こんにちは、ストロング宮迫です。
高校入試が最終章に突入しています。中学入試の当日一発勝負と違い、公立高校の一般入試は、基本的に事前に獲得した内申点という持ち点を持って入試に臨みます。
つまり、皆が横一線でヨーイ、ドン!ではなく、スタートラインに凸凹があるわけですよね。少ない持ち点で皆よりも少し下がってスタートするものもいれば、人よりも多めの持ち点を持って少し前からスタートするものもいる。
内申点の評価や評価の仕方については、いろいろと議論がありますが、「その日」だけじゃない「自分」、過去3年間、又は過去1年間の「自分」も合わせて評価してくれる高校入試は真面目な生徒にとってはより等身大の「自分」を評価してもらえる制度と言えるんじゃないでしょうか。
とはいえ、「いや、やっぱり一発勝負にどれだけ強いかでしょ!」という意見の方は意外と多いんですが、子供たちの将来を考えれば、一発勝負で突出した成果を出すよりも、毎年年々継続して一定の成果を出し続けていくことにすごく意味があるんじゃないかとボクは思っています。
そういう意味では、制度上は中学入試よりも高校入試の制度のほうが子供たちの等身大に近いものかもしれないなと思うのであります。
であるからして、中学入試も一発勝負の入試の結果そのものよりもその後の6年間が彼ら彼女らの等身大になりうるのではないかなどとも思えます。
※この毎日親技は2012年3月8日に配信したものです
そういう点から「勤め人」の方々を最近は常々尊敬の目で見ています。人の言うことが聞けず、わがままな上、単調で変化のない生活が苦手なボクは継続とは縁のない人生を送ってきました。
1つの職場という観点で言うと、5年が我慢できるマックスでした。配属の最初っから昼も夜も怒涛の仕事を行い、3年くらい経つと、なんだかやりつくした感が出てきて、残り2年はそれまでの「遺産」と惰性で流してジ・エンド。
こんな人生を送ってきた者からすれば、40年間1つの仕事をやってきたという方々はいかなる職業であれ尊敬してしまいます。
先日、ボクよりも2つ下の3人の野郎どもと食事をする機会がありました。3人はボクとは違い、社会人になってからはその道一筋で20年近く営々と社会人生活を営んできた野郎ども。
3人はいずれも甲子園でも何度か優勝したことがある某名門野球部の出身で、旧交を温める会に部外者のボクも入れてもらっていろいろと話を聞きました。
「正座して両手を延々上げさせられてね。これって野球にどんな関係があるんや?っていつも思ったわ」
「たしかにオレらの中学校時代もケツバットはあったよ。でもあの高校時代のケツバットは試合で打つときの真剣なフルスイングやったよね。フルスイングでケツバットなんて信じられんかったわ」
などなど先輩からの体罰系の制裁の話はもとより、たとえば、野球では「千本ノック」なんてのが昔は日常茶飯で行われていましたし、一昔前には連日数百球という投げ込みなども当たり前に行われていました。
現代の観点から言えば「非合理」で、理屈に合わず、意味のない、故障を誘発するものと言われています。
ここでも紹介したことがある元巨人の桑田真澄さんは、そんな非合理的で理屈に合わないやり方を指導者が子供たちに行うことで多くの子供たちがつぶされていると訴えています。少し引用すると、
「子供にかかわるものの心得!?」
・
・
ダラダラと長時間、意味のない練習をしている時間があるのなら、効率的、合理的な練習メニューを考え、短時間集中型の練習をして、残りの時間を勉強や遊びに充てるべきですよ。成長過程で、学生時代の勉強と遊びは、大切な要素なんですよ。何事も、バランスが大事なんですよ。
トレーニング、栄養、休養のバランス。
野球、勉強、遊びのバランス。
「気が付いてください」
昔を思い出してください。
投げ込みして、何が溜まりましたか?
走り込みして、何が溜まりましたか?
打ち込みをして、どうでしたか?
溜まったのは、疲労だけではないですか?そんなに身体に負担をかけなくても、少しずつ、コツコツと積み重ねていけばいいじゃないですか。
食事だって、3食毎日食べるから健康でいられるんでしょ?
一度に1カ月分食べると体壊れますよね。
この桑田さんの意見って、野球に関係ない方が聞いても、勉強に当てはめて考えてみても、読者の皆さんにもしっくりくるんじゃないでしょうか。
確かに!そうだよねえ!と。
ボクも、桑田さんの言を借りるなら、
ダラダラと長時間、意味のない「勉強」を
している時間があるのなら、
効率的、合理的な「勉強」メニューを
「親が」考え、短時間集中型の「勉強」をして、
残りの時間を「遊び」に充てるべきですよ。
なんて趣旨のことを基本的に言っています。
そっちのほうが「合理的」ですから。
で、先に書いた一緒に食事をした野郎どもの話に戻るんですが、彼ら名門野球部3人組も、バランスなんてクソ食らえ!という投げ込み、走りこみをさせられ、殴られ、蹴られ、練習後は先輩から理不尽な説教と制裁を受けた人たちです。
そして、桑田さんなどが唱える「合理的」な練習なども知った上で彼らがなんと言うか?
「千本ノックは技術的なことは獲得できないけれど、最後の一歩、球際というんですか、そういうあと一押し頑張る部分では大いに意味があった。今に活きている」
と言うんですな。
二度とあの時代に戻りたくはないけれど、あの理不尽さを体験したことは活きていると。
3人とも今はそれぞれ家庭を持ち、落ち着きがあり、過去をきちんと振り返り考えもし、今現在も安定したしっかりした生活を送っている。
その彼らが「あの理不尽で非合理な出来事」を「今に活きている」と言う矛盾。
さて、皆さんはこのことをなんと考えるでしょうか?
親は自分が経験してきた理不尽なことを子供たちには経験させたくないと考えますよね。
だって非合理的で意味のないものだから。
そこで、子供たちには自分たち親が通ってきた道の理不尽で非合理的な部分は切り捨てて、子供には無駄のない最短の道を歩ましてやりたいと考える。
まあ、だいたい親が考える最短の道を子供は行かないわけですが、もし仮に親が考える最良で最短の道を子供が行ったとしてですよ、それで子供は親以上になっていけるのか・・・
まあ、親が受けた理不尽な仕打ち以外で、新しい理不尽な出来事や仕打ちも新しく生まれているのかもしれないので、子供たちがまだまだ理不尽な仕打ちをが受ける場面はいろいろとあります。
ただ一昔前より子供たちが受ける理不尽さは軽減されているでしょう。
非合理も理不尽も非効率も知らない、または以前よりも少なくなった子供たちは、親世代よりも良くなっていくのかどうか。親世代よりも強く、しなやかに生きていけているかどうか、そこなんですよね、ボクの興味は。
だからといって、あの非合理で理不尽な境遇に子供を放り込むには、その仕打ちの内容を知っているだけにかわいそうで親は尻込みしてしまう。
しかし、非合理も理不尽も非効率も知らないまま育った花はなんでもない風が吹いたらすぐに枯れてしまったり、いじけてしまったり・・・
おいおい、そんな風でしおれてちゃあ、世の中渡っていけんぞ!とは言うものの、「そんな風」ですぐにしおれてしまうような環境で、良かれと思って育ててきた私たち。
悩ましいじゃないですか! どうです?
親はそこのところを考えていかなければならないのではないでしょうか。
無駄使いがいくらでもできるお金持ちが代々それを継続するにはお金に対して厳しくないと続かない。厳しさを知っている親の無駄使いは次へ活きるが、ガキの無駄使いは余計な贅肉を子供につける。
環境が良くなればなるほど、イイ環境を与えれば与えるほど与える側は気をつけなくてはいけなし、厳格なルールや厳しさを教えなくちゃならない。
維持する、継続するっていうのは、それも一定以上のレベルでそれを行うのはやっぱり大変です。たまには理不尽なことが子供に起こってもいいんじゃないでしょうか?(良くはないけど、少しは経験させておきたいというかねえ)
それを受け止めてやれる家庭があれば!?とも思いますが、いかがでしょう?
以下、機会があれば読んでみてください。あなたの考えをより深める材料になるかもです。
もう1つ、今回のことに関連した記事として紹介しますが、興味のない方はスルーして下さい。
特異な団体「全日本女子プロレス」で、スパルタ教育というか、酷い扱いを散々受けながらも、チャンスをつかみ、スターになって、一時代を築いたプロレスラー長与千種。
その長与千種さんがのちに自らプロレス団体「GAEA・JAPAN」という団体を立ち上げた。当然ながら、長与が作った「GAEA・JAPAN」は、自らが全日本女子プロレスで受けた理不尽な仕打ちへの経験と反省をもとに作られた。
長与千種は若いレスラーを”自分の子供”と呼ぶ。愛する子供のために、母親は必死に環境を整えるものだ。
寮費も食費もタダ、プロレスの技術と表現を教える最高の教師も用意した。試合数を減らして健康管理に万全を期し、負傷した際には治療費入院費を出した。
夏には竹を切って流しそうめん大会をやり、冬にはみそちゃんこをふるまった。畑を借りてGAEAファームと名づけ、種蒔きの時にはみんなでシュウマイ弁当を食べた。
かゆいところに手がとどくような細やかな配慮がそこにはあった。
しかし、優しい母親は、同時に支配者でもあった。新横浜にある道場の二階で暮らす選手たちの生活は、軍隊以上の厳しさで管理されている。
長与千種は朝の8時に道場にやってきて、夜の12時1時まで延々と道場で過ごす。その間、ずっと若手の練習を見て、面倒を見る。
プロレス雑誌を読む時は付き人をつかまえて「この選手のこの表情を見てみろ。この目線がいいんだよ」
「このロープをつかんだ手の表情を見てみろ。手だけで伝わってくるものがあるだろう?ここなんだよ」
と、プロレスのディテールを延々と解説するのだ。GAEAの選手たちには一切の自由がなく、心の余裕を持つことができなかった。
記事では、「こうして長与さんが心を込めて育成したGAEAの選手から」第2の長与千種は出なかったと記されています。
「不遇な子供時代、冷遇された若手時代から、自分で自分をプロデュースすることによって這い上がってきた「長与千種」のようなカリスマ性を、彼女の「子供たち」は、身につけることができなかったのです。」とも。
記事の題名に子育てにおける「長与千種メソッド」のジレンマとつけられている所以です。
子供たちには多少の困難も道々ではあったほうがいいけれど、その困難の度合いですよね。あまりに辛い困難は子供をつぶすし、困難がなければ、ひ弱になる。
その境界線がいかにも悩ましいです。
皆さんの子育てを考えるときの参考になれば幸いです。
ついでに、以下の本、読者の多くの方には見向きもされない本かと思いますが、ボクには相当おもしろかったので紹介する次第です。
柳澤健!お前、男だな!押忍!
受験報告
小6 かんかんさん
報告です。
小六の娘は無事受けた学校すべて受かりました。大変満足のいく結果をいただけました。
五年の時、算数に合わせてクラスを下げたのが一番の親技だったかなと思います。
集団の上位にいる優越と物足りなさ、上のクラスの楽しさを知ったようです。
小学校4年5年とガンガンサポートしたせいか、6年は自立してしまい、食事が終わってごちそうさまして席を立ったと思ったら、もう部屋で勉強しているような状態でした。
親としては学費の算段や受験校選びなどは大変でしたが、勉強面では6年生の方が楽でした。
停電中の懐中電灯での塾も、節電で朝早い夏期講習も楽しんでいたようです。
一月になって受験組が学校休むようになっても「あとちょっとしか皆といないのにもったいない。」と受験当日しか休みませんでした。
『習い事=勉強』を合い言葉に楽しく受験できたようでした。
「今の勉強はどんな結果になっても無駄にならない。自分を創る栄養になる。」
兄の中学受験中、私が言っていた言葉が本人ではなく、妹によくよく染みていたようでよく口にしていました。
やりたい事をする時間が足りないのは嫌だったけど、受験をやめたいとか、塾やめたいとかは思わなかったと言っていました。
今は塾の英語入門講座に通い、計算と理科社会のメモリーチェック、学校の宿題が終わったら、本でもゲームでも何でもどうぞというルールで楽しく過ごしています。
四月からは通学に90分ほどかかるので授業に集中すること、通学中の時間の使い方などが大事になってくると思います。
中二の兄もいるのでまたまだ親技は続くよ、どこまでもです。
兄に続いて妹さんでのご報告ありがとうございます。
親の言葉がすでに「自分のもの」となり、6年生になってからは楽だった・・・実に考えさせられる報告ですね。
でも、それだって一気にできたことではないとストロングは思います。家族の歴史と積み重ねと経験とがあって、下の子の受験に結びついている。
それを感じていただくために、上の子の受験報告を合わせてご紹介します。ちゃんと一本の線でつながっていることを見てほしい。
大変ご無沙汰しております。かんかんです。
五年のときに親カツを先取りで受講し、鉄則にもお世話になりました。今年はメールマガジンを拝読するだけでなかなか報告できませんでした。
受験の結果は12月まで野球を続けながら第一志望に合格することができました。しかし、2年間しっかり親技を駆使し続けられたかというとNOです。
5年で親カツを始めていなければこの合格はなかったと思います。本当に何が起こるかわからない。思い立ったときにやっておく。
親技を知っておくのに早すぎるということはないと迷っている人に伝えたいです。
6年にあがってから実家の父の具合が悪くなり、9月に亡くなるまで仕事が終わってから実家に行き、朝帰りして仕事に行くということが頻繁にありました。
大事な夏休みも主人が夜、家にいる日は上記のような生活でした。子供にも状況を説明し、そばにいてあげられないけど自主的に勉強してほしいと話してがんばってもらいました。
これも五年から鉄則を実践してきて、やりたいことをする為にはやらなきゃいけないことを先にすると本人に身についていたからがんばれたのだと思います。
このとき五年で鉄則、先取り親カツを受講して本当に良かったと思いました。あの状態で親カツをこなしていくことはできなかったと思います。
志望校決定までの情報収集なども既にやってありましたり、親がしなければいけないことが既にわかっていて、先手先手で夏休み前にがんばっとこうねとなどと子供に話せたりしました。
9月に亡くなって49日がすんだら、私自身も疲れからか体調を崩し、気力体力が戻ってきたのが12月でした。
本来なら第二志望位まで過去問が終わっていてさあ第一志望の学校をやっつけるぞとなっているはずでしたが、ためこんでいたまちがっていた問題をやらせてみると5年後期あたりからOKにならない問題がたくさん残ってしまい過去問どころではありませんでした。
でもここで過去問どころではないと思えたところが親カツの成果だと思います。
クリアできてないものを放ったまま次のステップに進んではいけない。
彼が過去問に手を出せたのは1月になってから第一志望にいたっては最後の十日間でやりました。
子供は最後までのびるのだなぁと感じました。(省略)
親カツ、10の鉄則のご購入日から考えると、4年間の親技の結果ということになります。
もうしばらく親技の駆使、頑張ってくださいませ。