こんにちは、ストロング宮迫です。
全仏オープンテニス、僕の周りではあまり関心を持って見ている人はいなかったけれど、そういう人たちにも
「テニスはいいからあの子供たちを見てくれ」
と言いました。
ああ、「子供たち」というのは、テニスの会場で選手にボールやタオルを渡をしたり、ネットに引っかかったボールを全力疾走で取りに行くブルーのシャツを着た少年少女たちのことです。
あれはたしかに少年少女なのか。高校生なんかには見えなかったけれど・・・
テニスの試合中、コート上を屈みながら小走りでボールを拾ったり、サーブを打つ選手にボールを渡す少年少女がいますよね。
彼らは「ボール・ボーイ/ ガール(BBG)」と呼ばれています。
BBG の応募者数は毎年1000人前後。選抜試験で300人にまで絞り、さらに2月から開始されるトレーニング期間中にそのうちの約半数が落とされるという狭き門です。
全仏オープンテニスが始まってしばらくして、ボクはこの子供たちに魅了されたのでした。
試合なんか見ちゃいない。ただただ少年少女の姿を追っていたのでした。
試合中、ネットの横の左右にクラウチングスタートみたいな構えで待っていて、ボールがネットにかかると、ダダッーと拾いに行って立ち去ります。
各コートの選手の後ろにはこれも左右に少年少女が手を後ろに組んで姿勢よく立っていて、サーブを打つ選手にボールを渡します。選手によってはボール1つだけの人もいるし、2つ要求する人もいる。
なかには3つボールをもらって、その中から選ぶ選手もいます。ボールを渡す際にタオルを要求する選手もいる。
見たことありますよね?
素晴らしく思ったのは彼ら彼女らの集中力ですね。
頻繁に変わっていたので長時間ではなかったように見えましたが、試合の流れを壊さないように黒子に徹して、かつ選手がなにをいつ求めているかか神経を研ぎ澄まして見ている様子でした。
全仏オープンテニスですから大会には選ばれし者が参戦しているのでしょうが、あそこにいた少年少女たちも間違いなく選ばれし者たちだったのではなかろうか。
ああいう体験、試合中は自分が「物」になって微動だにせず、合間では選手の要求に試合の流れを壊さずにキビキビ応えるというような体験こそ、子供たちにはしてほしいですね。
バレーボールやバスケットでも、選手が転んだりしたら、モップを持って床を拭くという行為がありますよね。
全日本バレーなんかの試合では高校生くらいの子がやっぱりダダッーとモップ持って走ってきて光よりも速く床をこすって立ち去る。そういうのを見たことがあります。
息子がバスケットをやるので中学生や高校生の試合を見に行きますが、審判がモップを持ってくるように指示を出すと、たぶん鼻くそでもほじってたんでしょう、「おい、モップだよ」「あれれモップはどこだっけ」くらい緩慢な動きでチンタラやってくる。
チンタラやってきた上にモップで拭くのは「そこじゃないだろ!」ってとこをチンタラ拭いている子供がよくいます。腹立てた審判がそのモップを奪って自分で拭いている場面もよくあります。
全仏オープンテニスや全日本バレーの試合とその辺でやっている中高生のバスケの試合は比べられないけれど、緊張感を持って相手の顔や場を見てその要求を汲んで先回りして動くという経験、これがあるかないかで子供はずいぶん違ってくるような気がします。
もっといえば、親はそういう緊張感を持って相手の顔や場を見る体験を子供たちに与えられるかどうか。
そりゃあ尊敬できるプレイヤーのそばでそういう体験ができれば最高だけど、なかなかそうはいかない現実の日々の中でいかにそれを体験させるか。
実は勉強でも「緊張感を持って相手の顔や場を見てその要求を汲んで先回りして動く」のは有効ではないかと思うんです。
「これってどういうことかな?」って投げかけに「ええっと、それは・・・」と答える。
でも次は「これって・・・」最後まで言い終わらぬうちに「ええっと」を挟まずに「こういうことではないですか?」と即答する。
次への準備ですよね。
勉強でも習い事でもパターンで練習するのは、次を読んで「こういうことじゃないか」を促すためでもあります。
もちろん、先回りし過ぎて読み間違いをしたり、早合点をするのは「試合」を壊すことになるからやっちゃいけない。
だいぶん先ではなく、すぐ先を予知するというか考える。
だから集団授業でも個別指導でも、先生側がずーっとしゃべって説明しているのがイイ授業ではなく、与えられた題材の少し先を考えさせて答えさせる授業がイイ授業とも言えます。
しかし、集団授業ではそんなイイ授業でも、考えずにいても許される、もしくは見過ごされる。
1対1ならそうはいきません。
そこにメリットデメリットはあるけれど、集団授業で成績がグングン上がる子供っていうのは、授業で話を聞きながら「次を考えてる」子供でしょう。
一方で「その次を考えねばすぐわかってしまう」個別指導でそれを指摘もされず、緊張感もなく、先回りもしないで「おい、モップだよ」「あれれモップはどこだっけ」「そこじゃないだろ!」ってことをチンタラやっていれば個別指導のメリットは活かせない。
運動会でも文化祭でもスポーツでも習い事でも、リーダーの役目をすると、緊張感を持って「次」や「先」や相手の顔や場を見る意味がわかることがある。教室で教壇に立ってみると見えたりもする。
元来はその緊張感を持って相手や場を見る体験が家庭であったら、全仏オープンテニスでなくていい。
子供は「この人に嘘言っても絶対にバレる」と考えた人には嘘をつきません。
子供が親になかなか言い出せないということはあっても、嘘はつかない。そういうことはしないんです。
全仏オープンテニスの息詰まる攻防の中、ボールの代わりにギャグでビックリマンチョコを出さないのと一緒です。
出せないんですよね、それは。
ここはなにがなんでもビシッと決めねばならぬと思わせる雰囲気やムード、これが勉強時間で出せたら、絶対に成績は上がります。
イイ点数、つまりなにがしかの結果を出せっていうんじゃないんです。
必要とされる「ボール」と「タオル」をタイミングを考えて出せばイイだけ。それには緊張感がいります。神経を研ぎ澄まして相手の顔を見て。それは「顔色」じゃない。
求めているものを出すだけなんだから。
「仲良し親子」や「友達親子」の弱点はそこですよね。
関係性は良好としても、子供にある種の体験を家庭でさせられない。いや、外でそういう経験積んでいるから大丈夫ですよ!っていうのなら問題ない。
子供たちから尊敬されない、もしくは尊敬できないと思われている先生や大人からは「この体験」は期待できません。
昔、野球をやっているとき、練習中、突然「はい、集合!」って恐ろしい号令が監督やコーチや先輩からかかると、グランドに散らばっていた選手がダッシュで駆けつけた。とてもとても嫌な雰囲気で集合したら誰かが殴られたり、怒鳴られたりした。
全仏オープンテニスで活躍してたブルーのシャツの少年少女の顔はそんなイヤ~な雰囲気は全然感じませんでした。緊張感はあってキビキビとしてたけど、一仕事終えて交代で変わる時の背中はあれは満足と喜びだったんじゃなかろうか。
「はい、集合!」のほうじゃない、緊張感のある相手や場を見る、そんな体験、まださせてないなあと思われる方は是非一度考えてみてください。
「ボンクラ」というのは「盆暗」が語源だとかで盆の上での勝負に対する目利きが暗い、負けてばかりいる人のことだそうで、ここから、ぼんやりして物事がわかっていないさまを言うようです。
1回でいいんです。1回なにかで経験すると、子供は一皮むける。動きが違ってきます。違う人間になる。
子供が「ボンクラ」のまま、大きくなったんじゃしんどいですからね。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小6 さやママさん
塾に行かせておけば、机に何時間も向かっていれば、問題など課題を与えておけば等々・・していれば成績は上がるはずといまに到ってます。
鉄則に書かれていることって特別なことでもキテレツなことでもないと思うのですが気づけずに子供に指南していないのに「何で成績が上がらないの!」と怒鳴りまくっていたんですね。結局、親である私のレベルが低いといわれているようでした。
実行あるのみだとは思いますが、すごく不安です。もっと早くに出会っていたと悔やまれます。
時間があろうがなかろうが、与えられた時間でやるのみです。すぐに取り掛かれる第3章からやってみてください。
受験生は、皆不安を持っているます。問題はその不安がいつまでも同じ種類のものになっていないか?ということです。
成果のある勉強をしていくと、不安は消えませんが、不安の内容がステップアップしていきます。
できないことはできません。できることを1つやる。それしかありませんよ。