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早速読んでいただいて私の、いや、もち子さんのバズーカ砲を受け止めていただきましょうか。

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もち子さんからの中学入試の報告をいただいたのが3年前。

あれから3年。あの子はどうなったのか?

そのもち子さんからメールをいただきました。もち子さん、ありがとうございます。

もち子さん、以前ここで紹介した「リベンジ!中学3年間のドラゴン母さんの記録」から「教えてもらったことがある」とのことで、その思いも含めて12000字の中学3年間の記録を送ってくださいました。

親技を駆使する人はそれぞれ自分のやり方や方法論を持っているでしょう。真似をする部分、考え方を取り入れる部分など自分がやっていることなどと比較しながら読んだらいいですね。

以下、ストロングのコメントなしででまっしぐら!「もち子さん劇場」はじまり~始まり!!

新高1 もち子さん

ご無沙汰いたしております。4年前(3年前?)に親カツ後期や10の鉄則でお世話になったもち子です。

「10の鉄則で今後もお世話になります。」と宣言しておいて、なしのつぶて状態で3年間。

ここでドラゴン母さんの「リベンジ!中学3年間の記録」のご報告を読み、

「あぁ・・、この方に教えてもらったんだなぁ。」

と懐かしく、また再び感謝の思いで、我が家の3年間をストロング先生、タイガー山中先生にご報告させていただこうと思いました。

今春4月より、子どもは公立高校に通いだしました。受験校は▲▲高校、◆◆高校の国公立特進、そして進学した公立高校でした。三校とも合格をいただき、◆◆高校は狙っていた全額特待もいただけました。

ここにいたるまでの中学3年間の経緯を次から述べていきます。

【中学校の教育内容】

3年前、子どもは私立●●中学校に入学しました。中学受験で受けたのはこの学校のみ。

「努力したらむくわれると自信をつけてほしい。」

「自分の希望した学校に、第一志望に受かったんだというプライドをもってほしい。」

「上位1割に入っていれば、そこの学校のメリットを享受できる。」

という思いで、一校のみの受験でした。

カリキュラムも素晴しく、6年間のレジュメも事細かにきっちり示され「なんとまぁ、すごいなぁ、塾のようだなぁ」と好印象を受けました。これに沿っていけばカリキュラムは大丈夫と確信しました。

私学はここまでしてくれるのか!という熱心さ。英検の面接対策として、各級に対応した面接模擬試験。日ごろの小テスト、宿題、エキストラの課題。毎日の添削。模擬テスト前は、過去問の演習。日々のテストをこなしていけば自ずと復習の繰り返しができるようになっていました。

こんなお得な学校があるのか!私学の先生、働きすぎだろう!とただただ驚くばかりの手厚い教育内容で、設備も申し分ないものでした。

【環境】

しかし、問題は生徒でした。一年のクラスでいじめがあり、私は子どもから話を聞いていましたが、それはひどいものでした。

暴力、差別。1学期夏休み前の懇談会で、「暴力があり、こわいので女子は教室にいられないと申しております。」と発言しました。

そのときに、いじめられている側の親御さんもいらっしゃって、「最初は学校になれなくてお弁当も食べてこないことがあったが最近は食べてくるようになった。お友達もできたようでほっとしている。」とおっしゃったのです。

あぁ、親にいえずに、自分で耐えてるんだ。おもわず涙がでるのをこらえました。「お弁当にチョークの粉をいれられたり、口汚く罵られながらじっと席に座ったはる。」と子どもからは聞いていました。

どんな思いで、からのお弁当の状態にその子はしているんだろうと思うと、うつむくしかありませんでした。その方に伝えるべきか・・・。迷っている間に退出されました。そのときのことも私は悔やみ続けています。

その方が退出されてから、他のお母さんもちらちらっとそれらしきことを話される方が何人かおられました。やはり、知っておられる。そう思いました。

担任の先生は、「今が正念場だとおもっています。」とおっしゃいました。実際、教頭、学年主任、手の空いている?高校の先生まで総動員して、授業中はもちろん、休みのときも、各所でみはっておられると聞いていたので、把握しておられるのだと思いました。甘かったのですが。

子どもも、こわい、こわい、いじめる側を批難していたのが、いつしか話さなくなり、いじめられている側が悪いと言い出しました。

中1が終わろうとしている2月頃、いじられている子が学校を休むという自体になりました。私は正直、生きていてくれてありがとうと本当に心底思いました。

それとともに、私もわかっていて、言わなかった、助けてあがられなかったという思いで、今でもそれをひきずっています。

また、いじめをとめることもできず、こわいこわいと日々続く暴力を見続けていた子達にも申し訳ないと思いました。その子達を助けてやれなかったと。

学校側は、なぜとめなかったかと厳しく言われたそうですが、とめられなかったと思います。

だから、いじめられている子がいなくなれば、終わるから、どっかいってほしいという考えに逃げたのでしょう。

子どもたちは、グループで、個人でと聞き取り調査をうけ、集会も重ねられ、いじめた子達は別室行きでした。いじめは退学だといわれていたので、退学のはず!と皆、期待していたのでしょう。

結果、退学はなしでした。ここで、子どものなにかがかわりました。

中2になり、益々学年は荒れ、理科の実験は危険だからさせてもらえない。授業はなりたたず、紙くずのボールがとびかい、まぁ、それはひどいものでした。

一度、技術の授業参観がありましたが、ひと目見てすぐわかりました。子供達の顔がなんとかわっていたことか。こんなに悪くなっているのかぁ・・・とぞっとしました。

一方、授業が荒れている以上に私が気にしていたのは中学受験の失敗から進んでいない子があまりに多いことでした。

ことあるごとに、

「自分は○○中学に何点で落ちた。だからレベルが低くないんだ。」

「おまえはA日程だからバカだ。」

一生懸命勉強している子のノートをみて、「バカは勉強してもしかたない。」といって破る。

誰かが間違ったら「こんな問題間違う奴いるの。あほちゃう!」と発言する。

そういう子達は、顔が悪くなっているということはないのですが、価値観が根本的に違うのか?というまた違った怖さがありました。

これは、絶対許せませんでした。
 
中2の中頃、高校内部進学の話で、高校の先生が、「内部の子は、やはりかわいいが、この状態では来てほしくない。」とおっしゃったそうです。それで、子どもの気持ちがかたまったのでしょう。

「望まれないところに行くことはない。こんな地獄みたいなところから自分の力で出る。」と言いました。

「外部受験するとなったら、『おまえみたいな奴は落ちる』とかいやがらせ言われるだろう。それも覚悟する。受ける。」中2の12月でした。あぁ、またこの時期かぁと思いました。

【子どもの成績】

中学受験が終わってからも休むことなく、そのままのペースで勉強し続けました。1年4月のベネッセは国数英偏差値58.2でした。

が、11月には70.9。それから3年11月まで68を下りませんでした。

中2の冬期講習からまた小学校のときと同じ塾にお世話になりました。そこでも、入った最初の統一テストで3科目1位になりました。ここでも最後まで偏差値70を下りませんでした。

通信添削のZ会の模試でも、高校受験コースのVテストで番号を冊子にのせてもらっておりました。

受験校が私学でなく、公立高校であることから塾の模試で上位にいれば、全国規模の模試を受ける必要もないかと思い、学校と塾のみの模試ですませました。

【塾に入るまで】

中2の冬に受験すると言い出して、私は正直ほっとしました。これで、塾のカリキュラムにのっていけばよいと。それまでは次のようにしていました。

中学の間は塾は必要ないというのが私たちの考えでした。実際、模擬テストでも点数が取れているし、学校の成績も一番でした。学校のサポートもしっかりしていました。質問にも対応してくださいました。

それでも、今の時点でどこまでやっておけばよいのか。それを私が管理しなくてはならないという思いが強く、各高校、各大手塾、予備校等のカリキュラムを入手し、自分なりの6年間をイメージしました。

中1、中2に私がしたことはだいたい以下のようなものです。
 
◆英検準2、漢検2級まで中2夏までにとらせました。
 
◆学校の復習に加え、中高一貫用のZ会を英国数ととっておりました。
 
◆『分野別高校入試対策 速習24時間』文理のシリーズを全て購入。コピーして何度もさせました。
 
◆中1のときに力をいれたのは、国語文法。国語文法の問題集は、薄いものが多いのですが、それらを5,6冊購入し、問題をピックアップして教材?をつくり、たたきこみました。国語文法がしっかりしていれば、外国語習得にも、もちろん古文にも応用が利くという考えからです。
 
ドラゴン母さんに感謝している点の一つが、参考書、問題集の対象年齢にまどわされないということを気づかせていただいたことです。

子どもが小さな頃から、先取り、先取りと先手をうっていたつもりでした。なので、いろいろな問題集はありました。

その一つが朝倉仁著『10歳までに身につけたい算数センス』小学館

10歳どころか、小6でも子どもにはぴんとこない本でした。空間把握は子どもの苦手とする分野で、私が小さい頃に「この子は勉強だめだわ。」と決め付けた要因でもありました。

ドラゴン母さんがあげておられた『計算名人免許皆伝』も、もちろんもっておりました。
 
中学に入って、子どもが数学をしているのをみて、あれ?これ!と思って棚からだしてきた『10歳までに身につけたい算数センス』。これ、今使える!

子どもが、「へぇ~、これいけるやん。ええやん。」と言って使っているのをみて、今までの対象年齢呪縛?がぱらぱらぱらっと解けました。
 
そうか、10歳までにできなかったら、賞味期限切れでもう使えないわけじゃない。使えるときがきたら使えばいいんだ!
 
古本に売ろうか・・・でも、これ、なかなか良い本だし・・・・と処分できなかった「何歳までの本たち」。

今だ!と思い、謎ペーシリーズ、パズル、○○道場、××神童編などなど。幼稚園児対象からスタートさせました。

ほとんどのシリーズを制覇したと思います。毎日10分。今でも続けております。

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『計算名人』の付録の計算カードは、乗り物になったらやるということになっているらしく、高校受験の日にも電車の中でぺらぺらめくっていたようです。毎日のルーティーンに組み込まれています。
 
逆に中学用のものではぴんとくるものがないなぁ・・・と思って高校のコーナーで見つけたものもあります。

『英語長文レベル別問題集』東進ブックス

これも一日一枚。CDもついていて使いやすいものでした。
 
中学の古文は中途半端だなぁと思っていたので、河合塾の『ステップアップノート30古典文法基礎ドリル』。これも子どもにとても好評でした。良書だと思います。
 
◆緑プリント:間違ったところを箇条書きにしておく。

◆白プリ:ルーズリーフに間違った問題と、その間違った解答。裏にその正しい解答を書く。

◆質問ノート:疑問に思ったこと。どうもわからないなぁ?とひっかかったところ。そういうものをメモしておく。
 
これは、中学受験のときから続けていることです。

【中高一貫のメリットを】
 
中2になると、反抗期がやってきました。このときは、「よかった、中高一貫で。」と心底思いました。

「先生はお給料もらってるんやから教えるの当たり前やん。」と言い出し、なにもかもやる気なし、いらいらする様子。授業態度も相当なものだったようです。

幸か不幸かまわりがすさまじかったので、そう目立ちませんでしたが。はぁ、どうにもならんなぁと思いました。
 
そこで、「根性からたたきなおさなあかん。」ということで、武道です。(笑)

「日本人なら道とつくものをやってみるべきだと思う。武道、やってみなさい。」

剣道をやってみたいとずっと言っていたのですが、受験もある、体育会系は・・・と思ってやらせませんでしたが、勉強しないのであれば、打ち込めるものがあったほうがと思い門をたたきました。学外でと思っていたので、その武道の連盟に問い合わせました。

「やる気をみせなさい。姿勢を正しなさい。誰かが大切にしたはるものを冒涜するような態度は絶対とったらあかん。」

武道の「ぶ」も知らない私ですが、子どもにはえらそうにそう諭しました。

小学校のときに横について勉強をみたように、私もお稽古のときは、3時間、ずっと正座で見学しました。
 
これがはまりました。

「お金にもならないのに、なんのためにあんなに真剣に教えてくれはるんやろう。」

そう言い出して、今までの勉強の時間がすべて武道に。家でもずっと練習していました。
 
もう一つ、今の状況がどれだけ恵まれて、生温いものかをわからせるために、外を見せなければと思い、中国語を習わせました。これも、私が一緒に習いました。二人でグループレッスンを台湾人の先生から受けました。
 
子どもに英語を教えるときにとても役立ちました。外国語を学び始めるという感覚がなくなっている私に、中国語を学ぶことでなにがどうわからないか、どういうことにつまづくかを思い出させてくれる機会となりました。

私は音から覚えていること。子どもは文字から覚えるということ。

単語を覚えるとき、単語と意味を同時に覚えるのではなく、意味を覚えないと単語が覚えられないこと。

当たり前のようなことですが、意味がわからずに単語を覚える感覚が私にはなかったのです。中国語を子どもと同時にやってみて、自分と子どもを比較することにより、「は!っ」と気づかされたことでした。
 
宿題をレッスンの前日までやらない。
既出の単語を覚えていない。

そういうちゃらんぽらんな私の姿をみて、日ごろ英語で私からえらそうにいわれている子どものうっぷんも少しは晴らせているようでした。
 
そしてなにより、大きな影響を与えたのは中国留学生や大学生との交流。先生が教えておられる大学の学生さんたちとのお花見などのイベントに参加したときのこと。

日本語学習歴6ヶ月、3ヶ月という短期間で、ここまで話せる留学生の努力のすごさを目の当たりにして、

「日本はあかんなぁ。中国に負けてるなぁ。」

「大学生って遊んでるイメージやったけれど、意外とまじめやなぁ。」

「やはり中国。すごい人数の中で競争に勝ち抜いてきている人って、すごいなぁ。かっこいいなぁ。」

少しでも世界をひろげてくれたら。私も一緒に学んだ中2の一年でした。
 
中2の冬、

「武道は人とやらなければならない。人のおかげで強くなり、上達する。その点、勉強は自分一人でできるし、自分さえやればあがる。勉強の方が簡単やわ。勉強する。中国語も受験終わったらまたやる。一年休む。」

と言い出しました。
 
武道の先生方ももったいないとひきとめてくださいました。中国語の先生も、月謝1人分でよいから続けてとまで言ってくださったのですが、子どもは決めたらさっぱりしたものです。

先生方に自分で挨拶してお休みすることになりました。反抗期もうそのように終わりました。
 
高校受験が終わって、3月。また中国語、武道を再開しました。

【受験を決意後、塾で】
 
子どもが自分で受験をすると決めて、私たちに受けさせてほしいといったとき、迷いがなかったといえばうそになります。

ひっかかった点は、2点あります。

◆私学から受験させてもらえるのか。内申をちゃんとだしてもらえるのだろうか。

◆問題はあるとはいえ、あの教育内容、カリキュラム、手厚い教育。それを捨てて公立高校にいくのは得策か?
 
しかし、子どもは主人とわたしに

「受験させてほしい。協力してほしい。」

と頭をさげました。私は嬉しかったです。受けてあげるのではなく、受けさせてもらう。

小学校のころに、髪をふりみだして、

「なにさまなん!あんたは!勉強はさせてもらっているんでしょう!してやっているってどういうこと!」

と怒鳴り散らして怒った日々を思い出し、本当にぐっときました。

「後悔しないように、血をはくほど頑張りなさい。受験するとなったらお父さんもお母さんも受験体制にならなくてはならない。本気でやるなら協力しましょう。」と言いました。

塾に入って、学校外の空気を吸うことによって、またいきいきして落ち着いてきました。

日曜の特訓講座で、各校からの子達との授業は特に楽しいようでした。

「みな、やはり前回の特訓講座のやり直しをきっちりしている。」とか「お菓子ばかりたべてるくせいに、ものすごいかしこい。」とか。

最初に日曜の特訓講座にいったときに帰ってきて言った言葉はとても印象的でした。

「あんぱんまんのTシャツ着てる子とかいるねん。1人で笑っていることかもいる。でも、だれも陰口たたかへんし、わらったりもしいひんし、チャチャいれへん。自分の当たり前以外を見下す人がいいひんレベルなんやわ。やっぱり公立●●高校に入る」と。

【塾選び】

子どもが受験すると言った時点で、「塾へ」と主人も私も合意しました。

小学校のときにお世話になった塾の校長の分析力に信頼をおいていましたので、本部に電話し、今その先生がどこの校にいらっしゃるか問い合わせました。幸いにも近い校にいらっしゃってすぐに自転車で走って行きました。

小学校のときは、基幹校へと思い通っていましたが、今度は「アウェー」の環境で勝負する強さをつけなくてはと思い、あえて小さな地元校に入れました。

校長がそこにいらっしゃるというのが第一の理由ですが。学校で相当人間不信?になっている子どもとって、少々のほほんとしてアットホームな雰囲気で、仲間と競うのではなく、一緒にがんばるホームがあるほうがよいかなぁと思いました。

そして、選抜クラスで出稽古に行き、アウェー状況で切磋琢磨する。そう願って、塾を選びました。

 塾に入る前、子どもに言いました。

「先生は公立●●高校に入るにはどんだけのことをやったらいいかということを知ったはる。分析力もずばぬけている。公立●●高校に入るレールにのるために、お父さんがお月謝を払ってくれたはる。勉強は今までの方法で間違っていない。先生を信じ、自分を信じなさい。」

【勉強よりも精神面】

勉強の内容は、もう私にとっては圏外。

最初のころは「ちょっと、小学校のときみたいに教えてよ!」といわれたのですが、「お母さんは精神面のサポートしてくれているし。」といわれるようになりました。

嬉しいやら、情けないやら?です。
 
勉強面でのサポートは、コピーをするだけ。中学受験にやっていた弱い分野、ぬけている分野を補う作業は子どもが自分でできるようになっていました。

例えば、「英語の対話文問題が弱いから、対話文の対策問題をお願いします。」と塾の英語の先生にたのむ。

また塾も個人対応の教材を作ってくださいました。こじんまり塾なのでやっていただけたことだと思います。
 
理科は学校の教科書に付属しているノートというものがあり、それがよくまとめてくれているといって、学校の先生に一年の分ももらいに行っておりました。これも無償でいただけました。学校にも助けてもらいました。

入試では、ノートそのままの問題がでたそうです。塾の先生に「努力したごほうびだね。」と言ってもらえたと喜んでおりました。

勉強面では、心配はありませんでしたが、「できるのが当たり前。別格だから。」とまわりにいわれることに対するプレッシャーというのでしょうか、それでよく泣いておりました。順位が下るのではないかという怖さが異様に強い時期もありました。

「小学校のとき、順位表にのったことあるの?関係なかったでしょ?それでも生きてたでしょ?順位が下ったらいきていけへんみたいな顔しなさんな!その高飛車な思考、どうにかしなさい!」

私「A判定の人が心配で心配でって言ってるのを、C、Dの人がみはったらどう感じはると思う?」

子ども「なにもおもわへん。」

私「私なら、『ふざけんな。自慢すんな!』っておもうけど。いやらしいなぁって思うけど。」

子ども「お母さんにはわからへん。」

私「そんなに文句いうなら、内部進学しなさい。試験なしで特進やないの。だれよりもラッキーやないの。」

とあえてつきはなすようなことを言いました。

日曜の特訓講座に同じような成績の子と交わり、その子が「『受かるような気がしいひん』って言ったはる。同じやわ。」と言ってまた勉強しておりました。

わたしと二人三脚だった中学受験から、まわりの友達や塾の先生に助けられ、影響されてすすんでいく高校受験へ。

私はとても楽をさせてもらいました。そして、中学受験も高校受験も経験させてくれた子どもに感謝さえしています。

私学の推薦で決まる子がでてくると、不安はピークにきているようでした。

受かった子達が一年間留学するとか、買い物に行くとか楽しそうに話しているのを目にすると、「もう受かったんやったら塾こんといてほしい。」といらついていました。

「最初は、皆が皆、志望校あげてたでしょ。でも、実際受けるのはどんだけいる?受験は、受ける前に他の道を選ぶ人、受けさせてもらえない人がほとんどなんよ。その人たちはその人たちの選択やから、とやかくいわなけれど、お母さんは最後まであきらめずにぐっと耐えた、受験会場に行った、それだけで、素晴しいと思うよ。結果がどうであれ、もう受験というものに半分以上勝っていると思うよ。どこの高校にいったって途中の駅通過するだけやないの。いいやん、またそこから前に進めば。」
 
勉強面で口をだしたのは、学校の勉強にしがみついていくこと。

中高一貫なので先取りです。中3の三学期は成績も関係ないという気持ちがあるのと、受験が近いというのとで学校がおろそかになりがち。

勉強は高校受験で終わりではない。その先も続いている。

高校に入ったら、中高一貫の子、浪人生、全国、世界が相手になってくる。

つらくても、中高一貫のメリットを手放してはいけない。そうきつく子どもに言いました。

中3の3学期、授業中で授業の内容を身につけるという「授業の受け方の質」があがったように感じます。

親ばかですが、試験対策なしでも、点数を落すことはありませんでした。

それは、学校の問題が、「へんな問題」ではなく、やはり私が見込んだレールにのっとった問題だったからだと思うのですが。

【運】

運だなぁと思ったのは、選んだ中学が進学した中学だったということ。外部受験に偏見がなく、本当によくしていただきました。

驚いたことは、冬休みの数1や数Aの宿題は、三種類あり、「内部進学特進進学予定者用、内部進学予定者用、外部受験用」となっていたのです。なんとまぁ・・・・と本当に有難く思いました。

中3の理数は高校部の先生が教えてくださっていました。塾や予備校で教えておられた経験のある先生方もいらっしゃるので、アドバイスやはげまし、子どももとても心強かったようです。

【よくきかれること】

子どものおかげで、「どうしたらああいう子どもさんになるのですか?」ときかれることがあります。

自分でもよくどうしてだろうと考えます。今、私が思っている答えは「私がプライドをすてること。」これです。

小学校のときに、お話したと思うのですが、小5の冬まで、子どものことはほったらかしでした。しかし、ほったらかしにしているという自覚は全くありませんでした。

小さい頃から、春分、夏至、秋分、冬至と朝たたき起こして日の出の場所をみせ、時間を確認させました。夜空をみては、星座を説明、上弦、下弦、満月と月の形を教え。ぬかりはないと思っていました。

小学校のとき、担任の先生に「よくおできになります。」といわれ、「私はこんな中途半端な成績をよくできるとはいいません。」と言い放つ母親でした。

幼稚園のときに、ピアノを習わせたときも、まったく練習せず、曲もすすまず、先生がすすまない言い訳と親の了承?をとるような説明をされたときも、「わたしは子どもとはちがいます。弾けます。」とこれまた言い放ちました。

運動会で友達のお母さんたちに、「○○ちゃん、足速いねぇ。」といわれるたび、なぜ、足なんだ。なぜ「よくできはるねぇ。」といわれないんだといらいらしました。

御室八十八箇所で、最後のほうで「あといくつある?」ときいたら、「111個」と答えたとき、主人と凍りつき、「わたしの血には、こんな人はいない。」とまで主人に言い放ったようなばか母親でした。
 
子供によかれと思って・・・と言っているけれど、実は、「私がよくおもわれるため」でした。

なぜ、日の出をみせても、空をながめさせても、天体が壊滅的だったのか。

それは、私の都合で、私の思いだけで、前後のつながりがなく、「これはためになるから。大切だから。」という私の「当たり前」しかみていなかったからだと思います。

中学受験のときから、毎年元旦に日の出を子どもと見にいきます。

今年も見にいくかどうか話題にだし、去年は天気がどうだった。寒かった。どのビルからでてきたっけ?などと話す。生活の一部の流れの中で、日の出をみる。

すると、場所を覚えている。

あれ?夏はあんなところとちがうやんとそのとき気づく。

答えだけを教えて覚えておきなさいよ!ではなく、自分で気づかせる。それがなかったのだと思います。私が待てなかった。子どものために時間を割かなかった。それだと思います。

5年生以降、成績に関して一切なにも言わないようになりました。

日ごろの態度や、子どもがする話の内容、勉強している姿をみて、何点ぐらいとってくるか予想をたてます。それに差がでたら、反省します。やっていないと決め付けていたなぁと。

反抗期のときに、子どもに試験に関していったことは一つだけ。

「自分のとる点数を予想して、その点数どおりにとりなさい。」

ということ。

希望点数ではなく、65点ときめたら65点を、32点ときめたら32点をとりなさいといいました。

自分のやっていることが、点数として現れるのが試験です。

その予想と点数を同じであるということは、自分の現状や定期テストの難易度、内容をしっかり把握しているということ。

90点と予想して、75点なら、その15点分はなにが原因で食い違ってきたのか。それが分析できれば、とりたい点数がとれるはず。これが私の理屈です。
 
今の課題は、信用すること。

これはなかなかできません。

思わず注意したくなる。

「ほらやっぱり!」と小言をいいたくなるときがあります。

しかし、もう少しだけぐっと出そうな言葉をのみこんでみる。

すると、「はぁ・・・よかった。いわんでよかったぁ・・・」と思うことがほとんどなのです。

ふとみると携帯をさわっている。

「携帯ばかりさわって。」といらいらする。

「なにしてんの!」と言おうと思う。

でも、ぐっとこらえる。すると、「○○さんにきいてたんやけど、部活で武道に入るのどう思うって。」というのです。

大学受験があるので、体育会系のクラブとの両立ができるかどうか、子どもは迷っているのです。それで、別の学校の中高一貫に行っている自分の目標とする友達に相談していたのです。
 
本当に携帯ばかりさわっているのか。
ずっと監視していたのか。

考えが甘いのかもしれません。

しかし、「なにしてるの! 携帯ばっかりさわって!」と決め付けるのが携帯とうまく付き合うようになる助けになるのか。

そのきめつけでチャンスをのがしてしまうことがあるのではないか。
 
私は勉強は時間ではなくどれだけやったかの内容、量だと思い、小学校からつけている毎日するリストを改良することにしました。

今までは、明日やることを書いて、それをチェックするという方法でした。

復習の繰り返しの予定を書き込めるために、ルーズリーフ400枚に日付のはんこを押し、3週間後、3ヵ月後のこの日にこれを繰り返し3回目するという風にできるようにしました。

区切りの模試なり試験の結果がでたときに、この結果はどの時期に何がたりなかったか。そういうチェックもしやすくなるはず。

それをみて、子どもが何を優先するか、どうしたいかを決めればよいと思いいます。

今日、明日と学校の合宿にいっておりますが、今日、明日分のルーズリーフをもって、「書くのじゃまくさい。こういうのきらいやねん。」と言いながら出て行きました。
 
子どもが進学した先を選んだ理由は、クラブもやってみたいという気持ちがあったからです。内部進学の特進はクラブはできません。

クラブも行事も返上で、効率よく勉強する。それがよいのかもしれません。

勉強は質とはいえ、量をこなすには時間が必要なのも事実です。

甘いのは承知で、でも、やりたいというのなら文武両道にチャレンジしてみたらと全面応援はしませんが、とめはしないつもりです。

やってみたいけれど、受験があるから無理かもと悩んでいるのであれば、自己管理を視覚化することで、少しでも無駄を省けるようにと私なりに考え出した改良策です。

「なにしてんの!」といわなかったおかげで、少しすすんだような気がします。

小3から小5まで放り込んでいた塾の先生が保護者会でおっしゃいました。これが私のスタートでもあります。

「評論家、批評家にならないでください。伴走者であってください。」と。

それを聞いた当時は、「サービス業である塾が、親にえらく強気なことをいうものだ。」とむかっとしたのを覚えています。

これだけ子供のためにやっているのに、なにが評論家だ!と私は思ったのです。なんとも情けない考え方をしていました。

塾としては、1人の退塾の要因となった発言でした。それでも、言ってくださった、言わずにはいられなかった?先生の熱さに今は感謝しています。

私は伴走できているのかをチェックしつつ、伴走者をあと3年するつもりです。

先日、羊羹を食べていて、それに添えられている説明書きをぼぉっと読んでいてふと思いました。

その青森の和菓子屋さんは、関が原の合戦で、西軍についていて、その後青森に流れた人がご先祖様だというのです。この和菓子屋さん、なにがすごいのだろう。続いていることかぁとふと思ったのです。

何代目がなんというお菓子を考案、何代目は戦中苦労し、何代目は・・・と書いてあるけれど、ぬかされている代がある。

特記事項のない代なんだろうけれど、その人がいたから今に続いている。なんにもしていなくても、所帯をつぶさずにつなげ、何代目はなになにした!という息子を育てた。

これかぁ・・・と思ったのです。

活躍する友達の話をきいて、私も仕事を続けていたら・・・と自分のことばかり思っていました。そして意地で子どもの教育を本業とすると決めた。

子どもは「何代目○○した!」と記される人にならないかもしれませんが、それでも、私がとばされる何代目で存在したから子どもがいる。それが、続いて「すごいなぁ~♪」となる。

ドラゴン母さんがおっしゃっていた「日本を支えて立つ若者を育てる」でしたでしょうか?

その気概、かっこいいなぁと3年前感動したのを思い出します。

私は「自分の足で立つ若者」を育てることを本業に、その職に従事していることを誇りに、頑張ってみようと思います。

学習面での細かい記述は全くなしで、「私の3年」でした。

お忙しいのに長々と読んでいただいてありがとうございました。

「そういやぁ、もち子さんっていたなぁ。どうしたはるんかなぁ。」って思ってくれたはるやろうなぁ♪って勝手におもっていたので「こうしています」と報告させていただきました。

高校受験で親カツ講座、再度受講しようか?とも思ったのですが、「それでは、次は実践でやってみてください。」って言ってもらってるとまた都合よく考えて、親カツ卒業生の実践編だとおもって今回、受験に望みました。

ありがとうございました。

これにて「もち子さん劇場」は終了です。

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うれしい報告

「ノリ勉」算数・数学を終えての感想

新小5年 さっとさん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
   
集中をしている様子、そして、慌てている様子がよくわかりました。「丁寧に書く」を定着させることは本当にむずかしいが妥協せずに”ささやき”続けていこうと思います。
   
親がここまで一緒に勉強すれば、途中で集中が切れそうになった時でも最後までやり遂げられることがわかりました。

◆親にとって学ぶべき点はありましたか?:
   
“褒める”ことの大切さでしょう。 褒めるとテレながらも頑張ってくれます。どうしても注意することが多くなってしまいますが、”褒めて”ノリノリにすることの大切さを実感しました。
   
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
   

こどもが泣いたり、ふてくされたりしていない時は楽しかったです。

一番よかったのは、「ただ褒める」ことに努めたわけではなかったということですね。

成果もないのに、子どもをノセルために褒めたりしていては、いいことは1つもありません。

成果を出させて、それを褒める。親は、その材料を提供するんですね。

さっとさんが気をつけるのは、「説明する」「教える」を極力抑えてやってみること。子供にとって、「聞いて理解する」というのが一番難しいのですから。

  • ノリ勉
  • 10の鉄則
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)
  • 親カツ講座(入
試実践コース)