こんにちは、ストロング宮迫です。
この前、小学生から「新しいクラスにイイ友達がいない」と寂しそうに言われてドキッとしました。
「イイ友達」がいなければ、探すか新たに作り出す、友達なんていなくてもイイやって開き直るしかないんだけれど、嘆いてみせる小学生。
もう少し前には、こちらが問いもしないのに「あ~あ、疲れた。疲れたわ~」と繰り返し発する小学生にも出会った。
様子を見ていると「なんで疲れてるの? なにかあったの?」って聞いてほしい、それを言ってもらうために「疲れた」を連発していると見てとれた。
ボクはそうは思ったけれど子供の態度が横柄だったのであえて「どうしたの?」って問わなかった。一緒に中学生がいたんですが、あとで聞いたら「ボクも聞いてほしいんだなって思った」けれど、面倒になりそうだから突っ込まなかったと言ってました。
子供の「聞いてほしい」は、時と場合と各人の事情によって、受け止められずスルーされる。
実際は本当に「聞いてほしい」と思っていたかどうかは定かじゃないけれど、これらがスルーされ続けると一定の割合で五月病になるんでしょう。
コトバンクによれば「五月病」とは
新しい環境に適応できず、焦り、ストレスを感じ、気持ちが落ち込むうつ状態。医学用語ではなく通称。
もとは大学新入生が5月の連休明け頃から急激に無気力、無関心になることから名づけられたが、時期は5月にかぎらず、また中学・高校生や新入社員にもみられる。
これは「中学・高校生や新入社員」に限らず、親にも見られる現象じゃないでしょうかね。
バタバタした春休みから4月の新生活がようやく落ち着いたと思ったらGWに突入。もう1回新たな気持ちでGW明けから始めなきゃいけない。
ボクはそれを「新学期は二度やってくる」と言っているけれど、本格的なスタートが通常よりさらに1か月半遅れると、あとがしんどくなります。
バタバタが短い期間1回限りなら踏ん張れるけれど、バタバタが短い期間に連続して2回立て続けに起こると「急激に無気力、無関心になる」。
このバタバタに成績急降下の報が加わってトリプルパンチになると一層気分は落ち込んでしまう。
だから子供たちが言う「新しいクラスにイイ友達がいない」とか「あ~あ、疲れた~」くらいはまだかわいいものなのかもしれません。
でも、そのスルーが溜まり続けると、
なんでそんなことをしたのか、
今から考えるとバカだったなと思うけど、
これはもうそのときの心理状態とか環境とか
いろんなことがあって、自分でそういうものに
走ってしまった
これは産経新聞の記事にあった江夏さんの言葉だけれど、ときに「おおごと」にまで発展していく。
追い込まれるまでのどこかの段階で誰かが、なにかの手を打っていかないといけないってことですよね。
連打のスルーさえしなければ「おおごと」にはなりませんから。
そして、その打ち手っていうのは、それほど難しく、また大げさに考える必要はないとボクは思っています。
先の小学生であれば、いつもここに書いているように「話す」「話し合う」ってことだけで症状はずいぶん和らぐ。
話した小学生は二人とも、親は共働きと自営で、子供一人でいる時間が比較的長い子供でした。一緒に過ごす時間が少なくなると「話し合う」より指示することが多くなる。
言うべきことは言っているかもしれないけれど、「こうしなさい」っていう指示じゃなくて「話す・話し合う」というのがポイントです。
自分から話して「離さない」と本当の意味での「話した」ことにはなりませんから。
江夏さんは現役時代「一匹狼」って言われてました。清原さんは「番長」ですよね。
彼らは通称通り、孤高のイメージが常にありましたが、「色がまだついていない」子供たちにはそれがありませんから、スルーされにくいのが幸いです。
もう1つ、この時期に五月病になりやすい要因として「頑張りすぎ」というのもあります。
これは小5と中3の子供でつい最近見たんですが、塾のテキストで単元の最後に「チャレンジ問題」という名だったか、入試問題が出てる。
該当単元に関する入試問題が「チャレンジ」として出てた。
小5は算数の大問2つで6問、中3は英語の長文問題で大問1つで5問でしたが、二人とも頑張ってそこまでたどり着いて、最後にやったらできなくて、ガツンとやられてる。
くしくも二人が同じことを言いました「全然できなくて、もうイヤです」ってね。小5は意気消沈で、中3の女の子なんか、今にも泣きださんばかりだ。
テキスト上は基本から始まって応用発展と段階を経て進み、最後の仕上げとして入試問題を親切にのっけてるだけなんです。
やってもやらなくてもイイよ、できる人はやってみたらイイねって扱いの最後の問題ですから、やらない子供も多いはずなんです。
でも、頑張って最後までやり切りたいと思った子供が最後の最後でブッ飛ばされてる。頑張ったがゆえに・・・そして自信喪失だ。
親の方にはよく考えてもらいたいんだけれど、入試問題っていうのは子供たちにはなかなか難しい問題です。その入試問題には学校名も書いてあったけれど、無名の偏差値の低いといわれる学校の問題だって、入試問題は難しいんです。
できなくて当然だし落ち込む必要はないし、できればラッキーだし、すごいことなんです。
「できませんでした」と泣きながら塾に行って先生がそう言ってくれて、話を聞いて子供が「できなくて当然なんだ」と納得できたならそれでOK。
でも、その二人の子供は撃沈して、そこまでにしてきた勉強もまるで無意味だったように話してました。
無名の偏差値の低いといわれる学校の問題ができないことでさらに打ちのめされて・・・
半分できた、8割できたなら救われるけれど、1問しか正解しなかった、2問だけ正解・・・ってなると、自分にダメな烙印を押された気分になる。現にそうなっていたからね。
だから説明したんです「できなくて当然なんだ」ってね。ここまでやろうとしたキミは選ばれし者なんだって。
その数少ない選ばれし者のキミが、そこまで達していおらず、入試問題までやろうとしなかった者よりも大きな挫折感を味わってるって、おかしくないかってね。
頑張った者が落ち込み、頑張らずに入試問題までいかなかった者やそこに入試問題があることさえ知らなかった者が「できた!」って思って満足して宿題を終えてる。
ここに逆転の芽生えが出てくるってことです。
その逆転とは、頑張った者が頑張ったがゆえに落ち込み、自信喪失して勉強量が減り、成績が下がることで生まれる歪んだ逆転だ。
いわば自滅です。
頑張ったがゆえに大きな挫折感を味わい、今までしてきた勉強を無意味に思い、やってもダメだと感じさせるだけで終わらないのがこの病の恐ろしいところ。
その小5生も中3生も、入試問題をやりながら「ムズい」と感じ、手に負えないってなりながらやっているから、大問のうち、やれば絶対にできる問題でさえ不正解になってる。
つまり入試問題という巨大な壁にぶち当たった時、子供は「できる問題」でさえ難しく感じ、【大問全部】が手に負えないと頭が認識しあきらめる。
正解できる問題でさえ、できていないんです。
わかりやすくいえば、毎年県大会予選の1回戦で毎年負け続けているチームが全国大会の甲子園優勝チームと対戦したと考えればイイ。
対戦する前から「どうせダメだ」って思ってる。「絶対にコールドで負けるよな」って試合前に思う。そうするとね、自分たちの力なんて半分も出せないんですよ。
1点は獲ろうとか、あの打者は気をつけようとか、できることが1つや2つはあるものなんだけど、まるでできない。
それがこの時期に入試問題をやった小5生にも中3生にも出てたってことです。繰り返すけれど、頑張ったがゆえにですよ。
雰囲気に飲まれるといってもいいし、自分で難しくしたともいえるし、やる前から負けてたともいえる。
だから、だから、力のある相手や問題とやるときは、与える側は気をつけないといけない。
大事に、大事に、気をつけて子供にぶつけてやらないと、できることさえまるでやらずに泣いて自信喪失ってことになる。
テキストは子供たちに親切でそう配置しているだけなんです。テキストに悪気はない。塾の先生も「絶対にやってこい!」なんて言ってない。できる人はやったらイイよって言っただけ。
誰も悪気がないのに、頑張った子供が落ち込んでる。
これも五月病の1つになりえるとボクは思っています。
「急激に無気力、無関心になる」のはワケがある。聞いたり見たりしたらすぐわかる。
連休明けまでにスルーの連打が続くようなら、ヤバイとお考えください。スルーの連打さえ、しなければ大丈夫ですから。