毎日親技「運がイイっていうのは・・・」

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こんにちは、ストロング宮迫です。

親技では盆と正月がもっとも忙しいといえるかもしれません。仕事が休みの時にとか夏休み中になんとかしたいという方が多いからなのかもしれません。

いずれにしてもこのお盆休み中も総勢30数名の方からノリ勉の報告が届いています。ご苦労さまです。せっかくのその親の決意が子供に届き伝わることを祈るばかりです。

ただし、その親の決意が子供に正しく伝わるためには土壌がいります。
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伝わる土壌があってこそ、親の本気も届く。

また、1回だけ言ってもまるで伝わらない場合も多々あって「言ったんですけど・・・」と1回言ったきりで伝わらないことを嘆くのは親の決意不足とボクは責めます。

どうしても伝えねばならぬ!そう強く決意し、自分が信じていることを真正面から子供にぶつける。

ただね、その親が信じていることや決意って、筋違いよとか真正面からぶつかっているつもりだけど、メッチャ逃げてるやんというのが他人には見えることがある。

劇画原作者の小池一夫さんが先日こんなことをつぶやいてた。


よその家のこのことはなにが問題なのかすぐ分かるのに、自分の子供になったら途端にわからなくなるものです。

これは皆さんだけでなく、ボクだってそうです。自分の子供のことになると途端に目が曇ってしまうんですな。

だから、ボクは誰かほかの人、先生や友人やタイガー山中から見えているウチのことや子供のことについての意見は、もし同意できなくても絶対に検討するんです。

もしかしたら自分には見えていないんじゃないかって疑っているから。

ここであれこれ書いていることについても、皆さんは同意できなくても全然かまわない。やらなくてもいい。けなしてもかまわない。見限っても問題はないんです。ただコイツこう言っているけど、ウチも、もしかしたら?という検討の材料になればサイコーなだけなので。

調べてみたら昨年もこの時期でした。ボクが子供を叱り飛ばしたのも。
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間違った土壌には思いもしない花が咲く。水やりや光の当て方が間違っていると、考えもしなかったような花が咲くものです。

だから、親技の立場から「土壌が腐っていますよ」とか「水やりが足りませんよ」って言うんだけど、時にそれが激しく出てしまう場合があるのが、たとえば「いじめてるんじゃないよ、事実だからね」で書いたようなことです。

間違いも過ちも、親子には無数に起こりるんだけれど、今この時点で絶対に軌道修正されねばならぬ、そう思った時激しくコキおろしてしまう場合もある。叱り飛ばせば、ソッポを向かれることも多々あるんだけれど、何かの縁で関わった方にどうしても言わねばならぬと思うときがある。

そういうことが先日もノリ勉の報告でありました。

時間の推移:
1回目14分8秒→2回目2分7秒

今日の2回目の答え方ですが、覚えているものを書いている様ですが、いいのでしょうか?

問題を繰り返して解くと、タイムが速くなります。

しかし、14分が2分にはならない。どんな子供でもね。

だから「いいわけないでしょ!!!!!!!!!!!!!!!!!」と返信しました。そして、「以下、このメールをお子さんにもぜひ見せてくれるように希望します」と書いて送りました。

こういう勉強を「クソ勉強」といいます。

「キミは今日クソの役にも立たないクソ勉強を平気な顔で行った上に、『ちゃんと読んで解いた』というウソもついた。2重のクソみたいな悪事を今日働いたのです。

人としてあってはならないことをしたとボクは思う。卑怯で汚くて醜いことを今日キミはした。恥を知れ!

見知らぬおじさんにこんなことを言われてキミも当惑するだろうが、勉強も入試も、卑怯で汚くて醜い者には必ず天罰が下るようになってる。

高校入試で運よく天罰が下らなかったとしたら、大学入試で天罰が下るだろうし、大学入試でも運よく天罰が下らなかったとしたら、就職活動で間違いなく鉄槌は下されるだろう。

まじめにやることです。どんな良い成績を取ることよりも、真面目に一生懸命取り組むことです。そのまじめに一生懸命の中にできたときの喜びが生まれ、生きる力が芽生え、もう少し頑張ってみるかという気持ちも生まれます。

勉強では卑怯で汚くて醜いけれど、人生では堂々として清廉で正しいという人をボクは知らない。勉強において、卑怯で汚くて醜い奴は人生でも、友達関係でも部活でも、どこでもいつでも卑怯で汚くて醜いものです。

こっちではちゃんとするけれど、あっちではズルくやるなんて器用な真似はできないように人はできてる。心せよ。

目の前に解答が置かれていても、見たくても見ない我慢ができなくて、なにが中3か!?

親からも30分だからと最小単位の勉強時間を提案されたはずです。中3で30分勉強で足りるハズもなく、しかし、まずは30分からと親も決意し、高い金額も払って教材を買い、キミに向き合おうとしているんだよ。

人が、親が真面目に一生懸命に自分の力を出し切って付き合おうとしている態度に対して、キミは汚い字で応じたのか?

それは人として卑怯で汚くて醜いとボクは思う。目の前にいたら、体罰禁止が叫ばれる世の中だけれど、間違いなく顔面パンチか往復ビンタをキミにお見舞いしただろう。

しかし、そんなキミにでも親はそうしなかったはずだ。優しいからな。その優しさにがめつく乗じて横柄な態度をするなんて許せない。キミはきっと厳しい先生や怖い先生に対しては、猫なで声で応対するのだろう。それを卑怯で汚くて醜いというのだよ・・・

この後まだ延々とボクの罵詈雑言は続くんですが、これくらいでいいでしょう。

幸いこうしたボクからのイヤなメールも受け入れて下さる寛容な方だったので、ここにあえて紹介したのですが、この子には一度はどこかで言わねばならぬと思ったから書きました。仮に受け入れられなくてもそれでもよいと思っています。1回は誰かが言わなければならないことだと思うから。それがたまたまボクだったというだけで。

親技では「合格」や「イイ点数」を目指しているけれど、それにまつわる私たちのやり方を伝えることをしているけれど、それをするにも土壌がいる。

間違った土壌には思いもしない花が咲くし、水やりや光の当て方が間違っていると、考えもしなかったような花が咲くんです。

ただし、私が「間違っている」と指摘する、そのことが「間違っている」場合だってきっとあると思うんです。

決して間違っていない土壌だったってこともあるでしょう。言っていることが見当違いなら「なに言ってんだよ、ボケが」でスルーしてくれたらイイ。

でも、自分の子供になったら途端にわからなくなるものです。自分の子供のことになると途端に目が曇ってしまう。

褒めてばかりの先生をボクは信用しない。

言いにくい指摘「1」を言うために、言いにくい指摘を褒める材料の中にまぶして言う先生も信用しない。

ダメなものはダメなんだ。

その道は行き止まりとわかっているなら「少し方向を変えたほうがイイかも」とか言わずに「絶対に行き止まりになるから行くな。行くなら確実に行き止まりで引き返すには5倍の力がいる」とか言ってくれたほうがイイとボクは思っているだけです。だからそうする。世界中の人に言うわけじゃない。縁があった人に、機会が訪れれば言うだけです。

テストでは間違ってたら×になる。入試においては、間違っていたら不合格になる。人生では間違っていたら商売なら繁盛しないし、会社員なら出世しないか左遷かクビになる。

今なにがしかの成果が出てないってことは、なにかがどこかが間違っているってことです。

間違っているのにもっと頑張っても行き先は落とし穴です。成果が出ていないってことは、この先落とし穴があるっていう重大なサインです。

サインを見逃して突っ走れば落とし穴に早くハマるだけ。サインを見逃して、ゆっくり走れば落とし穴にゆっくりハマるだけ。

でも、人はみんなサインに気づかない。

「この戦争は勝てっこないってはじめっからわかってたんだよ」というけれど、道中の重大なサインをみんなが故意に見逃したか、なんとかなるさのポジティブシンキングで突っ走った結果が先の大戦じゃないか。

他人には見えていて、あなたには見えていないことを気づくためにいろんなものを見たり読んだりしているんでしょう。

道中の重大なサインは決して見えにくいわけじゃない。

成果が出ていない、成果が出ないことが続いている、それはもう今やっていることが間違っているサインです。

間違ったことをやっているのに努力が足りないからと力んで速く走れば落とし穴にサッサとハマるだけ。話は早い。

明日入試じゃないんです。明日決戦じゃないんです。竹やりで爆撃機は落とせない。念じても祈っても爆撃機は落っこちない。

ただし、人生はおもしろくて、念じていたらたまに爆撃機が落っこちることがある。本当は爆撃機が単なる故障で落っこちただけなんだけど、念じている最中に落ちると念が通じたと人は思う。

たまたまイイ点数が取れた。入試で思いもしない合格をもらった。たまたま爆撃機が落っこちた。

そんなの全然運がイイなんて言えない。地獄の1丁目の入り口に立つってことなんだから。

「たまたま」うまくいったり「運よく」うまくいったら、地獄の始まりなんです。だってその次はうまくいかないから。

間違っていたら×、正しかったら○が出るのが運がイイって言うんです。

間違っていたのに○だったりしたら、その先でエライ目にあいますから。

エライ目にあうのはちょうどその時に会うのがイイ。すぐに軌道修正ができるから。
がっつりツケを貯めておいて、あとから集金です!なんて一気にこられたら、人はなかなか立ち直れないんだから。
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※この毎日親技は2015年8月18日に配信したものです
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週刊 親技からのお知らせ

うれしい報告

「ノリ勉 算数・数学」を終えての感想

小6ちょろさん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

今まで、「見直し」ということに目をそむけ自分からは決してやろうとしなかったのですが、こちらから声を掛けていないのに、問題の解きなおしをやっていました。(一応塾の宿題となっているようですが。)

やっぱり、この七日間をやり終えた成果なのかなと思いました。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

非常識だとは思いません。

うちの場合、5年の夏までは親のそばで勉強していましたが、何をするのかも自分では判断できず、親に依存する度合いが大きいなと感じ、また頼られても内容的にも親の能力を超えつつあったので、5年の秋以降ひとりでさせるよう

になっていました。

ひとりでやってくれて、親も楽だし自立してくれたのだなと安心したのもつかの間、成績はだらだらと下降線を描いていきました。

勉強のやり方が悪いと感じつつ、口で説明しても「うん、わかった」「やってる」。だけど、成績はやっぱり下降線。

6年の夏になり、このままで本当にいいのだろうか。と悩みこの七日間コースを申し込みました。

親が勉強を見るといっても教えることはもうできません(レベルが追いつかない)。

教えられないのに、横で見るだけで意味があるのだろうか? 本当に成果があるのだろうか?正直、半信半疑でした。

はっきり言って、プログラムどおりには進みませんでした。けれども、何かが変わった。それが何かは説明できませんが、確かに、変化はあったと思います。

親がそばで見てるだけでも、子どもはがんばれるんだなとわかりました。

子どもを突き放すのが自立への早道だと勘違いしていたかもしれません。いろいろ学ばせていただきました。ありがとうございました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

正直なところ、わずか30分の時間でさえも確保するのが大変な現状です。楽しいという感覚より義務感でのみプログラムの消化をしていたかもしれません。

でも、一緒に勉強する時間をつくって、よかったなと思いました。

ちょろさん、率直な感想をありがとうございます。

最後の答えは人によって全部違う答えになりますから、自ら見つけていくしかない、これが本当のところです。

しかし、あの中学受験の膨大な量のカリキュラムを小学生が自らの判断で手際よくさばいていくことはほぼ不可能だとストロングは思っています。

そばにつくという行為にはいろんな意味があります。

中学受験で一番大事なのは親子で一緒にやっつける!そういう感覚なんじゃないでしょうかね。

親が教えられないからこそできる役割がある。そしてその役割こそが親の本当の役割であると思います。

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