早速読んでいただいて私のバズーカ砲を受け止めていただきましょうか。
もう10年以上も前になりますが「学校5日制」の導入に関わった木村治美さんが島根県で行った「生涯学習としての子育て」という講演があります。
時間も経過して講演会の議事録もリンク切れでなくなってしまいましたので内容全文をお読みいただくことはかないませんが一部を以下に抜粋して紹介します。
学校5日制は当初の趣旨からずいぶん離れた場所に来てしまったように思います。親が子供のことを考える際にもヒントがあると思うのでどうぞお付き合い下さい。
しまね教育の日講演会「生涯学習としての子育て」
講師:木村治美氏(エッセイスト、共立女子大名誉教授)
講演会日時:平成15年11月4日「学校週5日制について~学校中心主義から脱却~」
学校週5日制が実施されました。皆さんは、どう評価していらっしゃいますか。
学力が下がるとか、子どもの居場所がなくなるとか、いろいろな副次的な問題が出てまいりましたけれど、あれを最初に提言したのは、臨時教育審議会です。
その本心は、どこにその狙いがあったかと言いますと、やっぱり学校中心主義から家庭・地域全部に教育の場をひろげようという、それが狙いでございました。
つまり、学校が6日間抱え込んでいる。そうすると、家庭は学校に任せればいい、それから地域が何か子どもたちに関わろうとしてもそれは日数がない。
学校は5日だけ抱え込んで、あと1日多く土曜と日曜は、家庭と地域に返しますよとそういう意味で学校週5日制を提言した訳です。
と申しますのも、家庭というのは一種の聖域でございます。
ここに直接物が言えないわけです。教育現場にいらっしゃる皆様は、一番そこに困っていらっしゃると思うんです。行政として、家庭を指導したり口を挟んだりすることは出来ない。
しかし、そこの教育力が低下しているのは明らかである。
じゃあ、どうしたらいいんだ。ものすごく難しい問題です。
どうしたらいいのか、それは、やっぱりどこかが抱え込めば、もう一方は手を抜く、皆さんの家族中の役割分担もそうだと思います。
ゴミ捨てはお父さんの役目となると、奥さんの方は、あの人に任しておいて私はよく分からないんだと、ただ捨てておけば、あの人がやってくれからということになります。
庭の草取りだってそうです。あれは、あの人が趣味でやっているから私はやらないということなります。
あっちが一所懸命やっているからこっちも一所懸命にならなければ、とはなかなかならないものです。
もう、いやな仕事に煩わしい、面倒な仕事であればあるほど、どちらかが抱え込めば、どちらかは手を引くというものです。
ですから、学校が抱え込めば抱え込むほど、家庭も地域も手を抜いてくる。それを排除するため、そういう関係を元に戻すために、そういう状況に戻すために、学校は、抱え込むことは止めましたよ。
少なくとも土曜日は家庭と地域にお返しします。
いかがですか?
その家庭に返された「土曜日」はその後どうなっているでしょうか?
有効に、最初の趣旨の通りに使われているでしょうか?
そもそもなぜ「学校5日制」が導入されのかさえも忘れてしまっているのが今の状況のような気がします。
講演会の中に出てくるんですが、臨教審の先生の中には
もはや、家庭の教育力をあてにするのは、手遅れである。
そんなことをして子どもたちを混乱させるよりは、全部、今よりももっともっと、学校の教育力を充実させて、もう、家庭なんか、あてにしない方がいい。
と言う方もいたそうです。
これを機会にぜひ、学校が休みの「土曜日」は我が家にとっていかなる日であるかを考えてみてほしいと思います。
さて、順番が逆になりましたが木村治美さんを簡単にご紹介します。ご存じの方も多いと思いますが「黄昏のロンドンから」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞され、以後、多数の著書を出され、大学で教えていらっしゃいました。
ストロングも大学生の頃から愛読させてもらっています。
実は先日、ボクの夢になぜかこの木村治美さんが出ていらっしゃって「最近私の本を読んでくれてないわね」なんて言うんです。
ええーーーー!!ですよね。
お顔はもちろん知っていましたが、お会いしたことはありませんし、だいだいストロングは寝ているときに夢を滅多に見ないんです。それが「私の本を・・・・」でしょう。
もうビックリして、ネットで最近の木村さんを調べてみようと思ったら、この講演会の記録にたどり着いたというわけです。
ストロングが昔っから愛読している木村先生の、その講演会の記録、せっかくですから講演会の別の部分も紹介してみようと思います。
木村さんは、講演会で「家庭の教育力について」「人から人に受け継ぐもの」についてもお話しされています。
今の皆さんが親子関係を考える上で参考になると思いますので、読んでみてください。
しまね教育の日講演会「生涯学習としての子育て」
講師:木村治美氏(エッセイスト、共立女子大名誉教授)
講演会日時:平成15年11月4日「家庭の教育力について」
家庭の教育力は低下しております。
これは、なぜかと言うことをここで考えてみたいと思うんです。
それは、文明そのものにあります。
昔は、薪を割ること。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは、川に洗濯にという役割分担があって、水を汲む人、薪を割る人、ご飯を焚く人、ランプの火屋を磨く人、大変な重労働でした。
だから、家族は何のために一つ屋根の下に住んでいるのか。これは、一日を何とか生き延びるという、非常に現実的な目的のために結束していた。
(家族は)なくてはならない協力者であったわけです。
しかし、今、申し上げたことみんな必要なくなったわけであります。今、スイッチを押せば、全部一人でできてしまうわけです。
そうすると、家族って一体何のためにいるの?
これがわからなくなっているのです。
よく考えてみると、皆さんも何で一緒にいるんだろうとお思いになりません?
シンポジュウムなんか開くわけですね。「今、家族は可能であるか。」
そうすると、スイッチを押していれば、ボタンを押していれば、全部、他人の協力なくして全てやっていける。
かえって、うるさい。かえって人がいない方が自由でいいという人さえ多い。
だから、この頃の若い人は、なかなか結婚に意味を見い出せないわけです。シンポジュウムなどの結論は、非常に明解です。
まあ、それは、ボタンを押していればいいには違いないけれど、心の絆として家族は一緒にいるんだとそういう答えを持ち帰ります。
しかし、心の絆なんて目にみえないものをどうやって存在させますか。テーブルの上に乗せますか。これは難しいんです。
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日常生活の中に、昔は、手間暇かける場面が無数にあったわけです。みんな一つ屋根の下で共同生活していたら、そういう手間暇ばっかりですから。みんな家族の心が溢れていた。それを感じながら暮らしていた。
ところが、スイッチでしょう。一緒に暮らしていても、心の渡しようがない。
じゃあ、せめて食事くらいと思うんですが・・・・・
今じゃあ、コンビニ弁当も結構おいしく、「お母さんの弁当よりもおいしー!」なんて話もよく聞きます。
この頃は、スーパーでおかずを作るところも工夫しますから、おいしい物が作れるんです。
確かに、私たち手間暇かけて、でも、買った方がおいしいと思うようなこともあります。
そういう状況の中で、なお、手間暇かけて、心を家族に渡すことがいかに難しいか。時代は、そこまで来ている。
そういう中で家庭は、家族はじゃあ何で一緒にいるのかということです。
親がどうやって子供に目に見えない絆や心を渡すか?
考えても答えは出ませんが、ストロングなんかはもうそこだけが子供にきちんと伝わっていけばいいなあと思っているくらいです。
そして、それはじいさん、ばあさん、親や子や孫という縦の世代へのバトンタッチでもあるわけです。
「世話をされて」育ってきた私たちが「世話をして」見送っていく。高齢化社会といわれる中で、それをどう締めくくっていくか。
ストロングなんかも50歳を目前に控えて、自分の親の死というものをすごく考えるようになりました。
このじいさん、ばあさんの人となりをいかに子供たちに伝え、そしずっと思い続けてくれる子供にするか。
難しいですけどねえ・・・
しまね教育の日講演会「生涯学習としての子育て」
講師:木村治美氏(エッセイスト、共立女子大名誉教授)
講演会日時:平成15年11月4日「人から人に受け継ぐもの」
私の同世代の友達、もう、けなげですよ。
(※ストロング注:木村さんは1932年生まれです)嫁さんとして姑も舅も夫も、実家の親も、全部、手間暇といって申し訳ないんですけれど、自分で見送った。徹底的に世話をした、けなげな嫁なんです。
その人たちが、今 、どう言うか、「私は、子どもたちの世話にはならない」とこう言うんです。
自立して、マンションなんか借りているんです。それは、けなげではあります。
しかし、考え方によったら、じゃあ、どこでその人が受け継いで、守り育ててきた家風とか道徳とか宗教心とかそういうものは、いつ伝わるの。そこを考えていないんです。
私も時々それを言ってみるんだけれど、老後はどうするの。介護保険があるからとか社会化されているわけです。そうすると、いい子を育てようという意味もなくなるんじゃないですか。
第一、子どもを育てようという、そういう思いも希薄になって来ると思いませんか。
年を取ったら、この子の世話にならなきゃいけない。昔は、そうですよ。
家を継いでもらわなきゃならない。
墓も守ってもらわなければならない。
家名を汚さない。それは、大分、昔の話ですけれど。
でも、少なくとも、家を守るというこういう感覚で、いい子に育てなくては。世間から後ろ指を指されないような、いい子を育てなきゃあ。
自分がおしめを替えてもらうような時にも、邪険に扱われないように性格のいい子に育てよう、こういう思いがあって、昔は子育てをしたと思うんです。
しかし、今、それが何もないじゃないですか。どうせ、この子の世話にはならないんだ。
第一、子どもを産んだって、世話してくれないから産まないほうがいいんだ。私は少子化の原因のかなりの部分は、そういう思いが占めているのではないかと思うんです。
いかがでしょうか?
木村先生の考え方に賛成反対はどちらでもよく、ちゃんと今現在、これらの考え方が明確か? 考えているか? そういうことだと思うんです。
柄にもない話になってしまって恐縮ですが、親の世代がどんどん亡くなる年齢になっていろいろと考える今日この頃です。
考える機会を夢にまで出てきてくれて与えてくださった木村先生に心から感謝申し上げます。
木村治美先生の最近のご活動についてはこちら。
木村先生、ありがとぅー!
小6 hahahaさん
親カツでお世話になっております、hahahaです。
関西入試にて、第一志望に合格いただきました。
少々失敗しても余裕を持てるだけの準備を行い、理科は失敗したって言ってたけれどもおそらく受かってると、親は自信を持って待つことが出来ました。
本人に合わせた指導は、塾併設の個別指導と二人三脚でした。
このためストロング先生にメール相談することはなかったのですが、目標とするべき姿やエラー時の対応法を理解した上で個別指導と相談することが出来、非常に有意義だったと感じております。
まさかの合格しても通学はしないと決めて最難関もチャレンジし、不合格ながら、予想外の僅差に肉薄した結果が返送されてきました。
第一志望の傾向から大きく外れた演習をすると調子を崩すからというのでチャレンジ校の過去問はほとんどやっていなかったのですが、身についた実力でここまで結果を出せたのかなと、本人も保護者も大変喜んでおります。
(受ける以上は受かるつもりで準備をしなければならないと叱られるでしょうか?この点は勉強不足です)入試終了した瞬間から、自分の趣味や早速友達に勧誘された小学校の部活で卒業までの時間を楽しく過ごしたいと糸のきれた凧のように毎日飛び回っています。
努力もたくさん、親子ともに号泣もありましたが合間には外遊びも非受験友達との付き合いも途切れず、時間の使い方や克己心についても成長が見られました。
結果だけでなく、いい受験だったと思います!
反省点、、、連絡の具合で、第一志望結果発表から2時間ほど、「落ちたかも」と思って過ごしました。本人よりテンションが下がって、僕より落ち込むなと苦情が出ました。
心の準備が足りず、あるまじき態度でした。本当は結果で判断する親だと、信頼を失ったかもしれません。甘かったです。
次男はまた別の子ですから、異なった対応が必要と思われますが、今回の良い点悪い点を、2年後につなげたいと思います。
ありがとうございました。