こんにちは、ストロング宮迫です。
土日を挟んで明日が祝日なのでちょび中途半端な感じもしますが、来春の入試で3連戦以上に臨む予定の受験生は入試問題を使っての予行演習3連戦もしくは4連戦を初めて実施している家庭も多い。
恵みの祝日っていうわけです。イイことです。「本番が初めて」っていうのが一番やっちゃいけないことですからね。
1に準備、2に準備、3・4がなくて、5に準備です。
しばらく前にいただいた小6のお父さんからのメールでは、
昨日、四谷の合不合判定テストでした。
今は通っている塾と四谷大塚のテストを組み合わせて、隔週のペースでテストがあることになるので毎日バタバタです。
(省略)算数は通っている塾のテストでは取れているけれど、遠征で受ける四谷大塚では思うように取れません。
メルマガでおっしゃってる出題される問題のレベルによって壁があるからと思ってはいたもののはヤバイ予感がしてました。
案の定、前回の通う塾のテストでは算数が75点(100点満点)。いつもは5点だけ落とすところが今回は15点落としてました。たまたまじゃなく、必然ですよね。
やはりやっていく問題のレベルを上げるしかないので、四谷の合不合に向けては問題演習を増やしています。過去問も2回分一緒に解き、ペース配分を厳しくチェック。
緊張してたんでしょう。そばで見ていると、子供の手が震えてました。でもきっとテストのときも震えているのではないか。ようやくテストが入試の雰囲気になってきたということでしょうか。
この緊張感あふれる状態でテストや入試問題が解けるようにならないとダメですよね。
朗報なのは、そばについてみっちり見ると、1週間ぐらいでも随分と理想の形でできるようになってきて、結果、四谷のテストでもいつもよりよく解けていたと思います。
これでどのぐらいの結果になるか。テスト結果を見て、他のライバルの連中がどこで取ってきているのかの精度と比較して、次の策に取り組みます。
ちょうど入試演習なんて「もう飽きた!」のタイミングが受験になるんでしょうね。頑張ります。
テストで取るは「獲る」を使うべきでしたかね。最近メルマガでは「獲る」を意識して使っているように思ったので。余談でした。
そうですねえ、やっぱりテストも模試も入試演習も「狩り」ですから「獲る」を使っていただきたいですなあ。
それはさておき、とてもよく考えられて残りの受験生活を考えて取り組んでいらっしゃることがわかるはずなんですが、あなたにはわかりました?
通っている塾の模試より外部模試として受けている四谷大塚の合不合のほうが難しいのでしょう。
四谷大塚の合不合テストは1番からビリまでの全員が受ける模試なので、かつ適正な偏差値分布を出すためには、問題数が必然的に多くなる。それは志望校によっては最後までやらなくてもイイってことを表しています。
加えて四谷大塚の合不合テストではいつもここで書いているように序盤で「ウッ、ムムムくぅ~っ?」という問題も出てきて、受験者を引っかけるようになっている。罠ですわ。
序盤に「ウッ、ムムムくぅ~っ?」という問題が出てきたら飛ばせばいいんですが、訓練していないと罠にはまって時間を使って、かつ間違って、それ以降がダメダメになるパターンもよく見られるし、できもしない問題までやろうとしてドツボにはまる。
四谷大塚の模試に限らず、首都圏・関西圏の都市部のこの頃のテストでは入試実践テクニックを駆使しなければ、うまくさばけなくなってきます。
目の前の量の多い、難問も含まれるテストを「うまくさばく」とは、ペース配分をうまく行い、獲れる問題を確実に獲るってことです。そうでないといつもの偏差値よりも下がる。これからもっと下がる。
そして、それらの対策をこの方が書いておられるように「そばについてみっちり見ると、1週間ぐらいでも随分と理想の形でできるように」なってくる。
なる!絶対になる!たった1週間でもなるんです。キッカケが与えられるからです。
ただこの方のお子さんがそうなったように、今まで通りの通っている塾の四谷大塚よりも量も難問も少ないテストになると、な、な、なんといつもより10点余分に落として75点になったりする。
入試演習を行う際でも、それぞれ対応の仕方が変わってくるので、難問仕様になってきたと思ったら、簡単仕様でミスが増えるとかね。まあ、それらも含めての今が入試演習での訓練期間ってことです。
もう1つ、この方で見逃せないのは入試実践テクニックを練習しつつ、「四谷の合不合に向けては問題演習を増やして」いることですよね。
基本をキッチリやってきた受験生がこれから意識して普段の勉強で問題演習をいつもより増やす、それはテスト対策であることはもちろんですが、初見の問題を見てから解法を思いつくまでの時間の短縮を目指しているってことでしょう。
もっといえば、初見の問題を見たときに、「これは獲れるのか獲れないのか」の判断を即座に、かつ的確に下すための訓練であるともいえるでしょう。
時間を使って関わり合うべき問題なのか、そうでないのか。カンタンそうに見えて難しい問題もあれば、難しそうに見せてカンタンな問題だってある。その判断をどう下すかも制限時間のある闘いでは重要になります。
その判断を的確にするために問題演習も増やしているのでしょう。
11月になりました。もう一頑張りです。冬休みまでできること、しっかり考えて明日の祝日も過ごしていただきたいですな。
さて、今週末にはNHKで以前ここでも紹介した「奇跡のレッスン」の新バージョンが放送予定とか。
最強コーチが1週間子供たちとかかわって、子供たちがどう変わっていくかっていう実に興味深い番組です。
昨年のちょうどこの時期にサッカーを題材にした番組が放映されて、ここでも取り上げました。
先の受験生のお父さんの話にも「1週間」とありましたし、親技では親子ノリノリ勉強法も、まずは「1週間」という設定ですが、「1週間」で子供は変わるのか?
変わる!確実に変わる!
というのが親技の考えですし、そういう意味で「奇跡のレッスン」は大いにありうると考えています。
その時も書きましたが、子供の「強み」を指導者がちゃんと見て、評価して、褒めてやることです。
ここでは「強み」を「今子供が自分ができること」と言い換えました。
「今自分にできること」を必死にやると、やっぱりできるし、速くもできる、うまくもできる。その出した成果を親は素直に褒めてやる。
それで「子どもたちの顔つきがみるみる変わっていく」ホントですよ。決して難しいことではないし、誰にだってできる技です。
ただ親や指導者は子供たち自身が「今自分にできること」をやらせないんだな・・・
多くの親や指導者は「自分ができて当たり前と思っていること」を目の前の子供にやらせようとする。それでできないと怒る。キレる。
「こんなカンタンなことができないのか」「こんな当たり前のことがわからないのか」とかね。
たったこれだけでも親が気をつければ「子供は変わります」。
たったこれだけでね。
だから、あなたが専門分野でもない、最強コーチでなくても、子供を変えることはできる。あなたが変わればね。親の接し方や見方が変わるから、子供が変わるんであって。
で、1つ注意してほしいのは「子供が変わる」っていうのは、まるで別人格になるってことじゃないってことです。1週間で別の人間になるってことじゃない。
親技のノリ勉は、親が「奇跡のレッスンの最強コーチ」になるための手順を示しているとボクは思っている。実際に最後まで手順を守り切って実施した人には「違う子供の姿」がご褒美として示される。
でも、「違う姿」を子供が見せたとしても、別人格に、別の人間になるわけじゃないってこと。
じゃあ、1週間でなにが変わるのかっていうと、キッカケが与えられるってことです。
自分が出せる成果、その事実、自信、次へ向かう意欲…etc
それらはたった1週間でもすぐに出すことができる。でも、その働きかけを1週間でやめたらどうなるか?
もちろん、元に戻る!!必ず戻る!元通りになるんです。
それは奇跡のレッスンの最強コーチの1週間でも親技のノリ勉の1週間でもまったく同じで、1週間やって芽生えた「変われる自分」も、翌1週間なにもしなければ、元に戻る。
だってキッカケを与えただけなんだから。
だから、奇跡のレッスンではどこかのチームの監督やコーチも一緒にレッスンを受けるんだ。1週間経った後があるから。そっちの方が長いんだし。
キッカケを与えて、その後そのキッカケをキッカケに刺激し続ける。1回脱皮したら、つまり成長したら1つ段階を上がる。段階を上がったら、よほどのことがない限り元には戻らない。
元に戻らない、1つの段階を上がるまでやって初めて「本当に変わった」と言いうる。
最強コーチも親技のノリ勉もキッカケに過ぎない。ただそのキッカケさえも与えられない子供たちが山ほどいるってことです。残念ながら。
なんのキッカケも子供に与えないで、親が子供に「変われ変われ」、「お前もやればできる」って100万回言っても子供は変わらないし、変われない。
それでいうと、キッカケは外部で、誰かが与えてくれる可能性は大いにあるってことです。学校や塾の先生、スポーツのコーチ、部活の先生、家庭教師、本、テレビ…etc
もちろん親も含まれる。
でもそれはあくまでもキッカケだ。キッカケがなきゃ、動けないけれど、キッカケさえあれば動ける。
動いたら、背中を押す人がいる。止まらないように、与えられたキッカケをあっさり失ってしまわないように、牛の歩みでも進むために背中を押してくれる人がいる。
あなたの子供の背中をボクは押さない。ボクはボクの子供の背中をせっせと押す。あなたはあなたの子供の背中をせっせと押せ。
忙しくて自分で押せないなら、誰かに押してくれるようにお金を払って頼まねばならない。
「最強のコーチ」は高いから、手ごろな誰かに頼むとすれば、根気よくあなたの子供の背中を押してくれるかどうか。
そんな不確定なもの、たまたま運任せにしたくないって人が親技の資格者ってことになります。まあ、でも世間ではキッカケ作ってくれるのも背中を押してくれるのも、「誰かに頼む」ことが多くなっているけれどね。
どうするかを決めるのはあなただし、どう決めようと誰からも非難されることもない。
ただボクは自分の子供の背中は自分で押してやりたいって思うだけだから。できうれば、キッカケもいくつかは与えてやりたい。
自分の子育てを振り返ってみれば、キッカケは多くの方に恵まれて与えてもらいました、自分の子供たちはね。幸運だったと言えるでしょう。
でも、そのあとの背中を押してくれる人はそれほどはいなかった。やっぱり一緒に暮らして、そばにいるものが背中を押す一番の有資格者だからね。
その押し方が良かったのか悪かったのか、その答えが出るにはもうしばらくかかるでしょう。
もう1回、問いましょう。
あなたの子供にキッカケを与えてくれる人はいますか?
与えてくれたキッカケをキッカケだけに終わらせずに背中を押し続けてくれる人はいますか?
50歳の漱石が20歳半ばの芥川龍之介・久米正雄に宛てた手紙が思い出される。
大正5年(1916年)8月24日
(中略)牛になる事はどうしても必要です、われわれはとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。
僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがってはらめる事あるあいの子位な程度です。
あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。それだけです。
決して相手をこしらへてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして我々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。文士を押すのではありません。
これから湯に入ります。
八月二十四日
夏目金之助
「相手をこしら」えず、子供をうんうん押すんです。
何でそんなことしなくちゃならないのかと聞くなら申します。
親だから。
自信を持って花のように笑って生きている子供を見ていたいから。たったそれだけなのですから。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
年中 ぴよさん
この夏、今まで受け取ったメルマガをまとめて熟読していたため法則はすべてとても馴染みのあるものでした。
同時に、メルマガの内容を本当に必要なものだけに凝縮した無駄のない内容に満足し、買ってよかったとも思いました。
というのは、今回法則を買った目的は「大量のメルマガを読んですこし乱雑になっていた頭をすっきりさせること」であり、「実践前にやり方の本質を整理しておくこと」だったからです。
目の前の問題に追われていると、気をつけようと思っていたはずのこともつい忘れがちになります。
10の法則、ズバッとシンプルに書かれていましたので、私でも忘れずに頭に置いておき、実践中何度も立ち返ることができる気がいたします。
小4 模索さん
当たり前の事と言ってしまえばそれまででですが、「当たり前」「普通のこと」をし続けるということが一番難しい・・・と思いました。
子供が決めたことだからと子供のせいにしていました。親の覚悟と信じる気持ちが中途半端だと改めて気づくことができました。
「子供が決めたこと」だからこそ親が守らせてあげなくちゃやり通す意味も学べない。
どんどん子供に乗っかっていきましょう!
「子供が決めたことだからと子供のせい」にするのはウソで、「親の私が面倒だったから」と正直に言うのが正しいですな。