こんにちは、ストロング宮迫です。
受験シーズンが終わろうとしています。受験生諸君、ご苦労さんでした。
「ああ、終わった・・・」と思っているかもしれないけれど、実はそれは始まりにすぎなかったことをいずれ知ることになるでしょう。
延々と続くマラソンなんだな、これが。
だから、ボクは「灰色の受験生活」というものを推奨しません。
人はいう。
人生のある時期、苦しい思いをして頑張ることも必要なんじゃないかと。
では、ある時期が終われば、苦しい思いはしなくてもよくなるのか?
灰色のあとにはバラ色が待っているのか?
もっと意地悪く言うと
灰色のあとには必ずバラ色が待っているのか?
そして、そのバラ色はある時期の灰色さえ通り越せば永遠なのか?
もちろんバラ色だけの歩みなんてものはないし、期待もしちゃいけないと思います。
でも、それぞれの歩みは、「灰色」→「バラ色」→「灰色」→「バラ色」・・・と一定期間交互にやってくるものではなく、
常に「灰色」と「バラ色」が一緒に同居すべきで、裏表であるというのがボクの考え方です。
灰色の受験生活のあとにバラ色の新しい学校生活と考えていれば、そのあとに来るのは間違いなく「灰色の学校生活」。
その「灰色」の期間は長く辛い。
また、いつも言うことですが、人生が永遠でないという立場に立てば、もし「灰色の受験生活」の時期に死が訪れれば、それはどういう人生と定義づけられるのかとも思うのです。
今日という日が「灰色」であってはいかん!今日は今日で今日だけなんだから。
明日もあると思うなよ!であります。
開高健さんはいろんなところでこう書きました。
明日世界が滅びるとしても
今日君はリンゴの木を植える
マルチン・ルターが最初に言ったともいわれているこの言葉。「明日世界が滅びるとしても・・・」であります。
壁には開高健のポートレイト。 pic.twitter.com/fhMeTN6dm7
— 橘 玲 (@ak_tch) 2016年5月10日
ゆえにたとえそれが苦しい受験生活であったとしても、「灰色」一色であってはいかんと思います。
「灰色」の中に「バラ色」、「バラ色」のなかに「灰色」。
できれば、今日の終わりは「バラ色」で締めたいもんですなあ。
受験生諸君!終わりは始まりなのであります!淡々と同じペースで努力すべし。
「覚悟を持って入学してきてください」ある進学校で配られたプリントが凄すぎると話題 https://t.co/Pyz8WlL7tA @misterspotlightさんから
— ストロング@親技.com (@strong5050) 2016年3月22日
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
中1、小4、小2 さくらさん
共働きで残業もあったりを言い訳にして子どもの勉強は、宿題した?などの確認のみ。
塾にいっていいれば、なんとか大丈夫かなという姿勢でした。
これまでは、塾にいってたこともあってか成績もいいほうでしたが、友人とのトラブルもあり、中1夏から、塾をやめて進研ゼミで勉強するといった長男。
1日30分はやろうと決めて少しづつやっていましたが、特に私が勉強を見ているわけでなく進捗管理も不十分で成績は下がるばかりでした。
試験に向けて塾にいってなくてもいい成績を残したいと言い出した長男に私のできることはなんだろうと思い見つけたのが10の鉄則でした。
学年末テストの開始3日前に届き、少しでもと思い鉄則の実践をしました。
勉強のやり方がわかっていなかったことに私のほうが愕然としましたが、なんとか暗記項目など前日にチェックして集中して勉強に臨むことができました。
結果は、実技教科はこれまでで最高点でしたが英語、数学はこれまで最低の点数。
本人もこのままではいけないと思い、試験後もやり直しなどを一緒に行い毎日勉強しています。
これまで、勉強を見ていなかったことを反省し、ここで親子でがんばらなきゃと思っているところです。
10の鉄則を読んでみて、今まで人任せにしていた子どもの勉強を私がやらなきゃ誰がやるといった気持で勇気を与えていただきました。これからどうぞよろしくお願いします。
なにをしたらいいのかわからず、キョロキョロしながら立ち止まっている子供たちがたくさんいます。
立ち止まってボーとしているように見えるけれど、実際は、焦っていたり、何とかしたいと強く思っていたり、内心は、大きな声で絶叫しています。
「どうしたらいいの?助けてー!」って。
だから、まずは「なにが困っているのか?」を知ること。
協力できることはないか聞いてあげること。そして、実際に協力してあげること。
その際、親が「先生」にならないことです。
親がするのは伴走ですから。先頭を走って、後ろを振り返りながら「走れ!走れ!」って言うことじゃない。
そんなことをしてたら、あるとき、振り返ると、子供は木陰でダラけた態度で「かったりぃー」とか「うぜぇー」とか言っていることでしょう。
厳しさはどうしたって必要だけで、それはガミガミと上から「先生」になって言うことじゃない。
子供たちに必要なのは「助け」であって、「ワァーワァー」言われることじゃあないですからね。