早速読んでいただいて私のバズーカ砲を受け止めていただきましょうか。
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残念ながら、いじめによる自殺の報道が後を絶ちませんね。夏休み明けの悲しいニュースについてはかつでここでも取り上げました。

今回は、以前に起こったいじめを原因とする問題について、ある側面から触れてみたいと思います。これまでにも皆さんはたくさんのこうしたニュースを目にしてきたでしょうし、最近でも目にしたはずです。

「イジメ自殺」は、なぜ防げなかったのか

こうした事件の報道などを見て、いつも思うんですが、どうも抜けているなあと思うのが「子供の視点」なんです。

というのは、これまでに子供たちから学校の先生や親にも言えない相談ごとを聞かされてきました。そこで聞かされるのは、こんなことを感じているのか!こんな風に思っていたのか!というまさに「子供の視点」の話でした。

その子供の視点を踏まえて、親が考えるべき点は何か、個人的な意見にはなってしまいますが、述べてみようと思います。あくまでも私の個人的な意見です。

この意見は決して皆さんにそのまま受け取ってほしいとは思いません。これまで子供から聞かされてきた話から私が感じたことですから。

また、デリケートな問題ですから、言葉を尽くしたつもりですが、足りない面も多々あると思います。それについては私自身の力不足によるものと思っていただければと思います。もうこのような事件がないことを祈るばかりです。

さて、いじめの問題は、今に始まったことではなく、ボクらが子供の頃にもあったし、またそれ以前にもきっとあったことでしょう。

フリー百科事典『ウィキペディア』の「いじめ」の項目には、以下のような記述があります。

詳しくは、フリー百科事典『ウィキペディア』の「いじめ」より

いじめとは、広義で言えば立場の弱い個人や集団に対して、精神的にあるいは肉体的に苦痛を与える行為である。いじめの自覚がなくとも、相手がその行為によって苦痛を感じれば、それは広義のいじめである。この点における意識の違いが現れたひとつの例として、海外に進出した日本企業におけるセクシャルハラスメントがある。

広義でとらえるなら、いじめは世界中であらゆる形で存在する。生物としてのヒトという観点から見た場合遺伝学的に人間に最も近いチンパンジーにおいても 権力闘争・パワーゲームとしてのいじめが存在する。

つまりいじめを特別視するのではなく生物としての特性上ごく自然に発生する傾向があるということを認識して、そういった傾向とどうつきあっていくかという観点から検討していく必要がある。

社会全体が「いじめをなくそう」という動きはもちろん歓迎すべきことですし、これについて私も、もちろん異論はありません。

また、学校や先生が学校内での子供の生活の中で、いじめに目を光らせ、未然に、また起こってしまってからは、再発しないように動くのは当然の義務だと思います。

しかし、残念ながら、『ウィキペディア』も指摘するように、

いじめは、生物としての特性上ごく自然に発生する傾向がある

これも疑いのない事実です。

目を光らせている場所では、いじめがなくなったりしますが、違う場所で行われていたりするわけですね。そして、いじめは、学校だけでなく、社会に出てからも、残念ながら、ずっと存在しています。

NPO法人 労働相談センター「職場のいじめ」相談メール紹介

そう、大人の世界にも当たり前にあるものなんですね。

だから、誤解を恐れずに言えば、日常的にいじめは存在するという前提を親はもっておくべきではないかと私は思うのです。

いじめのない世界を誰かに託してただ希望するのではなく、いじめは必ず存在するとの前提でそこからすべてのことを考えていく。

そして、もう1つ親が前提として考えておかねばならないこと。

それは、学校や先生などが起こっているいじめに対し、発見してくれる、もしくは、うまく対処してくれるはずという幻想は捨てるべきだということです。

これはなにも学校や先生を無能扱いするからではありません。実際、会社などで起こっているいじめをはじめ、学校内で起こっているいじめに対して、たいてい皆自分自身に起こっていない限り、傍観者になっています。私も含めてです。

いじめに対して、意見を言ったり、やめさせようとすれば、今度はそのいじめが自分に降りかかってくるという恐れがあるからです。巻き込まれては大変だというわけです。

確かに一部の勇気ある人は、起こっているいじめに対して、敢然と立ち向かい、いじめをしないように動ける人も現にいます。

しかし、それらを誰に対しても望むのは酷だと私は思っています。大半は、そこまでは動けない。

これは子供だけでなく、大人も先生もです。だから、学校や先生が何かをしてくれるとは最初から期待しないというのが私の意見です。

その上で、あとはそれにどう向かい合い、折り合いをつけていくか。学校や先生に期待しないというのは、どうでもよいと言っているわけではありません。

そこには、何がしかの相談ができる方か、相談すれば、動いてくれる方かなど見極める行動が親に必要だという意味です。

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たとえば、以前起こったいじめ自殺事件では、こういう報道がなされました。

母親の話です。

あの子が中学1年生の1学期の頃、何度か早退していたことを義母から聞いて初めて知りました。

「早退してなにしているの」と義母に聞くと「インターネット」と言うので、息子の部屋にあるパソコンの履歴を見てみました。

するとアダルトサイトにアクセスしていたんです。私は息子に、「こういうものを見ることは悪いことじゃないけど、早退してすることじゃないよ」と言って、先生に息子がどう言って早退したのかを学校に聞きにいきました。

そうしたら、「頭が痛い」「熱がある」などと言って早退していたそうです。それで、「早退させないでください」とお願いすると、「わかりました」言ってくださいました。

「早退して何をやっているんだろうね」と聞かれたので、「インターネットでアダルトサイトを見ているんですよ」と言ったら、先生はニヤニヤして笑っていました。

そして、他の生徒の前でそのことを話したんです。

先生は、「言いふらしていない」と言っていますが、他の子たちに聞くと、「クラスメートみんなの前で言った」と証言しています。

この母親の話はたくさんの教訓を私達に残してくれていると思います。

まず第一に、子供が大人になっていく過程で、必ず通る男子生徒であれば女性に、女子学生であれば男性への興味について。そして、アダルト系の雑誌やインターネットサイトの閲覧について。

そういうことに興味を持つ恥ずかしさと学年とともに高まる欲求の処理についてです。

もしクラスで友人や同級生の前でこういう話を先生がしたとするなら、これは非常に耐え難い状態であったと容易に想像できます。

その話を聞いていた友人や同級生も同じように興味を持ち、またはアクセスしたに違いないでしょうが、おそらく亡くなった生徒に同調する子供はなく、自分を棚に上げて笑いのネタにしたことは想像に難くありません。

何を言いたいかというと、これらの「子供の性に対する興味」の大人や親の取り扱いについてです。

もちろん子供の性格にもよりますが、決して軽く扱う問題ではない。

また、これらの話を誰にすべきか、誰に相談すべき、しないべきかについて、親は真剣に考えなければならないということ。

加えて「ときどき早退している」ということが起こったときに、なぜそのような行動を取っているかの検証作業について。

この3つを母親の話を読んで私は非常に強く感じるわけです。

ここからは生徒の母親がどうしたかではなく、これら3つの点について私達は我が子に対してどうしていくかの私なりの意見を書いてみましょう。

まずは、「早退」についてですが、こうした行動には何らかの原因があるはずというのは、すぐにわかるはずです。

例えば、学校でいじめられているから早退したいと考えることもあれば、人間関係で悩んでいる、勉強がわからないなどの理由で起こることもあるでしょう。

我が子が「ときどき早退している」のであれば、少なくともその理由を親はすぐに考えていくことが必要だということが言えるでしょう。まあ、みんなそうする。

以前、企業で起こるクレームはミスが重なったときに起こると聞いたことがあるという話を書きました。

1つのミスであれば、そこで止められればクレームにはならない。が、「ミスしたことを放置する」という2つめのミスを犯せば、クレームになるということです。

子供のことでも同じだと私は思います。

なにかおおごとになる際には、そのサインを見逃している可能性が大いにある。今回の生徒のこの早退がそうであるとは言えません。

しかし、教訓として考えるなら、こういうサインを私たちは普段見逃していないか?と考える必要があると思います。

子供がグレるという言葉をよく使うわけですが、グレる際も、子供がいきなりヤクザになったりはしません。必ず段階を踏んでヤクザになっていくわけです。

そして、それらは必ず生活態度や格好になってまずは表れる。そのサインを1つ見逃し、2つ見逃し、だんだんと親では手がつけられなくなるわけですね。これが第一の教訓。

もちろん、サインを見つけるだけでなく、なぜそういう行動になっていくかの理由についても考えなくてはいけないわけですが。

これは私自身も親として、本当に子供のあれこれを見逃していないか?と言われれば自信はありません。これについては、これから10年くらいの期間の間で結果が出るまでわからない。気をつけているつもりですが・・・

もう1つの「性」に対する問題。

突然ですが、例えば、何人かの子供から実際に聞いたことがある話として、夫婦の夜の営みについての話があります。

何の話かというと、これは夜の夫婦生活を子供が目撃するわけです。こういうのに年頃の子供が出会うと、たいていの子供は動揺し、そして嫌悪感を抱くようです。

こういう話はたくさんの子供たちが経験することではなく、非常に聞く機会は少ないので、全員に当てはまるかどうかはわかりませんが、ストロングの知る限りでは、皆、かなりの嫌悪感を抱いたようでした。

けがらわしいと・・・・・普段立派なことを言っているくせになんだ!というようなことを言った子供もいました。

これは先に書いた子供の年齢が上がるにつれて興味が高まる感情とともにそういうことに興味を持つこと自体が恥ずかしいという感情の狭間に子供はいます。

その狭間にいる最中に親のそういう姿を見るというのは、心をかき乱す要素になりうるということです。

そして、その後、子供は親の言うことを聞かなくなる、性について、野放図になるなどの現象が出てきます(これは私の知りうる限りの範疇ですが)。

別に夜の夫婦生活を営むことは悪いことではないのですが、子供にはそういう姿を見られた後では、親の言葉に説得力がないというのが、子供の気持ちのようです。

子供もいずれ大人になります。親と同じようになっていく。大人になるということは、さまざまなものを失っていくことを意味します。もちろん、それによって得られるものもあるわけですが・・・・

しかし、そうなっていく過程において、揺れ、悩むのが子供です。そういう子供たちに無防備な大人の姿を見せない努力は求められるでしょう。

性については、とりわけ注意が必要ということがわかっていただきたいがゆえにあえて書いた次第です。

話を戻します。

教室で先生から「アダルトサイトを見ている」という話がクラスに伝われば、当人にとっては、とてつもなく辛かったろうと想像します。

そういうものは多くの子供たちが隠れて目にしているのが現状ですが、それが親しい友人同士の中ではなく、クラスで開けっぴろげの話になったとすれば、真面目な生徒であればあるほど、苦しかったはずです。

そこで、こういう相談はよほど信用の置ける人物にでもないと話すべきではないと私は思うわけです。これが第2の教訓。誰に相談するか?

たくさんあるお金をどう隠そうかと強盗に詳らかに相談したらエライ目にあるのと一緒です。

デリケートな問題ほど相談する相手を選ぶ必要も出てくるでしょう。それには今目の前のこの問題がデリケートなことなのかどうなのかという判断にもつながる。

その意味で、「性の問題」については、いかなる子供にとっても、デリケートな問題であると私は考えます。

一歩取り扱いを間違えれば、本当に大変ですし、子供は、クラス、先生、そしてあろうことか親までもが非難の目で見ているような気になってしまう。

これらは隠れてコッソリ見るものです。見てはいけないとは言いません。事実、私は人一倍どころか人百倍興味があり、当時は雑誌でしたが、たくさん隠し持ってみてましたから。

年頃になれば、部屋に親が入るのを嫌がるのもそうした表れの1つでしょうし、エロ本が見つかったときに抱く嫌悪感というのは、誰に対してではなく、自分自身に向かっていくものだからです。

通常は見て見ぬフリをするか、もしくは、先の記事にあったような生徒の母親の言い方のようにしか言えないはずです。そういう意味では母親はとても優しいイイ言い方をされたと思います。

「こういうものを見ることは悪いことじゃないけど、早退してすることじゃないよ」と言って

その上で、親はできる限りそういう雑誌、アダルト関連のインターネットサイトにはできる限り触れさせないような処置を講ずること。

それでも見ようとするものです、子供は。ずっと監視しているわけではないのですから、それは仕方ない。本屋に行けば、インターネットを開けば、気軽に閲覧できる環境にあります。見ようとしなくたって見てしまう場合もある。

それはいいのです。大事なのは、家庭や親は、そういうものにはできるだけ触れさせないという工夫や態度、ハードルを設けておくということですね。

都会では性行為を経験する年齢がかなり低くなっているなどと言われているわけですが、ハッキリ言えるのは、性行為を経験した後、集中して勉強できる生徒や勉強を頑張りきる生徒は数少ないといえるでしょう。

自分でコントロールして、制御できる子供は、そうはいません。それほど心の中を占領してしまうものなのです。

これは性教育をしないという意味ではありませんよ。そうではなく、性に関する情報、もしくは性行為を親が認めてもいいと思う時期までは、できるだけ遠ざけるようにするということです。ハードルを設ける。

どの年齢なったら認めてもいいのか?これはそれぞれの家庭の考えがありますから、それで決めたらいいと思います。

しかし、それまでは、親が一致協力して遠ざける。

「隠れてコッソリ見る」のと「制約もなく見ることが許される環境がある」のは、天と地ほど違いがあるとわかってほしいのです。

また、コッソリ見るのと実際に性行為をするのとでも天と地ほどの違いがあるのです。

どれほど違うのかは、そういう過程を経験してきた大人である親しかわかりません。

それらを考えたとき、親が不在の友人の家に入り浸っている、不必要に友人の家に泊まりに行く、インターネットがフィルターがかけられることなく自分の部屋で無制限にやりたい放題で閲覧できる・・・・

これら、親がハードルとして機能していなければ、ドンドンエスカレートするものです。歯止めがなければ、いくところまでいってしまう。

なにげに自宅においてある週刊誌。まあ、今じゃあ家に週刊誌がある家もあまりないでしょうが。週刊誌には子供を刺激するものがたくさんあります。それらをなにげに置いておく意味をぜひ考えてほしいと思います。

私の時代であれば、それはインターネットではなく、自分の部屋にあるテレビが始まりでした。

テレビを部屋に置いておいて、1日に2時間までなどという決まりを子供は守ることはできません。深夜も見放題になる。そう考えておくことです。

自分を律するなんて大人でもそうそうできないのに・・・・まして子供が、です。

子供を信ずる部分とハードルを設ける部分と線引きは難しいですが、触れさせたくないものが明確にあって、それに対してハードルを作るべきだというのが私の意見です。

もはや防ぎようがないのかもしれません。家庭の努力など無意味な時代なのかもしれません。しかし、それでも親はやるしかない。そう思っています。

親が触れさせたくないもの、それは無言の価値観の伝達です。全部言葉で言わなくても、無言で伝える価値観もある。

でも、多くの家庭ではそれは伝わっていない。そのことについて一度はぜひ真剣に考えてみてもらいたいと思います。

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うれしい報告

成績上がったよ!報告

小5 コーンポタージュさんからの報告

算数(150点満点)の月例テスト 
 
8月月例  算数66点  A問題56% B問題21%
9月月例  算数90点  A問題94% B問題41%
10月月例  算数115点 A問題92% B問題66%

夏休みから本腰をいれて勉強をみてきましたが、正直ここまで成果が上がってびっくりしています。

算数に絞ってやってきたのでほかの科目は相変わらずですが。
 
(省略)成績が上がったことで子供も自信が出て算数はやる気になり、ストロング先生が言われている授業の「お土産」が多くなり、勉強時間はあまり増えていませんがこなす問題量は増えています。

算数はB問題にもう少し時間を費やしていくつもりです。

ストロング先生から許可も出たので苦手な理科もこれからとりくみます。(省略)

出発が低かったですが、できる喜びを子供が体で表現してくれるので私もうれしく思っています。まだまだ頑張ります!

コーンポタージュさんはA問題への取り組みはそのままで、B問題へ力を入れていきましょう。

A問題は100%が理想ですが、それにこだわりすぎるよりB問題を取り組んだほうが点数はまだアップするはずです。

勉強しても成績が不振なときはやり方が間違っているというサインが出ていると考えるべきです。

サインが出ているのに、やり方も考え方も変えず、子供を「どうして、どうして!」と責めても解決しませんから。

やり方も考え方を変えれば、親が変われば、成績は上がる!

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