こんにちは、ストロング宮迫です。
チリ落盤事故は奇跡的に無事救出されたとのことで大きく報じられていました。良かったですねえ。
チリ落盤事故(コピアポ鉱山落盤事故)とは、チリ共和国のサンホセ鉱山にて、現地時間2010年8月5日に発生した坑道の崩落事故。
崩落により33名の男性鉱山作業員が閉じ込められるも、事故から69日後の現地時間10月13日に全員が救出された。作業員達が閉じ込められたのは地下634mの坑道内で、これは坑道の入り口から5kmの位置である。
※この毎日親技は2010年10月21日に配信したものです
すでに映画化の話が進んでいるとか!?
なにせ今回の鉱山落盤事故は、地下600メートルより深く、気温約35度、湿度約90%という閉鎖空間で2カ月以上の地下生活。いくつかの奇跡が重ならないでどうして生きていられようかという環境だったようです。
読売新聞は「作業員が耐えられたわけは?」と題した短い記事を配信していました。
10月13日読売新聞
チリ落盤事故、作業員が耐えられたわけは?33人の作業員はなぜ精神的に耐えることができたのか。
宇宙ステーションに滞在する飛行士の支援を担当する専門家が第一に挙げるのは、仲間のために意義のある仕事をしているという充実感だ。
宇宙航空研究開発機構の井上夏彦主任開発員は、作業員らが11人ずつ当直と睡眠、休養の3交代シフトを組んだことに注目する。
これにより、閉じこめられた作業員全員が「仲間が生き残るために貢献している」と感じることができ、それが精神的な支えになったとみる。
さらに井上さんは、「同じ釜の飯を食っている仲間で、気心が知れて一体感があった」と指摘する。定期的に家族と連絡を取り合えたことも、精神面で大きなプラスとなった。
いかがでしょうか?
こじつけるつもりはありませんが、この記事を読んでボクは受験生の生活にも大いに共通点があると思い、早速何組かの親子には話してみました。
その結果、同じ受験でも「そんなに過酷ではない受験をする家庭」では、あまりピンとこない感じでした。まあ、与えられた環境が過酷であるがゆえに、1つ1つのなにげないことに深い意味が与えられるのでしょうから。
受験に置き換えてみれば、
「意義のあることをしているという充実感」
「家族の役割分担と一体感による精神的な支え合い」
「同じ釜の飯を食っている気心が知れた仲間」
なんかが記事を参考に挙げられる点でしょうか。
ボクがこの記事を話した家庭の中には、塾に行かずに家庭学習で中学受験をする親子もいましたので、その方は「同じ釜の飯を食っている気心が知れた仲間」がない点を心配しておられました。
「いやあ、それがない分、それ以外の【意義のあることをしている】点と【どこにもない家族の一体感】が出てきたとも言えるんじゃないですかね?」
「全部が揃っている環境を望むのは人間だから誰もがそうでしょうが、その時の事情でなにかが欠けている事態はこれからも十分に考えられるますし、いかに与えられた環境で体制を整えるのかが大事じゃないでしょうか。」
「まあ、気心は知れていませんが、成績優秀者でいつも前後で載っている連中はある意味で【同じ釜の飯を食っている連中】とも言えるライバルなわけで、半分はあったともいえますね」なんてお話をしました。
チリの落盤事故はさておき、「過酷な受験」の様子を聞くと、他人は、いや親族だって「そんなにしなくても・・・」「子供がかわいそうに・・・」なんて批判めいた口調で言われることが多々あります。
しかし、過酷な受験、受験だけではなくスポーツでも、習い事でも過酷な挑戦に身を置くことで、たとえば
「意義のあることをしているという充実感」
「家族の役割分担と一体感による精神的な支え合い」
「同じ釜の飯を食っている気心が知れた仲間」
などが確認できる場合も大いにあります。
いや、過酷な挑戦だからこそ、改めてこれらが浮き上がってくる、確認できるし、そのありがたさがわかるとも言えます。過酷な生活をしているのに充実している顔をしている受験生がいるのは、そういうわけなんでしょう。
だから、他人や親族の「そんなにしなくても・・・」といわれてもが逆にピンとこなかったりもするんですな。
逆に言えば、
「意義のあることをしているという充実感」
「家族の役割分担と一体感による精神的な支え合い」
「同じ釜の飯を食っている気心が知れた仲間」
これらはないけど、過酷な受験をしようとしている子供たちは、精神的には相当辛い場所に追いやられる可能性は高いと言えます。
まあ、追いやられる前に逃げ出すことも多いでしょうが・・・
先日、ノーベル化学賞を受賞された根岸さんが会見で、こう述べられたそうです。
2010/10/07
ノーベル化学賞根岸さんが会見「頭脳流出組」の先駆けとして、米国に活躍の場を求めた根岸氏。喜びにまじって、祖国日本への思いがところどころに顔をのぞかせた。
会見の冒頭、「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。
だが、日本に対しては賛美だけではない。日本を飛び出すことになったきっかけは、フルブライト留学制度を利用した米ペンシルベニア大への留学だったが、「いざ博士号を取得して日本に帰ってみると、日本には私を受け入れる余地はまったくなかった」と、日本の高等教育の閉鎖性を暗に批判した。
根岸さんのコメントをどう受け止め、どう考えるのかはあなた次第。
しかし、勉強を「意義のあることをしているという充実感」に昇華させるのはやっぱり難しいですぞ。
親の腕の見せ所というか、そこの違いが学年が上がるごとにでてきますからね。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小2ふぅさん
小2のひとり娘の中学受験について調べているうちに親技HPに出会い、メルマガに登録しました。
(省略)今回実践会のメンバーになったことで、音声セミナーも聞けるようになり、ストロングさんとタイガーさんの楽しげな掛け合いと興味深いテーマにさらに楽しみが増えました。
(省略)『10の鉄則』を手にとって、まず冊子の薄さにびっくりしました。アマゾンで中古の『新・勉強の常識』を購入していたので、そのイメージがあったのです。
おかげさまで、あっという間に読めました。早速レポートに向かい、ひと晩寝かせて推敲する、を繰り返していたら、すでにひと月近く…。
レポートを熟成させている間、「…なのでこれからはこんな風に試してみるつもりです」と書いた方法でトライしてみてエラーになって、ちょっと変えてまたトライ。
その度にレポートを修正して、自己解決したり、あらたな問題点が出てきたり。まさに自転車の補助輪を外してよろよろしている感じです。
子供の勉強を親がチェックして伸ばすのと同時に、親技がきちんと功を奏しているかをストロングさんとタイガーさんがチェックするという2重のチェック体制になっているのですね。
英会話のCDを揃えても続いたためしがないのですが、今回は報告を見て下さる方がいて、結果がわが子の成績アップにつながる、というプログラム。自分のためだと続かないものが、わが子のためなら頑張れる気がしています。
四角い枠に紙を張っただけの凧に支柱が入った気がします。
今までのやり方に体系的な理論の支えができ、自信を持って技の習熟に専念していける気がします。
凧は上がるまでは不安定で難しいけど、ある程度まで昇るとあとは風を受けてどんどん自分で昇って行くから、私は糸がなくなるまでの間、凧が安定して登っていけるように糸を操る技を磨いていけばよいのだと確信できました。
とにかく勉強は「新しい知識を身につけられて楽しい!」と思える生活。
いや、「知識が身についている」と子供自身に感じさせない勉強。
今の学年からであれば、そうした試みが十分可能だと思います。
いろんなことに寄り道しながら、狭く深く親子で1つの事象を掘り下げていく。
子供の興味はどんどん変化していくでしょう。
その興味に付き合いながら、1つ1つを深いところまで親子で身を寄せ合っていく。
植物館だって、博物館だって、なんだって同じところに、何度行っても楽しめるなんてできたらサイコーですね。
時間は十分あるが、すぐ高学年です。