こんにちは、ストロング宮迫です。

今週、とうとう高校入試も最後の週を迎えます。

・・・と、このメルマガを書いている途中にメールの着信音がしたので確認すると、メールがきていました。

メルマガをすでに書き終えかけていた途中だったけれど、やっぱりどうしても皆さんに読んでほしい内容だったので紹介します。

お久しぶりです。カメさんの母さんです。

少し前のメルマガで私が6年前に出したメールを載せていただいていたので、嬉しくなってメールしました。

娘は4月から、地元の国立大学の医学部医学科4年生になります。高校・大学では良い友達に恵まれ、楽しそうに通っております。

メルマガは発行当初から拝読しております。メルマガを読んで、私にとって一番良かったのは世間のステレオタイプな常識に惑わされなかったことです。

それまでは迷いもあったのですが、この道で正しいんだと思うことができました。今、娘を見ていても自立していないとかは全く思いません。

私自身は専門学校しか出ていないので親の学歴も関係ないと思います。貧乏なので塾にも予備校にも行かせていません。中学校は逮捕者続出のひどい環境でした。

ですので、メルマガ読者の皆さんに「ストロング先生を信じて進んで行くのがいいよ」とお伝えしたいです。

下の娘は4月から高3になります。上の娘と比べると成績は落ちるので、「成績がイイ子の親」にはなれていませんから、偉そうなことは言えませんが。

子供の勉強をみるのってカーリングみたいな気がしています。石を持っている間が中学生までで、ブラシでこすっている間が高校生という感じで。

それでは、今後もメルマガを楽しみにしております。

カメさんの母さん、ありがとうございます。

名言ですなあ、これ(^^)
oyawaza00-0

これはすごい例えが出てきましたね。よくぞ言ってくれました!って感じですな。

「ストーン」である子供をきちんと手で支えて的に投げる。このとき向きやスピードを考える。どれくらいの力を「ストーン」に伝えるかも考える。

カーリングって野球みたいに空中同士で自在に投げ合うんじゃなくて、ストーンを地面につけたままで投げるのも子供の勉強に似てますな。自在にいきなり何十メートルも先へ放れないからね。

滑らせていくんです、子供の勉強も。

今いる地点からそうっと力を加減して滑らせる。狙う的だっていろいろあって、いつだってど真ん中を狙って投げるわけじゃない。

置石みたいに布石になる場合だってあるだろうし、少し曲げて投げることだってあるし、ぶつけて他の石を押し出すこともあるでしょう。

でも、それをする、つまり、手に直接触れて支えて投げるのは中学生まで。だから、時間制限もあるけれど、投げる前にはいろいろ考えて放るんですよね。

で、そのあとは向かっている方向やスピードを見ながらブラッシングする。その際、直接の手を離れた高校生以降は、掛け声やブラッシングで調整していくんですよね。

親自身が自分でスウィーピングする場合もあるだろうし、誰かがしてくれることもある。

ときにはスウィーピングをしないでおく場合もあるし、ハードに強く掃く場合も急いで掃くときもある。そして的が近くなったら、ストーンの前のゴミを取り除くくらいに軽く掃く。

この名言を忘れないように、すぐ思い返せるようにバックナンバーに独立してアップしておきました。

今後は講演なんかでもこのカメさんの母さんの名言を親の役割の話では使わせてもらうことにします。その際は「written by カメさんの母さん」と付け加えることをお約束します。

親技では小学生、中学生に直接手を触れずに「ストーン」を投げたり、中学生だから、高校生になったからといってブラッシングも掛け声もなしで好きに行きなさいという形をオススメしていません。

ブラッシングをするのは微調整をするためだし、微調整しなければ最初に投げたときの方向や力のまま、あらぬ方向に行ってしまう可能性があるからです。

また、中学生までに直接手に触れて関わっていなければ、それ以降の掛け声やブラッシングによって影響を与えることは難しいとも書いてきました。

まさにカーリングですなあ。

もう1つ、カメさんの母さんが書いていることでステキだなあと思うのは「親の学歴も関係ない」「貧乏なので塾にも予備校にも行かせていません」加えて周りの環境もひどかったと。

でも、そんなのカンケーねぇと。

サラッとそれが言えるってことがすごいんだなあ。ボクも心からそう思いますし、あとは親がどれだけやるつもりがあるかってことでしょう。

目の前のことを受け入れて、あとは工夫して、できるだけ楽しみながらやっていく。あれがない、これがないってないものを嘆いても出てきませんしね。あるものを使って工夫してやっていく。

子供にだって「これもできない」「あれもできない」って罵声を浴びせても勉強ができるようになるわけじゃない。でも、それをただ言い続けている親がいる。

うまくいかないことを意地になってこれでもかとやっても、意地は通せてもハッピーにはなれないから。

同じ場所を時間をかけてグルグルグルグル回らないことです。疲れるだけだからね。

いつも言うことですが、見る場所や視点や見方を変えなきゃ、違う角度から見ようとしなければ、いつもと同じ風景しか見えませんから。

先日、こんなふうにメールに書いていらっしゃった方がいましたので一部抜粋して紹介しましょう。

kamesamaさん

・・・・でもやっぱりいつも行き着く先はバトルで一生懸命考えた計画もちっとも進まず、私も血圧上がりまくりで病気になりそうでもう限界でした。

しかし先日、バトルになるのはいつも算数がほとんどだと言う事に気付き、思い切って算数を1日の最後に回してみたのです。

すると本当に久しぶりにほぼ穏やかな1日だったのです。

これまで重い算数は疲れていない早い時間に、休日も算数は頭の冴えている午前中でなければと信じてやらせていました。

でも最初につまづくと、私も「まだ国語も理科も社会もあるのに!」とさらに焦ってしまってイライラしていたのです。

それを思い切って他の教科を全部終わらせたあと、夕飯もお風呂も終わった夜9時から算数、休日も午前中算数は一切入れず他の教科の終わった夕方から算数にしてみたのです。

すると何と集中してサッサとやるのです。この子はエンジンがかかるのが遅く、勉強を始めた最初の一時間がグズグズするのだと言う事が判明しました。

なので最初の一時間はグズグズでも比較的被害の少ない社会の年代暗記などに・・・・

これなんですよね。

なんでもないことなんですが、「何とか算数をこなさないと、あとが・・・・」と思ってイライラしていたのを

バトルになるのはいつも算数がほとんどだと言う事に気付き、思い切って算数を1日の最後に回してみた

これも工夫の1つでしょう。

工夫は解き方の工夫もあるけれど、勉強のやらせ方の工夫もある。

どういうときにバトルが起こっているのか?

それが考えられたのがすばらしい。そして考えただけじゃなく、1つだけ「思い切って」変えてみた。この決断もすばらしい。

こうして違う角度から見て、違う視点でやってみたら、「サッサと」やった。やっていることは同じなのに順番を変えてみたら驚くべき変化を子供が示したんですよね。

でも、親のほうがこうせずに、これからも延々と「まずは算数!」とエンジンがかかる前に重たいと思っている科目を視点を変えずにやっていたら、どうなっていったことやら。たったそれだけなんです。

「たったそれだけ」と書きましたが、それがまるっきりできないことでもあるんです。気づかない、みんな。

kamesamaさんは自分でそれに気づいた。この「世紀の大発見」を経験したら、次はもっとカンタンに変えられるはずです。

あなたも気づけるはずです。子供は今のままで親が少しだけ何かを変えられないか。

親が変われば子供は変わるというのは、親が1つ何かを視点を変えて工夫すれば、子供から違う反応が引き出せるってことでもあります。

やる価値はあると思いますけどね。

だって今はまだ「ストーン」は手の内にあるのですから。

sb_ld_soudan.gif
うれしい報告

[算・数] 7日間を終えての感想

小4 タルトさん

明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

計算間違えをしなくなった。

自分が間違えたところを、間違えと認めるようになった。

同じ問題を再度しても嫌がらなくなった。

自分から勉強すると楽しいと思うようになった。 

親にとって学ぶべき点はありましたか?:

子どもに叱咤激励することがいいと思っていましたが、逆効果でした。ささやきが、これほどの効果があるとは、初めて知りました。

30分という、子どもも終わりが見える時間で、取り組めたことがとてもよかったです。

お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

子ども自身が、自分の成果に喜ぶ姿を見るのは、私もうれしかったです。親子ノリノリ勉強法を知らなかったら、ずっと親子でお互い不機嫌な時間を過ごしていたと思います。素晴らしい勉強法をありがとうございます。

  • ノリ勉
  • 10の鉄則
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)
  • 親カツ講座(入
試実践コース)