する
とか
結果は司令塔の親の責任、子供の責任はその過程を頑張ってやることだけとか
子供の使命は合格することじゃない、合格するだけの勉強をするのが子供の使命
とかいう言い方で子供に問うべき責任を結果以外に求めてきたわけですね。
だって、合格するだけの勉強をするのも子供で、結果も子供の責任ってなったら、子供の責任て重すぎない?
で、親はどこで責任を負うのよ?
親はフリーで「ノー責任」?
子供よりも「上の立場」の司令官の親が「ノー責任」で、子供に全責任を負わせるなんて、それは酷でしょ!っていうのが親技のスタンスです。
だからね、まず
「少し難しい問題になると、いちいち私を見て「あってる?」と確認する」
これは自分が招いて、子供をそうさせてしまったんだ!って認めること。
その上で、自分のやってきたことや心のなかで思っていることも覗いてみて、なにがそうさせたのかを考えてみる。
私のどういう言い方や接し方が子供が「合ってる?」って確認しないと前に進めないようにしたんだろうかって考えてみる。
加えて、これも想像が入るけれど、今のお子さんにとって、難しいことをさせすぎていないかを確認すること。
子供にかける質も量も同じ学年だからといって同じじゃない。今やっていることは、一人でやるには、自分で考えてやるには難しすぎるものを与えてはいないか、検証すること。
下の子の面倒や自分の都合で、一人でやってもらいたいときは、サクサクできるものをやらせたらイイ。
「できちゃったよ~。母さんは30分くらいかかるかなって言ってたけど、15分で、できちゃったんだ!答えわせもしたけど、見てみる?」
こんなふうに子供に言わせるような課題を出すんですよ、まずはね。
ウンウン気張って出るのはウンコだけっていつも言ってるでしょ。
ウンコ出してほしいの?
違うよね。
自分で考えてほしいんでしょ?
困難を乗り越える力をつけてほしいんでしょ?
ならば、子供が「私はできるわ~。やれると思うわ~」って思えるのが出発点。そう思えない子供が自分で考えたり、困難を乗り越えたりはできないよ。
一言で言えば、自己肯定感って言っていいと思うけど、「できるできる」がそれの出発点だし、そう思わせるために、やらせるのがカンタンなことだって全然かまわない。いつまでもカンタンすぎることばっかりやらせてたら自己肯定感はだんだん低くなっていくから、レベルはあげていかないといけないんだからさ。
今はそのやらせようとしているレベルが、今の子供とあっていないか、ギャップがありすぎるんじゃないのか?
「私、やれます!」って思えるかどうか、そのラインが「自分で考えられるかどうか」の分岐点。
「どうせできないよ」って思っている子供が考えると思う?
考えるわけない!
「自分はバカ」って思っている子供は考えないもん。
どう見ても、できそうなことだって「できない」って言う。まあ、逃げてるんだけれども、そんな子供に誰がしたのかってことです。
子供は最初からは、そうじゃないもん。
誰かがさ、妙な劣等感の服を着せてさ、着せたクセに「なぜ劣等感を持ってるんだ? 自分を信じられないのか?」って叱ってるの。
これがね、筋が通らないってこと。
放火したのに、なんで火の用心しないのかって言う人がいたら、筋が通らないってみんな思うじゃん。
劣等感をかぶせて、かぶせるようなやり方をして、どうして劣等感みたいなものを持ってるんだって子供に言い出したら、子供はね、反抗か暴れるか、泣くか、グレるかしか道が残ってないんですよ。結局どっちに行っても怒られるって思うからさ。
でも、その道は親が与えた、導いた道だとボクは思う。
そんなつもりがなくても、そうしているってこともあるから、考えてみてください。もしそんなことはないっていうなら、安心だからさ。
最後に難しいものをやらせ過ぎなんじゃないかってことだけど、小3でさ、中学受験とかが視野に入っていたら、「今のうちにこれくらいは・・・」って親は思う。
でも、その教材が難しいか易しいかではなく、今の子供にとってハードルが高すぎるものを中学受験の準備くらいに考えて「与え過ぎる」と、中学受験態勢に入る前に決着が着くよ。
中学受験は膨大な量のものを、15歳の公立中学3年生がやるのと変わらないか、もう少し多いかの量のものをわずか12歳の子供に短期間にやらせるんです。
すごい負荷なんですよ。難しいことも一杯あるけれど、でもね、な~んの準備もしないで小学校では成績も良くて「ボク、結構できますよ」って気持ちで入ってくる連中に、小さい頃から準備に準備を重ねてきた子供が負けるってことが多々ある。
どうしてだと思う?
準備してきた連中はたしかに知識はたくさん持っているかもしれないけれど、「ダメだよ、これくらいできないと」「どうしてこんなカンタンな問題を間違うんだ」「これじゃあの学校にはいけないよ」なんて本格的な中学受験態勢に入る前に散々頭をボコられたりしてたら、「ノー準備&ノーテンキ」の「自分わりとイケてます!」って思っている連中にアッサリ負けたりする。
準備は大切だけど、戦う前に子供の心を折ってしまわないことです。
こんな遊びみたいなことして、「ケンミンクッキー型 全国セット」たとえば県名や各県の形なんかは、
塾に入る前に遊びで知っている奴が勉強を勉強と思わないでスイスイ行っちゃたりさ。
せっかく早くから準備したり、勉強したりするのは、とってもイイことなんだけど、やればやるだけ害になるっていうんじゃ、目も当てられないじゃない。
小さいころの準備として理想なのは、もう200年も前に「カール・ヴィッテの教育」で明確に示されているし、
「目のつけどころが間違っています」となれば、学年が進めば進むほど悲惨になるからね。
子供の姿は、親が子供にしてきたことの鏡です。
鏡見てさ、「これ自分じゃありませんから」って言えないでしょ。
鏡に写っているのは自分であり、自分がしてきた結果なんですよ。
もし後悔するようなことが思い出されても、子供はね、あと何回かは許してくれます。だからさ、反省して、反省はサルでもするから、反省して、親の接し方、言い方、伝え方を少しだけ変えていく。
もし本当に変わったのなら、鏡に写る姿も変わるはずだから。
鏡見て、変われ変われ!お前が変われ!って500万回言っても、鏡に映る姿は変わらない。
してきたように、ありのままに映るのが鏡だからね。
これで回答になったかな? あなたの考えたことと一緒だった?
えっ、長い、話が長いって!?
それを言っちゃ、おしまいよ。
[算・数] 7日間を終えての感想
小5 みかんのかわさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
子供が集中するようになりました。
塾の基礎力トレーニングをつかって、行ったのですが、10問5分以内にほぼ満点をとれるようになりました。
また、組分けテストの算数ですが、3月の組分けでは71点/150点で、大問1番から半分近くミスしていたのですが、7月の組分けでは95点になり、大問1番では全て正解、大問2番と3番もそれぞれ1つずつミスしたのみで、20点以上アップしました。
偏差値はまだ、出ていないのですが、他の方の平均点予測から、偏差値もアップしそうです。
算数以外の教科が良く、αクラスにいるため、算数の授業がつらかったようですが、最近は、それほどでもなくなってきているように思います。
私が、何よりもうれしかったのは、算数の宿題をしながら、初めて「勉強って楽しいね」と言ったことです。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか? あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
非常識だとは思っていなかったのですが、今までは、教えようとしていました。それと子供は教わることに慣れて、頼っていたように思います。
そうではなく、見守ることと褒めることで、「自分でできる!」という自信が子供の中でどんどん大きくなっていったように思います。
実は、7日のプログラム、最後まで行なえず、今も、1日目から3日目を繰り返しています。
朝学習では、既に、算数と理科の基礎力トレーニング、理科と社会、国語の漢字練習を行っており、4日目以降の内容を加えられませんでした。
それでも、計算力はアップしました。ありがとうございました。
夏休みには、プラスワン問題集を使って7日間のプログラムをきっちり行いたいと思っています。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
私が大人になり、「言いたいことをグッとこらえて、褒める」のが大変でした。
今は、朝一番に、私がそばに行かないと始めないので、それはそれで、ちょっと困るのですが、私の「はい、はじめてください!」の合図がなくても、きちんと正しく自学自習できるようになるまで、付き合いたいと思っています。
子供の成長が嬉しく、楽しんでいます。ありがとうございました。
[英語] 7日間を終えての感想
ウルトラマンの母さん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
子どもは小テストは勉強すると点が取れる、ということを分かってくれました。
明日の30問中5問英作の対策を嫌がらず、続けてくれたことが一番うれしかったです。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか? あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
鉄則を読みなおし、忘れていたことが沢山ありました。
物でつらない、成績が悪いからと塾を増やさないなど。そして、英語ノリ勉の良かったことは、単語をちょっと教えてやれば、自ら訳そうとしていたことでした。
ハードルを下げてやる、ということの大切さを再認識しました。成績が悪い子は親がそばについてあげるのは当然と思います。
ノリ勉がすばらしかったわけじゃない!!
親が、親の意識が、見方が変わったということです。親さえ変われば、ノリ勉じゃなくたってかまわない。
子供を守れるのは、子供を救えるのは親。子供は宝だから命を懸けて頑張ってほしいと思います。押忍!