こんにちは、ストロング宮迫です。

すでに今年度初の受験報告をいただいております。それはのちほど読んでいただくとして、入試のシーズンのこの時期、受験生の親はもちろんですが、来年、再来年受験を予定している親の方もさまざまなことを考える季節です。

いつもは目の前のことだけを頑張ってきた皆さんがふっと、これまでの歩みやこれからの道を俯瞰して考える。そんな気分にさせる雰囲気は、この時期が、勉強においては1年の節目だからなのかもしれません。

そんな節目に読んでいただきたいものがあります。もう読んだ人も、何度でも読んでほしい本です。

紹介するのは坂田信弘著「山あり、谷あり、ゴルフあり」の本から。
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今回は坂田信弘一色でお届けしてみたいと思います。親の皆さんにはヒント満載の話ばかりだと思いますのでお付き合い下さい。

えっ、ゴルフはしないって!?

ボクもゴルフはもう15年以上は行ってないですなあ・・・いいんです、ゴルフの話じゃないですから。

「山あり、谷あり、ゴルフあり」の著者である坂田信弘さんは、

「ゴルフを国民的スポーツにしたい。日本のゴルフ界のレベルを上げたい。それには、日本から世界に通用するトッププロを育てることが一番の早道であり、ジュニアからの英才教育が大切」として1993年に坂田ジュニアゴルフ塾を開校。

坂田塾長を頂点に現在全国6ヶ所で運営し小学校3年生から高校生までの約200名が坂田理論を基本に日夜練習に励んでいます。

坂田ジュニアゴルフ塾のサイトには書いてあります。

テレビの特集などで厳しい練習に励む子供たちを見たことがあるかもしれません。まずは1つ読んでいただきましょうか。

最初に紹介するのは坂田信弘著「山あり、谷あり、ゴルフあり」の38番目に出てくる話です。

ここでも成績がイイ子の家庭には「鉄の約束」があると紹介してきましたが、親にとっては少しばかり耳の痛い・・・

でも、すごくイイ話なのでどうぞ読んでみて下さい。

その三八  子供との約束には、信頼の絆が見え隠れしているものだ

人と人の間には、約束というものがある。

法律で決められたような約束じゃなく、家族の間で自然と交わされる約束事です。

約束である限り、守らなきゃいけない。

でもね、往々にして親が破ってしまう。休日に、遊園地へ連れて行ってあげる、遠くへ旅行に行こう。ところがその約束が、親の都合で反故となる。

子供は悲しいよ。怒るわけじゃない。ただ、楽しみにしていた親との約束が破られたことが悲しい。みんな、その悲しさを抱きかかえ、我慢していく。その悲しさを、親に面と向かっちゃ、言わぬものですよ。

ところがね、父親が約束を反故にすると、子供と一緒に母親も悲しむ。そしてその悲しさは怒りに変わり、父親に向かっていく。

その結果、どう決着するかは、その家庭しだいということでしょうが、怒る母親の隣で、子供は何も言わんよ。

ただ、また約束を破られるのが嫌だ、悲しい思いをするのが嫌だから、だんだんと父親と約束せんようになる。子供なりの、悲しい処世術でしょう。

そしてその悲しみは、大人になるに従って、怒りに変わっていくのです。

私は塾生を我が子と思ってきた。

子供にだけは、悲しい思いをさせたくない。だから子供とは、安易な約束はしないと決めている。目先だけの綺麗事でなく、本心で結ばれる信頼があって、初めて約束事は成立するものでしょう。

坂田塾の場合、子供たちと私の間にはゴルフがある。

ゴルフを媒介とした信頼感があって、初めて約束事も成り立つ。だから塾生との約束、守ろうとする。何があっても守り通す。

その一番の約束が、「坂田塾におったら、プロゴルファーになれるぞ」ということだ。

だが、これには逆に、「プロゴルファーを目指さん子は、坂田塾には来んでくれ」ということでもあるのです。

そして「プロゴルファーを目指す限り、毎日球を打て」と約束させる。

50球でも100球でも300球でもいい。球数の問題ではなく、絶対に毎日打てるだけの球数を決めさせる。

だからその時に「背伸びせんでくれ」と言う。

「毎日700球打ちます」と言ったって、現実にできっこない数字だ。背伸びした球数では、一日はできても一週間と続きやしない。まして体調の悪いときなど、打てたもんじゃない。

どんなに体調が悪くても、這ってでも練習場まで来て、打てるだけの球数に決めさせる。

これが、私が子供たちに求める約束です。そして私から子供たちへの約束が、「必ずプロにする」だ。

多くの子が250球とか300球と言ってくる。その球数を毎日打つ。

毎日とは、そう1年365日の毎日だ。盆も正月もない。

入塾したら、とにかく毎日打つ。毎日その球数を打ち続けた者、つまり約束を守り通した者が、トップアマとなり、そしてプロテストに合格していく。

ただこの「毎日の球打ち」の約束は、私が塾生に要求した約束だ。子供から申し出てきた約束じゃない。

でも、過去に一人だけ、自分から言ってきた者がいた。それがね、上田桃子だった。

上田は、「毎日400球打ちます」と言ってきたよ。

小学5年のときだった。

「お前、そんなに打てるか?」
「打ったら、プロになれるんでしょ?」
「ああ、なれる」
「だったら、打ちます」

自分から約束の球数を申告してきたのは、後にも先にも上田だけです。

いくら何でも小5の女の子だ。1期生の古閑美保たちだってまだ中学生だったのに、小5の子が申告してきたのです。見事なる覚悟でしたネ。

「自分で決めた球数を毎日打ち続けていれば、必ずプロになる」と教えたのは私です。

私はその約束を守るために、厳しくも当たった。スイングの悪いところ、ここだけは変えなきゃいかんというところについては、殴りもした。

言葉でいくら言っても、頑固な部分は直らない。だから殴り、その悪い部分に痛い思いをさせる必要があった。鬼にでも、何でもなると、私は思った。その結果、子供たちは強くなった。そして成功していった。

子供との約束は、そこに信頼がなければ成立しない。

その人間の存在が、その子の心の中で大きなウェイトを占めていなければ成り立たないものだ。

私との約束は、塾長との約束だ。

でも子供同士の約束ともなっていっている。

絶対に、破り破られることのない約束となっていったのです。

そんな約束をするということは、少なくとも、一人の友を持つということです。

5人と約束したならば、5人の生涯の友を持つことになっていく。

私は、子供たちにそう教えてきた。だからね、「約束」というもの、軽々しくはできない。

「だから約束は、慎重にせいよ。そして、したからには覚悟せよ」と話します。

我々大人はいつも約束する。いつでも破れる約束で、障子紙よりも溶けやすい約束だ。

でも、子供たちの約束は違う。特に塾に入った子供たちとの約束は、必死の約束だ。だから私は、いつも子供たちに言っております。

「お前たちをプロにする。そしていつの日にか、世界中、いろんなところを旅するプロゴルファーになってくれよ」と。

今年迄、塾出身者33名がプロテストに挑み、27名がプロテストに通りました。

男子9名、女子18名の合格であり、合格率は8割1分8厘です。落ちた6人もいずれは通ると思います。

何故ならば私との約束、友との約束を守ってきた者たちです。

そして来年、その6人に新たなる挑みの者たちが加わって、プロテストに挑んでいくでしょう。

約束を守った子供たちが……。

皆さんも勉強の約束をするでしょうが、その約束って、

子供が○○します!

という約束で、それに対する「親の約束」ってないんじゃないでしょうか?

子供ばっかりに約束させる!なんてことはないか?

いかがでしょう?

子供が○○します!そして、それをやったら、絶対成績を上げます!

こういう親はあまりいないですなあ・・・

文中にあった

絶対に、破り破られることのない約束となっていったのです。

そんな約束をするということは、少なくとも、一人の友を持つということです。

これはイイ話ですねえ。

友ではないけれど、鉄の意志で「鉄の約束」を実行している家庭は厳しいけれど、親子の信頼関係がしっかりしているのは、このあたりの感覚に似ているのではないかと思いました。

さて、もう1つ。今度は12番目に出てくる話です。

少しばかり省略してお届けします。

その十二  どんなに辛くても私の前で笑顔を絶やさない子、本多弥麗

北の大地が雪に覆われる季節となった。

この時季になると、一人の塾生を思い出す。札幌のジュニア塾生だった本多弥麗である。

小学4年で入塾し、いつもニコニコとしていて、ゴルフに一生懸命な子だった。その弥麗が、6年のときに学校の体育の授業でヒザ周辺の小骨を折ってしまった。

手術したが、結局1年と8ヵ月、ゴルフができなかった。その間、弥麗は月1回の合同練習にやって来た。

真冬でも、1回も休むことなくやって来た。

札幌塾、冬場の練習の球数は150球までである。夏は好きなだけの球数を打たせて貰ってきた。

札幌の練習場、夏は痛みが出ていない球、新球を使う。そして冬は二夏、三夏と使った、旧球を使う。

夏の集球は簡単だが冬は大変だ。

雪、降らぬ夜、吹雪がない夜、ゴルフ練習場の職員の方が雪の中に埋まりし球を足の裏で掘り出しての集球となる。

冬の札幌塾、感謝の気持ちなしでは踏み込めぬ領域である。そうして拾い集められた150球は、夏場の1000球に相当する値打ちがある。

冬場の合同練習も、そうした環境で行なわれて来た。しかし弥麗は球が打てない。それでも合同練習に来た。

ジャンパーを着込んで、仲間をジーと見ていた。私は言った。

「お前家に帰って勉強でもしていたらどうだ。ここにいても球が打てんのだし」

「いいえ、私、みんなの練習を見るの、楽しいですから」

「そうか、早く治したいな」

「はい。早く治してみんなと一緒に球を打ちたいんです」

弥麗はいつものようにニコニコしながら答えてくれた。イヤな顔ひとつしたことがない子だった。

弥麗も球を打つときが来た。しかし1年8ヵ月の遅れは大きかった。

同級生がふたりいたが、その子たちはどんどん上手になり、弥麗はいくら練習してもふたりに勝てなかった。

中学校でも高校でも、弥麗は一度も北海道を勝ち抜いて全国大会に出場したことがなかった。いつも先輩とか同級生とか後輩が全国大会へと向かって行った。

確か弥麗が中学3年の冬だったと思う。

弥麗の母親が私のもとにやって来た。

「もう十分です。辞めさせてください」

母親はじっと下を向いたままだった。

弥麗は母親と兄ふたりの四人暮らしだった。

私は、問うた。

「小学校のとき、球が打てない体でもニコニコ笑ってみんなの練習を見て、とことこ私のあとを付いてきた。そしてようやく打てるようになった。そりゃ1年8ヵ月の遅れは大きい。いくら練習しても追いつかない。」

「そういう状況であっても、弥麗は私の前ではニコニコ笑って球を打っていた。真剣に、しかも笑顔を絶やさずにだ。その子にどうしてゴルフを辞めよと言うのか」と、聞いた。

母親は、「涙です」と言った。

「涙?」

「朝起きると、枕元のシーツがびっしょり濡れてました。ずっとそうでした。特に坂田塾長がいらっしゃった合同練習の翌日の朝、いつも濡れていました」

いつも一生懸命やっていた。でも成績が上がらない。やはり辛かったのだと思う。

そして母親はこう言った。「親として、娘の辛い姿を見るのにもう耐えられません」

私は言った。「本多弥麗が涙の一粒も見せたり、もうダメですと言ってきたら、退塾させる。そうでなければ退塾させん。あんたはもう、口出しするな」

母親はそのとき号泣されておりました。そして最後に「ありがとうございます。本当にありがとうございます」と言って帰って行かれた。

それからのち、私は弥麗をしごきました。

「この程度のことができんのか」と叫びながら、殴りもしました。

周りの者は、私を鬼と言ったよ。

でも私は、弥麗に強くなってもらいたかった。徹底的に基本だけを教えた。6番アイアンだけを教えた。

高校2年の冬、本多弥麗が札幌塾の来季のキャプテンになった。やっぱり弥麗がいちばんヘタでしたから。

ジュニア塾ではいちばんヘタクソがキャプテンとなる。いちばん上手い者がキャプテンなら、すべてが滞りなく進む。

物事の伝達を考えても、強い者からなら、簡単に伝わります。しかしそれは指導者の都合。

私はそれじゃダメだと思った。だからいちばんヘタクソをキャプテンとすることにした。

下手な者がキャプテンとなると、みんなにモノ言わなくちゃいけないから必死に練習する。

すると同級生らは「あいつがそこまで練習するのなら、俺らも協力しよう」という気になる。ここに横のつながりができる。

そして後輩たちは「先輩があそこまで練習しているんだから自分たちも」と、上を見て学ぶ機運が生まれる。

子供社会ではあるけれど、ここに横の糸と縦の糸ができ上がる。

だから私はいちばんのヘタをキャプテンにしてきました。(省略)

話はまだまだ続きますが・・・・

ニコニコ顔の子供だから、「きっと楽しんでいる」とは言えないのではないでしょうか。

「ウチの子は毎日楽しそうにやっています」とよく聞かされますが、本当なのか?

枕は濡れていないか?

一瞬寂しそうな顔を見せないか?

ここに出てくる本多弥麗選手のお母さんはそれをちゃんと見ていた、わかっていたということですよね。

そこがポイントなんだと思うんです。毎日顔を合わせるのは親ですから。

これまでたくさんの2つの顔を持つ子供たちに会ってきました。

親が持つ認識とはまったく別の顔を持つ子供たちです。その子供たちの抱える問題は解決してやれない。

でも、それに気づいてやるだけで、話をきいてやるだけで子供は涙を流した後に、また前向きに頑張る、頑張れる。

妙な不安を持つ必要はないけれど、ときに枕が濡れていいか?と心を配ってやったらいいですね。

坂田信弘劇場はまだつづく・・・・

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うれしい報告

今年最初に届いた受験報告です!

中3 sakuraさん

早速ですが、ご報告申し上げます。

第一志望校、第二志望校合格お蔭様での全勝です!!

12月には、最後の追い込みに向かう私達親子にエールをありがとうございました。心より感謝申し上げます。

初の受験を体験し、親子ともども色々な経験をさせていただきました。

先生のメルマガと出会い、親カツ後期講座でお世話になり、時には落ち込み、また時には励まされファイトとプレッシャー、感動・勇気・・・

それも今となれば思い出です。公立トップ校志望から難関私立校への変更。良くやってきました。

息子に日の丸弁当を持たせたあの日を境に、息子の逆転劇スタート。

努力をしない息子に、努力をしない弁当(おかずの無い保温ジャーセット。入れ物3つとも全てご飯と梅干のみ)を作り持たせた母。

出来ることをやらないとはどういう事かを教えるために。

でも、今考えてみれば息子の性格だったから良いほうに向かったのかもしれません。

あれから1年3ヶ月。その頃に出会ったメルマガ。がむしゃらに勉強しても駄目な事。要領や難易度の選び方・・・

色々参考になりました。

試験前夜には必ず体を念入りに洗い、水をかかる。シャワーで水を浴びながら精神統一してました。

試験当日の朝は必ずご飯。よく噛み締めて食べる。家を出る前に母に背中をさすられ「今日も大丈夫。しっかり粘れ。努力は裏切らない。よしいって来い」と、一発背中を最後たたいていました。

受験前夜も当日も、いつもと同じでした。

『もしかしたら、「●●高校のチャレンジはしないこととなりました。」 これで周りからもったいないとか言われたかもしれません。

だけど、ストロングは「本人の希望どうり」「親も文句なし」でイイ決断をされたと思います。

ついね、さらに上とかチャレンジとかで人は迷うものですが。

堅実に目の前の課題をクリアいしていく子が実はさらに上を 目指す資格があり、実際に上に行くものだと思います。

バシッとトップ合格目指しましょう!』

とメールを頂戴し、最後の踏ん張りが出来たのではないでしょうか?

運動会・文化祭・コンクール・・・さまざまな学校行事を熱心に頑張り、何でも目の前のことのみしか集中できない息子を認めて信じること。

ストロング先生にメールを頂戴しなかったら「これで良かったのよね」とはならなかった。

塾の先生も、入試当日応援に駆けつけてくださり心強かったのではないでしょうか。

入試の合間の昼食の弁当を開けたとたん、鼻から血が^^;よっぽど頭に血が上ったのでしょうか(笑)

合格発表の日。夕方塾に報告に行きましたが、担任の先生が「よく頑張った・・・」と泣いていました。

クラスの中で息子が一番危なかったからだと思います。その他の先生方も皆さん息子に握手して「おめでとう。よく頑張った」と。

毎日12時間以上塾に通い、先生たちの熱心なご指導が無かったらこうはなってなかったとも思います。同じ問題を、何度も何度も質問する息子に全然嫌な顔せず教えてくださいました。

本当に感謝です。(省略)

周りの方に支えられ、そして本人が頑張り、目に見えない何かでつながっての合格と心から感謝しております。

子育てにおいて未熟な30代の母ですが、子供たちは無限な可能性を持っているのだと勉強いたしました。

日々を大事に。そして日々一生懸命に生きる。それぞれの役割をコツコツ築き上げること。

また、毎日だから当たり前のことを継続することの難しさを教えられました。

泣いたり笑ったり怒ったり・・・楽しかったです。苦しかったからこそ、喜びも大きいのでしょう。

成長していく息子を見ながら、また感謝です。私の息子に生まれてきてくれてありがとうです。

取り急ぎご報告まで。乱文で申し訳ございません。

とにかく子供のやる気を待っていたら手遅れになる。受験は先行逃げ切りが鉄則!子供が自覚するのを待つのは時間の無駄。子供がやる気になるのは受験直前ですから!

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