こんにちは、ストロング宮迫です。
新学年のスタートしましたが、ボクが昨日話した子供たちの声を紹介しましょう。
小2「ルンルンルン (^^)♪」
小4「ルンルン(^ε^)-☆」
小5「塾の勉強が増えて、だりぃ~」
小6「ムズいです。とてもムズい」
中1「英単語がなかなか覚えられない」
中3「学校の授業がまだ始まらないのでヒマです」
高1「暗記する英単語が難しくなった」
高3「演習問題がゲロムズ。勘弁してほしい」
まあ、それぞれですなあ。学年が上がって量が増え、質も上がればキツくなる。そうやってみんなステップアップしていく。
ただ塾も学校も学年が上がればカリキュラムに則って自動的にステップアップするけれど、
★子供がそれに合わせてステップアップできるのかどうかは別問題
この中の高1生の声が唯一我が子だったので、その声の中身を詳しく聞いてみたら「中学生までそんなに苦にしていなかった」はずの英単語の暗記に苦戦してるらしい。
聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!
これは、英単語に限らず、小学生でも中学生でもやっている暗記の基本でしょう。たいていの子供はそうする。
それは娘もやってるらしい。うん、わかるよ、毎日やってるもん(^ε^)-☆
でもやってんだけど、なんか頭にスッと入ってこなくなっているらしい。中学生の頃のようにスムーズにいかないらしい。
さて、問題です「あなたは親だったらなんてアドバイスしますか?」
そのアドバイスする前に、一番考えられるのは「頭にスッと入ってこなくなっている」こと自体を知らないって親が一番多いんですな(>_<)
子供が困ってることを知らないんです。
「知る必要がない」という方もいれば、「自分で解決すべし」という考え方の人もいるし、「いつのまにか解決していくよ」っていう待機派もいる。
どういう立場を採るかはあなた次第ですから、それについて文句はありません。でも知らないんじゃ、どうしようもない。
親技の立場は「子供が困っていることを聞いて知り、解決に向かって寄り添う」です。だから「困っている」ことが小さいうちに、大事になる前にいろいろと一緒に考えて試してみようって提案してる。
でも子供はあんまりそれを人には言わないんですよね、困っていることを。
すぐ助けを求めてくれたら救援に駆け付けられるけれど、救援要請はたいていは沈む直前だったりするから。
娘の英単語のことは私たち親が娘の話をよく聞いているから気づいたわけじゃない
(* ̄ノ ̄)/Ω
根っからの他力本願派の娘が「頭にスッと入ってこない」と頭を掻きむしって母親に泣きついたことでわかっただけだから。
だから自慢にはならない( ̄ii ̄)
でも考えてみて下さい。
もし子供が「自力本願派の頑張り屋さん」だったら、こんなに早く「この問題」が表に出てくることも気づくこともなかった。
親は「頑張らない屋さん」より「頑張り屋さん」がイイと思うだろうけど、表と裏、メリットとデメリットはなんにでも常にあって、
★問題の発見は「頑張らない屋さん」のほうが早い
だから子供を変えようとしなくてもイイじゃないですかってボクは思ってます。
「頑張らない屋さん」は「頑張らない屋さん」なりの戦い方があるし、「頑張り屋さん」は「頑張り屋さん」の戦いをすればイイ。
さて、「頑張らない屋さん」&他力本願派の娘は早速母親に救援要請だ!
救急車を呼ぶにはまだ相当軽傷だけれど、大げさなことが問題の発見が早くなったとポジティブに考えることにする。
救急車を呼んだ「患者」に対する、娘に対して我が妻が言っていたアドバイスを記しておきます。
「覚えられなかったら、覚えるまで、聞いて読んで書いて覚えるの。わかった?」
ワーォ!!
つまり、これは救急車を呼んだ「患者」に「あなたは大丈夫です。話せますし、歩けますよね? お気をつけて帰りなさい」って言ってると思うけど、どうでしょうかね?
そう言われた「患者」は、我が娘は「うん、わかった!母さんはすごいね、言う通りしてみるわ!」と笑顔で言う・・・・・
なわけないよ(;`O´)o
たいていは「やってるんだけど、できないの。一生懸命やっても、できないから困ってるんじゃない」と腹を立てるに決まってる。
救急車まで呼んだのに「たいしたことない、大丈夫」って言われてもね。
たしかに傷は軽傷だし、たいしたことないのはその通り。
でも、なんか引っかかってるのよ。のどに魚の骨か、お尻に押しピンくらいは刺さってる。
そっちの手当てをしてやると、また子供は自分で走り出す。でもその引っかかってるキズの手当てをしないと、走れなく、走らなくなるんだ、子供は。
それが50回重なったら、ムチいれようが、ドロップキックしようがテコでも動かなくなる。それが子供だし、人間なんですよ。
自分のことをわかってくれない人の言うことは一切耳に入らなくなる。これが「子供が言うことを聞きません」の元の部分ですよね。
初めて会った人だって子供はいくらでも言うことを聞きますよ、「わかってくれたら」ね。
でも、毎日一緒に暮らしてても「わかってくれない人」の言うことは聞かない。
それだけのことなんです。カンタンなことです。
いくらあなたがすばらしい解決法を知ってたってクソの役にも立たないんですよ、「子供の気持ち」がわからなければ。だって子供が聞いてくれないんだもん。
親はね、ずっと子供の背中を押すのは疲れるんです。少しは休憩もしたい。いいんですよ、休憩すれば。
問題は親が休憩したら子供も休憩ってなったら、親がいないと前に進まないってことになることです。親が休憩してても子供は自分で少しだけど前に進む。
親技で言っているのはそっちのほうで、休むことなくずっと背中を押しなさいって言うつもりはない。だってくたびれるもの、それは。
でも、子供の背中をな~にも押しもしないで「自分でどんどん進め!」ってわけにはいきませんよってことです。
「自分で勉強しません」ってよく聞かされるけれど「自分で勉強する」ようにあなたはなにをしたんですか?って問いたい。
【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】を100万回言うのが背中を押すことになるのか? 親がなにかしたことになるのか?
「自分のことなんだから」「あなたの将来のためよ」「やればできるの」「聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!」を聞いて「うん、そうだね」ってなるならそれでイイ、解決だ。
でも100万回言ってもどうも伝わってないなって思ったら、自分が言っていることは正しくて正論かもしれないけれど、子供に「なにもしていないな」って気づかないといけない。
100万回言う前に10万回くらいのところで気づけよ!
誤解を恐れずに言えば、子供はさ、「問題を解決してほしい」じゃない、「わかってほしい」だけなんです。
【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】そんなことはわかってる!だからやってんだ!でも、うまくいかないんだ!
もしかしたら「繰り返す」が足りないのかもしれないじゃない。3回やるところを5回やったら解決するかも。
あとはそのプラス2回をどう増やすか、やらせるかってところです。
それなのに「繰り返しやれば必ずできるようになるよ。あと2回やりな!」言う。子供は腹を立ててやらない。だからできない。
この手の話が時間の経過とともにいずれ重症になるのは「あと2回やりなよ」っていうアドバイスによって「3回じゃできないんだ」って気持ちが刷り込まれていくことなんです。
やる前から「5回やらないとできない」って思ってやるのと「なんとか1回で済ませられないかな(ペロリ (。→ω←。) )」と思ってやるのとでは頭の働きが全然違う。
結果として5回やらないとダメだったとしても、最初に取り組む気持ちで頭への残りかたはまるで別人になる。ずっと覚えているのと1か月後には全部忘れてるくらいの違いが出る。
そうやって子供は当初思っていたのとは別の人に時間とともになっていく。でも、そうしたんですよね、私たち親がね。
100万回正しいことを繰り返し言うことによってね。
チーン、合掌だ!
わかってやれ!わかってやってほしい、子供の気持ちを。
解決してほしいんじゃない。わかってほしいだけなんだ。それが序奏になり、助走になる。背中を押すことになる。
特にあなたの言う正論を一通りやっている子供には「その気持ちをわかってやる」ことを忘れないでほしい。
わかってやる、わかってやろうとすると【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】をオウム返しに言うのではなく、何かを考えたりアイデアを出そうとなれるから。
もう1つね、我が家の母と子のやり取りを聞いていて思ったことがあった。
我が妻なんかは自分が学生時代に暗記したとき【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】これをすれば、たいてい頭に入ったらしい。だから繰り返しやれば絶対に覚えられるって信念になってる。
ゆえに子供にはその信念を言う。たしかにそう思ってるからね。
でも、ボクはそうじゃなかった。【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】をしても、どうしてもこぼれ落ちてしまうものが多くあった。時間が足りなくなった。終わらなかった。
つまりね、やり方っていうのは2つのタイプに分かれると思うんです。うまくいった派とうまくいかなかった派です。
うまくいった派は、短時間で集中して繰り返せば問題なかったかもしれないけれど、うまくいかなかった派は時間もかけてやっても漏れがいっぱい出てくる。
我が娘は「ボクの派閥」です、完全にね。二人の息子のうち一人はやはり「ボクの派閥」で、もう一人はどうも「嫁派閥」だ。
我が家の家族5人のうち、派閥を分けると、うまくいった派2人、うまくいかなかった派3人という色分けになる。
同じ考えに基づいて、ほぼ同じことをやっているのに分かれるのよ、道が。真っ二つに分かれる。
問題は「うまくいった派」が親で、子供が「うまくいかなかった派」の場合だ。
これは本当に話していてもかみ合わない。「やればできる」「やってもできない」という終わりなき血みどろの抗争だ。
そこに「うまくいかなかった派」の代表のストロングという名の「わかってくれる王子」が登場すると、俄然同派閥で同じ気持ちを共有できる父娘はガッチリ握手できる。
ここに家庭内の分裂が起こる芽が生まれる。わかってくれる親とわかってくれない親に子供からは見える。
もし、もしですよ、家庭の中に「わかってくれる人」が出現しなかったら・・・投げやりになるか、反抗するか、グレるしかなくなる。
だからね、わかってやれ!願わくばわかってやろうと努力しろってことです。
その上で、ボクと娘を代表とする「うまくいかない派」が【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】をしても、うまくいかないときの大きな問題点がある。
問題点は大きくは「語彙が少ない」こと、「抽象的なイメージが広がらない」こと、この2点が問題点というか課題として挙げられます。
娘がやっている英単語のうち、覚えても覚えても浮かばず出てこない今週の英単語を見てみると、
大多数 majority
及んでいる range
~を消費する consume
~を見積もる estimate
事柄 affairなどがあります。
「大多数」なんて、すでに日本語でも使う頻度が多くなっている「マジョリティー」なんだからわかりそうなものだけど、娘は使ったことはもちろん聞いたこともない言葉なんですよね。
大人になった今のボクはすぐ書けるし、間違うことはない。でも、娘はそこがうまく頭の中でつながらない。
消費だってコンシューマーは日本語でも使うし、日々していることなんですが「~を消費する」イメージが言われないとわかないし、「~を見積もる」になると「なんですか、それは」のレベルだ。
ボクの見立ては英単語が出てこないんじゃなくて、日本語のイメージがうまく湧いてこないからなんじゃないかってことです。
「見積もる」のイメージができない者が「estimate」と何回言っても書いても聞いても「~を見積もる=estimate」が頭の中で成り立たないんだな。
これってよく覚えている、いつまでも覚えているときの土台になるものだから。
イメージは「自分で湧き立たせなさい」っていって念じても、元が空っぽだと湧き出てこないから話したり、見たりして「源泉を育てる」作業が必要になる。
でもテストは毎週あるから「源泉発掘作業」だけしてたらテストに間に合わなくなるから、手っ取り早くイメージをつかむ作業も同時並行で必要になる。
それなら語呂合わせでもいいんじゃねえかな。
ネットにはなんでもあるね。
estimate
「【エース!テメエと】俺は最高のバッテリーと【評価する】」
上出来ですなあ。すごい!
娘にどうかってとこだけどね。
range
物語:来年の書きぞめは、ボーリング場のレーンを借り切って盛大に行う予定である。レーン一杯を範囲とした豪快な文字を書くつもりだ。
「レーン(ran)字(ge)(範囲)の書きぞめ」
強引なバックドロップだけどすばらしい!
ボクの中ではこのやり方が、イメージがない子供には一番いいって今のところは思っています。
大事なのはここにある「物語」ですよね。
これは他人から借りてきたイメージであり物語だけど、もしこれが自分でできるようになったら
【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】
↓ ↓ ↓ ↓
【聞いて読んで【物語を考えて】書いて覚える!終わり!】
になったりもする。
すぐ「自分で考えなさい」って言うのはダメですよ。少し「物語」をどう作るかを話し合ったり、実際に作ってみたりの秘密親子会議をして「これ、おもろいわ!」って思ってもらってから、「自分で~」にしないとね。
以前、駿台予備校の講師による「生きるセンター漢字・小説語句」での例文が問題集としては不適切であると騒がれたことがありましたよね?
問題集では、
「彼女のなだらかなキュウリョウをうっとりと眺めた」
「彼女の生きたキセキをストーカーのように辿(たど)る」
「教授と私のミッセツな関係を誰にも気づかれてはいけない」
とかが出ていて、問題になったらしい。
これだって好きか嫌いかを別にすれば、ある種の「物語」であり、印象付けの結果でしょう。
キライな人や不愉快に思う人も多いんだろうけど、ボクの派閥である「うまくいかない派」の子供たちにとっては、ほとんど使うこともなく、イメージもできない「キュウリョウ」という言葉をなんとかイメージしてみてよって先生は頑張ったんだと思います。
学校でも塾でも、授業って「そういうもの」なんじゃないでしょうかね。説明するってそういうことでしょ。
「キュウリョウ」なんて漢字はさ、もしうちの娘に書かせたら間違いなく
「恐竜」
って書くと思います(>_<)
そこからなんですよ、うまくいかない派っていうのはね。
女の子には女の子がイメージしやすいものを考えたらイイ。先生が生徒にイメージを与えるのがダメなら、自分で勝手に想像してイメージを膨らませればイイだけ。
ボクにとって今回の件で子供の背中を押すとは【聞いて読んで書いて覚える!繰り返す!】を100万回言うことではなく、「なんかいい語呂合わせかイメージを物語にして一緒に考えようぜ!」です。
ネットの力も借りて、覚えにくい最初の100語、50語でもいいや。こうやって自分で物語を作ってイメージを膨らませていくんやで!というところまでは背中を押してやりたい。
50語か100語やったら、今度は「お前のこの英単語のイメージを聞かせてくれ」って言ってやったらイイ。
子供はなにを問われているのかがわかれば、そしてそれが自分でできると思えるものなら、自分で知恵を絞って頑張る。ちゃんと物語も拙くても自分なりのものを聞かせてくれる。
最初の一歩でつまづいている、もしくはつまづいているような気がするときの子供に「うんわかるよ、こういうのはどう?」は効くんじゃないでしょうかね。
ここでは英単語の話を書いたけれど、社会でも理科でも、そして漢字でも、いつまでも忘れないものっていうのは「物語」を子供が感じているものか、自分で物語として処理しているものばかりです。
これは中学入試も高校入試も大学入試も入試は全部同じだ。
歴史みたいにすでに物語があるなら比較的子供もわかりやすいけれど、物語がないものは、ないなら自分で想像して考えたらイイ。その想像は正しくなければならないなんてことはなくて、あなただけが思い浮かぶものでイイんだから。
親の方には、もし子供が困っているなら、延々と説明をしようとしないで「物語」を一緒に考えてみることをオススメします。その物語は親だけ、家庭内だけで成り立つ話になる。
秘密の会話、自分たちだけしかわからない会話が成り立つと、親子関係はそりゃあ良くなります。だって子供にとっては味方に見えるもの。
「物語」は文字通り「物を語る」んです。【聞いて読んで】の過程はもうそこに入ってる。加えて自分の解釈を入れるわけだから、そりゃあ強いよ。
遠回りのように思うけれど、長く覚えているものが入試では財産になる。
そのためにもまずは「困っていること」を知ってください。「困っていること」をわかってやってください。
わかってやれば、もう半分は解決したようなもんなんですから。
★タイガー山中は「伸びしろ」=「応用力」といい、「偏差値60を超えても伸び続ける力」であると定義しました。
今、同じ偏差値の子供だとしても、これから偏差値をアップしたいと思ったとき、スッと上がる子供と時間がかかる子供がいます。それが「伸びしろ」の違い。
これまで多くの方に読んでいただきましたが、新学期をスタートするにあたって、全6回の応用力を身につけるコツ&実践編を1つずつ改めて紹介していきます。
以前読んだ方でも、もう1回じっくり読んでみてほしいのです。以前は読んでも気づかなかったことに今なら気づくかもしれないから。
ノリ勉[算・数] 2日目の報告より
小6 みりさん
◆親の気づき・反省・問題点:
そばについてみると、当たり前なのですが、鉛筆の動きで理解の度合いが一目瞭然でした。
また問題の選び方がポイントだなと実感しました。今まではついつい難しい問題にばかり目がいっていて、落とし込みが甘かったと反省しています。
本人、途中の式や計算をがんばってましたが、筆算を小さく書くのでごちゃごちゃして見づらい、余白の使い方に工夫が必要、途中の式をもう少し頭の中だけで処理せず書き記すようにした方が間違えが少なくなるのでは、など問題点も見えてきました。
最終的に、正答率も時間も更新でき本人はニコニコ!こちらも褒めまくりました。
また気になった点をヤンワリ伝えると素直に聞き入れました。正直驚いてます。そうなると、またそこでも褒めることができます。いい循環です。
今までは勉強の結果の良し悪しだけで判断してたので、褒めることよりも追及することが多く、本人は勿論のこと私自身も後味の悪い気分になることが断然多かったと思います。
でもノリ勉2日目の勉強法のおかげでお互いに気持ち良く勉強を終えることができました。
メール・テキストを「みるだけ」と「やってみる」には本当に大きな差がありますね。
親子関係にも効果あり!の2日目でした。ありがとうございます!
やる問題を間違わないことです。その日になにをするのか、目的があって勉強する。
とりあえずやる勉強からは卒業する!
今日はどんな目的で勉強して、いかなる成果を出して終われるか。
成果がなにかがわかっていないとその勉強もできないが、シンプルに考えましょうよ。