こんにちは、ストロング宮迫です。

最近ニュースを見てると、だんだんと「ボクの青春」は終わりつつあるように思えます。

渡部昇一先生が2017年4月に没し(満86歳)、今月5月には日下武史さん(満86歳)が亡くなった。

ボクは人生のうちの7割を渡部昇一先生と過ごした。お会いしたことは一度もないけれど、たしかに35年の間、ボクとともにありました。

そういう人って、あなたにもいるんじゃないでしょうかね。

いつもそばにいて、励ましてくれてね、悩んだら直接答えは教えてくれないんだけれど、本を読んだら解決策や解決の糸口を示してくれる。

青春の頃、誰に憧れるかは人それぞれだけれど、「ああ、こんなふうな人になれたらいいなあ~」と熱烈に、長い間思い続けた先生でした。

渡部先生の多数の著者や翻訳はボクの見立てでは、すべて身近な素朴な疑問からスタートして、その疑問を解決すべく勉強したり調べたりしたものばかりだったように思えます。

そしてその素朴な疑問は、大人になってからのものもあったけれど、初期のものは祖父母や父母や担任の佐藤順太先生が言われたことを下敷きにされていたんじゃないか。

世の中はこう言ってるけれど、祖母はこう言ってた・・・とかね。

なにより渡部先生は感激したことを地道に長い時間かけて継続する達人だったようにも思います。

渡部先生の図書館みたいな、いや図書館以上の自宅の書斎は、たしか学校時代の恩師・佐藤順太先生の自宅でみた本格的な書斎に感激したことが出発点だったはずです。

素朴な疑問を発する素養と感激、それを継続する勤勉さの素地が家庭で培われていたんじゃないでしょうかね。

でも、人はみんな死ぬからね。それは仕方がない。また来世で会う。今度はぜひ実際にお会いしたいですな。

また、劇団四季の創設者のひとり日下武史さんの俳優としての業績をボクは知りません。ボクと日下武史さんとの接点は中島敦著「李陵」の朗読者としてのものです。

今見ると、このCDは2005年刊となっているので、まだ10数年のお付き合いでした。

日下武史さん朗読の中島敦「李陵」については以前ここで書いた。もう何度聞いたかわからないけれど、ここ10数年、移動の時間はたいてい「李陵」だ。一昨日も昨日も、そして今日もさっきまでは「日下武史の李陵」だった。

日下さん以外の「李陵」の朗読も聞いたけれど、ボクにはダメだった。とにかく日下さんに著者の中島敦や登場人物の李陵や司馬遷や蘇武が乗り移ったの如く発するものだけがボクは洗ってくれる。1回じゃ流しきれないんで、何度も何度も洗う。

CDってすごいですよね、いつなんどき聞いても、同じテンションで「洗濯」を始めてくれるもの。

ボクは長い間、中島敦が「李陵」で司馬遷が発させた

動機がどうあろうと、このような結果を招くものは、結局「悪かった」といわなければならぬ。

しかし、どこが悪かった? 己のどこが?

どこも悪くなかった。己は正しいことしかしなかった。

強しいていえば、ただ、「我あり」という事実だけが悪かったのである。

という問いと格闘してる。

その時々に自分の身に起こったことを思い出しては「いったい、今度の出来事の中で、何が、誰が、誰のどういうところが、悪かったのだ?」とか「しかし、天はやっぱり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。彼は粛然として懼れた」とか

ところが、ここに一人の男があって、いかに「やむを得ない」と思われる事情を前にしても、断じて、自らにそれは「やむを得ぬのだ」という考えかたを許そうとしないのである。

飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節がついに何人なんぴとにも知られないだろうというほとんど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむを得ぬ事情ではないのだ。

とかを自分に問うてみる。

しばらくすると、そんなこともどうでもよくなったりもして、でもまた日下武史さんの「李陵」を聞くと、もういっちょう!となってしまう。

日下さんは亡くなってしまったけれど、この問いはもうしばらくつづけねばならないでしょう。

こうして「ボクの青春」も少しずつ終わりを迎えていく。

まもなく終わるという意味では、ここで幾度か取り上げてきた藤澤和雄調教師は定年まであと5年という65歳で昨日ついに日本ダービーを制したとスポーツ新聞で読みました。


この記事の部分だけはスポーツ新聞はごみ箱に捨てても、持って帰って家に貼っておこうって思います。

藤澤和雄調教師が出た回のNHK「仕事の流儀」は、このメルマガを読むより、『10の鉄則』を読むより優先的にしてほしいとまでボクは書きました。それくらいイイ話だと思ってるから。

藤澤和雄調教師の話を聞いていると、競走馬は子供とほぼ一緒、馬育ても子育ても一緒だと思う。

ここで藤澤調教師を取り上げたときは、藤澤調教師のこんな言葉を紹介しました。

勝利に近道はない
馬の調教は貯金に似てる。たくさんある時にごそっと入れてもダメだ

目先の「一勝」より馬の「一生」
藤澤は目先の「一勝」にこだわらず、馬の「一生」を考えて馬を育てる。

ただ勝つことに未来はない
欲張りだから勝ちたいのは世界一勝ちたい。しかし、その場しのぎばかりでは、永遠に変わらない。

この当たり前のことが世の中に出ていくと、親が子供を前にすると、途端に難しく感じるようになる。いや、難しんじゃないな、ほぼできないといってイイ。

ボクたちは「近道の勝利」を目指し、「一生より目先の一勝」や「ただ勝つこと」に執着してしまう。

そして、馬や子供を壊してしまうわけだ。

でも、「子供は強い」から壊れなかったりもして、親が救われる。子供が親に反発するのも、親は「言うことなんて聞きゃしない」って結論付けているけれど、子供は理不尽なことを親にされて反発しているだけであって、子供がすべてを受け入れて壊れる前に反発して「自分が壊されないように」してるだけだ。そういう意味で親は子供に救われる。

プロフェッショナル 仕事の流儀
競馬調教師 藤澤和雄の仕事「未来を見すえる者が勝つ」

G1馬(能力の高い馬)は調教師の腕の見せ所はない、調教がどんなに失敗しても馬は勝っちゃうから。
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Q.才能のない馬でも調教次第で勝てるようになるんでしょうか?

才能があるんです、みんな。せかしちゃうと能力を出さないで終わっちゃうんです。

Q.個性の活かし方で心がけていることってありますか?

どれだけそばにいてやれるか、馬にしたら迷惑だと思うんですけど、良い調教をしたり、良い馬を作ろう、育てようと思うと、その子をよく知らなけりゃ無理ですよね。

Q.長く付き合わないといけない・・・

この子はこんなところがあったのかという性格の子が結構いますからね。

そばにいて、いろんなことを試してみて気づくことが多いですよね。

藤澤調教師はそんなふうに番組で言われていました。

ここでは藤澤調教師の著書も紹介しましたよね。

・・・1日1日、馬の世話に一生懸命だったものの、それでいったいどうなるのかという思いもあった。将来が不安で満たされぬ日々だった。

「からっぽやみの仕事をするな」という父の言葉に従がって、私は真面目に黙々と馬の世話をしていた。それは決して間違ってはいないと今でも思っている。

しかし、それだけでは足りないのである。

ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース

「いつもおおらかに笑っていられる人間が幸せな馬を作れる」

アイルランド人のション・マギーの言葉に、私はある種のカルチャー・ショックを受けた。

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「競走馬私論」藤澤和雄著 祥伝社黄金文庫
 
馬の近くにいる1人として、見てほしいと思うのは、馬たちの懸命な姿である。

ゴール前の1番つらい瞬間、鼻息も荒く、目を見開きながら最後の頑張りを見せる。そういう姿はたくましく迫力がある。

現場で仕事をするということは、そんな姿を見て感動できる場所にいるということである。

力及ばず敗れた馬にも、温かい視線を送ってほしい。

勝った馬たちはいいけど、一方で日の目を見なかったたくさんの馬たちがいる。稽古台になって消耗したり、故障で活躍できなかったり。

成功より失敗のほうが多い。だから、勝利を誇る気になれない。負けても負けても、生き残ればいつかはチャンピオンに手が届く。

長い間、走ってて、無敗の馬なんていないんだ。

今読んでも泣きそうになるなあ・・・

日本ダービーっていったら、ダービージョッキーとか一勝言われるくらいだから、最高峰のレースでしょ。

全員が最初からそこを目指してるって言ってもいいんじゃないか。だけど、藤澤調教師は著書によれば、決して無理なレース間隔で走らしたりしない。

まさに「目先の一勝にこだわらず、馬の一生を考えて」馬を育てるわけだ。でもビジネスだからね。馬の所有者もいれば、数々の関係者がいる中で「勝利こそ」が求められる。

でも「馬の一勝を考える」といったって、勝負を捨ててるわけじゃないはずです。勝利はとことん目指すが「その場しのぎ」はしないんだ。

なぜなら「ただ勝つことに未来はない」から。一緒ですよね、子供も。

もう1つ、藤澤調教師を取り上げたところでボクが書いたのは「馬に声をかける」「馬に話しかける」ってことだった。馬は言葉を理解しない。でも、子供だって親の言うことや論理は理解しないじゃないか。それは同じだと思うんです。

じゃあ、わからないんだから、言わないのか?

そうじゃない。話しかける。「どうした、お前、調子悪いのか?」とか「早く治して頑張れよ」とかさ。夜に慌ただしく仕事から帰ってきて勉強の進捗は気になるけれど、たわいのない今日の出来事を聞いてやってほしいとボクは願っています。

新聞記事の最後にこう書いて締めてあった。

藤澤調教師は共同記者会見後、厩舎に戻ると「喉が渇いたか? 頑張ったな」と優しいまなざしで愛馬の頬をなでた。

日本ダービーで勝ったから、そうしたんじゃない。勝っても負けてもどの馬にも声をかけてるんですよね。

なぜそうするのか?

この子はこんなところがあったのかという性格の子が結構いますからね。

そばにいて、いろんなことを試してみて気づくことが多いですよね。

せかしちゃうと能力を出さないで終わっちゃうんです。

「ボクの青春が終わっちゃう」ってことについて、もう少し書いておきます。

子供たちのお手本としても、またボクのお手本としても長い間支持してきた松井秀喜が引退してポッカリ空いたボクの穴を埋めていた宮里藍選手が長いスランプに苦しんだうえで、今日引退の記者会見をするらしい。

宮里藍選手については、ここでも時々取り上げました。

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あ~あ・・・

ボクはスポーツも競技も、種目として見ない。人を見るだけです。

だから見たい人がいないってことは、スポーツも競技も見ないってことになる。

どうしましょうかね・・・

ただボクは宮里藍選手の引退を大いに歓迎する派です。もっとやれるとか、しばらく休んでとかまた復帰すればイイとかいろいろな意見があるだろうけれど、ボクは選手は「選手を引退」して、「今度は指導者になって」またお手本になってほしい、なるべきだと考えています。

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選手のときには「わからなかった」ことが「わかる」もあるし、その逆もあるからね。

「名選手、名監督にならず」って言葉があるように、名選手が名監督になるにはハードルがあります。

それは「名監督、名選手にあらず」ともいえるわけで、「良い選手でなかったから名監督になりえた」ということもいえ、成功は失敗の母であり、成功はできても成功し続けるためには、モデルチェンジをしたり、ギアを入れ替えたり、人として成長しないとできない。

人生において、1つの波だけじゃなく、立場の違う2つ以上の波をサーフィンしてほしいって思っています。

子供が大人になって、たまたま子供を授かって親になる。これはいつのまにか「選手」が「指導者」になるのと同じだとボクは思ってます。なかには「ずっと選手だけでやりたかった」って人もいるだろうし、そうする人もいるけれど、子供を授かっちゃったら自動的に「選手から指導者」になる。

自分ではできたけど、選手(子供)にはやらせられないとか、その逆の場合だってある。1つの立場ではなく、2つ以上の相反する立場を経験して、初めて「わかる」ってこともある。

この相反する立場を「知ってはじめて」わかるに行ける。

ここの読者は自動的に「選手から指導者になっちゃった」んだ。だからもう諦めて「ずっと選手だけでいたかった」なんて言わないの。

そう言わない人でも「子供が理解しないんですよ」って言ってるってことは事実上「ずっと選手だけでいたかった」って言っているのと同じだし、もし結果が出ないときは周りから「名選手、名監督にならず」っていわれるだけだ。

自分が子供の頃「名選手」でなかったなら、名監督になればいいし、なかには名選手でもなかったし、名監督にもなれなかったって人も出てくるだろう。

とにかく相反する立場に立つことで、わかったり、わかなかったりすることが出てくるけれど、それが当たり前だし、それが「自分の学び」なんだと思ってやればイイ。

いつも書くけれど「わからない」なら「わかるまで」その現象は続くし、出続ける。現象が収まらない。わかったら、終わりになる。「子供の気持ちがわからない」なら、あなたが「わかるまで」、理解できない子供の行動は続くってことです。

そこで初めて親も子供の立場になってみる。子供の気持ちになって考えてみる。想像してみる。子供を変えようとしないで、自分を変えてみるチャレンジが出てくる。無理して子供をネジろうとしたら、ポキリと折れちゃうから。

さあ、ここまでが前段の前フリでした。ここからが本題です。

今、パソコンを通じて、「エェーーーーーっ」て声が聞こえてきたけど、無視して続けることにする。

1つ報告&相談がきているのでまずはそれを読んでもらうことにします。どうぞ!

[算・数] 7日間を終えての感想

小4 大車輪さん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

30分以内なら集中出来る 、と子どもが思うようになったこと

◆親にとって学ぶべき点はありましたか?:

今まで勉強しないのは子供のせいだと思っていました。常に子供の習性や視点を意識することの大切さを学びました

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

いろいろな発見があったことは楽しかったです。毎日のちょっとした進歩や心の乱れによる後退を感じることが出来ました。

2月から大手塾に通い始めた子供が、最近になって、塾の宿題を一切拒否するようになりました。

大手塾に行くまで、塾や習い事の類いをしたことがなく、ノンビリとマイペースで過ごしていた子です。

塾が始まり、テキストほぼ全範囲やテストの見直しをやらされ、遊ぶ時間が減り、時に主人は夜遅くになっても、ヤル気ゼロの子どもを問題を解き終わるまで拘束していました。

2週間前、とうとう子供が爆発。

塾の宿題を一切しなくなりました。

困り果ててネットで対策を探していたところ、10の鉄則とノリ勉に出会いました。

フルタイムで働く私にとって、このゴールデンウィークは時間的に余裕ができますので、ノリ勉を試すチャンス。テキスト&音声講座で勉強しながらのノリ勉見切り発車でした。

試行錯誤しながら取り組みました。途中態度が悪いと怒って説教してしまい、バトルや大暴れもありました。今だに「解きたくない問題」は不機嫌になります。

口下手な子どもには「説明」もハードルが高く、その為、教えてポン作戦は実行出来ていません。

ここ2、3日は、A問題の30分勉強は受け入れてくれるようになりました。ですので、実はまだノリ勉7日間のプログラムは完結していません。

主人(東大卒で極端な学問至上主義)がなかなかの頑固者で、主人の中の理想の子と息子を比較し、ちょくちょくひどいダメ出しをします。今回も折角ノリノリになってきたときに主人のダメ出し火炎放射で雰囲気ぶち壊しって場面もありました。

こんな環境でもあり、前途多難です。

ノリ勉の全課題をマスターするにはまだまだ時間がかかりそうですが、先ずは、親子(母子?)関係の修復に重点を置いて取り組みたいと思ってます。

ボクなんかは「ご主人は勇気があるなあ」ってホント感心する。だって「絶対選手が聞き入れないぞ、意地でもしないぞ!」って態勢にわざわざして、そのやり方でゴリゴリ押し通そうとしてるわけでしょ。

この子だけでなく、ほとんどの子供が「もう絶対イヤだ!」って100%思うやり方でやって、成績を上げようとしてるわけだから、ある意味で、ものすごいエネルギーがいることだし、困難を極めるのは必定です。

それでもあえてやろうとするわけだから、相当な自信や裏付けがあるんじゃないかと想像します。

ただ一般的には、この相談は「名選手、名監督にならず」の典型的な事例だとみなされるでしょう。

「自分が当たり前にできたことが、子供ができないなんて当たり前だ!」って前提が、露も感じられないから。

名選手で、かつ名監督になるには親技よりも、ここで紹介してきた落合博満さんの本がおススメだ。

実際に「名選手であり、名監督」の実績があるわけだからね。そういう人がどう考えているのかを知ると、参考になるでしょう。

ちなみに落合博満さんは「自分が当たり前にしてきたことは、ほかの人は当たり前にできない、できるわけないだろ!」って思っていた人だったとボクは思っています。

「ボクが一番うまくできるけど、キミはできないだろうから、キミはここらあたりからね」っていう認識が逆に嫌味なくらい明確で、キッチリしている人というのがボクの見立てです。

だからここのお父さんの態度「できるだろ、これくらい!」とは真逆で、落合さんは「ボクが相当努力してようやくできたことだから、キミはできないと思うよ、だから無理しちゃダメよ」って感じくらい違う。

落合博満さんのことを好きか嫌いがはっきりしている傾向があるのは、たぶんそのためで、まるで「一番自分が一番できるように思ってんだな?」って態度に感じるんだと思うけど、事実そうだから。そう思ってる。

嫌いな人はもう名前を見ただけで拒否反応を見せる人もいるけれど、好きでも嫌いでも理解しなければ、事態は変化しないので無視して話を進めることにします。

「かつての名選手」が「今の選手」を見て、「理想の子と実際の子供を比較し、ちょくちょくひどいダメ出し」をしてたら、育つものも育たない。これは100%確実なことです。

そうされてた子供がどう思うのかも、100%決まってる「じゃあ、お前がやれよ!」

以上だ。

でも、「かつての名選手」はもうそこからは引退したんだ。だから参戦はできない。だから一層、子供は言ったり思ったりする「うるせぇーな、じゃあ、お前がやれよ、お前が行って100点獲ってくればいいじゃねぇーか、それで満足だろ!?」ってね。

どうする? どうなる? なんてわくわくするような起承転結のある展開にはならない。お父さんプロデュースのドラマは強制終了になるのがオチだ。

ご主人が「そのことを理解する」「わかる」まで子供の現象は収まらない。まあ、そのうち子供はお父さんと勉強をしなくなると思うけどね。

子供がイイ子過ぎて、お父さんの言うことを我慢して聞ける子だと、長い時間をかけて子供に不満が蓄積されて、そのうち子供が家を出るか、お父さんが子供に殺されるというのがこの数十年の結末で、これも決まってる。

これも「ボクの青春」の1つだった小室直樹先生は、こんな本を初期の頃に書かれているけれど、高度成長期の頃から普遍的な問題です。

東大卒だろうが、ハーバート卒だろうが、高校卒だろうが、中卒だろうが、かつての名選手だろうが、以前ここで紹介した以下の落合博満さんの言うことを理解できなければ、選手も子供もテコでも動かない。

落合博満著『采配』112ページ

表現は悪いかもしれないが、私はあらゆる手を尽くして選手を洗脳した。

そうして戦った選手たちは「勝てるのかな。勝てないのかな」から「あら、このメンバーで勝っちゃった。やっぱり練習すればかてるのかな」という気持ちに変化したのだと思う。

この取り組みを振り返って言えるのは、組織を統括する立場になった者は、まず部下たちに「こうすればいいんだ」という方法論を示し、それで部下を動かしながら「やればできるんだ」という成果を見せてやることが大切だということだ。



ひと口に「成果」と言っても、業種によってさまざまだろう。重要なのは、自信をつけさせ、それを確信に変えてやること。自信をつけさせても、結果が伴わなければ「ここまでやってもダメなんだ」となってしまう。

そして、一定の成果を出して部下が「やればできるんだ」と実感したら、「実力以上のものを出そうとするな。できる範囲で一番いいものを出してくれよ。そして、できる範囲を広げていくんだ」と自己成長を促してやればいい。

野球でもビジネスでも「できることをしっかりやる」のが成果を上げる鉄則だろう。



何事も最初が肝心だと言われているが、組織力を高めていくためには、現場を預かった人間の第一歩が大切だと身をもって感じたのである。

このとき、ボクはこれを「仕事でも勉強でもなんでもすべての基本ですよね」って書いた。

この理屈を気に入ろうが気に入るまいが、これ以外に道はない。

もう1つ、これも以前紹介しているけれど、大事なことなので再掲しておきます。

落合博満著『采配』102ページ

・・・選手はミスを恐れずにプレーすることが求められる。ここで考えなければならないのは、ミスをする原因だ。

大きな原因のひとつが、自分の能力を超えたプレーをしようとしてしまうことだろう。多くのファンの前でグランドに立てば、ある種の興奮状態になり、活躍したいという欲も芽生える。

だが、普段の練習でできないことは、どんなに頑張っても実践ではできない。ゆえに、レギュラーになって活躍したいと思うなら、

1、できないことをできるように努力し

2、できるようになったら、その確率を高める工夫をし

3、高い確率でできることは、その質を高めていく

この段階を踏まなければならない。

だから、私は2の段階「できるようになったら、その確率を高める工夫をし」にある選手を起用する際に、3「高い確率でできることは、その質を高めていく」をクリアしたレギュラーと同じようにやってほしいとは思っていない。

むしろ、何とか2のレベル「できるようになったら、その確率を高める工夫をし」をしっかりこなしてほしいと考えている。

実は、2の段階の選手が2のレベルのプレーをそつなくこなすこと、すなわち「自分のできることをしっかりやること」ですら、高い緊張感を伴うグラウンドの上では簡単ではないのだ。

こうした理由により、私は若い選手にありがちな「ミス」を責めない。

ただ、ミスの原因は冷静に分析し、次に同じようなミスを繰り返さないように仕向けていく。


では私が選手を叱るのはどういう場面か。

それは「手抜き」によるミスをした、つまり、自分のできることをやらなかった時である。

このお父さんに限らず、親技生でも、失敗するのはほとんど全部「3の段階」をすぐに求めていくことから起こる。

もうすこしマシな方は「1カ月やって2ができるようになったから、じゃあ3番ね」って一気に先に飛びたがることから問題が起こる。

そうはイカのキ●タマというか、様子見ながら、観察しながら、徐々に求めるレベルを上げていかないといけないのに、じゃないとここまで積み上げてきたことが「0」になっちゃうかもしれないんですから。

なのに、子供のことになると、親はガンガン相手を見ずにぶち込んでしまう。

子供が反発するなら、親が救われるとはこのことで、蓄積されて溜まった日には「事件になっちゃう」からね。だから子供が反発するってことは親が助かったって思わなきゃ。あ~あ、よかったですよ。

で、修正するの。今までと同じことしてちゃ、同じ結果になるから。そのとき、子供の気持ちを想像するんです。

どうして爆発したのかなって・・・

ここでのお母さんはそれをきちんと分析されているといえるでしょう。

でも、もう一歩踏み込んで考えないと、子供の立場からすると、お父さんのやらせ方は論外としても、お母さんも「子供の味方」とは見なせないんじゃないかとボクは思う。

同じ方から同じような内容の別のメールがきているので、そのことがよりわかりやすくなると思うので、それを紹介します。

[中学受験コース(基本)] メンバーさんからの相談

◆相談内容:うるさく言うのがダメなのでしょうか。

2月から大手塾に通っている小4です。

約1か月前に塾の勉強を全くしなくなりました。塾の宿題をまともに全部やらせていた上に、主人が難しい発展問題も解かせていたことが、不満爆発した原因と考えています。

困り果ててネットでいろいろと調べていたところ、親技にたどり着きました。

まずは30分間の勉強から始め、今はなんとか、それを何セットかするように持ち込めるようになってきました。

しかし毎日大小のバトルがあり、戦いの日々です。気が乗らない雰囲気(すでに小爆発気味)で始めた時は、字や途中式やひっ算、姿勢を注意すると、それをきっかけに大爆発して勉強続行不能になります。

昨日は、勉強を始める段階で投げやりな雰囲気。最初の漢字の読み問題は、筆記を拒否。きちんと記述するように言うと爆発。さらに字をきれいに書くように言ったら大爆発。

理由を話しても聞く耳持たず、部屋を出て行って個室にこもり、夕食も摂りませんでした。

やや気乗りのしない雰囲気ながら始めても、集中できることもあります。そんな時は丁寧な文字を書き、途中式、ひっ算も出来ています。正答率もいいです。

また、集中出来た後のテストの点は、かなりいい点もとってきます。効果はあると思ってます。

10の鉄則やノリ勉を知ってから、丁寧に書くこと、ひっ算を省かないこと、テストのような気持ちで、と言い続けています。調子の良い時はそれを守り、成績もよい。一方、初めから全く気乗りしない時にはそれらを注意することで爆発し、勉強続行不可能になります。

文字や途中式などにこだわる理由は、言い聞かせてますが、バトルになると「うるさい」で終わりです。

主人は「勉強をさせることが目的なんだから、あまり形にこだわるのはいかがなものか、いつもここで躓くではないか」と言います。

私としては、これらのことが守れている時には、結果が出てますし、ただでさえ面倒くさがりの子ですので、今、この習慣を身につけないと、後で後悔すると思い言い続けています。

主人の言う通り、まずは、形にこだわらずに勉強をすることを優先すべきなのでしょうか。お忙しいところ恐縮ですが、アドバイスいただけると大変助かります。

この状態は子供に気分の波がきていることを表しているとボクは見る。不安定な精神状態とでも言いましょうか。上がったり下がったりするんですよね。

勉強面でいえば、勉強で成果を出すときに、最も気を付けなければならない気分のムラです。やれるときはやるんだけど、やらないときはテコでも動かないんですな。

お母さんはお父さんを教訓に「できることをしようよ、それで成果だって出てるんだから」って思うし、そう言う。その言っていることは正しいけれど、この親子でいえば「親は正しくて、できること」だけを延々と言ってるとボクには見える。

「でさ、今の気分はどうなの?」って全然子供の意見も気分も気持ちも、うっぷんした思いも聞いてもらえない。なのに、お母さんは「正しくて、できそうなこと」だけを言ってくる。

子供はどう思うか?

腹が立つんですな。お父さんほどではないけれど、お母さんにも同じくらい腹が立つ。

「ボクの、私の気持ち、わかってる?」っていう部分が決定的に欠けているんじゃないか。

ボクが家庭教師に行ったら「なんや、オヤジがウゼェーのかよ。じゃあ歯向かえよ。お前がテスト受けろよって言えばイイじゃないか」とたぶん焚きつける。燃料を投下してボウボウと燃やしてやるんだな。

「わかりました、じゃあオヤジに一発かましてやりますわ」ってなる子供は経験上これまで一人もいませんでした。なんでかな?

でもさ、「それはできない」って決断を声に出してすることで次の道は開ける。決断しないんだ、みんな。できることと、できないことを分けて考えずに、不満だけ溜めていってる。

そうじゃなくて、選択肢を示してやって、できます、できませんときちんと子供に自分で決断させていくべきです。

その中で、残念だけど、お父さんに言われたら「ハイハイ、わかりました」って言っておけと言わなくちゃならない場合も出てくるでしょう。

「未熟なお父さん」には、わからないんだから・・・お父さんの荒波を乗り越えたり避けたりせざるを得ないのは残念だけど、そうして気持ちを安定させてやらないと、勉強に気が向かないと思います。

前にも書いたけれど、かつて「夫婦仲が悪いと、子供は算数ができない」とよくいわれたものです。論理で考えないといけない算数で人間関係の修復の橋渡しに子供がなってる場合、論理で考える算数のほうに頭がいかないっていうような意味でつかわれてたと思う。

「オレができたんだから、これくらいできて当たり前」そういわれたことが頑張ってもできなかったときの子供の絶望感ってものすごい深くて暗いんですよ。

その深くて暗い気持ちの子供に「丁寧な字で書こうね」「筆算をちゃんとしようね」「テストのつもりで解こうね」なんて言って、「よーし!頑張るぞ!」なんてならない。

子供の気持ちは「そんな小さい、どーでもいいことはイイから、オレの、私の、この深くて暗い気持ちをなんとかしてくれ。解放してくれ」っていう思いのほうが優先されるんじゃなかろうか。

1、苦い薬を先に飲んで、甘いものを食べる

2、まず甘いものを食べて、そのご褒美で苦い薬を飲む

先苦後楽か、先楽後苦かって選択があって、親は「1」を当然ススメますよね? それは経験上そっちがいいからそう言うわけだけど、子供は多くの場合「2」を選びたがる。

あとで頑張るから、今は遊びます!ってほうね。で、あとで頑張るかって言ったら、当然頑張らないんだけれど、だから親は「1」をススメルわけだけど、これが適用できるのは、自己肯定感が平均以上の子供ってことになるんですよ。

みんなに当てはまらない。自己肯定感が平均点以下の場合は、暴れててでも「2」を選択しようとする。お子さんはすでにそういう段階に来てるとみてもいいんじゃないでしょうか。

2月からの通塾だから、たった4カ月でそうなったということです。たった4カ月ですよ。

でも、その兆候はたぶんその前にはもう出ていただろうし、2カ月もあれば、そうなることもわかる。

お母さんができることは、お父さんの荒波を鉄板かなんかをもって避けながら、「苦い薬を先に飲んで、甘いものを食べる」を選べるような気持ちになることを優先することです。

テストがどうとか、点数がどうとか、クラスがどうとか、そんなことよりも「わかるわ~、お前の気持ち」って部分をしっかり受け止めて気分のムラをなくし、できるだけムシャクシャしないように気持ちの澱の部分を解放してやるように努めることです。

そうしてたら、お父さんがダメ出しはじめて、せっかっくの貯金がプラスマイナス「0」になってしまう可能性も大だけど、誰でもできる、たとえば「正解しなくていいから丁寧な字で書こうね」これがすっと入らない気持ちで勉強しても、やる内容が難しくなれば、すぐに「考えたくない」って現象になる。

まあ、もっといえば、

主人は「勉強をさせることが目的なんだから、あまり形にこだわるのはいかがなものか、いつもここで躓くではないか」

という意見のようだから、この際、お母さんは勉強は見ずに、子供の気持ちをケアするほうだけに集中するのもありだと思います。

お父さんのやり方では100%結果が出ないことは明らかだから、でも自信もあって、「これでいけるんだ」って思っているとするなら、子供の対処の仕方は「やって失敗しないとわからない」のがご主人の人生だとも言えます。

だから、大いにお父さんに腕を振るってもらって、「私とやっても小爆発ばかりで勉強にならないので、お父さん、お願いしますね」ってスタンスにして、お母さんはお父さんとの勉強でこう言われたとかああ言われたとか、これが不満だとか、学校の出来事を聞いてやる役割を担当する。

お父さんと勉強して「これをやらせてくれ」と頼まれたら、やったらいいし、でも、あまり無理をせずに子供のやりたいようにさせたらイイし、そこであまり小言は言わずに心の中で「ああ、ここはこうすべきだな、こうしたらいいな」といくつもの案を今のうちに考えておく。

いずれお父さんとの勉強はやめるって方向になるだろうから、その時のために今のうちに子供の気持ち、子供の心の動き、勉強の癖、態度、やり方について、情報収集をして、いざ出陣となったときは、すぐにスタートダッシュを切れるようにする。

ホントは父母が揃って同じ方向に向いて共有して進めればいいけれど、そうじゃないのなら、ご主人にも「わかってもらう」方法をとる。

「ああ、自分が当たり前だと思ったことでも、人には当たり前じゃないこともあるんだ」たったそれだけのことでも、お父さんが「わかる」ってことはすごいことだし、すばらしいことだから。わかったら、終わりです。でもわからなければ、いつまでも続く。

中途半端に任せていつまでもわからないことが続くくらいなら、バッと任せて白黒をつけるのは早めたほうがイイですね。

もし、お父さんに任せたら、最高の成績が獲れた!なら、それでいいし。部屋にこもったりしたときはお父さんに対処してもらいましょう。人は出ている現象を見ないと、わかるまで時間がかかりすぎるから。

ちゃんと見ていさえすれば、いずれ認めないと収まりがつかない事態がやってくる。

そのときです。

中島敦著「李陵」が役に立つのは・・・・

いったい、今度の出来事の中で、何が、誰が、誰のどういうところが、悪かったのだ?


しかし、天はやっぱり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。彼は粛然として懼れた。

子供に対して親は「恐れ」じゃなく、「怖れ」でもなく、「畏れ」がなくてなりません。

子供はさ、「神の目を持つガラス細工」だから。

なかなか壊れないガラス細工だけれど、落とせば割れるし、熱が加わればポキリとあっさり折れる。

ボクが生まれてきてよかったなあ・・・10代の頃にこう思えなくちゃ、頑張れないもの。

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小6梅しそさん

遅くになっての感想、申し訳ありません。

昨年の冬休みに時間をかけて3度読みました。読めばよむほど身がひきしまります。

勉強自体を嫌がることがない我が子ですが、実力テストで得点が伸び悩んでいる時点で10の鉄則を拝読。

それから春休みまでの間、塾の授業テキストを総復習しました。

通常のカリキュラムをしながらの復習となりましたので、時間は限られましたが、ストロングさんのアドバイス通り、例題と基本問題だけに絞って今までの総ざらいを行いました。

今週末に組分けテストがあります。この学習が週末に発揮されることを確信しています。見守ってください。またご報告いたします。

冬休みから4月まで、小5で習った単元の総復習したエクセルの管理表を拝見しましたが、必ずや近いうちにその成果が出るとボクも感じました。

かなりの勉強量になったと思いますが、カリキュラムとは別の総復習の成果は少なくとも夏休みに絶大に出てくるでしょう。

受験生は習ったことをかなり忘れています。頑張っている子供も忘れている。1つ部品が欠けると、実力テストでは点を落とす。

夏にやる総復習では遅すぎる。夏休みを最大限に活かすためには、「今でしょ!」なんですな。

しっかり今週行われるテストの分析をすることでそれがよりわかるでしょう。

信じて進みなさい。行けばわかるさ!

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