こんにちは、ストロング宮迫です。
先週末の毎日親技はアクセスも好調でした。
昨日の「炎の入試回顧」なんかは改めて読み返してみると、やっぱり波乱万丈でスリル満点ですなあ。
親技の駆使を志す方にはぜひ「けいさん」の「炎の入試回顧」を参考になさってください。
さて、今回は1つなかなか答えづらい相談を取り上げて考えてみたいと思います。
こんにちは。このたび、親カツ後期の講座を購入させていただきました。
昨年からメルマガを読ませていただき、親の心構えや子供への接し方など、大変勉強になっております。
一緒に勉強する事に親子共に抵抗感を持たずに、苦しいながらも楽しく勉強を続けてこられているのは、ストロング先生とタイガー先生のおかげだと実感しております。
おかげさまで、4年生の入塾当初は50台だった偏差値も、65~70で安定してまいりました。
それには、本人が早い時期に行きたい学校を見つけられ、目標を持って勉強を続けられた事も大きかったと思います。
子供が最難関中学を熱望しているため、今回「難関校をめざす親がすべきこと」というCDも同時に購入させていただきましたが、夫婦での役割分担が大切、というお話が胸に刺さりました。
我が家は主人が早くに亡くなっており、現在は私が一人で父親役と母親役をこなしておりますが、やはりご夫婦で力を合わせてやっておられるお宅は強いのだろうなぁ…と、少し切なくもなりました。
とはいえ、今すぐ新しい旦那様も見つかりませんので、このまま進むしかありません(笑)
色々なご家庭をご覧になってこられたストロング先生の目から、一人親家庭で気をつけるべき事や、父親役&母親役の一人二役の上手な演じ方など、ぜひアドバイスいただけましたら心強いです。
幸い、子供は「うー、遊びたいなぁ」「めんどくさいけどやるか~」などと言いながらも、休日には10時間以上問題に取り組んだり、積極的に受験勉強に向かっている子です。
4年生の入塾当初は、私のアドバイスを聞き入れてもらえない事もあったのですが、ストロング先生のメルマガやご著書を参考にさせていただき、苦しんでやらせた事には必ず成果を出すように努力してきた結果、「違う意見だけど、お母さんが言うなら一回やってみるよ。でも、うまくいかなかったら、次は自分のやり方を試させてね」と言ってくれるようになりました。
ストロング先生、本当にありがとうございます。
親子関係がうまくいっていなければ、受験勉強などうまくいくはずもないと思いますので、とても参考になるお言葉の数々でした。
長くなり申し訳ありません。これからも、厳しくも温かいアドバイスをよろしくお願いいたします。
受験をしなかったとしても、子供を育てていく上で知っておきたい事、役に立つことが満載のメルマガですね。週に二回の発行は大変かと思いますが(あのボリュームですし)、これからも心待ちにしております。
頑張っていますねえ。
小6の受験生でこの時期「休日には10時間以上問題に取り組んだり、積極的に受験勉強に向かっている子」がどれくらいいるか。
10時間以上の勉強に取り組むには「オレ、イケてるで~」と思っているノリノリの子供か、合いの手を入れてくれる上手な伴走者がいないと難しい。
「オレ、イケてるで~」となるのは「4年生の入塾当初は50台だった偏差値も、65~70で安定してまいりました」で納得できるでしょう。成果が出たっていうわけです。
加えて「早い時期に行きたい学校を見つけられ、目標を持って勉強を続けられた事も大きかった」と。
ただし「早い時期に行きたい学校を見つけら」れたのに、その後は尻すぼみになりました・・・というのが多いのも現実です。
ゆえに親技では「大きな夢」より「明日の1点の積み上げ」「来週の偏差値1のアップ」という成果を優先しています。
現状の成績と志望校のギャップが大きいのは、ほとんどすべての受験生が抱える悩みです。だからそれは悩みじゃないとさえいえます。
だってみんなそうだから。
じゃあ、なにが問題になるのかっていえば、塾などの新学期の今年2月から今日はもう6月中旬ですから5か月半あったわけですが、
この約半年で成果はあったのか?って点ですね。
志望校までのギャップはある。みんなそうだ!
では、この半年間で、つまり2月から成績は上昇したか、もしくは成績は上昇しつつあるか?
これが最大の問題になります。悩むならそこであって、志望校とのギャップじゃない。
これは親カツ生には口酸っぱく申し上げている点ですが、2月から偏差値はアップしたか? 夏休み前までに上昇したか? ここが問われる。
「早い時期に行きたい学校を見つけら」れても半年間成績が微動だにしなければ、1年間成績が微動だにしなければ、「大きな夢」は忘れ去られてしまう。
いかなる鉄の意志があっても、成果が見えなければ、感じられなければ、人は身動きが取れなくなる。
ノリノリにはなりようがない。
で、言葉でノリノリにさせようとする。褒めたり、やればできるわよって言ったり・・・
しかし100万言の言葉を費やしても子供は動かない。いや、動けないんだ。
半年間、1年間、何の成果もないここまで来た道をまだ歩かねばならないのかって頭じゃなく、心が反応する。やろうとしてもできない。
いかなる褒め言葉よりも、点数のアップや偏差値にアップこそが勉強のやる気の原動力。
だんだんとね、受験生の受けるテストは入試仕様になりつつ合って、難しくなってきてる。点数が獲りにくくなってる。小4や小5なら、もっとラクに、この努力で上がったのに、受験生になったら同じ努力でも上がらないってことも起きる。
だから策がないと、無暗に取り組んでもパッとしない。策っていっても、難しく考える必要はない。
テストでは、できる問題を確実に獲る!
家庭学習では、できる問題を1問でも増やす!
たったこれだけだ。
家庭学習で、できる問題を1問増えたら、もう1問増やす!積み重ね。家庭学習で、できる問題を1日2問増やしたら、1か月で60問だ。半年で360問。4教科で割っても1教科90問は半年前よりも知識は増強されているハズ・・・
じゃあ、それをやっても偏差値は3アップしないのか? 微動だにしないのか?
そこですよね、考えないといけないのは。「夢を語る」なんてサルでもできるんだから。
夢に1歩か2歩近づく努力をするのがボクたちの努めだ。
1歩か2歩くらいなんかじゃ、夢に近づいたとはいえないかもしれない。
でも「0歩」と「2歩」じゃ、天国と地獄ほど違う。
歩んだか、歩んでないかの違いだから。その後の展開も違ってくる。
このお子さんが夢に向かって10時間以上の勉強に頑張ってこられたのは「4年生の入塾当初は50台だった偏差値も、65~70で安定」が大きいってことです。
もう1つ、合いの手を入れてくれる上手な伴走者がいるかの答えは、この方が書いてらっしゃる。
4年生の入塾当初は、私のアドバイスを聞き入れてもらえない事もあったのですが、ストロング先生のメルマガやご著書を参考にさせていただき、苦しんでやらせた事には必ず成果を出すように努力してきた結果、「違う意見だけど、お母さんが言うなら一回やってみるよ。でも、うまくいかなかったら、次は自分のやり方を試させてね」と言ってくれるようになりました。
成績がイイ子のお母さんだから、うまいこと、ボクやタイガー山中を立ててくれていますが、ボクらは関係ない。
この方の手腕といっていいでしょう。
ちゃんと正面から話し、子供の意見も聞き、目的意識「苦しんでやらせた事には必ず成果を出すように努力してきた」は明確。
楽しくてノリノリでスイスイここまで来ちゃったよ!って話じゃないですからね。
苦しくないわけない。
でも、頑張れるのは「夢があるから」さ。熱望している学校があるからよ。その前に成果が出ているから。
だから「苦しいながらも楽しく勉強を続けてこられている」。受験生の家庭には励みになるお話ですなあ。
さて、ご相談はその点じゃない。
受験において、特に難関中学受験において、親技では「夫婦での役割分担が大切」といっているが、この方は「現在は私が一人で父親役と母親役をこなして」いると。
で、「一人親家庭で気をつけるべき事や、父親役&母親役の一人二役の上手な演じ方など、ぜひアドバイス」をという相談です。
なかなか難しい、答えにくい相談ですなあ。
でも、今は一人親も10年前から比べたらずいぶん増えてきましたし、親技の会員のなかにも相当数いらっしゃる。
ボクがあちこちで「夫婦での役割分担が大切」なんていうと傷ついたり、「切なく」なったりすることもあるでしょう。それについては謹んでお詫びします。
そのことも踏まえてボクが考える役割分担について書いてみたいと思います。スッキリ回答は期待しないでね。
ボクが見る限り、子供のことや子供の勉強に関して言えば「二人親家庭」でも実質的に「一人親」家庭になっている場合もあるし、「二人親家庭」でも「親なし」状態の子供もたくさんいます。
父親が子供の面倒は一切見ない家庭だってたくさんあるし、そういう家庭ではお母さんが実質「父親役&母親役の一人二役」を演じることになります。
また、一般的な感覚のお父さんらしさやお母さんらしさ、父性や母性という言葉でも語られることがあるけれど、ボクが親技で「父親」「母親」というとき、それは単なる役割分担としての名称にすぎないと考えています。
母親が「父親らしく」あったり、父親は「母親らしく」あったり、親技メンバーの人でも入れ替わっている人がいるもの。
それよりは役割分担を「情緒と論理」「日常と非日常」「ハレとケ」などでぜひ考えてほしい。
この前、ウチの娘がテストが終わって帰ってきて「数学ができなかった」と我が嫁の前で泣いたらしい。後悔や勉強不足や詰めの足りなさなんかがあったんでしょう。
父親であるボクの前では、それはしないんです。母親の前でだけ泣いてみせるの。
役割分担っていうのは、こうした「言える場所や人」と「言えない場所や人」で使う。
子供にとっていくつかの窓口があるという意味での役割分担です。
2人いて、役割分担があって、窓口が2つあれば、子供が見せる違う顔や言葉を吸い出せる可能性が広がるってだけです。
学校や塾の先生がその窓口の1つになってくれると、助かります。家では見せない顔がわかるわけだから。
祖父や祖母が窓口になれば、さらに可能性が広がる。隣のおじさんが窓口なら、さらに・・・
可能性が広がると、子供が考えていることがわかったり、今思っていることや悩んでいることが早くつかみやすくなる。
だいたいね、子供はしょーもないことで悩んでいるものなんです。まあとっても重大なことで悩んでいる場合もあるけれど、だいたいはね。
で、問題や悩みは解決しなくても、いいんです。
「これ、どうするよ?」「こうするべ!」って話し合って、一応納得して解決に向かって進んでいれば、もっといえば解決に進んでいるように感じられればそれでいいんだ。
もし、ウチがボクの一人親であったら、子供が「数学ができなかったと泣く」行為は、たとえば家でしなかったかもしれない。
泣きたかったのに泣かなかったら、その思いや感情は体のどこかに残るだろう。1回なら体が消化してくれるかもしれないけれど、3回蓄積したらどうだろう?
たぶん違うところで出るだろう。その出たところが適切な場所ならいいんだけど、そうでなかったらイヤだなって感覚なんです。
泣いたって問題は解決しないんです。でも、弱みを見せて愚痴を言って泣いてみせる場所や人があることが大事なんだとボクは思っているんです。
だから「二人親」や「一人親」というのは記号みたいなのもので、「2つの窓口」や「1つの窓口」と言い換えてもいいくらいなんです。
だから「お父さんが単身赴任で家にいません」となれば、「窓口は1つ」、実質上は「一人親」ということに子供側の窓口から考えるとなるとボクは考えています。
つまり役割分担とは「窓口の数」ってことです。
もう少し娘の話を書くと、我が妻はボクにこっそり報告に来る、「泣いてました」と。そして「私が言いに来たことは言わないでよ」って言う。
こっそり必要な情報は教えましたので、なにか言ってやってくださいねってわけです。
で、父親のボクの登場だ。いきなり「お前、泣いたらしいな。聞いたぞ!」なんていう。
あれほど言わないでねとくぎを刺した嫁は目が点になって、嫁は娘からスパイみたいな目で見られ、挙句に娘は「泣いてないモン」と強がってみせる。
娘にはボクには見せない顔があるってことです。知られたくない顔だってあるんでしょう。
そこでボクは解決策を提案する。たいした解決策じゃないよ。
「泣くには資格がいるんだぞ。泣いてもいいほどやって臨んだのかどうか。やる前からわかってたんじゃないのか、ヤバイかもって。それが1つ。
もう1つは点数なんて悪かったらそれで構わない。50点でも怒りゃしないよ。
ただ返ってきたテストを復習して、そうだな、この右側の列はしなくていいから、それ以外は復習してできるようにしたらそれでいいよ。できる?」
別に「右側の列」の問題が見たら難しそうだったからそう言ったんじゃないですよ。
それより前半の問題で間違ってるようだったから優先順位をしめしただけですね。
で、やったかどうかを確認するまでがボクの役割。慰めたりしないの。ボクは「泣くなってバッカじゃねー?」って感じでいく。
高校の数学なんてボクが見てもよくわからないけれど、「この問題はなにをしくじったの?」って聞くことはできるし、子供の説明を聞くことはできるからね。そこまで。
我が嫁はさ、率直に言って「点数なんてどうでもいい」んですよ、たぶん。そりゃあイイ点数のほうがイイと思ってるでしょう。
が、そばにいて聞いたわけじゃないけど「頑張ってたじゃない。じゅうぶんよ。少々悪くたってまた次頑張ればイイじゃない」くらいを言ったはずだ。
娘はそう言ってもらえるとわかって母親の前で泣いたんだと思うし、泣いたらいいんですよ。
言葉にすれば、我が家では母親は「愚痴る窓口」担当だから。
母親は「じゅうぶんよ、頑張ったじゃない」ってウチの子供たちみんなに言う。
ボクは「お前、泣くほどやったのか。泣くには資格がいるんだぞ」って真逆を言う。
そう、この真逆の立場を1つの家庭内で役割分担して言えるのが「二人親」の強みなんです。
役割分担として「情緒と論理」で一人の子供にに当たれる。それは「優しさと厳しさ」といってもいい。
じゃあ、「一人親」の場合どうするか?
もちろん一人二役でこなしている人もいる。
でもね、一人がその両極端の役割を担ったら、担う方はもちろんタイヘンなんです。子供側からしても窓口が「たった1つ」というのは、なかなか重たいですよね。全部ぶちまけるってわけにはいかない。
でも、この相談者の方は「一人二役」がある程度できて、ちゃんと機能していると思います。
それを示しているのがさっきも示したここだ。
4年生の入塾当初は、私のアドバイスを聞き入れてもらえない事もあったのですが、ストロング先生のメルマガやご著書を参考にさせていただき、苦しんでやらせた事には必ず成果を出すように努力してきた結果、「違う意見だけど、お母さんが言うなら一回やってみるよ。でも、うまくいかなかったら、次は自分のやり方を試させてね」と言ってくれるようになりました。
この役割はどちらかというと、「お父さん的」であり、厳しさのほうが勝っている接し方だとボクは考えています。解決策を提案する立場ね。
「一人親」が一人二役をやるときは、厳しさのほうに軸足を置かないと、うまく機能しないことが多いから、これは正解に近い接し方をしていると推定します。
塾や学校の先生なんかがお子さんをかわいがってくれて、「お母さん的」によく声をかけてくれたり、励ましたりしてくれているのかもしれない。
先生は「頑張る子」は、かわいがってくれるから、それも相談者がきっちりやってきた結果、引き寄せたものとも考えられます。
一人親家庭で気をつけるべき事や、父親役&母親役の一人二役の上手な演じ方など、
で、気をつけるべき点があるとすれば、泣いたり愚痴を言ったりする場所や人、それも無差別にどこかにそれがあればイイというのではなく、祖父母や塾や学校の先生など信頼が置けて、それがコッソリでも入ってくる方が意図していれば、いいでしょう。
塾には「一人親」の家庭の子供もたくさんいるし、家庭教師で行っても「一人親」はたくさんあるけれど、ボクが行くとたいていは「愚痴を聞く係」になる。これはその人間の性格なんかにもきっと左右されるんだろうけれど、たいていは愚痴を聞く立場にボクはなる。
「母ちゃんがうるせぇーんだよ」なんてさ。
言っちゃいけないことっていうのもあるけれど、言いたいこともあるじゃないですか。「どこにも連れてってもらえない」っていうのも、よく聞かされた。
なんでお母さんが「うるさい」のかも「なぜどこにも連れて行ってもらえないのか」も、わかってるんだけど、言いたいんですよ。
そのとき、ボクがその「一人親」の方から聞いているさまざまな事情な話をボクの語りでその子に聞かせる。
母親がうるさい理由や連れて行ってもらえない理由は、こうこういういうわけだろ、わかってんだろってね。
わかっちゃいるけど言いたくて、他人に言われれば「わかってますよ」ってなるんだけど、言いたい話っていうのがどうしても出てくる。
それを気軽に言える場所や人をできれば見つけるように、設置するように努力すればいいんじゃないでしょうかね。
「お前さ、どこにも連れて行ってもらえないとかいうけど、ウチなんてこの5年で行ったのは近所の体育館だけやぞ」なんてボクが言うと、まあうれしそうな顔するの。
こんな会話して、なーんも問題や悩みは葛藤や寂しさは解決してないんですよ。
でも、それが自然と出せたりする場所があったら、子供はラクなんだろうなあって推測します。
中学受験も高校受験も入試までじゃなく、そのあとで何年も「頑張り続けない」といけないじゃないですか。
「頑張る」って、一言でいえば、とっても単調な毎日を日々淡々と過ごすってことだと思うんです。
「あああーーー」って叫びたくなるのは、成績が悪い子もそうだろうけど、日々頑張ってる子のほうがそう思う率は高くなる。
「日常中の日常」っていうのか、変わり映えしない日々。そこに成果を追求する厳しさが加わると、少しだけフッとラクになりたいって時がくる。
特に成果を追求しながら、その成果が思い通りにでなかったときとかは「フーー」って息を吐きだしたくなる。
その時にそれができる場所がお子さんにあったらイイですね。
一人二役でそれを担ってこなそうとするなら、一緒にお子さんと「フーー」ってやったらイイ。
親も違う顔を子供にみせたり、弱さを見せて泣いたっていいんですよ。
ボクが映画なんかを子供と一緒に見ることをススメルのも、子供に「この場面で泣くのか」って違う顔を見せられるから。
一緒にいても、わかんないことだらけなんですよ。ぜ~んぶ説明するわけにはいかないんだから。
好きな絵本や本が一緒というのなんてその逆で「一緒なんだなあ」って思える材料になる。
で、また普段通りに戻るんですよ。
「友達親子」っていうのは勉強をやらせたらうまくいかないことが多いんだけど、それは日常が「友達」だから、厳しさが、成果を追求する厳しさがそこにないなら、なあなあになる。
でもね、厳しさが基調の親が違う顔を見せたら、それは一人二役をするってことなんですよ。
普段がダーダーでなあなあの状態から厳しさっていうのを求めるのはとっても難易度が高くて、だいたいできないんだけど、普段厳しい状態から一瞬ダーダーでなあなあになるのは効果的です。
まあ、ダーダーでなあなあの状態を親が見せれば、子供は常にそれに乗っかってこようとするし、そっちのほうがラクだからそうしようとするので、もし違う顔を見せるときは、勉強の時じゃなく、映画を見るときとか、何かのきっかけの時に勉強以外の場所でそれを見せるようにしたらいいですね。
最後にこのCMは以前どこかで紹介したことがあるけれど・・・
見たことありますよね?
説明するのはヤボだけど、妹が浪人生のお兄ちゃんに「まずくない? 言わないとか、お父さんいじけちゃうよ?」と注意するんだな。
で、お兄ちゃんが父親の遺影に向かって報告する。そのあと妹が聞くわけだ「お父さんなって言ってた?」ってさ。
生前のお父さんの口癖は「かんべんしてくれよ~」・・・
亡くなった人は、なーにも答えないよね。
ボクが問いかけてもホントなんにも答えないんだ。
でも、報告はできるし、対話だってできる。答えは返ってこないけれど、わかるんだ、言う答えは。
あなたもご主人に聞いたら、答えそうなことってわかると思う。
あなたのお子さんが泣いたり愚痴を言ったりする場所や人は、亡くなった父親の前なのかもしれませんよ。
であれば、一人二役なんて気張らなくても、亡くなってもちゃんと父親として「母親的な」泣いたり愚痴を言ったりする場所をご主人がお子さんに提供してくれているじゃなかろうか。
『人は二度死ぬ』と言う。
一度目は身体の死、そして二度目は遺された者から忘れ去られ、誰からも思い出されなくなったとき。
忘れなければ、いつまでもそこにいて見てくれてる。みんなね、亡くなっても遠くには行かないの。ちゃんとそばで見守ってくれてるからさ。
決して「一人親」なんかじゃないんですよ。仮に「一人親」としても、あなたの手腕はここまですばらしかった。これからもっとすばらしくなっていけばいい。
なれるはずだ。みんなが見てくれてるからね。
真面目に誠実に生きるのみ!誰に見られてもいいよね(#^.^#)
ノリ勉終わったよ報告
小5 ひらめさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?
何度も復習して、身につけさせるところ。筆算の書き方も、先生のアドバイスのおかげで参考になりました。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?
普段から、答えを写したり、いい加減なことをしていたので、親はよくそばにいましたが、じっと書いているものを見ていて、横でささやくというのはなかなか難しかったです。
勉強の進め方は非常に参考になりました。
復習が大事とはわかっていても、なかなかここまでするのは時間を割きすぎるかなと思いましたが、まず、今までの問題を理解していないと、次に前にすすめないなと思い、優先順位が高いものだと思いました。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?
はい。雰囲気を変えただけで、子供が楽しそうにやっていたので、今後も、ポン作戦をやろうと思います。
5日目「難しそうな問題も、解き方を理解したら、簡単に解いているので、ここまでのレベルにもってきたらいいのかと思いました」とありました。
解けるで終わらないことが大事ですからね!!そのことが頭ではなく、身体でわかり、子供を見て実感できれば、言うことありません!