こんにちは、ストロング宮迫です。

9月の頭に今月からは「子供を壊し始める」親が出てきはじめると書きました。

受験生は入試演習が始まり「できなさ過ぎて」発狂するし、受験生予備軍は「いよいよ受験生になる」と早めに決意と覚悟を親が固めたにもかかわらず、子供は行き当たりばったりの行動を示して、発狂する。

司令塔である親が発狂すれば、子供もやってられないから、念のためそれに応じて発狂する。

親技では「受験は緻密な闘いである」と言ってきた。「緻密な闘い」に発狂したものが挑んで戦えるか?

もちろん、答えは

発狂すればするほど、本来の闘いの姿から遠のいていく。真逆な方向にどんどん進んでいく。

どこで踏みとどまるか? 誰が踏みとどまるか?

司令官が踏みとどまるしかない!とボクが思う。

いかなる逆境といえども、発狂して解決するなら、暴発したらイイ。しかし、そうはイカの●ンタマだ。

冷静に、今日やるべきことをやらねばならない。遠くを見ても仕方がない。「今日やるべき勉強はできたね」で終わる。

もうちょっとやるべきだったとか、これくらいじゃ間に合わないという現実があるとしても「今日やるべき勉強はちゃんと終えたね」と実績を積み上げるしか次の道は拓けない。

そのとき、自分たちが「闘う理由」について、親はもう一度寝ずしてでも、考えておかないといけない。

なぜこの勉強をしなければならないんだ!?

この問いにあなたは答えられるか?

子供にキツイことを課すんです。理由がいります。でないと、子供に負荷もかけられなくなる可能性も出てくる。

親が変わるとはどういうことか?

勉強で意識するのは、解く時間だ!

これからの受験生は・・・・

10月に今までの親子の闘いの真の実力が問われる。メッキは剥がれ、砂上の楼閣は崩れ落ちる。

さあ、受験生も受験生予備軍も10月こそは「真の闘い」の火ぶたが切られる。出てくる問題は毎年同じ。予習して臨まれよ!

さて、「じゃあ、10月だから、さあやるぞ!」と思っても「思うのは親だけ」で、子供がついてこなければ、意味がない。

親技では、勉強においては「3つのステップ」があると繰り返し書いてきた。

この数年は、3つのステップに加えて、

「理解する」→「解ける」→「はやく解ける」→「上がり」

と書いてきた。

3つのステップとも、どの部分をやったとしても、それは「勉強した」といえる。ただし、「はやく解ける」までいかないと、点数に反映されない、もしくは反映されにくい。

家では「理解した」までいっていたとしても、そこでとどまったままでいると、テストでいざ問題が出て、かつ時間制限が加われば、「理解できたはずなんだけど・・・」で正解まで行き着かないってことが起こりうる。

よって成果を出すという意味では「はやく解ける」までもっていって初めてヨッシャー!になる。

きっちりやったことの成果を出すという意味では「はやく解ける」もしくは「上がり」になったものだけがテストで確実にできるわけだから。

だから、親技では中途半端に一通りこなす1回だけやる勉強ではなく、即座に繰り返すことも含めて、3回やって「はやく解ける」までやる問題を増やすことに傾注してくださいと提案してきた。

「3つのステップ」を経て「上がり」にまでなったということは、わかりやすくいえば「九九状態になった」とも書いてきた。

小学校の2年生でやる「九九」はもうみんな即座に口をついて出てきますよね?

「2×3=」なんかは「ニサンガロク」って略して口から出る。

これはある意味では「条件反射」にさえなっているともいえるってことじゃないか。

ブリタニカ国際大百科事典における「条件反射」の項にはこうある。

口の中に食物を入れると唾液が出るのは生得的な反射であるが,たとえばイヌにベルの音を聞かせてから餌を提示する訓練を繰返すと,ベルの音を聞かせただけで唾液を出すようになる。このような場合この音刺激によって引起される唾液分泌反射を条件反射という。

デジタル大辞泉の解説では・・・

ある反射を起こさせる刺激と、それとは無関係な第2の刺激を同時に与えることを繰り返すと、ついには第2の刺激だけで初めと同じ反射を起こす現象。

勉強におけるまず最初のステップはこの条件反射「イヌにベルの音を聞かせてから餌を提示する訓練を繰返すと,ベルの音を聞かせただけで唾液を出すようになる」そんな問題を増やすってことである。

うるう年の2008年2月1日は金曜日です。2008年4月1日は何曜日ですか。

これを見て「面倒だな」って思いつつも、「ああ、これね」って思えるか。「ああ、それ系の問題ね」って言えるかどうか。

ええっと、えーとって言ってたんじゃ、話にならないから。すべての単元で「ああ、それね」って言えるようにするのが勉強だ。

「なんか、そんなことやったなあ~」じゃ、点数にならないからね。

「同じ土地で、1年に2回、ちがう作物を作ることを二毛作という。二毛作は鎌倉時代に始まりました。鉄製の農具、牛馬の利用、草木灰などの肥料が使えるようになって、土地の生産力が上がったからです。また桑、漆、茶などの商品作物の栽培も始まりました」なんかは「九九状態」で出てこなけりゃ、「さあやるぞ!」どころか、「さあ、やられまくるぞ!」の始まりとなる。

たまたま思いついたものを挙げただけだけど、各教科各単元で習う「基本のキ」の部分が「ああ、それ系の問題ね」って思えなければ、戦いが始まらない。このとき「うるう年ってなんだよ?」とか「漆ってなに?」とか「商品作物ってなに?」って具体的にイメージできなかったら、テストで出たとき、自分の土俵にググッと引き寄せて処理できないから、それは授業で説明をしてくれるはずだ。

それで足りなければ、今はネットで検索すれば即座に映像や画像でフムフムとみて感じることもできる。

つまり、これは「説明できる」ってことです。説明できるってことは対象を自分なりの方法でガッチリつかんでいるともいえるでしょう。

1つ説明ができる子供は、次に展開できる。1つのことにイメージがはっきりしていれば、プラスして加えるなんてたやすいから。だからそういう子供は「二毛作」と「二期作」は間違わない

広がりは無限にあるけれど、無限の始まりは「たった1つのことをしっかりイメージできて、説明できるか、講釈を垂れられるかどうか」にかかってる。1つや2つじゃ、たいした広がりは見せないけれど、単元が20も積み重なれば、膨大な広がりを見せる。

その膨大な広がりがあるから、勉強は楽しいともいえる。まあ、そこまで言ってる人は、そんなにいないけどね。

算数数学や英語などにだけ傾注している人が多いけれど、理科や社会は子供が講釈を垂れたくなる要素が満載だ。1回頭に入れば、めったなことではもう忘れないし。ゆえにそこそこの勉強で得点源にもなりうる。

なのに理科や社会はメタメタで、力を入れている算数数学や英語は平均点以下なんて話をやたらめったら聞かされる。

ここまで読んでたぶん1回はちゃんと勉強したのにすぐに忘れるって思った人もあるんじゃないか。

たとえば、定期テストでも週間テストでもいいけれど、勉強してテストに臨んで、そのテストの平均点が65点だっとする。

どれくらいの点数を目指すかは人それぞれだけれど、「80点だった子供」と「95点だった子供」では1か月後にまるで違う現象が起こる。

「80点だった子供」は1か月後に50%忘れるけれど、「95点だった子供」は10%も忘れないとか。

どっちの子供も頑張ったことに変わりはない。でも、範囲の狭い定期テストや週間テストでさえ、95%獲れる子供は、その単元について講釈が垂れられるんだ。友達に質問されても「これはねって・・・」答えられる。

「80点だった子供」もおおむね答えられるけれど、少し突っ込まれると「あれれ、どうだったっけ・・・」とかになりうる。

その差だけなんです。「九九状態」にできたかどうかだけなんです。

「九九状態」になったものは、次に広がりを見せられる可能性を秘める。「九九状態」にならなかったものは、そのあとで広がりを見せていかない。そこの差なんです。成績がずっとイイ子とそうでない子の差は。

だから親技では「一通りの勉強」「とりあえず宿題はやりました」勉強は進めない。次に広がりを見せないから。楽しくもならない。友達に「へぇ~」とか「そうなんだ」とか「よく知ってるね」とも言ってもらえないし。

「わかった」で終わるな!というのはそういう意味です。

この前、英語の動名詞を間違えてた中学生がいたのでお仕置きしたんですが、そしたら我が娘も、模試で間違えてるのを発見した”(-“”-)”

二人とも、アホなん?

「メガフェップスダッパムシー」とかは、みんな教えてもらうはずなのに、できない子供がいること自体がナゾだ!

でも、あなたの子供にも、ボクの子にも、この謎が起きまくってるという事実をボクたち親は真剣に考えなければならないんじゃないでしょうかね。

あえて極論を言うけれど「もう一生忘れないわ」って思えるものが増えれば増えるだけ、勉強では武器になる。「あれもこれもやったけど、全部自信がないわ」は自滅への道。

たくさんの問題をやりたいのはわかるけれど、「九九状態」にならないとテストでは使えないよ。

テストや入試で使えない知識をいくら詰め込んでも便秘になるだけで、苦しいだけ。

便秘ならさ、薬を飲めば出るだろうけれど、勉強における「便秘」は、自分の可能性の否定に向かいます。

キミはさ、そんなにアホなん?

そうじゃないよ。

やればやるだけ武器になるような勉強をしなかっただけなんだよ。何にも身につかない勉強を毎日3時間もやるなんて、そんな苦行を3年間も続けられたなんて、それはある意味ではすごい才能です。

でも、あなたのお子さんは、そんな苦行にはもう飽きて「もうやらない!」とかいってるんじゃないか。積み重ねる勉強というものがどういうものか、真摯に考えていただきたい。

あなたが子供に課している勉強はこの後広がりを見せて、武器になりうるのかも考えていただきたい。自由自在に大仕入れできるようになるのが武器になるってことだから。「ああ、それ系の問題ね」ってテストを見たときにいえる問題がいくつあるか、そこが問題だ。

もし仮にテストを見て「それ系の問題ね」っていえる問題が半分以下の場合、子供はテストを受けるたびに拷問を受けていると考えてもらいたい。それくらい辛い苦行だ。

受験生だろうが、受験生予備軍だろうが、小学校低学年だろうが、考え方は一緒。

「ああ、これはね・・・・」って講釈たれさせたら、あなたの勝ちです。

あなた自身が子供に講釈垂れ続けているとすれば、親であるあなたの負け、いや惨敗ってことになりますから。
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うれしい報告

[復テ対策] メンバーさんからの報告

小5 女王の教室さん

ストロングさん、いつもポジティブでご丁寧なアドバイスありがとうございます。久々の嬉しい報告です。

模試が一昨日ありましたが、偏差値62と60台に復帰出来ました。半年間の偏差値50を何回か切った低迷を抜けて。色々半年間の試行錯誤がありましたが、この夏が勝負と思い取り組みました。

その中で良かったアドバイスやポイントは、

・夏に弱点補強をする大事さ

・イケドン法は、繰り返ししやすさに有り

・子供との約束

です。

最大の弱点は、字がきたなく数字が読みづらくポカミスが多い、計算間違いも多い、しかも一桁の足し算で。スピードを気にしすぎて早くやることばっかりやって、多くのミスの連発でした。

勉強以前の話と腹をくくりました。

まずタイマーで測るのは封印しました。ゆっくりとしかしミスなくやるように誘導しましたが、一ヶ月以上かかり、ミスが減ったのはこの最近です。

計算力も重要なのでiPAD上の一桁足し算や、二桁x一桁掛算暗算をどちらがミスしないか競って毎日やり、また夏季講習の計算問題も毎朝一緒に競ってやりました。こんな基礎からでしたが効果てきめんです。

また、算数と理科は、弱点単元を10位過去のテストデータから識別し、ストロングさんのノルマ式により私がいる土日や夏休み中に取り組みました。この時大変役立ったのが過去のイケドンシートです。お陰様ですべて体系的に弱点補強出来ました。

何より重要なのが子供との約束です。

まず私が「早く」と言ったり怒鳴ったら罰金を払うことを約束しました。また子供が反抗的になることが多過ぎるので、親は先生だと思って逆らわない、勉強を見てもらう場合は、当たり前と思わず丁寧語で頼むこととしました。

テレビの録画の女王の教室も見せながら、、、、。ここまで来るのに夏休み中には色々家庭内事件もあったのですが。

途中でストロングさんにさらに相談したいこともあったのですが、そばで見ている親が一番わかっているはずとも思い、子供と決めた決まりと目標で取り組みました。

感触としては、今までとは違う息子の変貌の様子です。

計算ミスも減り、字も丁寧になり、その結果のいい成績でした。しかも余裕が出たせいか他のポカミス対策も自分で認識してできるようになり驚きです。

何より夏にほとんど遊ばず取り組んだ息子の頑張りの成果です。人より努力するしかないとの説明に納得して。

でももう一回いい成績を出すまでは安心しません。イケドンのタイマーも様子を見ながら復帰します。 今後さらなる向上を家族で考えて取り組みます。私の教え方含めて。本当にいつもメルマガ含めて感謝一杯です!

2回連続で成果が出れば本物と親技では言っています。

「勉強以前の話と腹をくく」ってやったことが結果的には生きてきたってことでしょう。みんな勉強以前の問題を抱えているのに「勉強勉強」とか「テストが模試が・・」と言い続けています。

でも、勉強以前の問題を抱えたまま勉強しても成果はない。これはハッキリしています。

もし仮に勉強以前の問題を抱えたままテストでイイ点数なんか取ったりできたら最悪です。だって結果が出たらそれでいいと思うだろうし、もう後戻りして正しくて行くことが難しくなりますから。そうした一時的な結果は身を滅ぼすもとになります。

良い過程で良い結果を!が親技が目指すべきところですから。

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