こんにちは、ストロング宮迫です。

中学入試が大きなヤマを越えました。高校入試もすでに始まっていますが、これから1ヵ月は高校入試がメインになります。

受験を終えた方には、「心よりご苦労さまでした」と申し添えます。入試は結果がストレートに出るから、あれこれ思うこともたくさんあることでしょう。

「入試を終えてしんどい気持ちの方」はぜひこちらをお読みくださいませ。

なんでもね、当事者は目の前のことにしか目がいかないから、うれしいとかしんどいとかどちらかの気持ちに偏りがちだけれど、何年かすれば、もう少し冷静になって今日という日を眺めることができるものです。

そして、もし振り返るときは表面的なこと、たとえば結果についてのみに目を向けるのではなく、「深く深く掘り下げて振り返ってみる」ことです。

深く振り返ると、次に何をすべきなのかがわかるからね。

毎日親技ではこれまでの親技を駆使した先輩のツワモノどもの入試回顧をたくさん紹介しています。

今読んでピンとこないことも、1年経って読むとピンとくるってこともあります。いつだってあなたが来た時にはその先輩たちの回顧と教訓がありますから、時間があるときに、思い出したときにぜひ寄ってください。

これから受験、ようやく受験が終わった方には難しいけれど、それも3年経ったらすぐにわかります「受験はゴールじゃなかった(*_*)」ってね。

この前、ツイッターを見てたら、こんなのを見ましてね・・・

なんだか懐かしいような気になって、本棚を探したんですが、ないんですよ、中島らもさんのこの名著がね・・・

でも、懐かしく思い出したら気になって読みたくなって仕方がなくなって、改めてアマゾンで注文してしまった。

中島らもんさんの文章を読むと、ボクは切ない気持ちになります。ゲラゲラ笑ったりクスって笑う個所もたくさんあるんだけれど、笑ってもね、せつないんですよ。まあ、それはボクの感覚だから。あなたはどうでしょうかね?

ボクの落ちこぼれ話はここで書き散らしてしまっているので皆さんはもうよくご存じでしょう。

中島らもさんの「落ちこぼれっぷり」っていうのは、ボクなんかとは比較にならならいくらいのレベルの高い「落ちこぼれっぷり」といってもいいでしょう。

どんな感じかって!?

では早速読んでいただきましょうかね。落ちこぼれていく・・・・って様子が本当に手に取るようにわかるから。落ちこぼれた経験がない方には子供の頭の中がどういう感じかを知るすべにもなると思いますよ。

どうぞ!

中島らも著『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

≪入試地獄1≫より

悪さばっかりしている間に、僕の高校の成績は面白いくらいにどんどん落ちていった。この灘校という学校は、中学高校と六年ぶっ通しの制度になっていて、高校二年までの五年間で六年分のカリキュラムを全部すませてしまう。残りの高三の一年間は、入試専用の特訓に当てるわけだ。

小学校からこの灘中に入ったときの僕の成績は「八番」だった。

これは世の教育ママに言わせると、ものすごい成績だということになるのだろうけれど、当の本人の僕の感想としては、「世の中というのはやっぱり広いなあ。まだ上に七人もいるのか」といったものだった。

それが、ちょっと気を抜いて漫画をかいたりギターを弾いたりしているうちに、みるみるうちに下がっていった。

それでも高校一年くらいまではなんとか踏んばりがきいていて、全体で言えば上から三分の一くらいのところに定着していたのである。

それが高二のときに学園紛争が起こって試験がなくなったりしたときもあって、気がついたらもうまったく勉強をしなくなっていた。

あの落ちこぼれていく感じというのは一種言いようのないもので、最初は一、二時間授業をさぼったくらいの、ほんの微々たるズしなのである。それが何か雪ダルマ式にズレが大きくなっていって、しまいには教師の言っていることがまったくわからなくなってくる。

教室の後ろで当てられないことだけを祈って息を殺しているうちはまだよくて、しまいには恥をかくのがいやだから、授業をまるごとスッポかすようになる。そして、落ちこばれた者同士は、異常に強く結びつき合うようになるのだ。

高三になると、もう試験にも出なくなったので、僕には成績というものがつかなかった。完全に「番外地」の住人になったわけである。

学校へもほとんど行かずに、毎日喫茶店で友人たちとバカ話をしているうちに日々が流れていき、やがて恐れていた入試のシーズンがやってきた。

どこの大学を受けようが、なにせ二年間まったく勉強していないので、受かるわけがない。ただ、高校を出ても働く意思がまったくないので、親の手前、受験をせざるを得ない。

落ちこぼれ仲間の中には、「どうせすべるんだから」と東大を受けたのがいた。「東大におちましてね」というと、隣近所に通りがいいからなのだそうだ。高い受験料の上に旅費まで出させられる親としては、たまったものではない。

そんな度胸はないので、僕は手近の神戸大学を受けることにした。

中島らも著『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
≪入試地獄2≫より

もうずいぶんと昔のことなので、くわしいことは忘れてしまったが、たしか神戸大学の受験日最初のテストは化学か何かだったと思う。一日がかりの試験なので、大きな弁当箱をぶら下げていった覚えもある。中でも記憶に鮮明なのは、配られた試験の用紙をざっと一読したときの驚きである。

丸々二年間というもの勉強をしていなかったのだが、高校一年まではそこそこの成績を取っていたのである。

いくらむずかしい国立大学の試験だとはいっても、四分の一かそこいらはできるだろうとたかをくくっていたのだが、問題を見たとたんに目をぱちくりしてしまった。

答えが出てこないとかそういう次元ではない。問題が何を言っているのか自体がさっぱりわからなかったのである。いわゆる「おっしゃってる意味がよくわかりかねますが」という感じだった。

結局、九十分だったか百二十分だったかの試験時間を、机にだれかが掘りあけた穴に消しゴムのかすを詰めて過ごした。

もののみごとに一問も書けなかったのである。

この試験のあとが昼食休みで、昼からまだ二科目ほどの試験があったのだろうか。神戸大学というのは山の上にあって、たいへんに見晴らしのよい所だ。松の木の根っこに腰をおろして、そのよい景色を眺めながら持参の弁当を使った。

食べているうちになんだか空漠とした思いが満ちてきて、俺はこんなところで景色を眺めながら何をしているのだろう、という気持ちになった。

それで、弁当を食べ終わると、もう昼からの試験はあきらめて下界に降りることに決めてしまったのである。

一問も書けずに机の穴に消しゴムかすを詰めているという屈辱に、これ以上耐えられなかったのだ。

しかし、このまま帰ってしまうには少し心残りだったので、せめて神戸大学のトイレで大きい方の用を足してから帰ることにした。何やら盗っ人のような性癖である。

トイレに入ってしゃがみ込んで、前の壁を見るとさまざまな落書きがしてあった。学園闘争の盛んな時代だったから、そのほとんどは「反帝反スタ」などの勇ましいアジテーションである。

僕もせっかくこうして山の上まで登ってきたのだから何か書き残していこう、と思ったものの、よい言葉が浮かばない。

それで結局、「今日はこれくらいにしといたるわ」と吉本新喜劇のギャグを書いて神戸大学を後にした。

去年、この大学の学園祭に呼ぼれて行ってこのことを思い出したが、もうそれがどこのトイレだったかは忘れてしまっていた。

ボクも入試で最後の科目まで受けずに「何度も途中下車」したクチです。

世の中にはたくさん落ちこぼれがいるけれど、やっぱりその落差っていうものが絶望の大きさに比例するようにボクには思えます。

中島らもさんの「落ちこぼれっぷり」がボクなんかとは比較にならならいと先に書いたのは「この落差の大きさ」がボクなんかよりも中島らもさんのほうが大きかったという意味です。

なにせ「灘中に八番」で入った神童だもの。普通の子なら「ちょっと気を抜いて漫画をかいたりギターを弾いたりしているうちに」、すぐ最下位になるだろうに、「それでも高校一年くらいまではなんとか踏んばりがきいていて、全体で言えば上から三分の一くらいのところに定着していた」っていうんだから、その神童っぷりやいかに、であります。

落ちこぼれていくときの様子は神童も凡人も変わりはしません。

最初は一、二時間授業をさぼったくらいの、ほんの微々たるズしなのである。それが何か雪ダルマ式にズレが大きくなっていって、しまいには教師の言っていることがまったくわからなくなってくる。

教室の後ろで当てられないことだけを祈って息を殺しているうちはまだよくて、しまいには恥をかくのがいやだから、授業をまるごとスッポかすようになる。そして、落ちこばれた者同士は、異常に強く結びつき合うようになるのだ。

進学校になればなるほどだと思うけれど、真面目に聞いてもわからなくなると、結果が出る模試は受けなくなるし、テストは受けても、できない言い訳を必要とするためにわずかどころか1分も勉強しないのは普通になる。

先生から邪険に扱われ始めるのも苦痛だし、落ちこぼれ同士の結びつきが強くなるのも確かにそうだけれど、ボクみたいに「もはや学校に近づかない」ってタイプもいるでしょう。

授業のスピードが速い中高一貫校になれば、この「雪ダルマ式のズレ」の速度は加速することにもなります。それでも数年踏ん張っていた中島らもさんはボクなんかよりも「大天才」に思える。ボクなんか貯金がないから「雪だるま」ができはじめて転落→墜落まで半年しかかからずにジ・エンドだったからね。

普通の人はきっと思うでしょう、ズレが大きくなりつつあったら、すぐに勉強でもして巻き返せばイイじゃないかってね。それは落ちこぼれたことがない人の戯言で、そうはイカのキ●タマなんですよ。

あのやろうとしても、なにをやったらいいかわからない感やどうしたらいいのかの不安感や、まあなんとかなるだろ?っていう希望的観測が打ち砕かれて、次々と「恐怖の事実」が現実化してしていくサマは今考えてもゾッとする。

そのあたりのちょっとした気持ちというか感覚を中島らもさんもこの名著の中でチョロリチョロリと披露してくれてます。

中島らも著『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

≪保久良山≫より

・・・思えぼそのころから気の長い、牛みたいな少年だったのだろう。

中学の終わりから高佼にかけて、僕は学校をサポるようになった。

僕の行っていたのは灘校という超受験校で、僕はそのシステマティックな流れの中で、足が底に五センチほど届かないような、妙に不安な浮遊感を覚えていた。

僕はよく昼から学校をサボって一人で保久良山に登った。山頂から街をながめていると全ては事もなく平和そうで、さきゆきの不安にさいなまれている僕とは無縁のいとなみを続けているように見えた。

したたるような緑の中で、僕はわけのわからない怒りで頭をかきむしつていた。

≪崩れた壁(下)≫より

・・・僕のいた高校は一学年がだいたい百四、五十人いる。そのうちの百人くらいが東大にいき、三、四十人が京大にいく。考えてみれば化け物みたいな学校だ。

そしてそのすみっこのほうに、十人かそこいらの「落ちこぼれ」がいる。

この連中はとうに受験をあきらめて、某部室にたれこめてはたばこを吸ったり酒を飲んだり、シンナーを吸ったりマルキシズムについて議論したり、セックスについて見栄の張り合いをしたりしていのだった。

そのようすはちょうど高価なワインのびんの透明な底に沈んでいる、ほんのすこしの澱を思い起こさせた。

親の方によくわかっておいてほしいのは、この落ちこぼれていく感じは、もともと成績がすごくイイって子供だけが経験することじゃないってことです。

さっき触れた落差っていうのは、「良い→悪い」への落差もあるけれど、気持ちの上で「できるはず→できない」の落差だってあり得るし、「普通→悪い」のパターンや「悪い→ものすごく悪い」って形だってありうる。個人によって段階はあるけれど、落ちこぼれていく感覚は、どのパターンだって一緒だ。

それらはいずれも、最初はちょっとしたボタンの掛け違いから始まるってこと。

その最初のボタンの掛け違いに気づき、すぐ相談したり、対処すれば、「ああ、ボタンを掛けるとこが間違ってた」で済むんだけれど、掛け違ったまま1カ月経つと、なんだか巨岩を押してるがごとく思えて、ビクともしないから、すぐにどうにもならんって思い始める。

当の本人も、その周りもただボーっと突っ立って傍観してるわけじゃないんだけれど、なんとなく見逃され、放置されて、どうにもならなくなっていく過程が落ちこぼれの過程でもあります。

だから、ちゃんと子供をみてやってね、観察して、「これは・・・」と思えたら、手を貸してやる。手を貸してやろうとしたときに「お前の手なんか借りたくない」なんていわれないようにしてなくちゃいけない。最初に対処すれば、ちょっとのことだから。

まあ、落ちこぼれたら、落ちこぼれたなりの経験があるわけだし、何も恐れる必要はないんですよ。

中島らもさんも、その落ちこぼれっぷりを武器に、その視点で亡くなられた今読んでも50歳のボクを切なくさせる文体を残したし、一問も書けずに帰った大学の大学祭に呼ばれるようになったんだからね。

最後にどうしても読んでおいてほしい項があるので、ここに紹介し、締めとします。どうぞここまでの紹介を読んで「おもしろい」って思ったら、書店やアマゾンで買って手に取って読んでいただきたい。名著ですから!(^^)!

中島らも著『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

≪禁じられた遊び≫より

高校時代の飲酒体験などをこうやって楽しげに回想したりすると、原稿用紙の向こう側に、まゆをひそめた読者の顔がちらついてやや忸怩たる思いにかられる。この文章が「教育上よろしくない」のは自分でもわかっている。

ただ、考え方のちがいかも知れないが、学生が大人のまねをして酒を飲んだりするのは僕の感覚ではしごくあたりまえのことなのだ。飲み方を知らないから当然大失態を演じる。酒の手ごわさを知る。そういう体験はむ
しろ子供にとっては必須の「通過儀礼」なのではないだろうか。だからといって何も高校生がそれをやる必要はない、というのも正論かも知れない。

ただ、ここ何年か、春先になると必ずといっていいほど、大学の新入生歓迎コンパで死者が出る。急性アルコール中毒による死亡である。これは先輩なりにそうした場数を踏んだ人間がいて、むちゃ飲みを事前にやめさせるなり、指を突っ込んで吐かせるなり、温かくして寝かせるなりしていれば何割かは防げるものである。

「教育上よろしい」育て方をしてやっと大学にまで上げた子供をそんなことで死なせてしまった親の気持ちを考えると暗然とする。

「教育上よろしくない」ものがほんとうにチリひとつないまでに掃除消毒されてしまった教育を考えると恐ろしい気がする。そこから「検査済み」のハンコをもらって出てくる人間というのも恐ろしい。話すことが何もない気がする。

先月、僕の持っている劇団の四回目の公演をした。その予約受け付けをしていると中学生の子から電話がかかってきた。

「あの、このお芝居は中学生が見てもいいようなものでしょうか」

僕はそういう聞かれ方をするとは夢想だにしなかったので面くらった。たしかに父母の方から、小学生の息子を連れていきたいが大丈夫だろうか、というような問い合わせは何件かあった。

が、当の管理されている本人からの自主規制の問い合わせは初めてである。

劇団員たちは顔を見合わせて首をひねった。この子はどういう物の考え方をしているのだろう。普通、この年ごろの子なら、親や学校から見てはいけませんと言われるからこそ、その禁をかいくぐって見に行くのだ。

「中学生には刺激が強いかも知れません」と答えたらこの子は来ないつもりなのだろうか。

そうやって大きくなり、そうやって年を取り、死んでいくつもりなのだろうか。与えられ、許されたものだけを受け入れて……。

何とも不可解だ。

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

中1 KITAZAさん

今までメルマガを読ませていただき、自分なりに考えて子供に接してきたつもりでしたが、10の鉄則を読んで「うーん」考えてしまいました。

ただ、親も子も限られた時間の中でいかに結果に結びつかせれば良いのか・・実践あるのみです。

「ほとんど集中力が保てない」というKITAZAさん。

短く勉強時間を切っているでしょうか? ここまでとゴールを決めて 勉強をやっているでしょうか?

また、成果について「始めたばかりで結果待ちです」とおっしゃっていますが、成果は日々出すもの、出るものです。

頑張ったから成果はどうかな?ではなく、毎日の短時間の勉強で成果があるなら、すでに成果は出ているはずです。なので今回のテストはこれくらいいったかなと結果を待つことになります。

部活との両立といっても毎日2時間は十分できるでしょう。鉄則第3章をしっかり読んでやってくださいね。

小5 もとさん 

一つ一つに具体例や、イメージしやすい話しがあり、一気に読んでしまいました。読んで分かっただけではだめですので実践していきます。

先月末から親子ノリノリを実践して、公開テストで偏差値が52→61になりました。この調子が続くように鉄則を守っていこうと思っています。

偏差値52から61なんてすごいじゃないですか!!

しかし、2度連続してたたき出してこそ本物です。気を抜かずにやりましょう。お子さんもやる気が出ているでしょうから、ここを逃してもったいないですぞ!!

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