こんにちは、ストロング宮迫です。
今、外でシジュウカラが鳴いています。ボクには「ツピーツピー」って聞こえるけれど、他の人にはなんて聞こえるんでしょうかね。
鳥の地鳴きなんて珍しくもないけれど、気にならない人には「ツピーツピー」って音は耳には入っていないでしょうし、「鳥が鳴いている」とだけ思う人もいるだろうし、そもそも鳥が鳴いているってことさえ、気づかないという人もいるでしょう。みんな忙しいんだな。
いがらしみきおさんの漫画で『I(アイ)』という作品がありますが、この中で「見ればそうなる」って言葉が出てきます。
世の中、「見ればそうなる」し、聞けばそうなるんじゃないでしょうかね。
もう大人は出来上がってしまっているから仕方がないとしても、子供たちには今鳴いている鳥の鳴き声は聞いてほしいですな。たしかにシジュウカラが「ツピーツピー」って鳴いているから。
『日本語千里眼』という本で著者の明石散人さんは冒頭でこんなふうに書いていらっしゃいます。
明石散人著『日本語千里眼』講談社文庫
自分の情報ストックの中から一見無関係と想われる知識の断片を取り出し、適切に接続していくと、それまで視たことのない固有の風景がリアルな形で立ち上がってくる。大量の文献や膨大な事典類を読み、更には偉い人や有名な人の講演や話を聞き、すっかり知識を得た気になって満足する人が多いが、こういった知的セグメントをいくら集めたところで、それを上手に繋ぐ知的好奇心がなければ宝の持ち腐れみたいなものである。
せっかく自分の頭にたくさんの知識を輯録したのだから、上っ面だけで良しとせず、知的セグメントを自在に結びつけ、自由で豊かな発想の世界で遊び、こうした過程を面白がる、この「面白がる」ことこそ、自分固有の奇想天外な風景を視る上での大事なキーワードなのだ。
同じものを見ても、読んでも、聞いても、そこから立ち上がってくる風景はその人の「情報ストック」と「知的好奇心」によってまるで違ってくるし、生み出すものも違ってくる。
子供は同じ授業、似たような授業を受けているものです。しかし、成績は違ってくる。
同じ授業を受けても、見えているもの、聴こえているものはまるで違う。同じ授業でもです。
なにが違うのかって、それが「自分の情報ストック」と「知的好奇心」でしょう。
勉強するってことは「情報ストック」をしているってこと、しかし、ストックしてもそれを「面白がる」ことができなければ「固有の風景」はリアルには立ち上がってこない。
そういう感じは、経験したことがない人にしかなんともわからないことではあるんですが、それを経験したことがない親は子供にそのことは伝えられません。
でも、誰にだって一見何の関係のないものが一気に結びついたり、新聞読んでても書いてあることとはまるで違うものが見えてきたりした経験はあるはずです。
それは勉強でもあるし、それがないと受験やテストまでは頑張れても、受験やテストが終わったら、途切れちゃう。
夜空を見上げても、星座を知らない人には「星」しか見えないし、飛行機の灯りにしか目が向かないものです。
昨日の夜、ベランダから空を見上げてみましたら、木星がクッキリと見えてなかなかの風情でした。
木星までは約7億5000万km、秒速約30万kmの光なら40分ちょい。飛行速度がマッハ20のウルトラマンタロウでも70年くらいかかっちゃう計算になる….ってこの計算あってるのかな・・・
遠い、果てしなく遠いけれど、その遠いところにあるものがクッキリと見えるんだもんなあ。カシオペア座は見えず、少し霞んでいたのでしし座は見えにくかったけれど、それでも十分楽しめました。
しし座の由来は、大神ゼウスがヘルクレスの功績をたたえるために、ライオンを天にあげ星座としたとか。いい話ですなあ。やられたほうを星座にしてるんですから。
木星が見えるすぐ横で、しし座も見える。ギリシャ一の力を持つヘラクレスと3日間もずっと首を絞め続けられたライオンに思いをはせて南の空を見るべし!
さっき紹介した明石散人さんは別の著書で「面白がる」をこんなふうに書いていらっしゃいます。
明石散人著『視えずの魚』講談社文庫
僕は視た目の情報を自分の情報ストックと組合せしながら解析するのが大好きなんだ。予めの情報ストック量が大きくないと、新たな情報を小さくしか消費できない。
人の反応は情報消費量が大きければ大きいほど増大する。
例えば、面白い、面白がる、この両者は明確に違う。
後者(面白がる)には個人の情報ストック量に裏付けされた強い意志が働く。
本当の面白さというのは・・・・、ハウリングポイントを超えた世界に存在する。この世界は普通の人には雑音にしか聞こえないし、風景も視えない。
でもここには、情報ストックと情報消費が常に一対一の人には決して経験できない未知の世界がある。僕はこの世界を覗き込むのが好きなんだ。
すごい授業を聞いても、人気講師の授業を聞いても、「情報ストックと情報消費が常に一対一の人」には「雑音にしか聞こえないし、風景も視えない」ってわけです。
でも、難しく考える必要はないんじゃないか。聞こえるもの、見えるものをまずはちゃんと見ること。
鳥の鳴き声を聞き、夜空を見上げたらイイ。子供が聞いたり見たりしたときに親が少しだけ情報を与えてやったらイイ。
鳥のことは詳しくないって!?
ボクだって知りはしない。
でも、今は「ツピーツピー」で検索したらネットでてくる。
「ツピーツピー 鳴き声」で検索したら、
もしかして: ツツピー 鳴き声
ってご丁寧に出てくる。
ボクには「ツピーツピー」って聞こえるけれど、まあ「ツツピー」でも許します。身の周りにあるものはできるだけ知っておくことです。関心を持ってみることです。ただそれだけ。
どっかのプラネタリウムに出かける必要はない。狭いけれどベランダに出て上を見上げるだけ。見さえすれば、南の空に圧倒的に輝く明かりを見つけて「なんだろうねえ」って思えればそれでいい。
わからなければ「4月の星空ガイド」なんていう痒いところに手が届くサイトだってある。そしてまた今日も夜空を見上げてみる。子供が星座が時間によって動くことを気づくかもしれない。
見ればそうなる。聞けばそうなる。
確かなことは、今の子供たちは昔の子供が知っていたことを知らないことが多くなっているということ。
それらはテストには出ないかもしれない。入試にも出ないかもしれない。
でも、テストや入試に出ない外側の知識がたくさんあるほうが勉強では強い。
なんでかって!?
そりゃあ、「面白がる」ことができる可能性が高まるから。
面白がるには個人の情報ストック量に裏付けされた強い意志が働くから。
意志だけ強くても世界は視えるようにならない。情報ストックがいる。しかし、その情報ストックがテストや入試に限定されたものであれば、視える世界は狭まる。
今の学習指導要領は、実は「みんなそう言わない」けれど、そこの部分を強化するように!って書かれているとボクには読めますけどね。
方針はあっているんだけれど、誰もそれをやらないだけなんじゃないでしょうかね。
だって今日も鳥は鳴いているし、夜空は広がっているんだから。すでにそこにあるものを見よ!ですな。
思へただ 花のちりなむ 木のもとを
なにを蔭にて 我が身すぐさむ
願はくは 花の下にて 春死なむ
その如月の 望月のころ
春ですなあ・・・
受験報告
キーさん
受験シーズンも終了とのこと、ストロングさんもやっとひと段落されたのでしょうか。
今回わが子の中学受験を通して、先生方が身を粉にして下さっていることを目の当たりにし頭が下がるとともに、本当に感謝してもしつくせない気持ちです。
申し遅れましたが、以前メルマガで取り上げて頂いた、9月に第一志望校の過去問をやらせて、子どもの体調を悪くしてしまったものでございます。
わが家の中学受験の結果を報告させて頂きます。
おかげさまで子どもは、1月受験で合格を頂いた学校への進学が決まりました。
2月受験の学校を目指して、追い込みをかけましたが、そちらは届きませんでした。
9月の解禁当初は、具合を悪くするくらいできなかった2月受験校の過去問も直前期には算数は7~9割、理科・社会では7割前後を得点できるようになっていましたが、国語だけが、最後まで他教科頼みの状態でした。
連日の2月受験校の午前入試と午後のネット発表での不合格。
子どもは、最後の発表の画面にも番号がないことを確認した後、ひとしきり泣いて落ち着いてから、立ち上がって「今までありがとうございました。」とペコリと頭を下げてくれました。
私は「がんばったね」とひと言。クタクタになって膝枕で寝始めた子どもの頭を撫でながら、受験が終わったことへの安堵感とともに、これからどのように気持ちが変化していくのだろう?とぼんやり考えておりました。
それから3~4日は、子どもを合格させて頂いた学校への感謝よりも、届かなかった第一志望への未練が心を占め、直前期の目を見張るような伸びをもっと早い時期につけてあげられなかった自分自身を責めておりました。
ですが、制服採寸を終え、入学後のシラバスを確認して学習計画などを立てて行くうちに、頂けた機会を良くするも悪くするも考え方一つだし、反省はしても、後悔はしないように気持ちを切り替えました。
子どもは私よりももっと切替えが早く、膝枕から起きた途端から「もう一つの第一志望校」だった1月受験校への入学を心待ちにしております。
受験が終わり、部屋を片付けようと、本棚から塾のテキストを引っ張りだしたのですが、中学受験で駆け抜けた範囲の中にやり残したことが沢山あるね、と子どもと話し合い、処分する前に苦手範囲をもう一度復習することにしました。
さっさと終わらせられるかと思っていた4・5年生のテキストでも手こずる問題に出くわし、改めて基礎の大切さを痛感しております。
英語はアルファベットの練習から始めておりましたが、『サルでも知っている英単語』も覚えるように致します。
気づくと身長が追い抜かれ、反抗期も本格的に始まってきて、今までのような関わりは持てなくなりそうですが、大学入試の選抜方法が変わる年度なので、情報収集にアンテナをたてながら、うまく自分で勉強を進めることが出来るようサポートしていきたいと考えております。
このメールをしたためるだけで数日を費やしてしまう者の目から見ると、あれだけの内容と文章量を定期的に配信されることは相当大変なことだと思いますが、いつも何かを気づかせてくださる親技メルマガをこれからも楽しみにお待ちしております。
最後になりましたが、この度の中学受験ではストロング様とタイガー様の親技に助けて頂き、本当にありがとうございました。
「もう一つの第一志望校」っていうのは名言ですなあ。うん、「もう一つの第一志望校」、何回言ってもイイ。
ひとしきり泣いて落ち着いたあとに立ち上がって「今までありがとうございました。」と頭を下げたくだりを見ても、イイ受験をされたんだなあと思います。
まず手をつけたのが「4・5年生のテキスト」だったのも理にかなっているし、「手こずる問題に出くわし、改めて基礎の大切さを痛感」した感じ方もすばらしい。
基本について、明石散人著『日本語千里眼』にはこうあります。
http://tinyurl.com/nw4r4hb諺に「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」というのがある。鮒は近所の池や川に棲む一番身近な魚で、釣りの経験のない人でも竹の延べ竿で簡単に釣れてしまう。
ところが、釣りを知れば知るほど、実は初歩的な鮒釣りが一番難しいことを知る。
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・・・・最も易しいことは全てを表現する。これは、基本から基本へ、つまり基本を大切にしなさいという意味ではない。
基本を大切にというのは、高度に完成された自分の芸に溺れることなく常に精進を続ける、の意で、ここには自分自身の強い意志が存在し、増長しがちな心を戒める意味での基本である。
目的に対する自分の姿勢、在り方、これが基本を大切にということだ。
どうぞ基本を大切に!いい6年間を!
そのためにはスタートダッシュですぞ!