こんにちは、ストロング宮迫です。
この前の紙類の資源ゴミの回収があった日に我が嫁が出しに行ったんですが、あれっていっぱいある時って重いでしょ。
ちょうどその日も新聞やら本やら雑誌やら一部は子供の教科書もあったらしいんだな。
お・も・い・・・
で、自転車に乗せて持っていこうとしたその刹那、バランスを崩しバタンと倒れてしまったらしい。それも自分の上に自転車がかぶさる形で、本人曰く「大の字」になって倒れたんだとか。
倒れて大の字になってその上に自転車が乗っかってる。目の前には空が広がってる・・・
そのとき痛くてではなく、悲しくて涙が出たっていうんですな。
あとから聞いたんですが。
本人曰く「しばらく放心して大の字になっていた」ということなんですが、それでもたぶん大の字になっていたのは数秒だと思われます。
倒れるときから大の字になるまで、ああいう時ってなんでかスローモーションで倒れていく感じがするんですよね。たぶん本人も倒れてしばらく青空を見ていた感覚だったんじゃないでしょうかね。
その「なが~い」時間、大の字になって倒れているときに周りには誰もいなかった。声をかけてくれる人もいなかった。で、立ち上がってせっせと資源ゴミを出した。
帰ってきて、まだボクは家にいたんですが、「ひっくり返った」とボクに言うんですな。それを聞いてボクがすぐに言ったのは「なにやってんの?」「横着したんだろ」でした。
我が嫁曰く「このときほど悲しいことはなかった」って・・・
痛くてではなく、このありさまが悲しくて涙が出た人に(それはあとで聞いたんですが)「大丈夫だったの?」って言わずに「なにやってんの? 横着したんだろ」っていうのはすごく残酷なことです。
もちろん目の前で倒れたら、たぶんですが「大丈夫か?」と言って、まずは自転車を起こして嫁に手を貸したと思うんです、たぶんね。
ただ話を聞いての第一声は「なにやってんの? 横着したんだろ」だった。このとき両者には埋めがたい溝が生まれる。
ボク側からすれば、そこにはいなかったわけだし、どうしてやることもできなかった(と思う)わけですが、嫁側からすれば、ぶざまに大の字になっても援軍も「大丈夫か」の掛け声もなしということになる。
これって親子の関係でもしょっちゅう起きていることだと思うんです。この行き違いというか、溝っていうか、両者を隔てているものはものすごく大きい。
ただ嫁が子供と違うのは、その後で延々とその出来事について説明して、その時の気持ちをしゃべること。
それを聞けばね、全部でなくても「気の毒だったな」とか「それはやれんな」と嫁側に気持ちを寄せて考えることはできる。家族であれば、今回の出来事の伏線を想像することもできる。
たとえば、前日に明日は資源ゴミがたくさんあって1回じゃ運べないかも、雨予報なのよ・・・とかグダグダ言っていたとか、そういうそうなってしまった出来事の伏線を過去を含めて共有していれば、さらに嫁側に気持ちを寄せて考えられる。
でも、子供はそれを自分から言わないことのほうが多いんじゃないでしょうか。
言わなければ、その時の気持ちや感情を勘案してやることもできず、やっぱり「なにやってんの? 横着したんだろ」ってならざるを得ない。で、溝が生まれる。
1回の溝であれば、大したことがないけれど、10回の溝は結構大きいし、それが100回になれば修復は不能かもしれない。
ぶざまで哀しくて情けないって思っている子供に「なにやってんの? 横着したんだろ」言い続けたらどうなるかは皆さんも想像できるでしょう。
30点取ってきて、ぶざまで哀しくて情けないって思っている子供に「なにやってんの? まじめにしてるの?」言い続けたらどうなるか。
親子でも夫婦でもどこでも溝はあるんだろうけれど、その溝が埋めがたくなっていく過程でこうしたことが積み重なっていくんではないでしょうかね。
だから、子供に起こっている出来事を知らなきゃいけない。どうやってテストに向かったのか、どういう勉強をしてテストを受けたのか。
知らないで「なにやってんの? まじめにしてるの?」と結果だけ見て言ってたら、そりゃあ子供はイヤだから。
でも、学校もあって、塾にもいけば、一緒にいないんだからわからない。だから、聞かなきゃいけない。相手に喋らせて聞かなきゃ、わかんないから。
ただぶざまで哀しくて情けないって思っている子供や人は、そのことを言えないんですよね。あまりにも哀しくて、あまりにもぶざますぎて・・・
大変な出来事ほど言えないもんです。
そういう意味じゃあ、「誰も助けてくれない」「誰も大丈夫って言ってくれない」と文句を言う我が嫁には手の打ちようがあるってことです、ボクに言うからね。
相手が目の前で涙流しながら、あーだこーだって言えば、誰でも慰めるでしょう。「辛かったなあ」って言ってやれる。
問題は相手が言わないときです。
こんなことを書いているのは、これもこの前のことだけれど、中学生の子が宿題をやっているのを見てると、同じプリントを3枚持ってて、やってるんだな。
親技では「同じ問題も3回やってね!」って言っているから、この子もついに目覚めて自分から先生に同じプリントを余分にもらってやろうとするようになったかと思いまして、うれしくてね。
「お前、すごいなあ。3枚やるのか」って聞いたら、中学生の子が悲しい顔してよくぞ聞いてくれました!って顔をして「2枚はやってこいって押し付けられちゃいました」って言うんだなあ。
「・・・・・どういうこと?」
「宿題は1枚なんですけど、2枚は友達からやって来いって渡されたんです」
まあ、いじめの一種ですな。不良なら不良らしく内申点なんかクソ食らえって宿題なんか提出しなきゃいいんだけど、一応誰かにやらせて提出はするっていう中1くらいには割と多いタチの悪いパターンですな。
「母ちゃん、それ知ってるのか?」「知るわけないじゃないですか!」って中学生の子は言ってました。
この問題の顛末はここでは記さないけれど、たとえばこんなふうに宿題のプリントを悪い奴らに持たされてやらされている事例だってあるわけです。
プリントを押し付けられて、それをやっていって渡す自分を自らぶざまで哀しくて情けないって思っている中学生は親には言わない、言えない。
でもね、その中学生だって言いたくないってわけじゃないんです。だってボクが聞いたら、すぐ言ったからね。言いにくそうに言ったんじゃない。すぐその種を明かしたから。
だから、中学生だってこのことは死ぬまで墓場に持っていこうなんて強い意思があってのことじゃない。
「言いたいんだ」ってボクは思う。言いたくて言いたくてたまらないんだ。
言っても問題は解決しないけれど、まずは言えばちょっとだけ安心する。
あとはキッカケ。キッカケさえあれば、なんでもすぐ喋っちゃう。
でも、自分からね、「本日はこういう理不尽なことがありまして断ろうと思ったのですができなくて・・・」なんて自分からは言わないんじゃなくて、言えないんです。
この地球にたくさんの人が住んでいるのに、家族と暮らし、学校にも通い、塾にも行って多数の人間とかかわっているのに、誰も自分のことは知らない。
そんなふうに思う子供だっているってことです。順調に行っているように見える子供だってそう思える瞬間が時にはある。多感な小学生中学生が感じる場面が日常生活の中にはいっぱい潜んでいる。
全部が全部見つけてやることはいつも一緒にいる親だって難しいけれど、それが話せるキッカケは時々作ってやってほしいと願います。
子供はみんな言いたがっているからね。
子供は勝手には育たない。みるみる大きくはなるが、それは外見だけで、解決しなくても「そうかあ」って聞いてくれる場所は絶対的に必要です。
あなたにも毎日いろんなことが起こっているように、子供たちにだって起こってる。ただそれを知らないだけだと思います。
さて、先日ここで紹介したメールに返信がありましたので紹介します。
この回で紹介したkamesamaさん。苦手な算数を家庭学習でやる順番を変えたら、家庭学習の進み具合が変わったという方です。
視点を変えれば現象も変わってくるという事例で紹介しました。
その親カツ生のkamesamaさんから。
私が気付けたのはメルマガのお陰でした。
ある方の、苦手科目だけに引っ張られることなく他の科目はキチンとやられていて…みたいな内容で、はたと「あ、うちは苦手科目を先にやっている為に他にも手が回らなくなって来ている」と。
それで「あ、算数を先にやるからいけないんだ」と。
今もやっぱり最初の一時間はグズグズですが、習性が分かったお陰で私も怒鳴ることもなく、算数をやる時間には本当にスムーズに進み、いつも実力テストでは偏差値49(1月組み分け51)の算数が3月組み分けは59と大躍進でした!
範囲のあるテストで地道にクラスを上げて実力テストで大きくクラスを下げるパターンがずっと続き、随分前から対策を立てて、やってもやっても実力テストの成績は微動だにせず…私がもう投げ出しそうでした。
それが総合でも1月組み分け偏差値49から3月組み分け56でした!
実力テスト初の50越えです!本人も鼻の穴が膨らんでおりました。
最初の一時間を除けばノリノリでやってくれるので、成果シートもようやく記入が出来るようになりました。
今後はこの最初の一時間を無駄にしない対策を考えなければいけませんが。
偏差値から見ると壁がある「偏差値50」を越えちゃった感がありますね。
あとはこれが2回続けて出せるかどうか。それで本物であるかどうかがわかる。
そして勉強のやり方があっていれば「偏差値55の壁」をなんなく通過できるでしょう。まあ、1歩1歩ですね。
「本人も鼻の穴が膨らんでおりました」そりゃあそうでしょう。サッカーでいえば、均衡しながらもどんよりした雰囲気の中で決定的な1点を自分が入れたような感覚なんじゃないかなあ。
疲れてても急にもっと走れるよ!ってなもんですな。ゲンキンなものですが、これは子供も親もボクも一緒です(^^)
とうとう受験シーズンが終わり、春休みを経て、新学年が始まり、新たなシーズンを迎えることになります。
今の時代は受験を終えたら自分の体験談を発信していく方も増えてきました。
今春中学入試を終えた親技が認めるブログをここに1つ紹介しましょう。
小学校3年の冬期講習から日能研に通い始めた中学受験のお子さんの記録です。約2年に渡って日々更新されてきました。
見事最難関の中学を撃破されましたが、日能研に通う方は参考にされたらいいでしょう。とってもまじめで熱心な親技上級者とまではいかないけれど、親技中級者としておきます。
上のお子さんが中学に進んで3年経つ頃には、下のお子さんも受験もあるでしょうから、あと数年を経て親技上級者であるかどうかはハッキリするでしょう。
近頃はイクメンなんてよく聞きますが親技でもお父さんによる参加が結構な比率になってきてますなあ。まあ、やってみると数値もビシバシ出ておもしろいからね。
何年かの期間限定ですから子供への関わり方の1つとして勉強はオススメしていですなあ。
何度か紹介している「応用力を身につけるコツ」シリーズ
今回は、某塾のテキストにあった算数の相似の問題を題材にしたものです。
メルマガの読者は問題をこちらにアップしておきました
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よくある問題ですから知ってればすぐに解ける基本問題です。制限時間は3分といったとこでしょうか。
誰でも見たことがある基本問題ですが、別解を考えたり、解いている最中に間違いに気づく練習にも大いに利用できる問題です。
タイガー山中曰く
覚えてるとか、知ってる知らないに頼っている限り本当の応用力(自分で考える力)は身に着きません
そしてそれを導くのは親だと思いますよ。