こんにちは、ストロング宮迫です。

今回は前回に続いてノリ勉参加者とのやりとりを通じて感じるもう1つのことを書いておきたいと思います。

前回、子供とは「チャチャッと一緒に勉強をやるだけ」でいいんだと言いました。

ただただ勉強で困っている子供に寄り添ってやってくれ、子供の気持ちに寄り添ってやってほしいとも。

もう1つ是非親の方に頭にいれておいてほしいこと、それは一言で言えば親の評価についてです。

もちろんこの場合の評価は「親の子供に対する評価」です。

前回紹介した、ののかーちゃんのコメント

・・・まぁ、これで安心してると?すぐ元に戻るので手綱はしっかり!誉めながら、次の証明の問題をやらせたら、抵抗せずに やりとげてました。(簡単な穴埋めでしたけど)

このやり方で流れにのってほしいです、期末まであと五週間、英語と数学 追い上げていきたいです。

もう1つ、これは以前のメルマガで紹介したあろちゃんのコメント

・・・結果から申し上げますと、32問中/30問 92点目標通り達成できました

本人も多少自身が付いたと感じております。(かなりやさしい問題)

しかし、このモチベーションを維持していく事が今後の課題となりました。

なにを言いたいのかわかりますよね?

すでに前回のメルマガですでにピンときていたら、すごいですぞ!

ノリ勉では繰り返し練習した問題を最後にテストします。

繰り返した問題をテストするんだから、できて当然? できて当たり前? 

そんなの繰り返しやったから満点が取れるのは当然ですか?

ほとんどの方が「当然!」「当たり前!」という認識のコメントをされます。ノリ勉がうまく回り子供から良い反応があった親は特にこうしたコメントを書きます。

実際、ののかーちゃんは「簡単な穴埋めでしたけど」と言い、あろちゃんは「かなりやさしい問題」と言っています。

でも、スポーツ選手だって練習ではできたけど、試合ではできないこと、多いですよね? いっぱい練習してきたのに試合でその成果を発揮できなかった事例なんて腐るほどありますよね?

どうです? プロの選手だってそうじゃないですか!

なのに子供が練習して、それをテスト形式でやってできたのに「問題がカンタンだったですから」とか「やさしい問題ですから」と判定する。

ボクはそれは間違った判定だと思うんです。

もちろんボクへの報告ですから親の謙遜の意味もあるのかもしれない。別に私はこれくらいのことで、はしゃいではいませんよという感じもあるかもしれない。

ボクへの報告に書いていることと実際に思っていることが違うならそれならイイ。

でも、練習してきたことをもう1回やらせてみたら、ちゃんとできた!

これってすごいことですよ。

ボクなら言います「お前、すごいなあ。やるなあ、立派だよ!」って。心からそう言います。だってそう思っているもん。

ただ多くの親は「昨日やった問題を今日やったらできた。そんなの当然」という顔をしたり、コメントをしたりする。

カンタンに言えば、ボクの生徒と親の皆さんの子供では、同じことを成し遂げても、「すごいなあ。やるなあ、立派だよ!」と「できて当然!当たり前」という極端な評価の違いが生まれます。

では問題です!

どちらの子供がこのあと頑張るでしょうか?

どちらの子供がノリノリで勉強をするでしょうか?

答え:もちろんボクの生徒です!

当然!当たり前でしょ!

明日も明後日もあるんですよ。

そして、今日子供は頑張って前日に繰り返して練習してきた問題をきっちり正解した。すごくないですか?

すごくないって!?

じゃあ、親の皆さんは、事実上子供にこう言っているのに等しいんですよ。

昨日練習した問題は今日出来て当然で当たり前。だって昨日やったんだから。だから、今日は昨日やった問題のもう1つ上のレベルの問題を考え抜けばできるはず!

そうは言っていないかもしれないけれど、子供にはそう聞こえていると思います。無理でしょ、そんなことは・・・

昨日やったことを忘れずに今日もできればすごいですよ。3日前にやった問題が今日できたら、めっちゃすごい!

「いいぞ!お前!すごいじゃないか!」こう言うべきだとボクは思います。

1ヶ月前にやったことを覚えているって!?

「お前は天才かぁ~。よほどその問題をやったときに整理して頭の中に入れたんだなあ。頭の中を見せてほしいよなあ。オレもそうなりたいよ」ボクならこう思うし、こう言います。

練習してきたことが次の機会にちゃんとできたら、すごいんだ!これはもう1回自分自身の経験にも当てはめて考えてみてほしい。そしてそれを正当に評価してやってほしいんです。

やったことを正当に評価するから、正当に評価してくれた人が言うことを聞くようになるんです。この人が言うならやってみようかなってなるんです。

だからちゃんと子供が見せた成果はそれ以上でもそれ以下でもなくちゃんと評価してやってほしい。

できて当たり前なんて相当傲慢な人の評価の仕方だともいます。

そういう観点で先日いただいたノリ勉の終わったよ!報告を読んでほしい。

中2 ペンネーム名無しさん

[算・数] 7日間を終えての感想

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

すぐに教えてもらおうとしていたのが、いやいやながらも解説を読んで解こうとする姿が、見られるようになった。ほんの少しですが。

◆親にとって学ぶべき点はありましたか?:

子どもに「やれ。」と言うばかりでなく、どのようにやれば良いのかやり方を教えれば、効率よく学習することや学習する姿勢できることがわかりました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

かなり子どもと格闘しましたが、わかったつもり、やったつもりの子どもの様子がよくわかりました。ノリ勉を活用して、実力テスト、学年末テストなどに向けて親子共々頑張りたいと思います。ありがとうございました。

十分ノリ勉の趣旨も理解していただいている方ですし、ノリ勉の成果も感じていただいているように思えます。実にうれしい報告でした。

唯一、先に書いた子供が見せた成果はそれ以上でもそれ以下でもなくちゃんと評価してやってほしいについては、皆さんどう思ったでしょうか?

そう、ボクがもったいないと思うのは、

すぐに教えてもらおうとしていたのが、いやいやながらも解説を読んで解こうとする姿が、見られるようになった。ほんの少しですが。

繰り返しますよ。

わからない問題をすぐに教えてもらおうとしていた子供がイヤイヤながらも解説を見て解こうとした。

ほんの少しですが・・・・・・・・・・・・・・

すごいじゃないですかーーーー!

今までなかったものが、ほんの少しでも出た。わからない問題を解こうとしたんですよ!!!

ボクなら泣いちゃうから・・・
これがどれほどすごいことか・・・

たとえほんの少しでも、次回はこのほんの少しにもう少し加えたらいい。子供は第一歩を踏み出した。

赤飯炊いてお祝いするべきところではないでしょうか。

一歩歩いただけじゃ山頂には到達しない。わかります。でも、踏み出せなかった一歩を親が格闘して手伝ってやったら、最初一歩を踏み出した。

すごい!すごい!やったーー!とは言えないでしょうか。

いや、言えるでしょう。

「お前はエライ!えらいぞ!イヤイヤながらも取り組んで解こうとするなんて私が子供の頃にはなかったもの。イヤなものからは逃げていたからなあ」こう言ってやるといいのではないでしょうか。メチャクチャ褒めてやってほしい。

実際、皆さんはそうは思いませんか? 

だって最初の一歩が一番しんどいんですよ。勉強なんて軌道に乗るまでが大変なんだから。

ボクはそういうふうに子供を評価しているってことです。そこが皆さんと違うところです。それは皆さんに強制するつもりはないし、強要するつもりはない。

ただ子供がすごいことを成し遂げたから、それはほんの少しのことかもしれないけれど、「すごい」と言う。もちろんそれで終わりじゃない。今日はもっとすごいことやっちゃおうぜ!それがノリノリっていうもんでしょ。

明日、明後日、明々後日・・・・と続いていく。ずっと続いていく旅だからこそ、今日の小さい「すごい」は見逃しちゃならない。

なぜなら、今日の小さい「すごい」に気づけることが明日の燃料になるから。今日のことがすごいと思えなくて、どうして明日すごいことをやろうと思えるか。

そうでしょ?

子供は自分がやったことなんて全然「すごい」なんて思ってませんよ。だいたい言うもの「たいしたことないよ」って。そこに親が「当然」とか「当たり前」をかぶせてどうするんですか?

親が子供と同じ「視点」じゃあ、子供を導いてやれないでしょ。勉強する時は子供と同じ「目線」で見てやらないといけないけれど、導くには違う「視点」が必要なはずです。

「目線」も「視点」も親子が同じものを見ていたら、親は子供と同じ風景を見ていることになる。それなら親がこどのそばにつく意味はない。

だってなにも見ていないんですから。

ぜひ子供が日々出している「すごい」成果を見逃さずにきっちり褒めてやってください。今日の小さい「すごい」がでっかく育つんですからね。

それをちゃんと見てやれる親なら、あとは子供が勝手に育ちます。

1回やったら頭に入っていなけりゃダメと言える親はその小さい「すごい」をたくさん見つけて褒めてやって一定レベルにまで引き上げた親だけが言える特権です。

さて、ここまで読んでいただいてわかる人にはわかったと思うんですが、ノリ勉で親と子が勉強をする関係は、ボクに報告する場合、ボクと親が家庭の親子関係にそっくりそのままスライドする関係になります。

親は子を見て評価する。ボクは親の報告を見て評価する。親は子供は叱っても、自分は叱られない。

報告を送ってボクから褒められた親は家で子供を褒める実績を上げた親であり、激しく厳しい叱責を受けた親は、親自身が子供にとんでもないことをしているから、子供の代わりにボクが叱られない親を叱っただけ。

ノリ勉ではボクは親に「すばらしいですねえ」とよく返信します。そう言われると親もうれしいわけですな。明日はもっと頑張ろうと思う。同じです。

だからといって、すばらしくもない人に「すばらしいですね」なんておべんちゃらは書かないし、言わない。

激しい叱責メールをボクから受けた親は、大いに腹をたてると思いますが、叱責メールを送った親は叱られなくちゃならないことを子供にしているってことです。

ボクに叱られて腹を立てるなら、子供も同じように親に腹を立てている。絶対にこいつとなんか勉強するもんか!って子供が親に対して思ってる。それに気づくためにボクからは叱責メールが届く。親がボクに腹を立てているように、子供は親に腹を立てているのですぞ!

それがわかった方は次のステージへ進む。わからなければ同じ場所をグルグル回るだけになる。ただそれだけなんです。

問題は子供にはやる気の賞味期限があるってこと。

いつまでも同じところをグルグル回っていると、そのうち親は子供から愛想をつかされる。

そのとき、子供が勉強のやり方を身につけていなければ、子供がしんどい場所に進むことになる。

さあ、どうする?ってことですな。