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ここで何度か取り上げてきた競泳の北島康介さんが引退を表明されました。。

ストロングが北島選手を見る立ち位置は2008年にオリンピックで金メダルを取ってここで取り上げて以来変わりません。

北島選手とコーチの関係、そしてコーチからの自立は、勉強面における「親と子供の距離感」そして「自立」に置き換えられる。

北島選手は2008年のオリンピックではコーチが付いて金メダル連覇、2012年のオリンピックではコーチから自立して臨んだのはご存知の通り。

子供も親から勉強の面倒を見てもらって、やがて自分でやっていくようになる。しかし、そうなるためにはその過程で勉強の成果が求められる。

成果も達成感も自己肯定感もないのに「自立してほしい」なんて虫が良すぎるし、それはありえない。そのことを北島選手とコーチの関係は教えてくれている、と思います。

ボクが親に求めている勉強の成果や達成感や自己肯定感は金メダルに比べれば、実にたやすいことだと思っています。

そのたやすいことをせずに、子供と寄り添うことをせずに、ひたすら「勉強しろ!」とか「なによ、この成績は!」と【言うだけ番長】の親が子供に自立だけを求めるのは親のほうが怠惰でズルいというのがボクの考えです。

どう勉強したらいいのか困っている子供に寄り添ってやってください!たったそれだけのことです。

長い間子供を放置していれば、寄り添おうにも、もう寄せ付けてくれない事例なんてゴロゴロあるから、早くしてあげてね!たったそれだけです。

子供が親に何も言われなくても、勉強したり、質問したり、机に向かったりして、成果を出すためには過程がある。

それを理解しないで「ウチの子、成績が最悪なのに自分ではやりません!」とか、そこまで放置しておいて、まだ自分でやると思っているなんてふざけているとしか思えません。

強い選手がよく口にする「楽しいからやっている」なんていうコメントを、親がそこだけ見てたら、間違う。

北島選手にも、親が子供のそばにつくように、コーチが寄り沿って歩んだ道のりがあったし、そこで成果を出したのちに自立して、そして今の心境がある。

小さいことでいい。明日の確認テスト5問でいい。満点取らせる。成果を出せ!

その実績を小さくていいから1つ1つ積み上げて「オレ、いける」とか「オレ、いけるかも」と自信を持たせてやってください。

それで入試に間に合うのか?って。

それは今あなたがどこにいるかによって変わってくる。でもね、子供の第一歩は、親が歩ませるべき第一歩は変わらない。

それではこのあと、親の立場から見た北島選手についての親技的考察、是非読んでください。

関連のメルマガとしては、高橋尚子選手を取り上げたものもあります。

厳しい鬼コーチからの自立と勝利の追求を親と子供の関係に当てはめて考えてみたものです。

「それができることが果たして自立か!?」

読んだことがない方は、また「子供の自立」について、お考えの方はぜひ読んでみてください。
2008.10
※この毎日親技は2008年10月26日に配信したものです

先日NHKの深夜の再放送で「攻めの泳ぎが、世界を制した 水泳コーチ・平井伯昌」を見ました。

五輪2大会連続で2冠を果たした北島康介選手、五輪2大会連続銅メダルの中村礼子選手のコーチ平井伯昌さんの特集でした。

ボクはたまたま深夜につけたテレビで、それも途中から見たものですから、記憶も曖昧な部分もあるのですが、とても興味深かったので今回はそれについて少し書いてみます。

常々スポーツ選手のコーチやトレーナーと家庭での勉強における親とは同じような役割を持っているとボクは思っています。

この番組で紹介されている平井コーチの言われていることは、まさに勉強における成績がイイ子の親そのものだったというのがボクの感想です。

ホームページと記憶を頼りに話を進めていきますね。

NHKプロフェッショナルのホームページにこうあります。

練習中は、選手の泳ぎから目を離さない

平井は練習中、決して選手達から目を離さず、その日の泳ぎをチェックしている。

自分が今、どういうフォームで泳いでいるかなど、当然選手には分からない。平井の目だけが頼りなのだ。脳裏には、それぞれの選手のベストなフォームが焼き付いている。

そして、その理想のフォームに比べ、どこがどう崩れているかを瞬時にはじき出すことが出来る目を平井は持っているのだ。そして、それを修正するときも、平井は最短距離を走る。

心がけるのは、「ワンポイントで伝える」こと。選手は一度に、多くのことを気にかけて泳ぐことなど出来ない。指示を出しすぎると、余計泳ぎが崩れてしまう。その選手の性格も考え、最適な一言を選んで、指示を送る。

目を離さない!指示を出すものがちゃんと観察しておかなければ、当然ながら的確な指示なんて出せません。

以前のメルマガでプロテニスの杉山愛選手が

コーチでもある母親はスキーをやっていたが、テニスの専門家ではない。

専門家ではないが、母親は、毎日杉山選手をずっと見ているので、グリップが1mmずれていても、気がつく。

と言われた話を書きました。

そばで見るものが専門家であるかどうかは関係ないのです。勉強のプロでなくたって、ずっと見ているものには、わかることがある。

勉強の時、子供のそばにはいるけれど、親は本を読んでいますという方がいます。本を読むのは全然かまわないんです。でも、本を読んでいたのでは、子供がいつもと同じなのか、違うのかはわかりません。子供のちょっとした変化には気づかない。

だから、そばで本を読んでいる親は的確な指摘はほぼできないということなのです。子供へのかかわり方としていろんなスタイルがありますから、なにがいいのかは家庭の方針によります。

ただ、「コーチ」として子供のそばにつくなら、やはり見ておかねばならない。

例えば、問題をやらせて、その間は別の用事をして、終わった後に○×をつけるとします。

その場合、どうであれ、子供がやった

「結果についてだけ」

あれこれ言うことになります。

しかし、成績がイイ子の親は子供が出した結果よりは過程を大事にします。

なぜなら、結果を出すためには、きちんとした過程が必要だからです。

もちろん問題ができたできなかったも当然見ますが、

・字はどうか
・姿勢はどうか
・鉛筆の動きはどうか
・最速で進んでいるか
・一息ついていないか
・目の動きはいいか…..etc

問題の出来不出来以外にも、そばにつく「コーチ」が見る部分はいっぱいあります。それによって子供の調子がいいとか悪いもわかる。

鉛筆を持っている手の動きがにぶい。

それは、

・疲れているのか
・怠けているのか
・問題のレベルが今の子供には高すぎるのか

など原因になりうるものはいくつもあります。

実際は怠けているのに「疲れているのかな?休ませよう」では子供の思うつぼです。次も子供は同じ手を使うでしょう。

実際は問題のレベルが子供には高すぎるのに怠けていると判断して

「ちゃんとやりなさい!」
「問題読みなさい!」
「こんな問題もわからないの!」

なんて言ってたんじゃあ、子供のモチベーションは上がりようがありません。平井コーチの「練習中は選手の泳ぎから目を離さない」は、大いに参考にしたいところです。

よく「自立してほしい」という話を聞かされます。勉強は一人でやってほしいと。しかし、金メダリストや銅メダリストのコーチは「練習中は選手の泳ぎから目を離さない」。

これって選手は自立していないということなんでしょうか?

記憶ではその日の練習メニューも平井コーチは選手の様子を見て決めると言われていたと思います。選手がメニューを考えて、これやってあれやってではなく、その日に「ハイ、これって!」と。

子供の調子や様子、昨日の流れから今日の勉強のメニューを考えるのは、まさに成績がイイ子の親がやっていることです。

ホームページには、こうあります。

「選手の一歩前を、歩く」

技術面でも、精神面でも選手をリードし、引っ張り続けるのがコーチの仕事。そのために、常に先回りして課題を研究し、決して迷いや動揺を見せないよう、必死で自分を抑える。練習がうまくいくときだけではない。

結果が出ないとき、故障したとき、ライバルが予想以上にタイムを出したとき、平井は、常に自らを抑え、選手を冷静にさせてきた。選手とともに、コーチ平井も常に、自分自身と闘っている。

「自立する」という意味はいろんな意味があると思いますが、もう一度考えてみてほしいと思います。

ホームページには続けて、

しかし、選手の一歩前を歩くことは、容易ではなかった。2000年、北島と挑んだ初めてのオリンピック。想像も出来ない重圧、独特な会場の空気にのまれ、平井は我を見失ってしまう。

その結果、アドバイスを誤り、北島は200m平泳ぎで予選落ちしてしまう。

2000年の初めてのオリンピックで平井コーチは、北島選手に「軽くいけ!」と言ったと。しかし、これまで一度たりとも、どんな試合でも北島選手に「軽く行け!」なんて言ったことはなかったそうです。

それをオリンピックで「初めて」言った。結果予選落ち。これが「重圧、独特な会場の空気にのまれ、我を見失ってしまう」から出たものだと。

受験でも同じですよね。入試に送り出す時には、今までやってきたこと、言ってきたことを言って送り出す。

時間配分だって、問題選択だって、余白の使い方だって、今まで言われたことのないことをやれ!と言われれば、やっぱり子供は戸惑います。

だからこそ、今から何カ月も前から「コーチ」の親は作戦を練り、入試の前に「初めて言うこと」がないように準備をする。親カツの後期講座では「受験3ヶ月前に親がすべきこと」とか「受験1ヶ月前に親がすべきこと」とかがあります。

「なにをそこまで・・・・」と時々言われますが、重圧と入試会場独特の雰囲気で我を忘れてしまわないように入念な準備がいるのです。

それは受験後もずっと生活が続くことも念頭に置いて。

2大会連続の銅メダリストの中村選手は「弱気になる」ことがあるそうです。

その精神的な弱さをいかに克服するか

答えは練習!

それもとびきり苦しい練習。精神的にも追い込まれるほどの練習。他のチームのメンバーが来て一緒に練習すると「こんなにしないとダメなのか」と落胆してしまうくらいの練習。もっといえば、先に言った入念な準備と練習(勉強)です。

模試の判定が悪ければ(練習でタイムが悪ければ)、誰でも

「不合格になるかもしれない」

と不安になります。

ウチの子、精神的に弱くて・・・
もっと強くなってほしいのですが・・・

でも銅メダリストだって「弱気になる」のです。自信がぐらつくのです。模試の判定が悪ければ、子供なら当然落ち込むでしょう。

フツーです!

では、それを乗り越えるのはなにか?

勉強する!です。

「誰よりも頑張って勉強した」

その事実だけが精神的な支えになる。

そして、プラスするなら、いつだって応援してくれる家族がいて、その家族はどんな結果であろうとも、間違いなく温かく受け入れてくれる。それ以外にないのではないかと思います。

子供が親の厳しいお小言を受け入れるのは、親が、家族が自分をあらゆる形で支えてくれていると思えるからです。時には喧嘩もし、言いあいにもなるでしょう。険悪な雰囲気も多々なる。

でもそれで根底の信頼が揺るがないのは、親子で話し合った目標があり、そのための決めごとがあって、きっちり勉強する、させる関係があってこそ。

「行きたい学校があると言う割には勉強しないんです・・・」子供がしないのであれば、親がさせればよろしい。

「すぐ弱気になります・・・」ライバルたちには負けていないと思える勉強量をこなせばよろしい。

でも、目標があっても、やると宣言してもなかなか一人ではやりきれない。一人でやった気になっているが穴だらけ。だからコーチがいる。親がいる。

これから日々の出来事で一喜一憂し、ジェットコースターみたく気分が上がったり下がったりします。でも、それはもうわかっていること。毎年繰り返されていること。

親は子供と同じ位置に立って進むのではなく、ぜひ子供の一歩前を歩んでほしいと思います。

その北島選手が水泳選手としては異例の挑戦を行っているそうです。2008年の北京五輪から2年後のことです。

2010年8月23日 サンスポ

2010年8月21日、パンパシフィック選手権男子200メートル平泳ぎで北島康介選手が今季世界最高の2分8秒36で圧勝。


100、200メートルで五輪2連覇を果たした北京大会後に約1年間の充電期間を置き、昨年4月から米カリフォルニアに移住。

今大会が同五輪以来となる約2年ぶりの主要国際大会だった。練習する南カリフォルニア大では、コーチから技術指導をほとんど受けていない。4月の日本選手権で無冠に終わった後も米国で1人で映像を分析し、感覚の微調整を重ねた。

コーチとの二人三脚が常識の競泳界では異色の独り立ち。元教え子のレースをみた日本代表・平井伯昌ヘッドコーチは

「達人の域。究極のアスリートになった」

とうなった。

ストロングはこのとき、次回のオリンピックでメダルを取るようだとすごいことです。今後の活躍に注目しましょうよ!と締めました。

そして、2012年8月のメルマガでも北島選手を取りあげました。

2008年北京五輪4年後のロンドンオリンピック、ここで五輪3連覇を狙った北島選手は100m、200mともメダルを逃しました。

2012年7月31日 サンスポ

男子100メートル平泳ぎで5位に終わった北島康介ついて、平井伯昌・日本代表ヘッドコーチは「ピーキングの難しさ」を指摘した。

3大会連続2冠が夢と散った北島。平井コーチは「4月の時点で58秒90は素晴らしかったが、そこまでの調子に持っていけなかった過程に敗因がある」と話す。

ピンポイントでピークを合わせるのは並大抵のことではない。体力が衰えれば、ピークの持続期間も短くなる。

小泉圭介トレーナーは

「僕らもやってる最中は(いい状態か)わからない。やってみて、あの時はこうだったと振り返るしかない」

と正解のないコンディション調整の難しさを説明する。

泳ぎでは腕と足のバランスも崩れていた。5月の米サンタクララ国際では今季ベストから100平で2秒66、200平で5秒24秒も遅かった。

腕のかきと足のけりが調和したオーソドックスな泳ぎが身上だが、腕のパワーを重視する米国の練習に加え、別メニューでトレーナーと行ったトレーニングで、上半身に筋肉がつきすぎてしまった。

「足がよかったら今度は手がだめで、そしたら今度は足がだめになった」と北島。直前まで手探りで調整を続け、対策を考えたが、有効な手だてはわからなかった。平井コーチは、精神的な変化も口にする。

「(レースでは)野性的になるというが、今は考えちゃっている。『人間』なんですよ」。

従来は強化戦略や調整方法は平井コーチが担当し、北島は本能の赴くままに金メダルを狙えばよかった。今は役割分担がなくなり、北島の負担は大きい。

「重圧はないし、リラックスしている」と話し、負けてもどこかさばさばしている北島。

金メダルに燃えたかつての執念は今はない。200平で巻き返しはなるか。

すべては平井コーチの言う「もう一度闘志に火がつくか」にかかっている。(伊藤昇)

スポーツ選手があることを成し遂げたあと、次のステージに行くときよく行われるのが肉体改造ですよね。

ただ多くの選手がその肉体改造によって、本来何かを成し遂げたときに持っていたしなやかさや全体のバランスを失っている事例は数多く出てきています。

これを子供に例えれば、勉強だけやっているとかスポーツだけやっていると考えることも出来るのではないでしょうか。

これはある特定の分野を集中してやっていくのが悪いという意味ではありません。狂ったように勉強する、死にモノ狂いでスポーツする、大いに結構。

ただ特定のものに特化してすべての力を注ぎ込む場合、死にモノ狂いで頑張る片側に、もう1つしっかりした考え方というのが必要になってくると思います。

それがないと、勝てばいいんだろ!とか受かればいいんだろ!とか勉強ができればいいんだろ!とか強いんだから文句言わせないぞ!とか結果として付いてくるものが最上の価値観にすり替わる事例も多々見られます。

宮大工の西岡常一さんは棟梁の家に生まれて、棟梁になるべく育てられましたが、おじいさんはその西岡さんを農学校に入学させます。野球選手にならなければならないのに、陸上部に入部させるような感じでしょうか。

でも、そこにはもちろん意図があって、大工になる前に「土を知れ」という教えがあった。大工さんが使用する木、その木を自然は土で育み、土は木を育てる。

土を知ることからすべては始まるのだという考えの下、農学校に入れられたわけですね。

「木のいのち木のこころ─天・地・人」

昔の宮大工とこれからの大工の一番の違いといいましたらまずは木の選び方ということでしょうな。口伝に「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」というのがあります。

飛鳥や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。

これができたのは農学校で農作業を学んだからでしょう。

全部意味がある。こんな風になにかに特化してやる場合には、底に流れる考え方がないと、さっき書いたような、勉強ができればいいんだろ!とか強いんだから文句言わせないぞ!なんていう弊害が後に必ず出る。

特に特化してやったものが人よりもうまくできた場合は、その反動は大きくなります。勉強は良くできるんだけど、お前、これから生きていけんぞというガキは本当にいっぱいいますからね。

強くなってから、勉強ができるようになってからでは、ほぼ修正が不可能です。朝青龍なんかはそのいい事例なんじゃないでしょうか。

まあ、多くの人たちは、なにかに特別に特化することもなく生きていくわけですが・・・

それはバランスがいいともいえるわけですが、厳しい言い方をすれば、それはなんの取り柄もないになってしまう可能性もあるわけです。

特に子供は、そういう場合は、受験なら受験、スポーツならスポーツで、ある段階、ある時期、周囲が環境を整えて頑張らせないといけない。そうボクは思っています。

よく将来の目標が見つからないという子供がいるわけですが、そうした子供は頑張ったことがあまりない子供が多いものです。

たとえばサッカーをやっている子がいるとする。たけど、練習しても、頑張っても、あいつにはかなわない。そういう経験が1つあれば、サッカーという選択肢は消えるわけです。

悲しいことだけど、夢が1つ消えることと引き換えに、自分が進む道が引き寄せられる。なんでもいい、与えられたものでいい。受験なら受験で頑張ってみる、頑張らせてみる。

その中で勉強以外のことで勝負しようとか、実際にやってみて選択肢が1つ、2つと消えていくことで目標っていうものも見つかりやすくなるんじゃないか。

なにか天から将来の夢や目標が降ってくるんじゃない。第六感でピンとくるなんてことはない。

頑張って進むことで、そのことで道幅は狭くなっていくけど、それがやりたいことやしてみたいことを見つけることなんじゃないでしょうか。

そんな風にも思っています。

また、勉強で勝負したいとかサッカーで勝負したいという積極的にやりたいものが出てくれば、今度は文系じゃなく、理系とか、より細かい分野の選択にもある。

結果いかんにかかわらず、頑張ったことと引き換えに自分のしたいことが見つかる。だから、勉強ができないからといって、自分を全部否定する必要はない。

勉強ができないなら、その他に人よりうまくできることが必ずありますから。たかが勉強です。勉強ができないことで、その他の可能性を消してしまうなんてもったいないし、そんなことをする権利は親にもない。

ただ、勉強はやればみんなできる。みんなが偏差値70にはならないけれど、他のどんな種目よりも努力が実りやすい種目、人生で最初に取り掛かるのには取り組みやすい種目であることは間違いない。

頑張ったらできるんだ!とわりとすぐに実感できる種目ですから。

学校に行ってずっと勉強がある今の生活で、1日の生活で一番時間をかけている勉強で「オレいけてるぜ!」と思えるなら、言うことなし!

別に子供は偏差値70じゃないと納得しない!なんてことはないですよ。わりと子供の目標設定は低いですから。この計算が人よりも速くできた!それだけで自己肯定感が大きくなることだってある。そんなものです。

お母さんがよく言います。

「この子はやればできる子なんです!」と。

それはあなたの子供だけでじゃなく、みんなそうなんですよ。特に勉強はね。でも、「やればできる」は、ハッキリいってクソの役にも立たないんです。

だって、やらないんだから・・・

この事実は重いですよ。

やればできると思っているけど、やらない・・・

これがもっともタチが悪い。

だって、やらないのにできる!って言うんですよ。ふざけているでしょ!親が言っていれば、いずれ子供もそう言うようになる。「オレもやればできるんですけどねえ・・」とか。

ボクに子供がそれを言ったら即ビンタです!(※ボクは体罰には反対しています) だってやらない、やれないんだから!!

「やればできる」なんて言う資格はない。そこはハッキリ線引きをしてやらないと子供のためにならないですから。「この子はやればできる子なんです!」とほざく親は、すぐに子供に勉強をやらせなさい!

やらせ方はよくよく考えてくださいよ。それじゃなくても親は子供にとってウザイものです。

オリンピックの選手はみんな言います。

「親に感謝」「育ててくれてありがとう」って。

オリンピックに出るまでが大変なんですよ、親も。お金はかかるし、時間は割かなくちゃならないし、手伝っているのに文句は言うしね。

それでも最後は、ありがとうになる。これ以上のご褒美がありましょうか。そのご褒美も実は親が「ありがとね」といえる子供にしていくんですよね。

どこまでいっても親の愛は無償の愛ですねえ・・・

最後に都々逸を1つ

あすは明日だよ
朝顔見なよ
その日その日を
咲いている

笑って見せたる
朝顔さえも
垣に表と裏がある

いろいろとやらないといけないことがあると思いますが、「あすは明日」です。

今日、ちゃんと咲きましょう!咲かせましょう!

「オレはちゃんとやればキレイに咲けるんだよ!」なんて子供に言わせないで、今日、今すぐ小さくていいから頑張って花をね。

咲かせた花がどんなに小さくても、ちっぽけでも、関係ない。今日咲かせたことに意味があるのだから。

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

中3 あーちママさん

改めて親の役割を理解しました。今まで甘かったです。優しいつもりで、実は伸び悩む原因をセッセと作っていたのですね・・・。

子どもへの接し方は、メルマガや本も読ませていただいていたので、気をつけていたつもりだったのに、見直すと全部が「今からさ!」だったのにはショック!頭でっかちの「風呂屋」だったみたいです。
 
また、心構えができた上で、成績アップのための具体的な方法を知りたかったので、第3章の鉄則を教えていただいて、「今のままじゃいけないけどどう取り組んだらいいの・・・?」という霧が晴れた感じです。

勉強のやり方を変えたかったので、鉄則7,8,9を実行してみます。

問題に対処しているようでも、本当の問題点に気づかなければ、事態はよくなりません!

『10の鉄則】はしっかり暗記して、日々の勉強では第3章を実践する。3ヶ月ですよ!!

受験生でもなかなかエンジンがかからないのは、例年通り。さあ、今から7月までが勝負ですよ!また報告を聞かせてください。

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