こんにちは、ストロング宮迫です。

いよいよ勉強の黄金週間であるGWがやってきますなあ。仕事によってはすでにGWに突入した会社もあるそうですが、子供たちには今回のGWで丸5日間が与えられます。

これほどまとまって時間が取れるのは、もはや夏休みまで待たねばならず、ここの過ごし方が前半戦の山場になるっていうのが親技での見方です。

塾に行くって子供もいるでしょうし、余暇の時間も各家庭で計画されているでしょうが、どうであれ【前半戦唯一のまとまった時間】を有効活用されたし!

このGW丸5日間が有効利用できない親子は、夏休みでも同じ間違いを繰り返すのが相場です。

よってこのGWこそは夏休みの勉強の試金石。

GWを終えてなにをなし終えたか?

中学入試受験組なら新学年になってからの復習、必要なら前学年の単元に戻らなければならないでしょう。

高校入試受験組なら中1・2年次の穴の単元を埋める時間に使えますし、習った範囲の入試演習をやってみるのも有効でしょう。

入試を終えたばかりの中高一貫生・高校入試進学組の子供はこれまでの復習と少しばかりの予習で貯金を作っておきたいところですし、日々の授業の処理が今のやり方で続けられるかも考えたらイイ。

丸5日間ですから1日1単元しても最低5単元は苦手から得意に転換するチャンスです。5単元が得意に転換できたら5単元分だけが良くなるだけの効果じゃない

新たな自信や意欲も引き出してくれるでしょう。苦手単元なんだからと欲張らずに3単元に絞ってやるのでもイイですね。

科目で考えないことです。

苦手な社会を得意科目にしようなんてことは5日間じゃできない。

単元で考えて「全然わからない」から「わかる」へ、

「大問総落とし」から「大問の基本問題はゲットできる」へ、

あわよくば苦手から得意へ。

しつこいですが、この丸5日間で勉強はしても、「なにもなしえなかった」子供たちは夏休みで成績はいっさい上がらない。5日をうまく使えない者は1ヶ月をうまく使えるわけがないから。

周到な準備と考えを持ってGWに臨まれたし。健闘を祈る!

さて、先週、長い出張から帰ってきたんですが、そこで出会った子供たちのことを考えてたら北方謙三さんの小説の一節を強く思い出したので忘れないうちに書いておきます。

出会った子供たちのことはここには書かないけれど、年齢がいくつになろうと、子供は「初めから始めなければならない」ってことです。

少し長い引用になりますが読んでいただきましょうか。読みやすいように私のほうで適宜改行をしていることをご了承ください。

北方謙三著『道誉なり〈上〉』中公文庫

「笛を聴きたい。誰か呼んでくれ」

肩が楽になると、道誉が言った。

庭に現われたのは、隻眼の男で、童を連れていた。

隻眼の男は、阿曽という笛の名手である。近江猿楽の一座は、呼んだ当初は道誉が養っていたが、いまでは市中の興行で充分に生計が立つようだった。

「おまえの倅か、阿曽?」
「いえ、近江路で拾いました。なぜか、笛の音に這い寄って参りまして」
「犬王と申したのう」
「よく、憶えておいでで」
「唄に、不思議な響きがあった。おまえの笛で、唄わせてみよ」

犬王は、無邪気に立っている。阿曽が笛を鳴らすと、時々舞いを入れながら、童とは思えない声で唄った。


犬王の唄が終った。

えいが、躰を固くしていた。笛の音だけがしばらく続き、犬王はただ立っている。

「阿曽、犬王をしばらくわしに預けぬか」

阿曽の、開いた方の眼が閉じた。しばらくして開いたそれは、道誉を真直ぐに見つめてきた。

「犬王の唄を、なんと聴かれました?」

「不思議な響きがある。前はそう思った。いまは、もっとよく聴えた。このまま唄わせてはならぬ」

「幾度か、殺めてしまった方がいいのではないか、と私も思いました」

「滅びの響きじゃのう」

「まさしく」

「生まれ持ったものであろう。このまま唄い続けさせれば、やがて多くの人々を滅ぼすようになる。それは、やめさせたい」

「どうやればいいのか、私も思い悩んでおりました」

「わしが預かる間、唄は禁じよう。武士の子のように躾られて、数年を過すのだ。それから唄わせても、遅くない」

「殿のお心のままに、お引回しくださいますよう」

「よいのか、それで?」

「拾ってはみたものの、どう扱えばいいのか、自分が玉を拾ったのか、邪の塊を拾ったのか、わからなくなったところでございました。といって、私から離すこともできず」

「これなる女性は、えいと申す。子はおらぬ。犬王を、子として育てさせよう」

「よしなに」

「時々は、会いに来い。しかし、笛は聴かせるな。人を惑わすほどではないにしても、おまえの笛にも滅びの響きがあったのだ」

「恐れ入りました」

阿曽は、一度平伏し、犬王を残したまま、なにもなかったように立ち去った。

「おえい」

「はい」

「乳を出せ。わしの代りに、犬王に吸わせてやれ。この子は、そこからはじめなければならぬ」

束の間ためらったえいが、襟を開き、形のいい乳房を出した。

「こっちへ来い、犬王」

犬王は、えいの乳房を見つめたまま、道誉のそばに来た。

「おまえに、この乳をやろう。おまえはこれから、書見の時を持たねばならん。太刀を振る稽古も、弓も、馬もやらねばならん。つらいと思った時、えいのもとに来て乳を吸うのだ」

「はい」

「赤子ではない。おまえはもう、歯も立派に生えておる。なにかが憎いと思った時は、乳首を噛みちぎってもよい。さあ、吸ってみよ。好きなように、吸ってよいぞ」

戸惑っている犬王を、えいが抱き寄せた。小さな頭を抱え、乳房に押しつける。しばらく、されるがままになっていた。音をたてて吸いはじめたのは、かなり時が経ってからだった。

「まあ、この子は」

えいが声をあげる。胸もとが紅潮し、かすかに首をそらしていた。

「まるで殿のような吸い方をいたします」

「それでよい。人の子に帰っていくのだ。そこから、はじめよう」

犬王が乳を吸う音は、いつまでも続いていた。道誉は、それを醜く聴き苦しい音曲のように、かすかに首を振りながら聞いていた。

この場面を皆さんはなんと読むでしょうか?

「子はおらぬ」女性の乳ですから、お乳は出ない。それでも「おまえに、この乳をやろう。・・・つらいと思った時、えいのもとに来て乳を吸うのだ」といった佐々木道誉の心境たるやいかに。

また、そう書いた北方謙三の真意やいかに・・・

戦乱が続いた南北朝時代、近江路で猿楽の一座に拾われた「犬王」、小説でこの場面が描かれる少し前に「犬王」のことを「三歳ほどに見える童」と書いてあります。

ゆえに「赤子ではない。おまえはもう、歯も立派に生えておる。なにかが憎いと思った時は、乳首を噛みちぎってもよい」とも言わせているのでしょう。

物心がつけば、子供が鳴らす声や音や行動や仕草にさまざまなものが現れる。その中でも「滅びの響きじゃのう」と思わせるのは、ここではいつも書いている「寂しい仕草」ですなあ。

世間では「乳離れ」といい、一定の年齢になれば「常識」として乳離れをさせようとするけれど、はたして「もう十分か?」とは検討されません

子供の「自立」は声高に叫ばれ、今は「親の子離れ」についても言及されることが多々あります。

でも、十分「与えれば」、自然と「離れ」につながっていくんじゃないでしょかね。

十分与えていないのに、大人の都合で打ち切っているところもあるんじゃないでしょうか。十分与えられていない者は、「三歳ほどに見える童」でも、歯が生えていようが、乳がでなかろうと、乳を吸わせる。

それを北方謙三さんは佐々木道誉に「人の子に帰っていくのだ。そこから、はじめよう」言わせています。

養分がないところで動植物は育たない。その養分には栄養や日光や水もあるでしょうが、なににも増して「安心」もしくは「安心できる環境」がなければ、人は人たりえないのではないでしょうかね。

ご存じのように佐々木道誉は「婆沙羅大名」として有名ですよね。

ウィキペディア 佐々木道誉

ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られ、『太平記』には謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞う佐々木道誉の逸話を多く記している。

その婆沙羅大名の道誉に「人の子に帰っていくのだ。そこから、はじめよう」と語らせているところがこの小説の魅力になっているのでしょう。

決して時代のど真ん中を歩いていたわけではない佐々木道誉は、戦乱の時代に「謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞」いながらも、当時としてはかなり長生きの78歳まで生きました。

「人という生き物を骨の髄まで理解していたから」そう著者の北方さんは言いたかったのかもしれませんね。

この「犬王」がのちに・・・・それは小説を読んでのお楽しみです(^^)

あなたのお子さんは「立派な人の子」かどうか。1回真剣に考えてみてほしいですな。

それは必要なものを十分与えて育ててきたかどうかで決まります。

まだ「母の乳」が吸い足りないって浮かぬ顔をした小中学生がたくさんいます。その子たちに「勉強しろ」って言っても、勉強には決して気がまわらないですから。

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うれしい報告
『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小4 でんさん

親にムラがあるから子どもにムラがあるのだと悟りました。そのために子どもの成績が特殊なムラっ気を出していることになりました。

塾の先生にも「年齢的なブレはあるのですが、彼の場合は特殊なブレがあります。まだ原因は分かりませんが他のお子さんとは違うブレがあります。」と指摘されていたのですが、原因はズバリ私の接しかただったのです。

親が子どもときちんと約束をする → そして守るの循環を作れば、本人は素直でやる気もあるので大丈夫そうです。

親が反省し、決意が固まったときこそがもっとも危険をはらんでいます。親が持っている熱をいきなりすべて子供にぶつけないこと。

決意を固く持った時こそ、その熱を小出しに1つずつです。

一気にぶつける熱よりも、少しずつずっと熱を子供にぶつけていきましょう。

中2 グローリーさん

これまで何年も無駄にしてしまったというのが一番の感想です。本当にショックで自分に対してなんだったの?という気持ちが強いです。(省略)

これまでの子供への負の接し方をまずゼロに戻し、できればプラスにしていきたいと思います。よろしくお願いします。

一気にプラスにしようとすると子供とのバトルが激しくなるでしょう。鉄則のうち、できることを1個まずやりましょう。

また、負の接し方を全部捨てなきゃあならないのか? ちょっと方向性を変えれば、プラスにできるものもきっとあります。

今まで一生懸命やってきた思いに方向性を与えてやる。それをすぐに検証していきましょう。報告お待ちしております。

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