こんにちは、ストロング宮迫です。

しばらく前にタイガー山中が首都圏最難関の私立中学校に入学した親の方と話したことを書きました。

休みの日は1日13時間勉強、「隙間という隙間はいつでも勉強」「10分あれば10分。たとえ5分であっても、そこに時間があるなら勉強」「塾のテキスト、宿題、プリント類で逃した問題はただの1問もなかった」「すべてをやりきった」って話でした。

生活のほとんどの時間を使ってぜ~んぶやりきる、3回やりきってしまう、そんな根性とブルトーザー並みの馬力で頑張って合格を勝ち取った・・・

そこでタイガー山中が言った

ちょっと親技、ラクにとか効率的にとか言いすぎてるのかもしれないね

と発言したことを取り上げました。

ずっとそのことが頭にあって、この前、野球の強豪校で長く指導をされてきて、松坂大輔投手の高校時代の話では欠かすことのできない横浜高校の小倉清一郎さんの本を読んだら、冒頭にこんなことを書いていらっしゃいました。

どうぞ高校野球の話とせずに「勉強」に置き換えて読んでみてください。

小倉清一郎著『野球 試合で勝てるチームの作り方』

指導者にとって大切にしていることは、人それぞれ違うでしょう。私の場合には根気になります。別な言い方をすると、あきらめないということです。

横浜高校の部長やコーチ時代に、選手や指導者が勝つことをあきらめていた年は、甲子園に出場することはできませんでした。たった2回だけ例外はありましたが、やはりあきらめる気持ちを持ったチームでは、神奈川県大会を制することは、到底できなかったのです。

私は指導者になったときから根気を大切にしています。指導者が使ってはいけない言葉の一つが「もうダメだ」、だと思うのです。

たとえ選手たちに技量がなくても、試合に出るようなプレーはすべて教えなければいけません。私の中で唯一ダメと思うのは、試合で選手たちが「こんなときにどうするかは教わっていないよ」という状態になることです。

ですからそのようなことがないように、どんなチームても試合に出るプレーは、ありとあらゆることを教えてきました。1年で1、2回しか目にしないようなプレーも練習をしたものです。それこそ膨大な量の練習をするため、どうしても時間が必要になりました。

選手によってすぐにできる選手とそうでない選手がいます。けれども試合では1回目にできないといけないのです。やり直しをしてできたとしても、試合では通用しません。

私の場合はできなかった選手に対して、とりあえずは何度か練習をさせました。そのうえで1週間や10日後に、抜き打ち検査をしたものです。

このときに1度目のプレーで私が要求したことができればOKです。ところがそうでない場合には再び練習をして、しばらくしてから再度抜き打ち検査をします。

このようなことを繰り返すためには、指導者側の根気も必要です。できる限りは指導者もあきらめずに、根気を持って指導することが大切ではないでしょうか。

横浜高校の名参謀・小倉清一郎とは?

親を子供に対する「指導者」と位置付けるなら、ここでおっしゃっているような「根気」の大切さは言うまでもないでしょう。子供の勉強の問題は親の根気がすべてと言ってもいいくらいです。

ただここで皆さんに読んでほしかったのは、もう1つ別のところでした。

横浜高校といえば、常に目標は「全国制覇」でしょうし、その実績もあり、甲子園に出て優勝する目的を達成するためには横浜高校の野球部に入部することが手っ取り早いともいえます。

しかし、横浜高校といえども、激戦の神奈川県予選を勝ち抜くのは大変なことですし、また、横浜高校の野球部に入部できたとしても、そこでメンバーに入るのは、レギュラーになるのは全国最難関レベルともいえるでしょう。

そうしたチーム内外での激烈な日々の勝負で勝ち抜くために、横浜高校野球部では

どんなチームても試合に出るプレーは、ありとあらゆることを教えてきました。1年で1、2回しか目にしないようなプレーも練習をしたものです。それこそ膨大な量の練習をするため、どうしても時間が必要になりました。

この部分を読んでいただきたかった。

勉強に置き換えてみると、

どんな問題でもテストや入試に出る問題は、ありとあらゆることを教え、出るか出ないかわからないような問題だって解いて勉強したものです。それこそ膨大な量の勉強をするため、どうしても時間が必要になりました。

これが全国最難関を受験する者の戦い方です。

1年に1回あるかないかのプレーだって疎かにせずに、繰り返し練習し、抜き打ち検査までも行い、試合で選手たちが「こんなときにどうするかは教わっていないよ」という状態にならないように、あらゆることを教えて臨む。

こうして野球を学んで、卒業後にさらに上の世界に進んだり、指導者になっていくのでしょう。
実際に野球 試合で勝てるチームの作り方を読み進めていくと、実に細かいことが書いてあります。

ボクとタイガー山中が話す時にこういうのを「チマっている」と表現します。「ちまちま」の「チマ」です。決して軽蔑しての表現じゃないです。

物事の最小単位の実に細かいことまでチマチマと考え、あらゆることを緻密に想定して備える。通称「チマ夫クン」です。

どんな世界でも全国最難関レベルで戦うには「チマ夫」でないと勝負になりません。実に微小なことまでチマチマ考えているから、教える方も教わるほうも「根気」がいります。

たいていは教わるほうが最初に根を上げてしまうので、教える側の指導者や親が粘りに粘って根気をもって臨まねばなりません。

指導者や親に根気がなかったり、「チマ夫」になりきれなかった子供たちや高校球児は、レギュラーから外され、ベンチに入れなかったり、不合格となってしまいます。

ただ高校野球や受験では、それでもまだ狭い世界なので「チマ夫」になれなくても才能だけで乗り切っていける可能性は残されていますが。

そういう子供たちも、さらに上の世界に行くと、才能だけでは通用しなくなります。プロとして生き残るためには才能にプラスして「チマ夫」にもなれなくてはならない。

休みの日は1日13時間勉強、「隙間という隙間はいつでも勉強」「10分あれば10分。たとえ5分であっても、そこに時間があるなら勉強」「塾のテキスト、宿題、プリント類で逃した問題はただの1問もなかった」「すべてをやりきった」

こんなことは全国愛難関レベルを目指す「チマ夫」にしかできません。子供だけじゃなく、親だって「チマ夫」じゃないとね。

特別な才能がない限り、こうして「チマ夫」になりきったものが最難関校へ合格とか甲子園の全国制覇に近づくわけです。

「チマ夫」になりきるためには、とにかく膨大な時間がかかります。膨大な時間をかけてやるためには根気がいる。まあ、そういうことです。

タイガー山中は、そうした話を聞いて改めて

ちょっと親技、ラクにとか効率的にとか言いすぎてるのかもしれないね

と言ったわけですが、読者の皆さんにはそれぞれの地域で戦いがありますよね?

最終的には全国区での戦いになるわけですが、全国に進むまでの間にそれぞれの地域の中学や高校で、地域に根差した戦い方があると思うんです。

高校野球の話がたとえやすいので例にすれば、ある年の神奈川県の高校野球の予選参加チームは全国最多の190校です。一方最小の参加チームは鳥取県の25校。

もちろん人口の差なんですが、甲子園に行くために190校の中で勝ち抜くのと25校で勝ち抜くのとでは全然練習の仕方や考え方が違ってくると思うんです。

入試でも首都圏では偏差値「1」刻みで数多くの学校が示されますが、首都圏・関西圏以外では学校の偏差値序列の偏差値「3」刻みとかになります。

学校の数が少ない中学受験なんかでは出やすいですんですが、首都圏では偏差値「1」刻みでシビアに合否が分かれますが、地方に行けば、トップ校と2番手校の偏差値の刻みが「7」とか、下手したら「10」あるところもザラにあります。

これは何を意味するかと言えば、全教科あわせて「たった1問」の出来不出来で合否がわかれるか、5問の出来不出来で合否がわかれるかの差になります。

人口が多い都市部になればなるほど激戦でシビアな戦いになるってことです。首都圏では紙一重で合格不合格にほとんど優劣な認められないけれど、「たった1問」で結果が違う。

鳥取より神奈川で甲子園に行くほうがシビアにならざるを得ないってことです。シビアになるってことは準備と練習に時間がかかるってことです。

さて、ここまで書いてきたことが序論になりますので、これから本論に入りますね。

えっ、もうおなか一杯って!?

タイガー山中みたいなことを言いますなあ(;`O´)o

ジャジャーン、ここからが本題です。

地域によって違いはある。激戦のところでは準備と練習に膨大な時間をかけなければならない。

今から受ける学校が全国最難関で、そこを目指すなら「塾のテキスト、宿題、プリント類で逃した問題はただの1問もなかった」状態で、その上3回繰り返して臨む気概がいるでしょう。それなしじゃ、勝負にならないから。

一方、今はまだ住んでいる地域限定の戦いで、いずれ全国区の戦いに進んでいくが、今はまだ首都圏ほど激烈でないではない戦いをする方だっているでしょう。

これは首都圏に住んでいて、中学受験・高校受験で最難関ではない学校を目指す方にも当てはまります。一度は最難関を目指したが、子供の状況等を考えて、一歩引いた戦い方をしている方にも当てはまる。

そういう方にはそういう方の戦い方があるってことなんです。いずれ全国区の戦いに駒を進めるつもりだけれど、今はまだそこまで激烈な戦いには踏み込まない、踏み込むつもりはないという戦い方だってある。

それは高校野球でいえば、「甲子園での優勝」を目指す野球ではなく、「甲子園に出場する」戦い方と言ってもいいでしょう。

先の横浜高校の元野球部長の小倉清一郎さんのお考えと真逆の考え方の話を以下に紹介します。

登場していただくのは、広島県立総合技術高校の元監督で小田浩さんのインタビューから。

このインタビューは不肖我が弟がしたもので、2つ下のボクの弟がしてきた仕事(インタビューは本職ではないですが)の中では、最も素晴らしい仕事であったと身内ながら考えているものです。

まあ、すばらしいのはインタビューをしている我が弟のほうではなく、指導者としての小田浩・元監督の考え方なんですけどね。

決して高校野球の話をするつもりはないので、我が身に置き換えて、それぞれの戦い方という捉え方で読んでいただきたい。

プロを目指してたり、全国制覇を目指している選手が全国から集まる横浜高校とは違い、公立高校で特別な選手集めもせず、寮や下宿生をもたず、近隣の自宅から通学する選手たちだけを率いて、チームを甲子園に数度出場させた監督のお話です。

広島県立総合技術高校 元監督

小田 ・・・自分で自分のことを語るということは難しいですが、あえて言うのなら「物事を客観的にみることができる」のではないかと思います。

事実を的確に把握して、分析、実践。できることと、できないことを選別して行う。どんな世界でもそうかもしれませんが経済的に言うと「費用対効果」を追い求めているということになりますかね。

これだけのことをして、どれくらいの効果が得られるのかを客観的に分析する。

通常、高校野球の監督はたいてい「教えたがり」で「教えたい」ことが多いように思います。私はそれを「教えたらできるようになる」という「思い込み」と思っていますが、「教えたがり」は言葉が悪いですが、麻薬に近いものがあって、それを始めるとやめられなくなると思います。

私にはそれがないですね。「できないことはできない」と常に費用対効果を考えます。

考えてみてください。高校生の野球生活は2年3カ月しかないのです。その短い高校野球生活で、なおかつ公立高校での練習環境、入学してくる生徒のことを考えたら、おのずとすること、できることが決まってきます。

仮に高校野球生活が10年間あるのなら、今のやり方を変えますが、実際には高校生には2年3カ月しかないですからね。

だから、入学してきた生徒を見て決めます。この選手たちにはどこまでの費用対効果があるか。

突き詰める練習をやったほうがいいのか、やらないほうがいいのかと問われれば、当然やったほうが良いに決まっています。

が、私には、それを「やめる勇気」があります。口はばったい言いかたですが。

費用対効果が高いと思われる練習から優先的に見極めて手をつける。それがたとえ邪道と言われようとです。捨てるものは捨てる。

指導者としては、とても勇気のいることですが、できない指導者のほうが多いのではないでしょうか。普通はやりたいことを全部やりたがる。けど、私は思い切って「やめる勇気」があります。

秘訣といえるかどうかは別にして、他の監督さんと違う部分といえば、そういうことではないかと思います。

いかがでしょうかね。

小田元監督によれば、ある高校に赴任した時は、その高校の定時制があって、練習時間が17時30分までと決まっていたとか。

宮迫 それはまたかなり時間的な制約が大きいですね。

小田 そう。毎日の練習時間が1時間30分しかない。でも、制約があるなら制約があるで与えられた条件の中で考える。

そこでは「なにを練習するか」ではなく、「何の練習をやめるか」を考えていました。それで実際にアップをする時間がないのなら「アップをやめる」ということもやってきました。

宮迫 普通だったら、何を練習しようかと考えますが、そうではないのですね。

小田 そうそう、「何をやめるか」を考えていました。サインプレーとかそういう練習に毎日何時間もかけて練習なんて現実的にはできないわけです。だから、1年間試合をして1回あるかないかというプレーの練習に時間を費やすことができませんでした

もちろん、わたしも現役時代は広島商業(選手として甲子園準優勝)でそういう野球、練習をやってきたわけで、そういうものを本当は突き詰めたいという気持ちはありますし、その練習の価値もわかっているつもりです。

また、そうした練習をすることで野球のレベルが向上し、そういう野球を目指すことによる波及効果があるということもわかっています。

ただ、それがわかった上で、物理的な時間の制約があるなら、1年に一回あるかないかのプレーの練習はしなくていい。こう考えるわけです。

もし、仮にそのことが原因で夏の県大会の予選に出て負けてしまうという結果になったとすれば、「すいませんでした」という、諦めというか、割り切りを持っています。

そういう練習をしていて、実際に細かい野球になり、細かい勝負になったとき、それで負けてしまえば、それは仕方がない。


最近は中学校などでもいろいろな守備のサインプレーなども練習をしていますので、そういう練習を私がしないと最初は選手も戸惑いますが、私にはそういう思いがあるのです。

決して守備のサインプレーなどを否定しているのではないですが、費用対効果を考えると、総合技術高校がそうした練習に毎日大量の時間を割くのはどうなのかな?と考え方ですね。

そういった野球がある、そういったプレーがあるということを知っておくことは大事ですし大切なことだとは思っていますよ。ですが、それをわかった上で、うちは違う道を歩もうということなのです。

本来なら1年かけて基礎的なことをして、そして、それができるようになって、より実践的なことに入っていくということも必要なのかもしれないけど、残念ながら私達には先ほど言ったようにそういう時間もありません。

そんな中で結果を出すことも大事なことです。その結果を出すために今の練習時間の十分な確保、選手の確保が物理的にできない状況で勝つためにはどうしようかを考えたらこういう方法になっていました。

2007年と2008年の夏の県大会予選、2年連続で広陵に決勝で負けたのを知っていますよね?

多くの方からそういう「細かい部分、細かい野球ができてないから負けた」と言われました。そのとき自分でも試合を分析してみました。言われような「細かい野球ができていたら」と仮定して考えてみたんです。

私の結論は、決勝では確かに敗退をしましたが、「細かい部分、細かい野球」を普段から目指してやっていたら、実は決勝戦にも進めていなかったからではないかと。

「もっと突き詰めて、きちんとした野球をしないと勝てないぞ!」という助言をいただくことがあります。

言われるアドバイスの意味は十分に理解をしていますが、でも、そんなことをしていたら創部2年や3年で公立高校が決勝戦には行けないと思うわけです。割り切ってやっていく。選手にそれを納得させる。それがとても大切なように思っています。

物理的な練習時間が少ないチームが

決勝では確かに敗退をしましたが、「細かい部分、細かい野球」を普段から目指してやっていたら、実は決勝戦にも進めていなかったからではないかと。

本当にそうだと思います。

県予選の決勝戦にまで進んだからこそ、普段はあまり練習していない部分での野球の粗さが目立ったけれど、時間がない中で最初から細かい部分に取り組んでいては決勝戦にすら進めなかった。

勉強においては「細かい部分」とは応用・発展です。

ただ小田さんは時間の制約から「細かい部分、細かい野球」は目指さないけれど、

強いボールを真ん中に投げる。バットを強く振る。

野球におけるその単純明快な部分は私自身も言い訳をせず、また選手にも決して言い訳をさせません。

・・・できないと決めつけない。「できる」「できるんだ」ということを選手たちに納得させてやらせています。

この野球における基本の部分「強いボールを投げる」「バットを強く振る」は妥協せずにやらせる。そこにだけ集中して限りある時間を使う。

勉強において、「強いボールを投げる」「バットを強く振る」とは、テキストに出てくる例題・基本問題は疎かにはしないということでしょう。

例題・基本問題は「理解→解ける→はやく解ける」までは確実に落とし込む。物理的な時間がないので、そのあとの応用・発展は捨てる。

そりゃあ、例題・基本問題をやったら、応用・発展問題までやったほうがいいに決まってる。

小田元監督が言います。

突き詰める練習をやったほうがいいのか、やらないほうがいいのかと問われれば、当然やったほうが良いに決まっています。

が、私には、それを「やめる勇気」があります。口はばったい言いかたですが。

費用対効果が高いと思われる練習から優先的に見極めて手をつける。それがたとえ邪道と言われようとです。捨てるものは捨てる。

指導者としては、とても勇気のいることですが、できない指導者のほうが多いのではないでしょうか。普通はやりたいことを全部やりたがる。けど、私は思い切って「やめる勇気」があります。

練習時間が短くても、普通の高校生でも、甲子園に数年に一度はそれで勝ち進むことが可能になる。

大事なのは、その考え方です。

「高校生の野球生活は2年3カ月しかない」はそのまま受験生にも当てはまる期間じゃないでしょうかね。

それはみんな一緒。その「2年3カ月」の期間でいったい1日何時間の勉強を積み上げられるのか。

多くの子供たちが目標を先に決めても決して目標が達成できないのは、その期間が決まった過程において「いったい1日何時間の勉強を積み上げられるのか」という物理的な制約についてまるで考えてないからです。

小田 私はこの公立高校の高校生にとって「ベストなものはなんなのか?」を考えています。

目の前にいる高校生に対して「ベストなものはなになのか?」という部分が高校生の指導者にあまりないように思います。

自分のやってきた野球とか自分が目指している野球、理想の野球をやりたがる傾向があるように思えます。

私はそうすることが、良いか悪いかは別にして、そこの部分の割り切りがあるということになりますね。言葉を変えれば「現実的な選択をする」ということになりますかね。

ただこれまで、こうしてやってきてある程度の結果がでているので、大きく間違ってはいないのではないかとは思っています。足りないところはあるとは思いますが、大筋間違ってはいない。

宮迫 小田監督も広島商業で野球をされ、また、現役時代は甲子園準優勝というご経験もされているわけですから、もちろん自分の野球像とか野球観というものはあるのでしょうが、そういう理想像とかを選手達に押し付けるのではなく、現実に即応した「割り切り」をもっていらっしゃるのですね。

小田 そこが他の監督さんとは違うかな。でも、それがないと新設校ではやっていけないですよ。指導者というのは、そういう部分に一番目を向けないといけないと思うけど、なかなかわかっていても、できないというのが現実です。

授業が終わって17時30分までしか部活ができないのに、横浜高校のような練習してたら、毎年3回戦どまりになってしまいます。

人はそれぞれ目指すべき目標があり、その目標に対しては戦い方がある。

与えられた環境で、この子にとって「ベストなものはなになのか?」を唯一考えられるのは親だけです。

あなたにはこれまで生きてきた価値観や理想像があるだろうけれど、そういう理想像とかを我が子に押し付けるのではなく、現実に即応した「割り切り」をもって当たれるかどうか。

そこにかかっているんじゃないでしょうかね。

みんなが横浜高校のような環境や練習ができるわけじゃない。なのにみんなが横浜高校だけから学んでいたら、それを教えられる子供には必ず歪みが出ますからね。10人の子供には10通りの戦い方があります。

とっても興味深いそれぞれの方のお考えです。

長くなったついでに小田・元監督の興味深い話を最後に紹介しておきましょう。

小田 私の子供が今、中学3年生なんです。今の子供は本当に変わってきていると感じます。昔みたいにはいかなくなったと自分の子供をみて実感している部分があります。

私は選手の親たちとあまり関わりをもたないけど、年に一度だけ話す機会があって今年、保護者に言ったのは「若い頃は、親は一体どんな教育をしよるんな?躾もせずに!」って思っていたと。

ただ、我が息子をみてねえ。野球部の子供たちは、監督の前では直立不動で私の話を聞くんですよ。

ただ家に帰って私が子供に話をしても、息子はソファーにふんぞりかえって話を聞く。

それが現状ですと保護者の前で言ったんです。(大爆笑)それがわかった上で、やっぱり子供に対する責任を感じるようになりました。親が言えないところは私が代弁して言わないといけないことがあると強く思うようになった。

野球の指導方針は一切ブレてないですが、生徒に対する当たり方というのは大きく変わりましたね。まっ、一言で言えば、歳をとった。(大爆笑)

親に代わって、時に厳しく、時に諭すように我が子に話してくれる人がやっぱり一人はいてほしいですな。

まあ、それも結局親が探さなくちゃいけないわけですがね( ̄ii ̄)

不肖我が弟がインタビューの全文はこちらです↓↓↓

【PDF】小田浩・元監督インタビュー全文

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うれしい報告

ノリ勉「英語」を終わっての感想・・・

中3 ちゅんさん

明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

子供の学習能力の高さに気がつきました!

テストで点数が取れないため、結果のみを引き合いにだし「勉強しろ~」としか言わなかったのですが、横に付いて勉強を見ていると、内容は理解してやっており、ノリ勉もしっかりできる程の能力はある事がわかりました。

やはり、子供自身のやり方と手抜きが問題だったのかも?

子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

子供が勉強する姿を親は受け止めて、過程を共存してこそ結果に対する意見ができると感じたため、そばで見るはありです。

お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

最初は苦痛でした。

時間作り、ノリ勉の予習/復習、勉強内容の理解等、難題ばかりに感じられ、始めたのを後悔しました。

しかし、子供が課題をどんどんこなして行く姿をみていると、「コイツやるな!」なんて感じていたり、私が付き合っている事に子供が責任を感じているようで、真剣にノリ勉に取り組んでくれて最後は達成感はありました。(中学3年の英語は今の私にはしんどかったです・・・)

中3の英語、親が付き合うのはしんどいですよねえ・・・

でも、でも、それを知ることで「子供も結構キツイこと頑張ってるんだなあ」と感じられる。

これってただ「勉強しなさい!」というより大変ですが、子供と同じ気持ちをリアルに共有できることからこれから受験を迎え、かつその受験期に苦しさを覚えたときに力になってやれると思うのです。

そうした感情を共有することなく、いざ困難に直面した時にしたり顔で、親の昔の経験話などを持ち出されて話されたら、やっぱり子供はそっぽを向く。

だから、今一緒に「勉強して」共有しておく。

今、親が頑張るということは、「いざという時」のためでもあるのです。

まだまだ頑張ってくださいね!できるだけ楽しく!

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