こんにちは、ストロング宮迫です。

運動会や体育祭、週末のテスト…とさまざまなイベントが目白押しの10月も早くも後半戦に入りました。

入試演習が本格化している受験生はもとより、受験生予備軍である小5生や中2生にとっても、なかなかハードな日が続きます。

この時期の子供たちを見ていて強く思うのは、気持ちが波状的なことです。これは子供たちに限らず、私たち親もそうなんですけどね。

気持ちが波状的とは、すごくやる気が湧いて、またすごくやれるような気がするときと、なんかやれない、できない、ダメだわって気持ちになるときのような、波が打ち寄せるように一定の間隔をおいて繰り返される気持ちの起伏とでも言いましょうか。「イケるイケる」ってときと「もうやりたくない」ってときがあるとでもいいましょうか。

これを↓↓↓子供が口にすると、なかなか理解できない親の方が多いと思いますが、

「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない、またはやれない」

ってことはないでしょうか。

ボクはそれはある!って思ってるし、その気持ちも理解できる側なんですよね。

だって、そういうことってあるもん!

問題は、そのとき「結局何もしなかった」となるか、「始めるのは遅くなったけれど、やった」の違いです。そして、その違いはそのあとで決定的な差を生み出します。まあ、「やった」というその内容量にもよるけどね。

受験生も受験生予備軍も、やらねばならぬことは山ほど目の前にある!それは間違いない。

でも、なんかこう気持ちが乗っていかない、乗ってこないってこともある。ウダウダグダグダしているうちに、時間だけは過ぎて行って、「たったこれぽっちしかできなかった」という場合もある。

改めて、親の方にはその「なんともいわく言い難い子供のその気持ち」を自分の子供の時や今現在を思い出して

その気持ち、わかるよ!

そこから出発してもらいたい。「そういうことは切羽詰まって、時間のない受験生にだってあるんだ」という認識で子供を見ていただきたいと切に願います。

そのことについては過去にも書いた。

でね、たとえ「なんかこう気持ちが乗っていかない、乗ってこない」ときでも、宿題や課題や演習はやらないといけないんです。

やらなくてもいいけれど、やらなかったらテストや入試演習や実力テストで、やられちゃうから。だから、やる、やらせなきゃいけないんだけど、それをやらせる上で、

その気持ち、わかるよ!

ここは親の方には心の片隅や胸の内に持ったうえで、子供に勉強をやらせてほしい。

この子供の気持ち↓↓↓

「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」

にウソはないから。

なんでこんなことを書くかって言うと、親がよく口にする

「やろうと思ってるんだったら、やりなさいよ!」

ってのは、子供をやる気の土俵に上げるどころか、押し出すほうにいっちゃうから。

「やろうと思ってるんだったら、すぐにやればいいでしょ。やらないってことは、やる気がないってことと同じよ!そもそもやる気がないのに、やる気があるようなこと言わないで。どうせやる気なんかハナからないんだから(; ・`д・´)」

もし、こんなことを「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」子供にバンバン言っているとしたら、「人を動かす」という点から考えても、「子供に勉強をさせる」という観点から考えても「0点」だとボクは判定します。

その投げかけが生むのは、ケンカ、反抗、口答え・・・バトルにしかならないから。

「やる気があるなら、やればイイ!」と思っているとしたら、そして、それはカンタンにできると思っているとしたら、人は1ミリも動かない。

仮に自分はそうできるとしても、自分以外はできないから、周りを見て常にイライラすることになります。

子供も親も「やろうと思ったら、すぐできる」のは好きなことだけだから。

好きでもないことを「やらねばならない」って時、そこにはやる前に気持ちにハードルが立ちふさがる。勉強をやる前にです。

だから、「わかるよ、その気持ち」からスタートしてください。それを言わないで「やろうと思ってるんだったら、すぐにやればいいでしょ」とか「どうせやる気がないんでしょ」とか言って話を混ぜ返さない。

真面目な子供なんかだったら「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」は、恐れ多くて、または親が怖くて、口にしないかもしれません。でも、言わなくてもあるから。

子供がボールを投げてきてるんだから、親が「そんな球は打てません!」とか言わないの。ヘナヘナなボールでも地面を転がってるボールでも、とりあえず打ち返す。高段者ならわざと空振りして言う「気持ちはわかるけど、打てないよ、もうちょっとしっかり投げてよ」ってね。

言葉で説明するのがすごく難しいけれど、「そんな球は打てません!」と「気持ちはわかるけど、打てないよ、もうちょっとしっかり投げて」では、レベルは違います。

親なんだから、大人なんだから、どんな技でも子供の技は「受けないと」いけません。いったん技を受けてから、「それだったら・・・」とかいう。技も受けないで「どうせやる気がないんでしょ」って決めつけないとでも言いましょうか。

その子供が出してくる「どうしょーもない技を受けて、どう返せるか?」これが親技と言ってもイイでしょう。

こうあるべきだとか、こうしなさいというのがあるよ。だからといって、今の子供のレベルも状況も考えないで、「あるべき論」や「すべき論」を親が延々と語り続けても、実りはないですから。

この前、中学生と入試演習で英語の長文をやってたんだけど、まさにここまで書いてきた「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」態度が前面に出てた。真面目な子だし、成績も一定レベル以上の子だから「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」とは言わない。でも、態度に出てる。

ボクがそばにいるから、「やらない」わけにもいかず、「仕方なくやった」んだな。長文はかなりムズかった。

長文の日本語訳を書いて「じゃあ、書いたものを読み上げてみてよ」ってボクが言ったら、しばらくして

「何を書いているのか、自分が書いた日本語がわかりません!」

こう言って、さめざめと泣き始めたんです(*_*)

中3の男の子ですよ・・・・・

「したくない、やりたくない」からの「わからない、わからない」で読んだら、自分が書いた日本語訳が「わからない」になっちゃった。

きっとあなたのお子さんにも、そういうことってあると思うんですよ。

決してやる気がないわけじゃないんだ、とボクは判定する。なんとかもがいて、やりたくはないけれど、やらねばならないと自分の気持ちを高めて入試問題に向かって行った結果だ。だからやる気はあるんですよ。

でも、気持ちにで負けて「わからない、わからない」で読んでたら、エライ場所に行っちゃう、自分でね。

だから、ボクは普段なら補助を差し伸べる「これはね・・・」とかいう説明もしなかったし、中3生が自分で行ってる場所まで待った。着いてみたら、とんでもない場所に来てしまった・・・ってきっと思ったんだと推測します。

だから、さめざめと恥ずかしげもなく泣いたんでしょ。

もちろん「男だろ、泣くな!」なんてボクは言わない。子供の技はまずは受ける。これが鉄則だから。

そこでここまで書いてきたような話を中3生にはしました。中3生は納得して、そのあと自分で、いるべき場所に引き返してきたけれど、この話があなたに通ずるかどうかはわからない。

まあどうしようもなく気持ちがせき止められなかったんだろうけれど、泣いた顔を見せられるっていうのはボクは幸せだと思ってます。「ボクはダメな人間です・・・」ってその子は泣いたけれど、「ダメな人間だ」と認識できる子供にダメな子なんかいないもの。

・・・ということも言いました。

難しくて、歯が立たなくて、情けなくて涙が出ました!

なんてすばらしいことでしょう。やる気がないなんて言わせない。

弱い子供は、難しくて、歯が立たなくて、情けなくて、暴れましたのほうに出る。

うまく言えないけれど、大人が酒飲んで滅茶苦茶に暴れるって場合、あれって「難しくて、歯が立たなくて、情けなくて」の気持ちの処理ができないってことなんじゃないのか?

ボクはあまりお酒も飲まないので、そこについてはわからないけれど、ワーとかギャーとか言っても、スッキリはしないからね。スッキリどころか、その澱んだ気持ち「難しくて、歯が立たなくて、情けなくて」の気持ちは沈殿して澱のように蓄積される。解決もしない。

解決の一歩は難しくて、歯が立たなくて、情けなくて涙が出ました!なんじゃないか。

ワーとかギャーじゃない、「難しくて」なら「じゃあ、どこが難しかったんだろう?」「どこが難しく感じた?」って次の問いかけが始められるし、「歯が立たなくて」だったら、「歯が悪かったのか?」それとも「噛んだものが硬すぎたのか?」ってことを考えるきっかけにもなるだろう。

「情けなくて」は、人類のすべては一度ならず経験する不変の感情だ。だから「わかるよ、その気持ち」ってなるでしょう。

泣かせてください、子供を!ぶって泣かすんじゃないよ、「わかるわ、その気持ち」からスタートして泣かせる。

受験生の心が、気持ちが弱くてもイイんですよ。よわっちぃ自分がいるってことに気づいていれば。よわっちぃ部分に気づいて、考えて、どう対処するべきかをそれぞれが考えたらイイ。それはこれからの生きる道の選択にも大きな影響を与えるでしょう。

受験勉強を通して、それは考えられる。弱さを隠したりする必要もない。強さを強調することもない。

最後は、みんなが陥る「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」とこから、どこまで実のある勉強ができるかが受験では問われる。

やってなかったらできないし、やっていればできる。もっとやっていれば、もっとできる。テスト結果は自分がやってきた証だから。

これからの受験生の勉強量は「やろうって思ってるんだけど、やる気にならない」ところから、ぞれぞれがどれくらい積み上げて勉強できるかの闘いでもある。そこから積み上げるためには一人じゃできない。

伴走者の親が「わかるわ、その気持ち」からスタートして、ごまかさず、ウソをつかず、子供と向き合って、泣きながら、勉強させるしかない。

道は2つ、泣きながら暴れるか、泣きながら勉強するか。どっちが積みあがるか、わかりますよね?

子供を頑張らせるときは、伴走者の親は戦う相手をよく見極めてあげてくださいね。むやみやたらに戦わせない。ちょっとやられた、もう少し頑張ればやっつけられる、そんな問題に取り組むのが一番力が付きますから。