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河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

わが国においては、既に述べてきたように「血のつながり」を重視する傾向が、欧米に比して強いのであるが、いかに血はつながっていても、結局は、きょうだいは別れてゆき、利害関係が優先するようになることを、古来から「きょうだいは他人のはじまり」と言うように表現することがある。

ところで、このシニカルな諺を逆手にとってみて、これを肯定的に解釈してみると「きょうだいとの関係によって、人間は他人との関係のはじまりを経験する」ということになろうか。

つまり、きょうだい関係によって、人間は他人とのつきあい方を練習すると考えるのである。

確かに、子どもたちは小さいときから、きょうだいの存在によって、他と分かち合うこと、協調すること、などを学んでゆくわけである。

あるいは、競争心をどのようにコントロールするか、という難しいことも、知らず知らずのうちに学んでゆくことになる。また、悲しみや喜びを他人と共にすることが、自分にとってどれほど意味あることかを体験することになろう。

子どもにとって、両親(特に母親)と自分の世界は、絶対的と言ってよいほどのものである。にもかかわらず、そこに他人(つまり、自分の弟妹)がはいり込んでくるのは、世界の崩壊にも等しい大事件である。

ともかく、そこにおいて、子どもは重大な世界観の改変を経験しなくてはならない。あるいは、次男、次女として生まれてくる子どもたちは、生まれてくるときから、自分より先に、自分と母親という絶対的な結合に割り込んでくるものが存在しているという事実を、受け容れねばならないのである。

しかし、このような受け容れ難いことを受け容れる体験こそ、人間が社会人として成長してゆくための基礎となるものではなかろうか。

親としては、そのような体験に潜む、子どもたちの悲しみを共感することによって、障害を少なくしてやることが大切だが、悲しみや苦しみを味わわせないように、あるいは、そのような感情を存在してはならないものとして無視することは、避けねばならない。

子どもの問題で相談に来られた両親に対して、お宅はどうして一人子なのですかと尋ねたところ ―― 実はそのことが大きい問題であったのだが ―― 「子どもをできるだけ大切にするために、子どもは一人に制限しておこう」と夫婦で決めたのだと言われ、驚いたことがある。

親が子どもを大切にすればするほど、子どもは幸福である、そして、大切にするということは、物を豊かに与えてやることだ、という極めて単純な考え方がそこには存在している。

これは極端な話であるが、このような考え方は、わが国の多くの親の心の中に大なり小なり存在しているようである。そこには、子どもの経験する悲しみや苦しみを、自らも共にする苦痛を逃れようとする気持が、潜在しているようである。

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