こんにちは、ストロング宮迫です。
東京都美術館の「生誕300年記念 若冲展」が大変な人気らしく「320分待ち」なんだとか(;`O´)o
カラフル&ユーモラスな絵を見る前に、まずは地獄絵図を見なければならない(+_+)
10時半現在の若冲展待機列、もはや悪天候ボーナスもなし…。最後尾は交番入口交番前。 pic.twitter.com/I5zWJikeLp
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) 2016年5月17日
去年はボクも京都や六本木やその他全国のあちこちでこの地獄に遭遇した。ボクの経験した地獄は「待ち地獄」のほうではなく「人混み地獄」だ。
人、人、おばちゃん、おじさん、人、人、人・・・
全然見えんやないか地獄ですな。
ボクのように特別な愛好家でもない者は、いくつかの見たいものがあるだけなんだけどなあ。遠くから近くから数点をじっくり見たいだけなんだよ。
でも、見えるのは他人の頭、頭、頭・・・
待っても待っても「人が一瞬も途切れない地獄」。
きっと少ないだろうと思って平日の朝とか昼に行っても「途切れない地獄」って、日本人はどんだけ美術愛好家なんだよって思いますな。
今はどこでも各展示作品を500円ほど払えば順路通りに順番に解説してくれるガイドの機器があって、みんなあれを耳に着けて回ってる。
あれなんじゃないか、元凶は・・・
みんなが一定の速度で回るから、いつまでたっても人が「途切れない地獄」が起きるんじゃないか、入場者も入れすぎなんじゃないかとも思いますね。
仕方なくじっくり見るのは諦めて、図録でじっくり見ようかと帰りの売店に並べば、アイドル歌手の握手会並みの混雑ぶりだ。
図録買うだけなのに汗だくになって40分待ちとか気が狂う。
くったくたになっても、行って見るのはチョッピリで、ほとんどは他人の頭だけを見ただけで後味が悪くなったことが去年はいっぱいあった。
だから、もう「地獄」が予想されるところ、行ってみたら「たぶん地獄」と予想されるところには行かないし、行っても入らずに帰るって去年の末に決めました。
子供たちがよく言う「意味ないじゃん!」って思ったからね。図録だけ買って虫眼鏡で何回も見たほうがよっぽどいいもの。
ボクがこれから行くのは、こういうところね。
並んでからどの位の月日が流れたのだろう。ふと目が覚めると和歌山にいた。そう、ここは行列とは無縁のユートピアだ。しかも入館無料だという…。#若冲展SF
【国際博物館の日を記念して22日まで入館無料☆「徳川吉宗と紀州の明君」展開催中】 pic.twitter.com/02M9KW1oUZ— 和歌山市立博物館 (@w_city_hakubuts) 2016年5月20日
貸し切り状態で、人の頭が目に入らずのところね。
入館無料なのに「行列とは無縁のユートピア」とは言いえて妙だ。
行列せずに行列図を観よう!
現在3点の江戸時代の行列図を展示中!★種姫婚礼行列図(江戸後期)★文政八年御入国行列図(1825年)★栗林八幡宮参拝行列図(江戸後期)
【特別陳列「徳川吉宗と紀州の明君」展/22日まで入館無料】#若冲展 pic.twitter.com/DgIO0SxmLT— 和歌山市立博物館 (@w_city_hakubuts) 2016年5月20日
グッ!! ( ̄ε ̄〃)b すばらしい。
ボクは和歌山市立博物館を応援します!
「○○を見ないと・・・」「○○に行かないと・・・」は時代遅れ、なに見ても、なに聞いても、なに読んでも、どこに行っても、常に自分の土俵に引き寄せ、乗せて、あらゆることを吸い取るべし!
これが「成績がイイ子」の王道だからね。
もう1つね、最近、地獄絵図を見ました。
まあ、これはボクが地獄絵図って思っただけで、あなたにはそう見えないかもしれないんだけ(>_<)
この前、咳がどうしても止まらなかったので、どんなに待っても「診察は5秒で済む」通称「急ぎ働きサクサク病院」に行ってみてもらって、薬局で薬をもらいました。
病院で診察を待っている間、幼稚園児を連れたお母さんが横にいて、幼稚園児が絵本を持ってきて「読んで」って言ったんだけど、お母さんはスマホを見てた。
「あとでね」って言った。
たしかに幼稚園児のほうも、ただ暇なだけで「どうしてもこれを読んでほしいんだ」ってオーラは出てなかったんだけれど、絵本を出してはしまいを繰り返していました。
ボクの診察が先で、薬局へも先に行ったんだけど、あとから来たその親子が再びそばに座って、お母さんがまたスマホを出して画面を手で操作し始めた。
幼稚園児が再び薬局にあった絵本をもってきて「お母さん、今度は読んで」って言った。
たしかに薬局では「今度は・・・」って言ったんです(#^.^#)
お母さんは「ちょっと待って。あとでね」って【また】言った。
お仕事の合間に病院まで連れてきて、きっと仕事のやりとりでもしてるんだろうっと思ってた(好意的な見方)。
ボクは元来、意地悪だから、「きっと仕事」と思いつつも、心の中で「さあ、どっちだ? 仕事か、それともLINEか」って期待に胸を膨らませる。
お母さんの横顔をストーカーと思われない程度にじっくり観察してみると、顔からの判定では「絶対にLINEだ!」って思ったんだ。
ボクはどうしても「自分の推理」の答えが知りたくて、「さりげなく」から「じっくり観察」へ、そしてとうとうお母さんをガン見してしまった。
穴のあくほど見つめるとはこのことだ。
だって「診察は5秒」だったのに、薬局は「若冲展」ほどではないけど人気らしく、「待ち」が長いんだもん。
そこの薬局はね、T字に椅子が置かれた待合室で、ボクは「T]の上側の棒の向きの椅子に座り、「絵本は断じて読まない」お母さんと子供は「T」の下の棒側の椅子に座ってる。
ちょうどボクは正面を向いたお母さんを真横から見ている感じだ。
「答え」を「どうしても知りたい」って思うと、人はどういう行為に走るか?
子供の勉強を見ているあなたならば、知っているでしょう!
そう、カンニングだ!
推理小説を読んでいる途中なのに、早く結末が知りたくて、結論のほうを先に読んじゃうダメなタイプね(^^)!
子供の頃からおじさんになるまで、この癖は治らない。
ガン見、ガン見、ガン見。ほぼストーカーだ((+_+))
見ていると、お母さんのスマホに対する指先は文字を打っている動きじゃない。
なんかね「d」を書くみたいな指の動きをしてる。
「なんだ、これは?」
お母さんはスマホの画面に盛んに「d」の文字をかなり大きく、最後は指先をはじくような動作。
あああああ・・・スマホの画面はなんなんだーー!!!
とうとうボクは「カンニング」を決意した。一線を越えてしまったんだ。
ボクは光の加減がイイ感じになるほうへ、腰を浮かせて少しだけ移動し、あろうことか腰を浮かせて覗き込んだ。
ダメだ、完全に変態だ。
画面を見た限りでは、あれはゲームかなんかだったんだと思います。「d」攻撃で敵を多分倒してたんだな。
なんか画面上でパチンとはじけるようなのが見えたから。
咳が止まったよ。
大胆な「カンニング」をしたわりに得られたものはわずかだった。
でもね、子供はこうして親が意図したのとは違う人間になっていくんだと思うんですよ。
だって子供も親が自分のそばでなにをしているのか、わかってるんだから。子供も画面をのぞき込んでたからさ。
「ちょっと待って」の先で子供が見たものはお母さんの「d」攻撃だった。
子供はね、その衝撃についてたぶんよくわかっていないし、説明もできない。
きっと事情があって、この画面を早いうちにクリアしなければならないのだというような(好意的)ことがあって、そうしてたと思うけれど、なんかせつなくてねえ。
子供はね、「あとでね」って言われたら覚えてるの。そしてお母さんを見るでしょ。で、学ぶんだ。
「絵本を読むよりゲームのほうがより大切だ」ってね。優先順位が高いんだねって。
お母さんは、そんなふうには絶対に思っていないはずなんだけど、でもそう伝えてるんですよね、行動で、子供に。
さっき、子供は「その衝撃についてよくわかっていないし、説明もできない」って書いたけど、ボクみたいなどうしようもないマセたガキだったら口に出して言ったはずなんだ。
「絵本よりもゲームのほうがお母さんは大事だと思ってるんだね」ってね。そういう幼稚園児だったからさ。
賢かったわけでも、オトナだったわけでもなかったけれど、そういう場合は、親や大人が絶対にドキッとするように、傷つくように幼稚園児のボクなら言ったはずだ。
どういえば大人が傷つくかもわかってたような気がします。
言葉が出てこないなら、態度や行動でそれを示してた。そういうガキもいるってことなんですよ。
あなたの家のイイ子ちゃんは、そんなことは言わないし、態度でも行動でも表さないんだろうけれど、それは子供が「絵本よりもゲームのほうが大切なんだねと思っていない」ってことにはならない。
ボクみたいなクソガキは、そういうことがあったら、それ以後、ボクに対して理不尽な要求はもとより、親や大人からの正しい要求でさえもひっくり返せる重大な瑕疵をすでに見つけ、いくつも握っているようにふるまう。
イヤなガキだねえ(;_;)/~~~
先生に対してもそうだった。「ボクは先生があのときたしかにその気はなかったとしても殺人を犯したのをこの目で見てたんだよ」って態度を大人にする。
「罪を犯した」大人や親を冷ややかに、バカにしたような目で見るようになる。だからね、大人には嫌われた。蛇蝎のごとくだ。
でも、親や大人のそうした振る舞いが一層ボクを冷ややかにさせて、大人を見るようにさらに導く。
「やるべきことをやれっていうけど、スマホでゲームしてたよね?」って、とっても長い間覚えていて、直接言ったり、ほのめかしたりして、イジり倒す。
こうするとね、ガキの完全勝利になるんです。
こうしてマセて、イヤなガキは大人たちを制していく。チーンなんですよね、これで。
地獄絵図を見てたら、いつのまにか本当に地獄に行ってしまったような話なんです。
ガキに制せられる親が地獄なだけじゃなく、そんなふうにしか大人や世の中を見られなくなってしまう子供にとってもそれは地獄なんです。
たぶんこのお母さんはこの日だけ、病院に来ていた時だけ、そうだったわけじゃない(断定)はずだ。
いつもなんだ「あとでね」は。
子供も近いうちに「d」攻撃で敵を倒すようになるだろう(推測)。
ゲームをするようになることが問題だって言ってるんじゃないんです。
知らず知らずのうちに親子の力関係がヘンチクリンに逆転してしまって、主従が逆になって、めしを食わしてもらっているのに、そのことはすっ飛んでしまうってことなんです。
子供「自分がゲームをすることになにか文句ある?」
母親「いいえ、めっそうもございません。どうぞどうぞ」
感謝なんてものは生まれようがないんだ、この関係じゃ。
ここにね、「依存と拒否の共存」が芽生える。
相矛盾する関係や相矛盾する論理が平気で家庭内でまかり通るようになり、相矛盾しているからこそ、その共存は破綻する。
ただその破綻の仕方がそれぞれなだけでね。
「親殺し・子殺し・人殺し」までいってしまうのは稀で最悪の形。
もっとも軽い症状だったら「もう勉強なんかやりたくない」から始まって「そう言わずにもう少しここだけやってみようよ」「イヤダーーー!」「もうしらないからね」….etc しばしバトル。
バトル後、「ごめんなさい。やっぱやる」「そうこなくっちゃ。ほら、できるじゃない」「うん、できた」甘えてきて抱きしめあって大団円!
これなんか「依存と拒否が共存」の初期の症状といっていいでしょう。
そういうのとは無縁の親子っていうのもたくさんいるけれど、「依存と拒否が共存」している家庭も増えてきているのが現状です。
その芽生えがね、ガキの頃の「ちょっと待ってね」から始まるってことです。
「ちょっと待ってね」なんていうのはいくらでもあるんですよ、そんなことはね。
待たせておくべきってこともあるし。
ただその「ちょっと待って」が言葉通り全然「ちょっと」じゃないとか、いつまで「待っても」こないとか、守られない約束で積み重ねられていくことが問題なのであって。
子供にとって、親がつけた理不尽と思える優先順位は、説明され納得しなければ、のちに子供から親への復讐という形でさまざまな形で現れてくるってことです。
だからね、恐ろしいよ、環境は。子供はそれぞれの環境で育って、親が思っているのとまるで違う人間になっていく。
「そんなこと言ってないし、言ったこともない」って親は思っているけれど、やってるのよ、親自身がね。
親技の「親が変われば子供が変わる」の「親が変われば・・・」は勉強面に限定しているので、そこまで突っ込んで指してはいないけれど、小さい子でも「親がしたことをちゃんと覚えている子供がいる」ことは知っておいてほしいですな。
今のあなたのお子さんは、あなたが創った環境や言葉遣いや生活や習慣によって、ここまで育った。あなたの考え方や価値観に基づく生き方すべてが子供を制してる。
だからね、誰でも子供をモンスターにできるんです。
子供にね、「チッ」とか「チェッ」とか「はああ」とか「よく言うよ」とか「お前が言う?」って思わせ続ければ、相当なモンスターなんてすぐできるんだから。
怖いのは、そのモンスターを日々創っている親自身が「そのことに気づいていない」ってことが最も恐ろしいことなんであってね。
自分で手に負えないモンスターを社会に出すわけだから。これこそまさに地獄絵図だ。
「待ち地獄」や「人の頭地獄」なんて天国みたいなもんだ。
「待ち地獄」は待ちさえすれば解消されるし、「人の頭地獄」は行かなきゃ見なくて済む。
でも子供はね、そうはいかないのよ。どんどん毎日育っていっちゃうからね。
だから慎重に、丁寧に、時間をかけて、試行錯誤しながら、やる。
こんなことを書くと我が子が心配になるかもしれないけれど、大丈夫です(;^ω^)
ちゃんと向き合って話してね、「どうしてそう言うのか」「どうしてそうするのか」に耳を傾けたり、想像したりして探りさえすればいいんだから。
問題や課題を解決しなくてもよろしい!解決すべし!なんて力む必要もない。
親と子供との問題は「解決なんてない」ともいえる。
「解決しよう」って思って、信じて、ともに話し合いながら進んでいけるなら、時間が解決してくれるか、問題自体を忘れさせてくれるから。
ただ、「家政婦は見た」じゃないけれど、「子供は親を隅々まで見てる」ってことを忘れないように。
言葉にうまくできないだけで、あなたが自分(子供)に対してしたこと、言ったことは「ちゃんと見て、のちのちまで覚えてる」からね。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・・
小4 みずママさん
無料メルマガを数ヶ月読んでおり、ずっと気になりつつもなかなか手を出せなかった「10の鉄則」。
しかしながら、元々集中する時としない時の差が激しい上、2ヶ月前から始めた塾の宿題が加わり、週末は延々と勉強する割にはほとんど進んでいない!という状態にさすがに「これはマズイ」と思い、購読を決めました。
読んでみて、あまりにも親が何もしてこなかったことに愕然とするほどでした。
今のところ、学校でも塾でも成績は悪くないのですが、そのことが奇跡のように思えました。
とはいえ、フルタイムで仕事をしており、また、親自身も資格取得を目指して勉強中(しかも学校の保護者会役員の仕事まであるアップアップの状態)の身なので、どこまでできるか、全く自信はありません。
ですが、まずは自分から!まずは走りながら考えよう!と思い、ハードルが低いところから少しずつ鉄則を実行していきたいと思います。
まずは鉄則7,8を実践してみます。
親としてどこまでできるのか全く自信はありませんが、考えていても進まないので、「トライ&エラー」の精神で走り出してみます!
「ダラダラ2時間勉強する」と「集中し1時間勉強する」どっちがいいか?
この2つ、もちろん「集中し1時間勉強する」ほうを選ぶ方が多いと思いますが、どちらもやってみてテストの点数を比べる方は少ない。
間違いなく「集中し1時間勉強する」が成果が出る。特に今4年生なら確実です。
しかし、これから学年が上がり、5年、6年となっていくと、少し様子が変わってくることをそれを実践した方はご存知のはず。そこで、「何を」「どれくらい」勉強するかが学年が上がるにつれて問題になってくる。
どんなに頑張って勉強しても、たとえば算数の1番をボコボコ落としていたら、頑張っても成績は上がらない。
また「集中し1時間勉強する」では、まるでテストで点数が取れないこともハイレベルな戦いになると出てくる。「1時間じゃどうにもならない」というわけです。
しかし、いかなる場合であろうとも、まずは「30分集中して頑張ると約束して勉強する」が出発点。
30分が1時間になり、2時間、3時間へ。勉強はやればできる!けれど、それは全員じゃない。親の勉強のさせ方を本気で考えましょう。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・・
中2 翔さん
メルマガはもう2年購読していますので、親技がどういうものかはわかっていると思っていました。
しかし、『10の鉄則』を購入し、わかったつもりになっていたと反省をしています。
なんとなく実行して、どれもが全部中途半端でした。子供の成績のことを言う前にやはり親がやらなくては!と感じました。
この2年間の「わかったつもり期間」が悔やまれますが、「気付いたときがスタート」の言葉を胸に一つずつ実行していきたいと思います。
部活で帰りが遅く、集中して短時間で勉強をする必要がありますので中2では『10の鉄則』の第3章を重点的にやり、中3になる前にその他のものに取り掛かりたいと思っています。
頑張ります!応援してください。
反省するべき点があるにせよ、それでも成績で校内20位を維持しているのは子供の頑張りはもちろんですが、親の手腕と言ってもいいのではないでしょうか。
大事なのは「今の結果」ではなく、1つ上のステップに上がった時に「今のやり方」が通用するのだろうか?と考えてみることです。
これからの上のステップとしては、「模試(実力テスト)」や「入試」そして高校に上がり、さらに難易度、ボリュームが膨らんだ時に「対応できる力」があるかなどがあるでしょう。
鉄則実行の精度を上げ、あと1年半ほどにそれを仕上げていかねばなりません。
勉強に関していえば、してやれるのはあと1年半。やることは山ほどありますぞ!ファイト!