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こんにちは、ストロング宮迫です。

受験生にとっては今年最後の3連休ですね。模試もあり、なければ入試演習で3日間連続でバッチリ頭をフル活躍させる最後のチャンスの最終日。抜かりはないことでしょう。

3日連続で、それも全教科できるわけですから、これを逃したらもう冬休みにしかできなくなっちゃう(>_<)

あともう一歩の入試問題の壁にぶつかっている受験生は多数で、この前高校生の一人が「入試問題レベルっていくつか組み合わせただけじゃできない。あともう1つ気づくというか、ひねり出さないと解けない」という趣旨の発言をしていました。

ここで繰り返し述べているように「できない問題」の前に、いかに「できる問題」を正確に速く処理するかが最優先。

なんですが、そのあとは解答解説を見て「ああ、そういうことか」と感じる「ああ」の部分をテスト中に制限時間がある中で自分でひねり出せるようにならないといけない

解答解説を見て「ああ、そういうことか」が繰り返されると、果たして自分は入試までにそれらがスパッとテスト中に解けるようになるのか、そんな不安も受験生には出てきます。

でもね、解けるようになる!解けるようにするために入試演習をやるんですよね。入試演習で練習しないと解けるようにはならないけれど、どこかで解けるようになる。そこまで粘るんだよ!

その突破口がなんになるのか、言葉で言い表すことは難しいけれど、問題における事実の確認、問われている内容(出題者の意図)、単元組み合わせの内容、パターンなんかを瞬時に確認できるかどうかなんですよね。

これらは言われると「ああ、そういうことか」とわかる。それを自分で時間中にひねり出す訓練がまさに今の時期っていうわけです。

『凶運を語る女』っておもしろい小説で主人公のコンスタンチン・ヴァジム捜査官が問題における事実の確認、問われている内容(出題者の意図)、単元組み合わせの内容、パターンなんか考えている描写がある。

受験生が入試問題を解くときの頭の中ってこんな感じなんだと思うので少しだけ引用してみましょう。

ドナルド・ジェイムズ著『凶運を語る女』

輸入物のフォスターズ(※オーストラリアのビール名)の缶のプルタブに指をかけたとき、脳とその謎にふたたびまみえることになった。

例の正体不明の電気の火花が、脳のひとつの区画から別の区画へ弧を描いて跳躍した。つながった。ループ。それは1マイクロ秒のあいだ、そこでなにかと結びついた。おれはフォスターズの缶を下においた。

弧が一瞬、光輝を放ってピシッと音をたて、砕けてつながりが消えた。サンドウィッチをすこしかじってみたが、ぐしょぐしょになっていて味わえたものではなかった。ウィスキーがゆっくりおれの世界を鈍らせはじめていた。

ビールをひと口飲み、すばやくもうひと口ウィスキーを飲んだ。なにも映っていないテレビの前でビールをちびちびやりながら、ひじで押し分けるように記憶の道をたどろうとした。

一秒の何分の一か、そこになにかが見えたのに、がらくた頭はそれを逃がしてしまった。


ところがドロンスキー取調官によって、脳の別区画の爆薬にいきなり火がついた。例のシステムは生きていた。・・・火花はいま、シューッ、パチパチと、派手な音をたてていた。

受験生と違って、複雑で悩ましい事件の捜査は「答えがない」のが前提だから、こんなふうに長々と考える必要もあるでしょう。

でも受験生は試験会場でこれを「正体不明の電気の火花が、脳のひとつの区画から別の区画へ弧を描いて跳躍した。つながった。ループ。それは1マイクロ秒のあいだ、そこでなにかと結びついた」をやらなくちゃならない。

それが「1マイクロ秒のあいだ」に入試問題でできるのは、入試問題があらかじめ「答えがある」と決まっているからだし、出題者にはその問題を出した意図があることが明らかだからだ。

問題で与えられた条件や問われている内容を見て、答えはまだわからないけれど、出題者はこれを使って解いてほしいんだなとか読み解くから「なにかと結びつい」て「脳の別区画の爆薬にいきなり」火がつく。

問題の選択肢を見れば、「これに引っかかってほしんだな」という意図が見えることもある。入試は問題文だけじゃなく、問いや設問だってヒントになりうる。

ただそれも練習しないとできない。

これからの入試演習の訓練の最中に脳が火花を立て「シューッ、パチパチと、派手な音をたてて」いたひとつの区画から別の区画へ弧を描いて跳躍し、つながる経験があると、一度でもあると入試問題への取り組みが違ってくる。

その経験は子供に「必ず答えにたどり着ける。オレの考えで今足りないものはなんだ?」って強く自問自答することを迫る。

迫るから冷たい目で問題も見られる。見られるから気づく。そして結びつく。

ここに書いたことは極めて文系的なことで、問題を解く子供たちがこんなことを理屈だってしてるわけじゃない。でも、頭の中を説明しろといえば、そんな感じということ。

ここまで読んでくれた方はすでに気づいているでしょうが「正体不明の電気の火花が、脳のひとつの区画から別の区画へ弧を描いて跳躍」するためには基礎がいる。

各単元の例題や基本問題が身についているから、できるから「跳躍」が可能になるのであり、火花も立つ。

だから基本問題が理解できていなければ、火花は立ちようがない。

火花は「鋼鉄片の火打金」に「硬い石」を打ちあわせて出るもんだから。

打ち合わせるのは誰でもできるけれど、片方が弱ければ、たとえば片方が紙のようなものであれば、打ち合わせても火花は出ないように・・・

そのそれぞれの硬さこそが基礎であり、基本問題ができるってことです。

だから、これから受験生が入試演習をする時、各単元の基本問題ができていない状態だと気分は絶望的になる。だって打ち合わせようとしても、何も思い浮かばないから。

何も思い宇浮かばない問題を20分考えても、答えは出ないし、答えを出す前の過程もなんにも書けない。手つかずの問題が増える。それらは入試問題をいくらやっても解決しない。

問題は打ち合わせるもの「鋼鉄片の火打金」や「硬い石」なんだから。それは一言で言えば、各単元の「基本問題ができる」になる。

入試が迫ろうが、もうすぐだろうが、基本に返る、テキストや教科書の問題に返るということになる。みんなが入試問題をしているのに自分だけがテキストや教科書に返るのはしんどい作業になります。

また、基本に返るのはテキストや教科書だけじゃなく、低めの偏差値の学校の入試問題をやるってことになります。それが練習になる。

子供が火花を立てられないような学校の入試演習をやってもできるようにならない。

まずは火花が立つ問題からってことですね。

入試問題では全然火花が立たないなら、単元別に編集された入試問題でチャレンジするのもイイ。全範囲でドンじゃなく、単元ごとに入試問題に慣れていく。

塾なんかはそういうことをカリキュラムに組み入れて授業でしてくれているはずですが、もし子供がその授業で火花を立てられていないようなら、それは無駄になる。

入試演習は火花を立てる練習であって、火花も立たないような時間をいくら過ごしても、子供は「鋼鉄片の火打金」も「硬い石」も手にはできないのだから。

・・・というようなことをこの前、一緒にコーヒーを飲んだ高1の好青年と話しました。

駅ビルのガラス張りになっている通りに面したところでボクがコーヒー飲んでたところに目の前を通りかかったんですな。目が合ったので手招きして一緒にコーヒーを飲みました。

勉強も頑張っている中高一貫校組の好青年ですが、駿台模試で撃沈したらしい・・・数学がどうもいけないらしい。

冒頭に「入試問題レベルっていくつか組み合わせただけじゃできない。あともう1つ気づくというか、ひねり出さないと解けない」という趣旨の発言をしたのはこの子です。

解答解説を見ると「ああ、そういうことか」って思うらしいんですが、テスト中には思いつけないらしい。「勉強が足りないんでしょうね」って少し悲しそうな顔して言ってました。

学校の面談では先生から「部活をしている連中はこれから部活をしてない連中には勝てない」って言われたとか。「勉強時間が違うとも」。

だから言ったんです。

「今お前に必要なのは【思いつかない】って悩むことじゃなくて、学校でやっている各単元を鋼鉄片の火打金や硬い石にすることだよ。

まあそれはたいていできているようだから、順番では今度はそのとき鋼鉄片の火打金や硬い石にした単元の鮮度を腐らせないようにすること。

定期テストが終わってしばらくするとその時の単元が腐っっていくんだよ。腐ると、打ち合わせても火花が出ない。

ずっと鋼鉄片の火打金や硬い石のまま維持するっていうのは難しいし大変だけど、今やっている普段の勉強の中に1ヶ月前、2か月前、3ヶ月前にやった単元の勉強を30分、それが無理なら15分でも1問でも2問でもイイから触れておくんだよ。

金や石が粘土みたい柔らかくならないようにね。部活しているお前が部活してない連中と時間で勝負なんかしようとするなよ。だってそれじゃやる前から勝負は決まることになるだろ。

今のままでいいんだよ。目の前のことを必死に頑張る。そこに意識して過去に必死でやった勉強を少しだけ紛れ込ませる。3ヶ月前までいいんだよ、さかのぼるのは。それ以上さかのぼろうとすると今の生活が壊れてしますからさ。

今から初めてまずは1ヶ月前にやったことをこの1ヶ月で鮮度を保つ作業をする。3か月後には3か月後の鮮度が保たれているという理屈上は計算になる。その鮮度の保ち方で駿台模試がどうなるか。十分なのか、足りないのか、全然足りないのか、わかるよ。」

これは親技では公開実力テスト対策の基本的な考え方なんですが、習ったこと、復習してできるようにしたことのそのときの「鮮度」をいかに保つかは子供たちにとってはものすごく重要なことです。

定期テストや週テストに向けて勉強できるようにしたことでも3ヶ月何もしなければ結構忘れてしまうもんです。

時間も労力もかけて勉強したことを忘れる、忘れて「0」になるまで放置しておくなんてもったいないと思う。

まあ1回やったことを全部忘れて「0」になることはないんだけれど、半分忘れたら、あの時獲れた定期テストも週テストも今はできないってことになる。

少しの時間だけでも、日々の学習で過去にやった鮮度を保つ努力をするのは大変だけど、ちょっとだけでいいんですよ、その時間は。

忘れてしまったあとで思い出すにはまとまった時間が必要で、ドカンと時間がかかるけれど、忘れてしまう前にやれば、まだ覚えているから「ああ、あれね」ってすぐ思い出してすぐ終わる。

感覚的な話ですが、覚えていることが7割を切ったら、鋼鉄片の火打金や硬い石はもう「金」でも「石」でもなくなるんです。打ち合わせても火花が出ない。5割を切ったら、もう粘土になってる。打ち合わせたら、グシャッとそれぞれがつぶれる。

そんな状態で模試や実力テストを受けたら、受けるテストの難易度にもよるけれど、まあ撃沈しますわね。だって火花が立たないんだからさ。

受験生はそれが全範囲で問われるから骨が折れるんだけど、やるしかないですわね、みんな同じ条件なんだから。

親技では、入試では「できる問題」も2問は必ず落とすっていう前提で考えるけれど、みんな2問どころか5問も6問も落としてマイナス20点とか平気でなるからね。

それはカンタンな基本問題の鮮度が腐ってるってことなんです。基本の鮮度が腐ってるのに難しい問題をウンウン唸っても偏差値も順位も上がらない。

こういうことは小学生も中学生も言葉にはしない、というかたぶんまだ言葉にできないんだと思います。

高校生くらいになれば、意識が高ければ「あともう1つ気づくというか、ひねり出さないと解けない」なんて言葉に出して言えるけれど、「あと1つかどうか」さえわからないのが小学生であり、中学生です。

火花の話も小学生にも中学生にもしない。わからないから。だから身体で覚える。その身体で覚えるのが今受験生がやっている入試演習です。

その入試演習をそばで見ている親は今回の「火花を立てる」って話は理解できるでしょう。それを説明するのではなく、子供の入試演習の様子を見て判断したり判定したりしたらイイ。

その判断はどういう答えを書いたかではなく、その答えを出す前でにどんな作業をしたかを見たらわかる。わかるようになる。まあ、なりたければですがね。

小5の中2も、もうそろそろこうしたことを意識しなければなりません。子供は意識しないし、言葉で表すこともできないので、親か誰かが意識してみておいてやらないと、火花が出ない勉強を延々と1年以上もすることになる。

硬くなくちゃ火花は出ない。

正体不明の電気の火花が、脳のひとつの区画から別の区画へ弧を描いて跳躍した。つながった。ループ。それは1マイクロ秒のあいだ、そこでなにかと結びついた。

これを体験した子供は勉強が楽しくなる。考えることが楽しくなる。

「もう1つのなにかってなんだろう?」って考えるから見つかりやすくなる。見つかればドーパミンが出るから、またやりたくなる。

勉強が「おもしろい」のではなく、「1マイクロ秒のあいだ、そこでなにかと結びついた」その感覚がおもしろいと感じさせてくれる。

答えが必ず1つだけある勉強は、考えることの楽しさを教えてくれる入口になるのはそのためです。ただこの「つながった」「ループ」は経験した人でないとまるでピンとこない。まるでわからない。残念ながら。

でも多くの子供たちは知ってる。

あの「ああぁ、わかったっーーーー!!」です。

あれが「つながった」「ループ」なんですから。それを生かせるかどうか。

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子供自身が勝手に自分の持っている能力を発揮し、進んでいく家庭は別にして、「成績がイイ子の親」は「教育熱心」と言えます。

一言でくくれば、本当に一言なんですが、勘の狂った「教育熱心」の人が結構たくさんいるなあとこの頃思います。

「熱い思い」は一緒でもその思考方法は全然違う。思考方法が全然違うから成果は断然違う。同じように「教育熱心」なんだけど、段違いの成果の差が出る。

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

中1 化身さん

中学受験の失敗を糧に、もっと頑張ればできるはずと高い目標を掲げ、求め続けた結果、子供との意思の疎通がうまくいかなくなりました。

高い目標を掲げはしましたが、その途中では褒めもし、励ましもしてきたはずなのに。子供は頑張ってきたと思います。しかし、少し疲れが見え、今までに見せたことのない表情をすることが私を不安にさせます。

10の鉄則を十分理解しきれていない部分もあると思いますが、ここで軌道修正をしていきたいと思います。

難しいですが「もっとやれる」から「こうしたらどう」にいいかたをかえてみたいと思います。

お子さんと話し合うことを恐れるなかれ。また話し合った結果、意見が衝突したとしても恐れるなかれ。

親が目標を掲げるのはイイ。しかし、そこで終わっていれば、目標設定と子供の気持ちが離れていった場合、「オレはいったいなにをしているんだ?」と思って不思議はない。

未熟だけれど、子供も生身で生きている。そして、日々大きくなっている。中学受験の失敗を糧にするのはいいけれど、「復讐」になってしまっては、またそれが「親の復讐」になってしまっては、今の頑張りが活きてこない。

どんな場所でも子供が頑張っている姿はいいものです。頑張って成果が出れば、本当にもっと頑張れる。だから、最初にガンガン頑張れさせればイイ。

しかし、そうなれば、中学生ともなれば、必ず自分の意見というものが出てくる。出てこないとおかしいとも言えます。

その出てきた意見を未熟だからといって切って捨てれば、反抗するか、言わなくなるか。現代の子供は争うことを嫌うから、言わないでおこうかともなる。

子供の反抗と子供との衝突、それが頑張らせて成果が出た後のものであれば、大いに歓迎すべし。

それは次のステージの証だから。

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