こんにちは、ストロング宮迫です。

メルマガが配信されないので、たくさんの「生存確認メール」を頂戴しました。すいません。

ハワイでしばしのバカンスでした・・・

といいたいところですが、「盆と正月とGW」がいっぺんに来たようなスケジュールが重なり、旅に次ぐ旅の連続で、メチャクソ忙しかったのであります(言い訳)。

某所での講演会も楽しゅうございました。ご参加いただいた方には改めて深く御礼申し上げます。

とはいえ、3年間続いていたメルマガ週2回配信の皆勤賞がついに途切れてしまい、消沈しております(´;ω;`)ウッ…

気を取り直してまいります。すでに4月末からの毎日親技は日々読んでいただいていると思いますので、GW期間中の準備は、もちろん整っていて、すでに充実した日々をお過ごしですよね?

GWに突入する際の心構えは何年もこの時期に同じことを書いてきましたので、もうここでは繰り返しません。

一言だけ言えば、このGW丸5日間が有効利用できない親子は、夏休みでも同じ間違いを繰り返すのが相場です。

よってこのGWこそは夏休みの勉強の試金石。

夏休みになる前に、もう1回だけでいいので子供の相手があなただから「わからない」という】という親技の主張に耳を傾けてみてほしいと願っています。


馬も犬も、そして子供も同じだ!」っていう親技の主張にも。GWも、もう後半だからね。

さて、しばらく前にいただいていた質問があるので、ここに紹介し考えてみたいと思います。まずは質問を読んでいただきましょうか。

[鉄則] 報告・相談

先日、10の鉄則を購入しました。これまでメルマガはずっと拝見してきており、共感を強く覚えているためです。そして、いつかストロング先生と議論したいと思ってきたこともあり、教材を購入してメールしてみました。

ストロング先生のメルマガは(1年程度ではありますが)かかさず拝見させてきました。そして、参考にしてきました。

お陰様で子供は無事受験を終え、受験した中学校、4校すべてに合格することができました。それ以上に、塾の先生からは「灘か開成を受験して欲しい」と言われるまでに成績は向上しました。

本当に受験したら、多分、灘も開成も落ちていたと予想しますが、そういわれるほどになったこと自体が成功だと(親の自分は)思っています。

5年から大手塾に通い出した子供の偏差値は、最初の公開摸試で47でしたが、回数を重ねるごとにあがり、6年後期平均で67程度、ことに算数では6年の平均で70超え、1万人を超える摸試で満点(偏差値80近く)もとったことがあります。

このような成績情報に触れた理由は、正直、成功したことに対して嬉しくて自慢したい気持ちもあります。がしかし、ほんとうは、ストロング先生に、以下の点を相談するためです。

1.基本「親技」を信頼している点を知っていただきたい

上記成果は「親技」の基本理念のおかげで得られたものです。メルマガのみでしたが、親のポジションや子供の接し方については共感することばかりでした。

親が絶対に正しい訳ではないことを自覚する点、絶対の責任を(子供でなく)親に置く点、結果でなくプロセスを大切にする点、については否定する要素が見つからず、できるだけ実践してきたつもりです。そして、この要素の大切さについては、今後も子育てする上において大切にしていきたいと思います。

2.その上で存在している疑問

だからこそ、教えていただきたいことがあります。「ABC分析」の適用範囲についてです。

算数や理科(暗記でなく理論的な問題)については適用しそうですが、暗記問題(社会や理科の一部)、さらには国語については適用しにくそうな気がするのです。

そもそも暗記教科では、「ABCランキング」が存在しない気がします。このため、子供の受験対策としては暗記教科ではABC対策は実施せず、世の中にあふれているやり方(エビングハウスの法則を応用する、とか、できるだけインパクトづける覚え方をするなど)を重視してしてきました。

さらに、国語にも適用が難しいと思っていましたので、ABC対策は基本はしませんでした。国語は正解につながるための切り口が多いためです。

 ・文章の読む速さと理解力→速読や音読がいい?

 ・高い点数を得られやすい答え方→親が色々勉強したけど・・・

 ・論説文/小説文の要素

 ・記述/記号の要素(とくに記述対策)

などなど、どこをどう対策したら良いかもわからず、単純にテストで出た問題をABCに分けて早くとけるのが良いとも思えず、また、すぐに成績が上げる小手先の対応が困難だと思ったからです。

結局、親が、それぞれの分野についてたくさんの書籍(「国語ができるようになる」的な本)を読みあさり、効果的だと思ったものを対策してきました。実際に対策できるような具体的方法は、10冊読んで1つあるかないかではありましたが、その対策をした結果、子供の成績上をじわじわと向上させることはできました。

ただし、このやり方に何の自信があるわけでもなく、同じように下の子に対策すれば成績が向上する自信も大きくはありません・・・

という経験の下、今後、下の子に対してよりレベルアップした親技を適用していくために、何らかのアドバイスをいただくことは可能でしょうか?

上の子との一度の大切な体験からムダに少し自信を持っている自分もいますが、他方、たった一度の経験が偶然であった部分や本当は何もわかっていない部分も自覚はしています。

いろいろな経験をしてきたストロング先生に、私が(先生にさからってまで)してきた対策をボロカスにご指摘いただくとが非常に嬉しいですし、仮に(本当は誤ったご指摘でも)貴重だと思っています。 

先生がこんな長文に対してすべて返答していくことはありえないとも思っていますが、宜しければ何等かのお返事をいただけますよう、宜しくお願い致します。

小5の「最初の公開摸試で47」から「6年後期平均で67程度」ですから、まさに絵に描いたような上昇劇だったわけですね。

「正直、成功したことに対して嬉しくて自慢したい気持ちもあります」は、よくわかります。羨ましいと思う読者も数多いはずです。

ケチをつける必要はないのですが、それでもあえていうとすれば「本当に成功したかどうか」の判断は、これから次第ですし、これから明らかになるということ。

中学に入学して、みんな同時にリセットされちゃうからね。付け加えれば、その際、一生懸命してきた貯金はリセットされて「0」になるわけじゃない。

リセットになるのは、してきた勉強内容です。勉強してきたことはリセットになる。誤解を恐れずに言えば「忘れちゃう」んだな。でも、勉強してきたことを習得するというやり方や方法は、子供に貯金として残ります。

ここがね、中学になってから歴然とした差になって出てくる。同じ中学校なら、何番で入学しようが関係ない。

ほぼ同レベルの集団・層の中での競争において、これまでの勉強の習慣、勉強のやり方・落とし込み方、授業の聞き方、そして授業のお土産の多寡、素直さ、膨大な量が押し寄せたときの処理の仕方など、中学受験でやってきたものが「ホンモノ」ならば、これら新しい生活の第一波は乗り越えられる。

あとは継続。淡々と日々ウンウン押せるかどうかで決まります。まあ「6年後期平均で67程度」出ていたのであれば、それら我が子のノウハウは親の中ですでに確立されているでしょうから、大丈夫でしょ?

結果の大勢はおよそ2年半後にハッキリする。

受験がなくても、やっぱり2年か3年すれば、結果が出る。そこでまたリセットになります。

新しい学年になれば、勉強の質量とも増え、新しい壁や波がやってくる。それを乗り越えたり、乗ったりできるかどうかは、受験生活をどう生活してきたかなんですよね。受験生活の中身が問われる。

だから親技の受験生は入試後に歩みを止めない。入試を終えてすぐに入試に臨んだ速度以上のスピードで新しい生活に突入する。その走り出した最初の休憩場所がGWってわけです。

ひとまず腰かけて、新しい生活を改めて検証する。このままいくのか、少し変えるのか。心構えは予想していた通りでよかったか、それとも覚悟が足りなかったか。新生活から1か月、課題がある場合はその兆候がまさに今もう芽生えて見えてるはずです。

だからね、少し立ち止まって振り返ってみる。GWの期間をボクはそういう時期って捉えています。これは勉強のことだけじゃないんですよ。先生のこと、学校のこと、部活のこと、習い事のこと等々、当初の予想したものと実際を比較して検証する。

次に立ち止まって考えられるのは、もう夏休みだから。スルーだけはなしにしましょうね。スルーの連打は五月病につながるからね。

質問に戻ります。

まずは親技が推奨するABC分析について。親技の「ABC分析」はメルマガ創刊当時から変わりません。その頃に書いたものはこちら

ABC問題についての定義とそのレベル分けについては、いろいろな言い方を親技ではするけれど、ザックリ

Aレベル問題
すぐに解ける問題・この問題は間違わないだろう・できる、できると思える(間違えることもある)

Bレベル問題
ヒントがあれば解ける問題・少し時間がかかることがある・解答を見れば「ああ」とわかる

Cレベル問題
できない問題・ちょっと理解できてなさそう・解答解説を見てもチンプンカンプン

こんな感じになります。

もしあなたがやるとするなら、注意すべきなのは、

親技でこのABCレベル分けをするときに

問題自体の難易度を基準に分けてはいけない

ということなんです。あくまでも子供の感じ方を基準にするってことです。問題集に「基本」と書いていても、子供にとっては「応用」に分類されることもあるし、その逆もあるってこと。

その上で、親技では「Cレベル問題はとりあえず捨て」すなわち、すぐには取り掛からないとしています。時間があって、やりたくて仕方がないのならやってもいいけど、それよりもまずはABレベルの問題の撃破が先でしょ?っていうスタンスが親技です。

「Cレベル問題」をやってもいいけれど、もしやるとするなら「A・Bレベルの問題」を撃破してから取り組みましょうと。

基本ができていないのに応用に時間かけても1週間経ったら、もうできなくなってるからさ。

できるようにしたものは鮮度を保ちながら、保持しかなくちゃならないのが受験です。やった先から破れたバケツで水をくむようなやり方してたら、夏休み前に、その勉強は破綻するからね。

まあ、このあたりのことはここでこれまでも詳しく書いてきたからこれくらいにしておきます。過去に、質問に答えたABC問題分類についてのいくつかはこれまでの週刊親技を参考になさってください。

違った聞かれ方をするとダメ

異なるリズムを同期させる親の役割

ガソリン、満タン入りましたー!


そいでもって、夢や目標も、今週習った勉強内容の復習も、それが小さい、またはすぐに達成できそうならば、小分けにする必要はありません。

わざわざ「ABCレベル別に分ける」なんてことはしなくてもイイ。全部サクサクできるんなら、トットトやっちゃえばいいんだからね。

でも、子供たちの前に立ちはだかる壁が大きくなればなるほど、そうはイカのキ●タマ問題が出てくるんだな。

そう、全部をサクサクできない!っていう問題ね。

「6年後期平均で67程度」くらいだったら、おおむね与えられた宿題はサクサクできたはずなんだ。サクサクできれば、頭には入りやすいし、整理できるし、のちのちまでよく覚えてもいられる。

でも、「小5の最初の公開摸試で47」くらいだったら、そうはイカのキ〇タ〇だったはずです。この方のメールには、その過程は書かれていなかったので、どう対処したかはわからないけれど、おそらくまずは「できるものをコツコツ撃破して」進んだはずです。

大きな夢や目標、習ってくることが多い、または習ってきたが「できる」「できない」が含まれるものは、小分けにして1つ1つ撃破していく、それが親技のABC分析です。

特別なことは何も言ってないですよね?

ご質問にあった

そもそも暗記教科では、「ABCランキング」が存在しない気がします

これは覚えたいものがあまり苦もなくおおむね覚えられる場合は該当します。

暗記科目でなくても、「習ってきたけど、ほぼ全部できちゃった。類題の宿題やってもできるで~」なんて場合は「ABCランキング」はないってことになる。もっといえば習ってきたことは、子供にとって全部「A問題であった」ということもできるでしょう。

わかりやすくいえば、公立小学校のテストをABC分析なんてする必要はない(ですよね?)。Cレベル問題はほとんどなくて、一般的にはAレベル問題の比重が高い、ABレベル問題ばかりになるからです。量も少ないからたいてい全部こなせるし。

だから、暗記したいものが全部Aレベル問題に見えて、2回ほどやればサクサク覚えられたとなるなら、習ってきた内容に「ABCランキング」はないってことで、全部A問題でした!って考えたらイイですね。

それ以外にあった質問では

算数や理科(暗記でなく理論的な問題)については適用しそうですが、暗記問題(社会や理科の一部)、さらには国語については適用しにくそうな気がするのです。

親技では、国語で、はなっからABC分析を適用しません。ABC分析を駆使する親技のいけドン法も、国語には向かないと最初から断ってる。

国語では、その中でも読解については「選択肢で選ぶ問題」がキーポイントだとボクは思っています。

みんな記述問題が苦手って話をよくするけれど、それは「選択肢で選ぶ問題(つまり記号問題だ)」を本文中の根拠をもって消去するってことをきちんとしないから出てくる問題だ(とボクは考えています)。

だから「国語の記述問題ができません」っていう相談の場合、子供のテストの答案の記述の内容なんかを見る前に「選択肢で選ぶ問題」をどう選んでいるかを見る。

まずは消去法をきちんとしているかどうか。

4つの選択肢があるなら消去するのは2つで、残りは2つ。5つの選択肢があるなら消去するのは3つで、残りは2つ。この残った2つの中に正解があるかどうかがポイントだ。

実際にテストで正解したかどうかのその前に消去法で残した「2つの中に正解が残っているかどうか」もしくは「残した2つの中のどちらかが正解である」ここがキモになる。これができるかどうか。残った2つの中に正解が残せるようになるかどうか、それができるように訓練することが読解の訓練である(とボクは考えています)。

まず「国語の記述問題ができません」っていう子供は、消去法で「選択肢で選ぶ問題」をやっていない場合がほとんどです。消去法でやらないってことは、本人はそうはしていないって言うけれど、選択肢の選び方がエイヤ!になってると判定する。

なぜこの選択肢を選んだのか? この根拠を本文中に求める作業こそが消去法です。答えは本文にあるんだから。

「本文のここにこう書いてあるから、選択肢のアは×にしました」この作業が国語でいる。この作業こそがみんなが悩んでる「記述問題」を書く作業に活きてくるんだから。この作業なしに「高い点数を得られやすい答え方」や「記述の仕方」なんかを学んでも仕方がない。

この選択肢を重視する勉強のやり方については、「やってほしい国語の勉強法」と題してここに書いて、繰り返し紹介してきたのでこれくらいにしておきます。

本文中に根拠を求めて解答する!この姿勢が国語では重要です。その訓練をするのが選択肢の問題であり、(正解を目指す前に)消去法で残した2つの中に正解が残っている状態を目指す。

国語は他の教科と違い、繰り返し学習に向かない。一発勝負です。ゆえに国語ではABC分析もしないし、いけドン法もしようしないってわけです。

1回勝負で、どれくらい真剣に本文中に根拠を求めていく姿勢で解けるかどうかがすべて。だからね、国語については、最初は「時間も計らず」じっくり考えて、あーでもないこーでもないって作業をすることをおススメしてる。

なんとなく選択肢を選ぶのではなく、本文中のここにこう書いてあるので×ですとか〇ですという作業がいるんですな。

そのことを書いたのが「やってほしい国語の勉強法 その2」です。ボクはこの勉強法こそが国語においては最も有効であるとさえ考えています。同じようなことをしてるっていう有名な人がいたから、それをここで紹介したまで。

あのね、正直言って題名にある「読むチカラ」とかはボクにはどうでもいいことなんです。それよりはこの本の一文にある

・・・浪人中だった私は、あるとき、友人と2人で普段は時間を割かない東京大学の「現国」の入試問題を解いてみることにしたのです。

まだ共通一次試験の始まる前の東大独自の一次試験の「過去問」です。

四つの選択肢から一問を選ぶ形式でした。

その際決めたことは

「考え抜いて、解答に至る根拠が明確になるまで答えを決めない」

ということでした。

合宿計画を立て、泊り込みで問題文を読み合い、時間をかけて2人で考え抜く。

なんとなく答えを出すのはやめ、「これしかない」というところに行き着くまで考えてみようというわけです。

必ず「これかな」という答えがある。

この意義を、この意味を考えて、ご自身のお子さんとの勉強に取り入れてもらいたい。

制限時間がある中で、こういう試行錯誤って難しいんです。だからね、最初は「どうしてこれを選んだのか?」を聞いたり、話し合ったり、意見を言い合ったりする作業があったほうがイイ。特に国語の点数が乱高下する子供は、たいてい根拠なく選択肢を選んでるから。

そうすると自分と相性の良い文章が出たら正解が多くなり、相性が悪くなると途端に正答率が落ちるなんていう現象が出る。

子供によってそれぞれだけど、小説文が得意で、論説文が苦手って子供は多い。それは小説のほうがイメージができやすいってことです。会話文があって、書かれていることが「掴みやすい」んですな。

おおむねですが、論説文になると、それがイメージしにくくなる。「都市というものは・・・」なんて書かれていると、「都市ってなによ? 都会のことか?」とかそれぞれの言葉に引っかかって、一語一語に引っかかりだすと、文章自体が頭に入ってこなくなる。

具体的な文章はわかるが、抽象的な文章になると、「なんなんだ、これは」ってなるといえばわかりやすいか。

でもね、抽象的な文章って言うのは、もしそれがテストや入試に出題されるなら、必ずその抽象的な文章をより具体的に事例やなんかを示してわかりやすいように「言い換えてる文章」が問題文の中に必ずあるんだ。

国語ができる子供は、その「言い換えてる文章」を見つけるのがうまいだけです。問題を解く手掛かりになる文を見つけるのがうまい。それを読んで「ああ、こういうことを言いたいのね」って、そこで理解してるとボクには見える。

キーセンテンスっていうのかな、そういうのを。ポイントになる文章をキッチリ読めてるというのか。

だって、ボクが読んでも「なんだ、これは」っていう文章が特に中学入試では出てくる。その人が書いた本を1冊読み通せって言われたら、ボクだってギブアップするでしょう。でも、国語のテストや入試は、そうじゃないでしょ。ある特定の、出題者が意図したポイントを読み取れれば、こっちの勝ちなんだから。

最初っからその勝ちやすくなる文章を探して読んでる子供と「なに書いてあるかチンプンカンプンだよ」って子供で差が出るのは当然だ。その差が出ないように、まずは制限時間の枠を設けないで、「答えの根拠は必ず本文にある」って態度や姿勢で文章を読む作業がどうしても必要になるってわけです。

そういう「答えの根拠は必ず本文にある」って態度や姿勢で文章を読む作業ができたら、選択肢も記述も同じ問題に見えてくる。選択肢は「もうすでに記述してあるだけ」の問題だし、記述問題は「本文から引っぱってくるキーワードやキーセンテンスを見つけさえすれば」いいんだから。

ここにも国語で「ABCランキング」に分けない理由がある。国語は、できる子供には全部A問題になりうるし、できない子供には全部がC問題ってなりかねない。

ただし、1つだけ付け加えると、これは後期の親カツ講座の「国語入試実践テクニック その2」で触れていることだけれど、

これはボク個人の感想にもなりますので、取り入れるかどうかは皆さん自身で判断してほしいのですが、

記述問題のうち「ぬき出し問題」、ボクはこの手の問題に引っかからないようにってよく注意しています。

通常、記述問題の場合、20字以内って設定ならば、引っ張ってくる文章の箇所は1か所です。

40字以内ってなると、文章中から引っ張ってくる箇所が2か所になる。違う場所の2カ所を組み合わせて解答をする。

30字で書けって設定が少ないのはそのためで30字以内って問題であれば、解答に該当する箇所はたいていは1か所です。

それは皆さん知っているでしょう。

今回例として取り上げた国語の問題では

「私」が重い腰をあげる気になった理由を30字以上40字以内で書け

とあります。

こういう場合は、重い腰をあげる気になった理由は文章中の2カ所にあって、その2つを合体させて解答書かなければなりません

もう1つ、

筆者が考える好ましい話し方とはどのような話し方か。「語彙が~」に続ける形で文章中の言葉を使って30字以内で書け

これなんかは30字ですから1か所みつけてそこから引っ張ってきて、設問の条件に合う解答を書く。

こういう問題は記述問題というけれど、記述問題が苦手という場合、「ここを書けばいい」って箇所はわかるので書いたけれど正解しないのか、そもそも「どこを書けばいいのかさえ分からない」ので書けないっていうのでは意味が違います。

前者、「ここを書けばいい」って箇所はわかるので書いたけれど正解しないの場合は、設問に沿った書き方の練習が必要になる。該当箇所はここだ!ってわかった場合、たいていはその該当箇所には制限字数よりも多い文字数で書いてあるものです。

「私」が重い腰をあげる気になった理由が書いている文章中の箇所には設問字数30字以上40字以内よりも多い、50字とか60字が該当箇所になる。そこの不必要な個所を削って書くことで正解になるその不必要な個所を削る訓練がいります。

一方、後者のそもそも「どこを書けばいいのかさえ分からない」場合は、それは完全に捨て問になります。このあたりに書いてあるって見当がつかなければ厳しい時間制限の中では正解は書けないから。

そこは区別して考えてもらいたいところです。

さて、こうした問題をボクは記述問題といっているわけですが、「抜き出し問題」は厳密にいえば記述問題ではない(とボクは考えていない)です。

解答は記述で書きますが、これは記述式問題ではなく、選択肢問題の変形とボクは考えています。

たとえばこんなやつ・・・

(   )にあてはまる適切な言葉を文章中から3字でそのままぬき出しなさい

・・・の様子を具体的に表現している部分を、文章中から36字で(句読点を含む)で探して、初めの5字をぬき出しなさい

(  )にあてはまる適切な言葉を文章中から7字でそのままぬき出しなさい

先の記述式問題と同じですが、「ぬきだし問題」も該当箇所がこの辺かな?ってまずわからなければ、どうにもなりません。

ただ字数が制限されているたとえば「3字」とか「7字」とか「36字」と指定されているので、子供は探す手がかりを得たように錯覚します

実はこの字数指定の「ぬき出し問題」が国語の問題を解くときに大きな時間のロスを招いている問題の1つだとボクは考えています。

子供は一生懸命文章に点を打って数えていますよ。特に「36字」とかになったら、「はじまり」がずれると「おわり」が中途半端になるから、もう1回数え直したりしてね。

答えになりそうな該当箇所が「この辺かな」とわかっているのであればやったらいいし、1問あたりの解答時間内に収まるのであればやったらいいけれど、意外とこの字数制限つきに「ぬきだし」は時間を食うし、仮に正解しても大きく時間を使って、あとの問題の解答時間に響いている事例も多々見受けられます。

親も「ぬきだし問題」はできるでしょ!という考えの人も多いけれど、ボクからしたら「ぬき出し問題」が一番時間がかかる、正解しても時間がかかる問題なんじゃないかと思っています。

「ぬきだし問題」よりも、よりフリーな記述式問題のほうが該当箇所さえわかれば、早い時間で解答できるってこともある。

このあたり、記述が苦手という方は吟味しておくべき点でしょう。

「字数指定の抜き出し問題」は「言い換え問題」ですからね。ボクはこの「抜き出し問題」は読解問題じゃないと個人的には区別して考えています。

子供たちにも「抜き出し問題は間違えても、問題なし」とさえ言い渡しています。それよりは選択肢を本文に根拠を求めて解けたかどうかを追求する。「抜き出し問題」を捨て問にしてもいいとさえ言ったりしますから。

まあ、国語の入試で半分以上の問題がこの「抜き出し問題である」という学校もあるから、訓練しないわけにもいかない場合があるんだけれど、なにはさておき本文に根拠を求めて解けたかどうか、これなしには国語のいかなる問題も安定的に解けないし、偏差値が乱高下する原因にもなるから、国語については「ABCランキング」について考えるより、子供がどう解答を導き出してやるかを見てやる必要があるといえます。

これでだいたいご質問には答えたと思うけれど、どうだろう?

これが「文章の読む速さと理解力→速読や音読がいい?」残ってるか。

音読がイイとか悪いとかよく議論されるけれど、音読の意義はさ、「スラスラと読めるかどうか」なんじゃないのかなあ。

音読してスラスラ読めるなら、黙読したらもっと早く読めるってことですよね?

国語の問題を解くときは黙読になるわけだけど、全然問題が解けてないときなんかは音読させてみればイイ。スラスラ読めないはずだから。国語はさ、「読めるかどうかの測定」じゃない。「読んで解けるか」だからね。

だから音読は、おおむね学年が低い時にやるわけでしょ?

句読点でちゃんと区切って読むとか、スラスラ読めることで前の流れをせき止めないで理解できるかどうかを確認するのが音読の意義。中学生でも音読しないといけない子供はいるけれど、一定のレベルと速度で文章が読めるようになったら音読は卒業してもイイとボクは考えています。

そして、一定のレベルと速度で文章が読めるかどうかは、1冊の本をどれくらいで読み通すことができるかで判断できるでしょう。例えば小説を1冊読む場合、一定の速さで読めないと、小説自体がおもしろく感じられないんですな。

小学生で「坂の上の雲」を読める子供もいれば、小学校4年生の子供で東野圭吾の『新参者』に挫折する者もいる。

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別に挫折したからって問題じゃない。問題は、挫折してイヤになって、それ以後触れたくないものにしてしまうこと。

子供にはちょうどいい時期っていうのがあるからね。子供の今のステージをしっかり見て、ちょび背伸びするくらいまでのものを与えられたらサイコーだけど、それが最適かどうかは子供をしっかり見ているものにしかできないことです。

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これはあくまでも「ボク調べ」だけれど、以前書いた「小中学生が本を読むきっかけになればうれしいなあ」なんかも参考にじゃんじゃん読書の世界に子供たちを誘ってやってくださいませ。

参考メルマガ
「国語のセンスはこういうところから」

「国語ができるようになる家庭での会話」