こんにちは、ストロング宮迫です。
最近は子供たちだけでなく、大人からも「あんまりテレビは見ませんねぇ~」(@_@;)とよく聞かされます。
そうか、テレビをダラダラ見ずに、勉強や読書に勤しんでいるかー(*^_^*)
それはいいねぇ~って思ってたら…..
米Google傘下のYouTubeは2月27日(現地時間)、1日当たりに動画が視聴される時間の合計が10億時間を超えたと発表した。
同社が米Wall Street Journalに語ったところによると、これは2012年の10倍に当たるという。
YouTubeは2012年から、ユーザーの視聴履歴に基づくお勧めアルゴリズムを採用している。お勧めの精度が上がれば上がるほど、ユーザーの視聴時間も伸びるだろう。
なお、Facebookの1日当たりの視聴時間は1億時間、Netflixは1億1600万時間という(いずれも2016年1月の数字)。
単に、テレビからYouTubeに移行しただけでした((+_+))
おい!っていうね。
この記事の「1日当たりの動画視聴合計時間が10億時間超」というのがどれほどすごいのか、ボクにはちょっと想像できないけれど、でも皆さんもご自身のことを考えても、子供を見ていても、実感としてはあるんじゃないでしょうかね。
スマホも、自由も、遊びも、お金も、なんでも「十分すぎるほど与えられる」と、途端に不自由になって、オモシロくなくなる。
不思議だけれど、そうなるんです。
だから「制限する」んだな。
デキル人は自分自身で「制限できる」んだ。
よく遊び、よく学び!って言いますよね?
なんで「よく遊び、もっと遊び、まだまだ遊ぶ!」ってならないのか?
それはオモシロくないからです(+o+)
….とボクは思ってます。あくまでもボクはですよ。
与えられすぎると、すぐに不自由になって、つまらなくなって飽きちゃう。忙しい人ほどよく遊ぶ、時間を見つけて遊ぶっていうのも、それでしょう。
そのあたりの考え方については「ゲーム&スマホ」のキーワードでここでは取り上げています。
「ずっとつながっている」とは「誰ともつながっていない」と同義。
「何でも持っている」は「何にも持っていない」のと同じこと。
「なんでもできます」というのは「何の取り柄もない」ってことです。
なんでも無制限に与えられるとうれしくないし、喜びも生まれにくい。
仕事で忙しいから親技を駆使できない….って愚痴メールはよく届くけれど、そういう人は「時間があっても」親技やらないからね。
ある時間で、与えられた時間でやるんです。チョコっとでもやるの。つべこべ言わずに子供の勉強を見てみる。
15分で、できることだってある。15分じゃ足りない、十分じゃないって愚痴ったって、3時間はないんでしょ?
じゃあ、15分でやる!毎日ね。その15分で「なにをやるか?」ここにドラマがあり、スリルもある。
3時間やっている連中に「なんとか15分で勝てないか?」って考える。
まあ、15分じゃ「本気の親技組」には勝てないんだけど、「3時間のなんちゃって親技組」には勝てる!大事なのは「小さな勝利」を積み重ねることです。
ただ「考える」っていっても「何を考えるの?」っていう人もいるでしょうから、そういう人に最適なのがこの時期に毎年読んでもらっているこの話↓↓がピッタリだ。
工夫って、言葉って、こういうふうにしたらいいよね( ^)o(^ )ってヒントが満載の話です。
すでに繰り返し読んだ方もぜひ年に1回気持ちを新たにするために読んでいただきたい。
昨年のまんま↓↓↓どうぞ!
というわけで、再び、こんにちは、ストロング宮迫です。
中学入試は終わり、もう10日もすれば高校入試もあらから終わってしまいます。長かった受験シーズンもあとわずか。卒業式、そして合格発表、春休み、新学期。
いかなる結果であろうとも、みんなに春はやってくる。「私には春が来なかった」と嘆く人にも実際には「春」がやってくる。
春が来ていることを見ないようにすれば、見えなくなります。
でもね、ちゃんとあなたにも春が来てる。だから感じてほしいですな。
そして「春植えざれば秋実らず」です。収穫は種蒔きの後に来る。
この前、こんなステキなツイートがあってリツイートしました。
故郷のおばちゃん達は、ほとんどが農業をしているのだけど、たとえばきれいな花があったとしたら、きれいに咲いた花のところだけ切って、もらおうとしない。「種をちょうだい」、「苗でちょうだい」、そして自分で植える。育てる。
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) 2016年3月1日
イイ話じゃないですか\(^o^)/
植えなかった場所で摘むな!ってわけです。
春なのにどんよりして植えなかったら秋にはもちろん実らないし、種まきしなければ収穫はできない。
実際は春が来ているのに「私には春が来なかった」とため息をついて、それなのに秋に「植えなかった場所」で「きれいに咲いた花」だけを摘もうとすると、たいてい問題が起きる。
「春植えざれば秋実らず」、今収穫できている人は秋や冬に植えたから。すべては循環してる。どっかにきれいに咲いた花でも切りたくなるけれど、自分で植えて育てた花がやっぱりいいなあ。
ボクの部屋にあるささやかな鉢植えの梅が今年は咲かなかった(>_<)
たぶん剪定を間違ったんだと思う。ボクの1年前の剪定が正しかったか間違っていたかは、1年後の今わかる。怖ろしい…(;_;)
来年の春に花が咲くかどうかは、今していることが決定づける。梅も子供も「今」が大事ってわけです。あなたはこの春、なんの種を蒔いたでしょうか、そして、なにを植えるつもりですか?
さて、今日はひな祭りですね。
「ひな祭りといえば・・・」ここまで書いてもうわかった人、あなたは購読歴の長い読者ですな。そう、週刊親技の読者ならもうおなじみの福岡県の南蔵院第二十三世の林覚乗住職の講演「心ゆたかに生きる」で紹介されていた新聞記事のお話です。
初めて紹介したのが2007年の3月。あれから・・・長い年月が経ちましたね。しかし決して色褪せないお話です。
また紹介するのかって!?
ええ (^^)♪、また紹介します。だって読んでもらいたいから。ひな祭りにはどうしたって読んでほしいから。
ガキの頃、同じ童話や絵本を何度も何度も読み聞かせされたようにいつでも内容が思い出せるような話をいくつ持っているかはその人の財産です。
何度でもどうぞ!ビデオを見て書き写したまま引用します。
ビデオでは、朝日新聞に投稿された内容を林覚乗住職が読み上げているようです。
28歳のお母さん
子供の頃、私は4人姉妹の長女として育ちました。
小学校3年生のとき、友達が「ウチは大きなおひな様を買ったわよ」と教室で自慢した。
そして、自分に「あなたのところは、4人もいるから、さぞかし立派なお人形があるのでしょうね」と聞いてきた。
自分の家は貧しくて、人形を買うお金がなかったので、答えに詰まってしまって、「ない」という答えを素直に言えずに情けない思いをしながら家に帰った。
そして、そのことをお母さんに正直に話した。
お母さんは、「ウチにはかわいいおひな様が4人もいるから、お母さんは人形なんかなくてもいいんだよ」と言ってくれた。
自分はとてもうれしかった。そして、涙を洗って、風呂から出て、ビックリした。
居間の一間幅の出窓のところに、お母さんが風呂敷を引いてくれて、ひな壇に見立てて、お風呂上りの湯気の立つ娘を一人ずつ並べてお母さんは座らせた。
お母さんは、離れて眺めたり、近くによって髪や寝巻きを整えてくれました。
「どの子が一番かわいいかな?」ってお母さんが言うので、私達はみな精一杯のすまし顔でお母さんを見つめた。
お母さんは、腕組みをして、うなっていたが、
「みんなかわいい。ウチのおひな様はどこの家の人形よりも一番かわいい」
と言ってくれた。
とても自分達は満足した。そして、折り紙で着物を作り、顔を書いて貼り付けて、大きなダンボール箱に段々に貼り付けた。
これが我が家のひな人形となって、何年もの間、桃の節句を祝ってくれた。
豪華な人形よりも、このふぞろいなおひな様のほうが私達姉妹には良かった。
お母さんは、私達にお金で買えないものをふんだんに与えてくれた。子供の心をいつも明るく受け止めてくれた。
感謝の思いを込めて今書きます。
何回読んでも何回聞いてもイイ話ですなあ。
ボクたち親は子供らに知恵と工夫次第で何物にも代えがたい体験をさせてやることができます。
親にお金があろうがなかろうが、学歴があろうがなかろうが、なんであろうが、ユーモアと温かい愛情次第で「ふんだんに」子供たちに与えることができます。
モノが溢れてふんだんにある時代にこそ、そうした体験は何物にも代えがたい体験になり、感激につながる。
代金を払って受け取るモノやサービスは代金に見合った価値と等価交換されるけれど、親はアイデアと独創性で無から有を生み出して子供たちに与えることができる。
代金通りにモノやサービスを受け取る経験も子供たちには必要だけれど、一生忘れない感激を味わう機会をできる限り与えてやりたいものです。
なかなか知恵も工夫も思いつかない親は与えるものを今より絞ってみるとイイ。なにもないって状態はたった1つの小さなことが喜びや感激に直結する。砂漠に水一滴ですよね。
モノが有り余った状態で喜びや感激を感じられるほど子供は賢くないからね。
忙しい親はたった5分の子供との時間が子供には宝物になりうる。
豪華なひな人形がある家も、ふぞろいなおひな様を飾っている家も、親の知恵と工夫次第。
あなたは子供にどんな感激を与えてやれるか?
「子供の心をいつも明るく受け止めて」いるか?
ステキなひな祭りになりますように!
この話以外にも南蔵院の林覚乗住職はたくさんイイ話をしてくれていますから機会があったらぜひ講演DVD見てみてください。
南蔵院ご住職3代記
このサイトにもとってもイイ話がありますので是非読んでください。
塾の授業後1時間+帰宅後1時間弱
授業のない日は自習室3時間+帰宅後1時間半週末もかなりの時間を勉強していますが、本人はやるべきことだから、とクールで苦ではなさそうです。
[親カツ(後)] メンバーさんからの報告
中3 ポチさん
公立高校理数系に無事合格しました。
算数だったころからとにかく毎日やりました。なので数学がよくできます。そして理科が好きです。強みをいかして受験校を考えました。
親カツ前期「夏までコース」で、なるべく急いで対策してずっと合格圏に入っていた第一希望に決めました。
偶然選んで通っていた塾がハイレベルで、周りはすごいできる子ばかりです。塾の中3夏期講習では他の皆さんの難関国私立志望校の対策に飲み込まれて溺れそうになって・・・
悩みをまとめて報告するつもりでしたが、できませんでした。もう塾やめようかと思ってました。
なんとかしがみついていたら、秋から別料金の日曜講習に参加することになってしまいました。課題をこなすだけで毎日、夜中まで。やってもやっても点数は微妙。
でも「こんなに頑張って公立高校の合格だけじゃヤダ。頑張ったっていうレッテルが欲しいんだ。」と強く言うので、合格圏には遠い難関高校を受験することになりました。記念受験です。
親としてはムリと思っていました。無理だよと言ってしまったこともあります。そちらの結果は予定通り不合格でした。
が、塾で自己採点をしてみたら、数学だけはクラスで1位!ずーっとすごいと思っていた子達に負けてなかったのです。自分の強みを再確認です。(ちなみに親の私は数学は全くできません。高校で壊滅的で100点中7点とかとったことありますので、尊敬しちゃいます。)
「ずっと勉強を続けてて本当によかった。楽しい受験だった。すっきりした。これで公立をリラックスして受験できる。」と言うのです。
あと少し時間があって無理だよなんて言わなかったら、もしかして合格を目指すことが出来たかもしれません。。。
内申点、試験5教科、面接ほかなどたくさんやることがあり、公立高校も大変でした。受験後、発表まで2週間ほどありましたので、高校の数学を先取りして次のスタートをしました。
合格発表後も浮かれることなく、「そんなにすごくないよ。」と言っています。
受験がゴールにならず、ほんとに良かったです。これから将来が楽しみです。
いろいろとありがとうございました。
ここ→「受験後、発表まで2週間ほどありましたので、高校の数学を先取りして次のスタートをしました」がすべてを象徴しています。
「受験がゴールにならず」に進むのは言うほどカンタンじゃない。でもそれが気張らずにできる。そのことが親にとっては最大でなによりのご褒美ですよね。すばらしい。
すべての受験生にそうあってほしいと願います。先の道のりはまだまだ長いから。
親カツ講座前期「夏までコース」の内容は・・・
初回号「受験1年前に確認すること」
3月号「志望校をいかに決めるべきか?」←今ここ★
4月号「夏休み前までに何をすべきか?」
5月号「公開・実力テストの結果を合格につなげるためには?」
6月号「夏休みの準備として親がすべきこと」
最終号「後悔しない夏休みにするために親がすべきこと」
子供が自覚するのを待つなんて、時間の無駄だと思います!